あたろーの日記
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2004年05月31日(月) 気になる文具店。

 旧暦4月13日。
 夜帰宅して玄関のドアを開けて思わずのけぞってしまった。
 すんごい熱気が待ちかまえていたように中からもわ〜っと。。。
 「うへ〜うへ〜うげ〜」と叫びながら部屋に入り、窓を全開にして外の空気を入れた。今からこれでは真夏はどうなることやら。私は平日会社だからいいとして、PCが・・・これではやられてしまいます。対策考えないと。でも、今のところ簾しかないですね。。。

 たまに行く小さな文具店。
 40歳位のおじさんが1人で切り盛りしているのですが。。
 普通(失礼)にしてればえらいごっつい男前のおじさんなんだろうけど、実は私の数倍女っぽい。初めてノートを買いに入ったとき、すごくびびった。膝をそろえて大柄な身体全体を色っぽくくねらせて、「はぁい、ありがとうございますぅ♪」と満面の笑みで対応してくれるのです。すっごい丁寧だし、親切でもあります。だから、最初のうち驚きはすれども、悪い気はしないです。ノート一冊でも気持ちよく買うことができるし、捜し物があればあれこれ希望を聞いて一緒に探してくれるし、買った商品は両手で丁寧に差し出して、「はぁい♪ありがとうございますぅ〜♪」であります。で、店の出口まで見送ってくれて、何度も腰から90度の角度で頭を下げながら「ありがとうございますぅ〜」と言ってくれるのです。いつもるんるんしてるのも素晴らしいです。はっきり言って誰が見てもおかまちゃんです。なんだか憎めなくて、かわいい人だなあと思います。なので、その店で足りる文具ならなるべく他で買わないようにしています。


2004年05月30日(日) 「どん底」

 旧暦4月11日。
 暑かったです。東京は31度を超えたそうで。夕方早めに銭湯行って、ビール呑みながら黒沢明監督の「どん底」(1957年)観てました。
 ゴーリキーの「どん底」が原作。舞台を江戸のまさに掃き溜めのようなオンボロの長屋に設定して、長屋の住人達を中心とした群像劇。三船敏郎、藤原釜足、千秋実、はもとより、山田五十鈴、香川京子、三好栄子、それから三井弘次が良かったです。どうにも救いようがない社会の底辺でうごめく生活。哀しさとか、逞しさとか。ここでどんな言葉を使って映画の感想を書いても、「どん底」の画面からあふれる役者と脚本のエネルギーをとうて表現しきることは出来ません。映画を観ていて、役者さん達の演技にこれだけ引き込まれたのは初めてです。そして観終わって後、じわじわとボディーブローが効いてくるのも。


2004年05月29日(土) ふたたび、お灸。

 旧暦4月11日。
 ようやく布団を干せた土曜日。掃除洗濯ベランダの手入れ。ミニトマトがぐんぐん伸びて、小さな青い実をつけました。これから梅雨になるけど大丈夫かな、ちょっと心配。
 あまりにも暑いので、ついに押し入れから扇風機を出しました。大家さんに、すだれを掛けるといいわよと言われて、押し入れの奥に去年買った物があったのを思い出しました。明日にでもつけようか。風鈴もぶら下げようか。。。
 
 夜、先日買った「せんねん灸」を肩や背中、腕、それから足の裏の「湧泉」に据えまくってました。先日初めて灸を据えた時はびくびくしながらやったのですが、一度経験してしまうと、あのキュウッとなる熱さがやみつきになって次から次へと・・・さっき計10個、使いました。
 ちなみに「せんねん灸」のホームページがあるのですが、詳しくってとても役立ちます。せんねん灸ホームページ
 私は初心者なので「ソフト竹生島」というのを使っています。お灸なんて年配の方がやるもんだというイメージがあったのですが、自分も30代で仕事プライベート含め毎日パソコンの前に長時間座っていたり、いろんなストレスや疲労からか、慢性的な肩こりに悩まされ、ちょっと休んだ位じゃ、体力回復しないし、やっぱり30代なりの身体になってるんだなってしみじみ思いつつ、少しでもラクになるならという気持ちは私も同じだ、と、ついにお灸に手を出したわけです。しかし考えてみれば、経絡なんて年齢関係なくあるわけだし、鍼も灸も長い歴史に裏付けられてるんだし、こりゃやらないテはないべ、なのです。
 でも、鍼はさすがに自分でできないし、鍼灸院で施術してもらうと1回5000円前後かかってしまう。そうちょくちょく行くわけにもいかない。というわけでお灸ですな、お灸。
 丸い台座の上に筒状にしたもぐさが乗っていて、そこに火をつけ、台座の反対側のシールをはがし、ツボに貼り付けます。簡単簡単。で、約3〜4分間、ツボの上でもぐさが静かに燃えて、もぐさの成分と熱が台座の穴を通して皮膚にジーンと伝わってくる仕組みです。「あちー」と思うものの、さほど我慢できない熱さでもなく、むしろ心地よいです。もぐさが燃え尽きてもしばらくそのまま貼り付けて、台座が冷めたらはがします。皮膚に丸いお灸の痕が残るかなあと心配だったんですが、たまにちょっと赤くなるくらいで、それもすぐに退きます。ただ、個人差等あるそうなので、ちゃんと「せんねん灸」のホームページを見るか、説明書を見てしてください。
 で、効果のほどは、というと・・・。まだ始めたばかりなので、あんまり分かりません、正直言うと。私の肩こりは慢性的で恐ろしいほど固まっている(もんでもらうとびっくりされる)ので、そうすぐには、というわけにはいかないようです。でも、お灸ってなんだか自分に合っているような気がするので、しばらく続けてみるのだ。それに、もぐさの燃える匂いがホワイトセージをいぶす時の匂いとそっくりで、アロマテラピー効果も高いです。
 「せんねん灸」のシリーズには他にみそ灸、にんにく灸というのもあり、ちょっとそそられます。あと、火を使わないお灸というのもあるそうなので、会社ではそれをつけていようかな、と、思案中でございます。
 というわけで、お灸、お勧めでござる。


2004年05月28日(金) 戦場のジャーナリスト

 旧暦4月10日。
 
 「イラクに行きたい。命は惜しいが、やらなければいけないことがある」 イラクで殺害されたと伝えられている小川功太郎さんの言葉だそうだ。叔父の橋田さんは、ファルージャでの銃撃戦に巻き込まれ片眼を怪我した少年に日本で治療を受けさせるために、奔走していたという。
 命を失うかも知れないという覚悟があったという二人。危険を承知で戦場に行くジャーナリスト魂があるからこそ、戦争の現実が、戦場にいない人達にまで伝えられる。戦場にフリーのジャーナリスト達がいるからこそ、人類は「人間」であり続けることができるのだと、これは大げさではなく、本当にそう思っています。
 権力を握り、戦争を始め、若者をそこに送り込む政治家がいて、戦場で人が人を殺すことに馴れてしまい感覚が麻痺してしまう兵士達がいて、戦渦の中で逃げまどい犠牲になる人達がいて、安全な場所で戦争を遠い世界のことだと無関心でいる人達がいて・・・人は争わなくても互いに生存し続けることができるだけの知恵も叡智も手に入れたのに、戦争というのはいとも簡単にそれを否定してしまう、けれどもその戦場で人間の眼と心を持った自由な立場のジャーナリストが、彼の視線と心と言葉で戦場で一体何が起こっているのかを語ってくれる、伝えてくれる、そうするのが自分の使命だという信念のもとに、人間が人間であるために戦争を否定するために行動してくれる、そういう人達がいるからこそ、人類はかろうじて「人間」でいることのできる権利を保っているのだと思います。
 
 この前の日本人人質事件の際もそうだったけど、今回もまたすでに一部の政治家から「自己責任」発言が出ています。たぶんこれからその言葉を何度も耳にすることになるんだろうな。「自己責任」と相手を批判すること自体政治家の責任逃れだと思う。政治家以外でも、私たちがイラクで被害にあった邦人を「自己責任」と非難することも、私たちの責任逃れだと思う。戦争について真剣に考えることから逃げている、戦争を他人事と考えている、人の痛みを知ろうとしない、そういう無責任さから逃れることと一緒だと思う。

 そもそも、危険を承知で戦地に行くジャーナリストやボランティアの人達に、「自己責任」という言葉を投げつけることが妥当かどうか。人類の眼や心や手や足の一部としてその行動力と勇気に感謝すべき人達に向かって「自己責任」と非難するのは、あまりにも考えが浅すぎると思う。

 お二人の死を深く悼みます。


2004年05月27日(木) おきゅう。

 旧暦4月9日。
 あと1日で休みだ。
 もう肩凝りがひどくて、肩がバリバリに固まってるのです。 
 自転車通勤でリュック背負ってるからではなくて、パソコンの前にずっと座っているからだと思うのですが、慢性化してます。
 とにかくだるくて、どうにも辛い。
 マッサージのいいお店を紹介してもらったんだけど、行く時間が取れないのです。というわけで、今夜はお灸をすえてみます。
 せんねん灸ね。
 わ、もう夜中。
 はよせんねん。


2004年05月26日(水) またバッシングですか。。

 旧暦4月8日。
 昨夜は帰宅が遅くなって日記書けずでした。すいません。
 
 拉致被害者の家族、「救う会」に批判メール続々だとか。家族達の小泉首相に対する批判に対しての批判だとか。
 イラク日本人人質事件での人質バッシングの時と似たような感じ。
 日本って、ほんと嫌〜な国になったよなあ。
 拉致被害者の家族がどんな想いで、どれだけの苦労をしてきたか、批判メール出した人達に分かるはずないのにね。家族の人達が小泉首相を非難するのは当然でしょう、人それぞれ皆立場が違うのだから。
 イラクの人質となった人達も、拉致被害者の家族も、みんな名前や顔や住所まである程度公共の場にさらしているのに対して、バッシングしてる人達は大部分が匿名なんですよね、まったく陰湿だよなあ。
 なんか最近、政府にとって都合の悪い人達を寄ってたかっていじめる国民性になってない?と感じています。人の立場に立ってモノを考えられない人が多いんだなって思います。
 この傾向、ほんと怖いって思う。。。


2004年05月24日(月) 本屋閉店がーん。

 旧暦4月6日。
 
 自宅から一番近かった本屋さんが先日閉店。がっくり。
 小さい本屋さんでしたが、地下鉄の駅の上にあり、夜9時半までの営業だったので、毎週2回位は行ってました。なんにも買わないで出てくることが多かったですが、近くに本屋さんがあるというのはとてつもなく安心感があったわけです。それが、閉店。先週学校の帰りに寄った時、いつもよりやけにお客さんが多いなあと思ったら、閉店の前日だったのです。それを知らず、次にまた訪れてびっくり。閉まってる!
 池袋のジュンク堂にバスで10分足らずで行けちゃう地区なので、それも大きかったようです。規模の小さい本屋さんは大型書店にとうていかなうはずがなく、苦戦を強いられているようで。。。ふだん本屋に行くというと、まとまった時間作って大型書店まで出かけていくことの多い私ですが、小さな本屋で買えるものはなるべくそちらで買ってたんです。小さい本屋さん応援したくて。
 でも、大型書店ができたことだけが、小型書店の閉店の理由じゃないですよね。本離れが進んでるんだなあって、悲しい気持ちになりました。

 でも、本屋に行けば、やっぱり本好きな人は多いんだなって安心感があります。ネットの上でも、本に関する情報はとても多いし。私自身、本に関する話をする友人知人に恵まれているので幸せです。
 
 えっと、とても面白いのでちょくちょく見に行っているサイトがあります。『知の編集工学』などで有名な松岡成剛氏のサイト、「ISIS立紙篇」です。2000年の2月から毎週月水金欠かさず、1冊の本を取り上げて、それについて書いてらっしゃって(「千夜千冊」)、あと19冊で1000冊達成とのこと。取り上げる本もいろんな分野多岐にわたっていて、とても面白いです。自分にとって重要な箇所はどんどん線を引きながら読む方のようで、「セイゴオ(成剛)マーキング」と題して線を引いた箇所の一部も載せてあります。本の読み方についても、本の内容についてもとても示唆的で興味深いです。なんせ1000冊近くもあるので、自分が読んだ本を松岡成剛氏がどのように解説されてるか参考にするのも面白いです。


2004年05月23日(日) 拉致被害者家族の帰国と、イラクでのアメリカ人殺害事件について。

 旧暦4月5日。
 スミマセン日記書かなくて。
 小泉首相訪朝についてと、イラクでのニコラス・バーグさん殺害事件について思うところを書かせてください。

 小泉首相の訪朝。
 拉致被害者家族のうち5人が帰国することが出来たのは評価されるべき。その見返りが25万トンの食糧支援と1千万ドル相当の医薬品支援だとしても、地村・蓮池夫妻が再び子供達と暮らすことが出来るのだから、成果としては悪くないと思う。離ればなれになっていた家族達の辛さは計り知れない。
 でも、それでも、今回の訪朝はやっぱり小泉政権の延命をねらったパフォーマンスに見える。「みずから行動するリーダー」というイメージに国民は弱い。「この首相でなければできない」というインパクトを与えれば支持率も確保できる。離れていた家族達の劇的な再会をセッティングすれば、国民の感情に訴えることが出来る。拉致被害者家族会の非難を待たなくても、首相の単独主義的な訪朝であったという感がぬぐえない。今回の訪朝を巡っての、政府与党内での不和まで感じさせる。
 自民党の安倍幹事長は「自民党の安倍晋三幹事長は十六日のフジテレビ『報道2001』で、曽我ひとみさんの夫で元米兵のジェンキンスさんの来日に向けて日米両国が首脳会談を含むハイレベル協議を行うべきだとの考えを強調」(5月17日産経新聞)して、アメリカとの首脳会談を含めた事前の綿密な準備なしの訪朝を暗に牽制しているように思える。また、今日は、「安否不明者調査、期限設定を=制裁発動『十分あり得る』−安倍自民党幹事長」(5月23日時事通信)との旨の発言をしており、小泉首相との認識の違いが出ている。
 福田前官房長官が突然辞任したのも、表向きは年金問題だったけれど、あまりにもあっさりした辞任劇だった。まるで辞任のきっかけを探していて、ちょうどそこに年金問題がやってきたというような。小泉首相の訪朝問題から上手に足を洗ったのかもしれない。
 政治家の思惑は分からないけれど、拉致問題は、人の人生を大きく左右する問題であるわけだし、もっとデリケートに且つ確実・冷静に進ませて欲しいと一市民は思うわけです。権力維持のための駒として使って欲しくない。
 また、北朝鮮の核開発問題も綿密な外交で解決して欲しいと思う。非常に難しい問題だけど、イラク戦争のように軍事力を行使する結果とならないようにと願うばかりです。
 
 アメリカ人ビジネスマンのニコラス・バーグさんの殺害事件について、報道を見ていて、事件そのものとその映像になんとなくひっかかりがあったので、コメントは書けずにいた。人が首を切られ、その映像がネットで世界中に流される、という出来事自体は非常にショッキング。そして、1人の人間が命を失ったということは紛れもない事実。それを知って悲しむ家族の姿を映像で見るのも辛いことでしたが、内外の多くのメディアが報道している形での事件のあり方にはどことなく違和を感じていた。ただ、こういう人の命の絡んだ事件に関して、無責任なことは書けないので、控えていたのですが、自分が感じた疑問点と同じ箇所について指摘してあるところがあった。
 カリフォルニアにあるメキシコ系独立ニュースサイト「La Voz de Aztlan」
 ここで、バーグさん殺害の映像の終わりのほうで、英語を話す声が入っているとの指摘が出ている。「"How will it be done?" is heard in the Nicholas Berg decapitation video! 」このページに進むと、実際のビデオの音声が流れるのだけれど(何度も聞くに堪えません)、これは私には判断できない。
 また、同じサイトのこちらでは、「Berg decapitation video was filmed inside the Abu Ghraib prison」ニコラス・バーグさんはアブグレイブ刑務所で殺害されたのではないか、との指摘をしている。その証拠として、バーグさんの着ていたオレンジの服が、キューバのグアンタナモ収容所で、アメリカ軍警察が拘束者に着せているものと同じと思われること、バーグさんがビデオの中で座らせられている椅子が、アブグレイブ刑務所の写真でアメリカ兵が座っているものと似ているプラスチック製の白い椅子であること、また同様の椅子が虐待写真の何ヶ所かに写っていること、バーグさん殺害ビデオで背景にある壁が、アブグレイブ刑務所の壁と色調が似ていること、ビデオに犯人が着用しているアメリカ軍の帽子とジャケットがわずかながら映っていること、犯人達が綺麗なテニスシューズを履いているが、アルカイダ兵士であればありえないこと、犯人達の一部がイスラエルのUzi製の武器を装備していることなどを挙げている。犯人達の格好はまるでハロウィーンのコスチュームのようだ、とも。
 さらに、主要なメディアがこれらの証拠を完全に無視していることを非難した上で、アメリカの人々にこの重要な情報がもたらされ、誰が何をバーグ氏にしたのかを国が明らかにすべきだと述べている。
 以上が「La Voz de Aztlan」で指摘されている点。ほかに、同サイトでは医師の見解も書かれている。
 サイトの一連の内容を読んで、最初の報道を見て感じたひっかかりについて理解できた。バーグさんはイラク警察に拘束されて「違法拘束」だとアメリカ政府に提訴したこともあるそうだ(毎日新聞)。また「イラク警察に拘束された際に連邦捜査局(FBI)が三度にわたり事情聴取」ともある(日経新聞)。事情聴取がどういった性質のものかは分からないけれども、イラクからの退避勧告を拒否もしていたバーグさんが、アメリカ政府にとってあまり都合のよくない人物としてマークされていたらしいということは、いくつかのメディアで報じられていた。
 もし、バーグさん殺害がアブグレイブ刑務所で行われたのだとしたら、それをイスラムの武装勢力のしわざだと見せかけることで誰がどんな利益を得るのか。アブグレイブでのイラク人虐待をはじめ泥沼化するイラク情勢に対するアメリカ国内外の世論の不満を打破するためにブッシュ政権が仕組んだのであれば、明らかに逆効果となっている。そうではなく、反ブッシュ政権の勢力がブッシュ政権を窮地に陥れるために画策した、という見方もできる。もっと複雑な裏があるのかもしれない。
 いずれにせよ、バーグさん殺害事件が、多くのメディアが報道しているような性質のものではないのではないかと気づいている人は多いようだ。
 非常に困難なことだけれども、亡くなったバーグさんのためにも、事件の真実が明らかにされることを願います。。。

 カンヌ映画祭でマイケル・ムーア監督の「華氏911」がパルム・ドールに。押井監督の「イノセンス」は残念だったけど、「華氏911」がこうした形で評価されるのは世界にとって今とても意義があることだと思った。日本での公開も決まったようで、早く見に行きたいです。


2004年05月19日(水) 台風来ますか。

 旧暦4月2日。
 泣いても笑っても台風は来るのですね。なんか2つくっついてるみたいですが。大きな被害出ないといいですよね。

 急いでやらなきゃならない課題があって仕事終えたら大学に飛んでます。でもこういう時って仕事もやらなきゃならないこと一杯あったりするんであります。バランスとれてるんですね、うまく。
 大学の図書館も学科の閲覧室も夜9時半まで開いているのですごく助かります。しかも校舎から自宅まで歩いてさほどかからないという近さも。そうでなかったら仕事と学校の両立は難しいです、私の場合。
 っと今夜はこれにてすんつれいしますだ。


2004年05月18日(火) ひみつの地下網

旧暦4月1日。
 体調回復。風邪はほんのちょっと残っているけど、ほぼ復活。5月はへたばっていられないのでありました。がんばらにゃいと。
 
 台風来るみたいですな。
 明日から今週いっぱいは自転車通勤できそうもない。電車嫌だな。ぎゅうぎゅう車内で立ちっぱなし。携帯電話をいじるピコピコ音が気になる。ヘッドフォンの音漏れも気になる。誰かおならする。咳するときは口に手を当ててしてよ。あー嫌だ。あー嫌だ。電車嫌だー!
 
 地下鉄に乗ると、いつも、「地底人」という言葉が頭に浮かぶ。
 これが地底人でなくて一体なんなのだ、と思います。地下鉄に乗っている人は皆地底人なわけです。地下鉄は嫌いだけど、地底人にはロマンを感じます。

 東京の地底には、一般市民が知らない地下トンネルや使われない駅があるとか。昔読んだ美内すずえの漫画に、デパートの地下にある地下鉄の駅から、夜中にデパートの人形売り場の人形達が地下鉄に乗って、隠された線路を走ってどこかに行く、という話があった。主人公の女の子はそうと知らず地下鉄に乗って行き怖い目に遭うという内容だったかと。そんな話もありえないことはない、と、地下鉄に乗りながら思う。ある日、自分の乗っている車両がいきなりいつもの進路から外れて、隠されたレールの上を走っていったら。。。周りの乗客の中で、自分だけが部外者だったら。。。
 なんちって。

 でも秘密の地下網ってあるらしいっすよん。

 


2004年05月17日(月) ダムダムダム

 旧暦3月29日。
 ダムです。
 ダム。

 今日トイレでダムの話をしていて思い出したのですが、子供の頃、よくダムに連れて行ってもらいました。
 いつも怒ってばかりの怖〜い父(子供の頃は)だったのですが、休日は家族サービスでよくドライブに出かけました。お出かけって言ったってたぶん都会の子のお出かけと田舎の子のお出かけじゃあ、お出かけの種類が違うんですね、だいたい新潟なんてぇのは海か山か田んぼしかないんでありますから、その中をウロウロ走り回るわけです。日帰り圏内の福島長野群馬富山山形(新潟県は隣県が5つございます)にしたって同じです。
 それで、山が断然多くなるんですが、山を車で登っていくと、ウネウネウネウネ登っていくと、最後はダムに突き当たる。ダムまで行くとその先は一般車両は行き止まり、というパターンが多いです。「お父さん、今日はどこに行くの?」「この山の向こうにダムがある」「ダム!」「そうだ、これから行くのは○○ダムと言ってな、うんぬんかんぬんだ」「ふぅん」・・・車中ではこんな会話が繰り返されるわけです。その日訪れるダムについての蘊蓄をひととおり聞かされるわけです。到着するまでに家族5人のうちたいてい1人か2人は山道に酔ってぐったり座席にもたれているか、爆睡してます。いつも窓にへばりついてわくわくしながら外の景色を眺めていた私は今思うと相当ダム好きだったのかもしれません。
 ダム。不思議な場所です。
 山道の先に、緑の中に突然コンクリートの塊が見えてくる。「ついたぞ」と言われ、車を降りると、しんと静まりかえった静寂の中で時々カッコウの声がしたりして、のどかな山の中に来たんだってなんだかほっとする。でも、山から眼を転じるとそこに巨大なコンクリの要塞が、深い色の水を抱き込んでたたずんでいる。
 人間はこんなものまで造れてしまうんだ、という驚嘆。
 山の中に人工的な建造物を置いたのに違和感を感じない不思議さ。
 と同時に、自然に手を加えてしまった人間という種に自分も属しているのだという罪悪感。
 ダムの底に沈んでしまった昔の部落に対する切ない想い。
 放水のサイレンの響きに興奮。
 映画みたいにこのコンクリの要塞が突如崩壊したら、と想像してゾクゾクしたり。
 
 今まで行ったダムでもっとも好きなのは福島県の奥只見ダム。総貯水量日本一のダムです。とにかくでかい。でかくてあたり一面シーンと静まりかえった貯水湖。それから同じく福島県の田子倉ダム。こちらも大きい。圧倒されて言葉を失います。
 ちなみに奥只見ダムは、真保裕一の小説「ホワイトアウト」に出てくるダムのモデルだそうです。
 で、日本には今3000を超えるダムがあるそうです。ダムの数が一番多いのはやはり北海道で185、次は岡山県で156だそうな。岡山の156というのはちょっと意外な気がしました。
 さらに、全国3000を超えるダムのうち、江戸時代以前に竣工したのは500あまりもあるとか。知らなかった〜!!いや〜無知でござった。江戸時代以前のダムって、どんなダムなんだ?面白そうなので調べてみます。
 一連の情報はこちらのサイトから頂戴しました。
 いや〜、このサイト、はまってしまいそうです。
 面白すぎます。
 財団法人 日本ダム協会
 ・・・今日ようやく気がついたのですが、父は要するに、ダムマニアだったのかもしれません。

 話はちょっとずれますが、高校時代、「ダムド」というバンドにはまったことがありました。ブリティッシュロックが全盛の80年代の話です。ちょっと不気味な容姿とミスマッチな哀愁漂うメロディの組み合わせ(ただ、パンクバンドのダムドではもはやなく、ポップ路線でした)。久々聴きたいと思えど、カセットテープ引っ張り出してくるほどの気力なく。
 LPをプレーヤーに乗せてそっと針を落としていた中学高校時代。中学時代なんて、音楽を持ち歩くという発想は皆無だった。
 今思うとやたらでかくて重たかったカセットプレーヤーを鞄に入れてた高校時代。そういや「ウォークマン」が大流行してた時期です。
 ポータブルCDプレーヤーも、今思うとでかかった。。。でも、CDショップで買ったばかりのCDを聴きながら帰宅の途につけたという利点はありましたな。
 で、今年。あたくしは進化した。
 今では首からペンダントのように、ライター大の小さな箱に入れた120曲をぶら下げている。
 (いえ、実際は恥ずかしくてできないので、鞄に入れております)
 
 時代は変わりましたなぁ。。。
 つうか、時代の流れを感じますなぁ。
 ・・・要は、あたしゃそれだけ歳とったんで。
 


2004年05月16日(日) iAUDIO4

 旧暦3月28日。
 風邪がなかなか出ていかず、この土日は結局ほとんど寝てましたです。喉の痛みは取れたのですが、頭痛とだるさがまだ残っているので今日は早く寝ます。眠りすぎて明日会社で眠くなりそう。
 
 突然ですが「イノセンス」の押井守監督とギタリストの(今の体型の)梶山章氏はどことなく似ている・・・ような気がする。特に目元が。
 なんでそんなこと思ったかと言いますと、このところ時間をみつけてはちょこちょこと自宅のCDをひっくり返したり整理したりしていて、ふと、「イノセンス」のサントラと梶山さんの参加しているジョー・リン・ターナーのアルバムを一緒に手にして、「うん、似てるわ」と思ったのでした。
 
 MP3プレーヤーも兼ねていた携帯電話(シャープのSH52)の調子がおかしくなり始め、パカッと開くと画面が砂嵐か字が間延びして斜め、あるいは表示されない等、また時々音楽も聴けない状態になりました。通話はかろうじて可能ですが、メールの読み書き、写真撮影、目覚まし機能などが使えないので不便この上ないです。これって修理に出せば直るのかな・・・と思ったのですが、自宅にテレビがない(基本的にテレビいらない人間なのです)ので、せめてニュースとちょこっと番組視聴できる程度でよいので、テレビつき携帯電話に機種変更しようと思っています。今まで出ているNECのと東芝のテレビつき機種、デザインがなんだか好きになれなかったのですが、7月末に発売されるシャープ製のものは、シンプルで、SDカードスロットも備えているので、SH52と同じようにSDカード経由でザウルスやPCに写真を保存できるので便利。機種交換はこれにしよう、と決めたはいいのですが・・・。
 発売が7月末というのは痛い。あと2ヶ月半もあります。それまで今のSH52が働いてくれる可能性はとても低いです。とりあえず、ショップに修理を依頼して、7月か8月の発売までなんとかもたせなきゃ。

 で、音楽のほうはどうなるんだということで、先日携帯MP3プレーヤーを購入しました。HHDタイプのものを買って自宅のCD全部その中に放り込んじゃうというのも考えたのですが、値段高いし、重いし大きい、特に私は何故か荷物持ちで鞄がいつもぱんぱんで(荷物減らせない)、肩凝りと腰痛の原因にもなっているので、少しでも軽くしたいというのもあり、フラッシュメモリータイプにしました。あと、自転車に乗っている時に一番使うので、首からぶら下げるかポケットに入る小ささ、軽さのほうを取ったわけです。iAUDIO4(COWON SYSTEMS社製、日本での販売代理店はバーテックス・リンク社)の512MB、値段は28,800円なので、決して安くはないのですが、買って正解。音質、付属のイヤホン、使い勝手、どれもとても良いです。特に音ですが、今まで携帯電話付属の簡易プレーヤーで満足してた私の耳にはショックなほど綺麗で奥行きがあります。もともと、自宅のPCでDVDを見たりする時にJetAudioというソフトを使っていて、この開発元と同じ会社だというので安心感があって、それでこの製品を購入したのですが、こんな小さな機械(100円のオイルライター2つ重ねた位の大きさ)でこんなにいい音が出るのかぁ、とびっくりしてます。音響に関して説明する知識ないので申し訳ないのですが。ひとつ、私の片耳は子供の頃から難聴で常に金属音のようなキーンという音が耳の奥で響いているので、潰れたような高音はその金属音にかき消されて聞こえないのですね、それから高音が割れてしまうのは逆に鼓膜をビビビと刺激してすごく気持ち悪いのです。なので、なんと言ったらいいのか、重量感というか奥行きがない高音がうわずっているような音を出す機種とは合わないのですが、そういう意味でもこれは聴いていて耳がとてもラクだと思いました。専門用語分からないのできちんとした説明になってないですね(笑)。
 
 長く書きすぎてしまいました。
 そういうわけで、購入してから毎日少しずつ、手持ちのCDからピックアップした曲をiAUDIOに入れてました。ここ1〜2年はほとんどCD買わなくなったのですが、それでも250?300?枚ほどあるのでちょっと大変。その中から約120曲を選ぶのは難しかったです。好きなCD、その中でも特に好きな曲というのは、繰り返し聴いているだけあってすぐ選べるのですが、そういう曲を集めても結局120曲には収まらないわけです。うーん、うーん、と唸りながらなんとか終えました。
 
 中途半端ですが、今夜は早く寝ます。おやすみなさいませ。


2004年05月13日(木) 雨雨。

 旧暦3月25日。
 もう木曜なんだ。
 暑いだの涼しいだのと思っているうちに、とうとう風邪を引いてしまいました。
 今日は仕事は休みをもらって、ゆっくり本でも読もうと思っていたのに、結局熱出して夕方まで寝ておりました。せっかくの休みだったのになあ。
 最近、気持ちに余裕が持てなくなって、いらいらすることが多い。職場で感情をあらわにはすまいと思っていたのに、どうにも駄目。他人を非難するのは裏を返せば自己弁護だと分かっていても、他にストレスへの対処の仕方が見つからない。会社なんて小さな組織の中で、私なにじたばたもがいて大げさに落ち込んでるんだろうって、ちょっと呆れる。もっと世渡り上手になるべきか。事務能力も世渡り能力も皆無に等しいから手に負えない。
 
 いつも自分の着地点を見失わないようにしないと。
 そうじゃないと、今の毎日の意味がない。
  


2004年05月10日(月) イラクとベトナム

 旧暦3月22日。
 
 イラクとベトナムの相似を示唆するある符号。
 Iraq-Vietnam parallels pile up(Middle East Online)
 ベトナムでもイラクでも、その国の民衆を敵に回し、虐殺する。アメリカ軍の本質はまったく変わっていない。この写真ではないけれど、イラクでは12歳の少女が裸にされてアメリカ兵の暴行を受けたという証言もある。写真のベトナムの少女と全く同じではないか。
 虐待されているイラク人が自分の家族だったら、知人だったらと思ってみる。ぞっとする。フセイン政権時代、拷問が行われていたことで有名だったその刑務所で、解放と自由をうたうアメリカ軍によってまさに同じ行為が行われているというのはあまりにも皮肉だ。皮肉だけど、フセインもブッシュも結局は同等であるという証拠か。一部の兵士による犯罪、と誤魔化すことは出来ないのはもう明らかだ。

 ☆☆☆
 帰宅したら、サイトを読んでくれている友人から、谷内六郎さんの絵葉書が届いていた。
 なんだかほっとして、疲れの溜まって凝り固まった頭にふんわりとした風を呼び込んでくれて。そだね、私もこんな風に、小川の水に足を浸して、川面を眺めながら、川や風の音楽を聴いていた子供のころがあったんだよね、って、思い出した。
 大人になるにつれて、なんか肝心なことどっかに置き去りにしてしまって、代わりにイライラだけ背負い込んじゃったまま・・・。
 時々は、あの頃の自分に会いに行かないと、置き去りにした場所、忘れちゃうかもしれないよね。。。 


2004年05月09日(日) イノセンス・都市の情景展

 旧暦3月21日。
 日曜だけど出社。お金より時間が欲しい。でも生活するためには働かなきゃならない。だけど自分がほんとうにしたい仕事で食べていくためにはもっと勉強しないと。だけどだけど働くと勉強する時間が減る。体力も気力も減る。だけどだけどだけど仕事も勉強も全部自分のためなんだから、愚痴も文句も泣き言もほどほどにしとこう。

 仕事終えてから六本木ヒルズへ。「イノセンス・都市の情景展」が今日までだったので、やっぱり行っておこうと。夜は10時までやっているというのが嬉しい。会社を出て青山墓地を突っ切って、ひたすらまっすぐ歩いて六本木ヒルズ。初めてだったので、まずビルの入り口が分からない。雨の夜なのでなおさら。事故のあった回転扉、みんな普通の両開きの自動ドアになっていた。中へ入ってさらに迷う。おしゃれな服やアクセサリーのお店があちこちにテナントで入っている。広い通路、高い天井。エスカレーター。分からん。目指す森都市未来研究所がどこにあるのか。通路あっちこっち行ったり来たり。うろうろ。あのね、もっと親切な案内板作ってよ。私だけじゃない、みんな迷ってた。うろうろ。で、ようやく美術館のエントランスにて、森美術館、森都市未来研究所、展望台のチケット共通販売窓口で並んでチケットを買う。テロ警戒とのことで、警備員さんの荷物チェック受ける。台に鞄乗せて、チャックを開けて中を見せてくださいと言われ、バーッと開けるも、マフィン、ポーチ、文庫本、携帯ラジオ(ダサイデショ)、ザウルス、そ、それから銭湯道具といつも大荷物の私。今日は自転車じゃないからリュックでなくてよかった。たいてい着替えまで入っている私の背中の荷物。
 その後、エレベーターで3階から一気に52階へ。そこからまたエスカレーターで50階まで下がる。ようやく、ようやく森都市未来研究所に到着。ここに来るまで、ビルの中で5人の館員に道を聞きました。しかも、ビルの入り口からかかった時間は20分以上。私がよほどにぶいのか。
 
 あ、肝心の、「都市の情景展」のほうですが、ちょっと期待外れというか・・・想像していた通りの内容の域を出ていなかった、と言うべきか、こんなもんかな、という感じでした。へとへとになってようやっとたどり着いた後だったから尚更そう思ったのかもしれませんが。上海と東京の精巧な都市模型は凄いな、力作だな、と思いました。「都市」を俯瞰する視点からこの二つの都市のディオラマを展示のメインに据えた他、あとは映画でのオープニングのヘリで都市を俯瞰する場面と、択捉経済特区をやはりヘリで回る場面、それから択捉経済特区の街中の祭礼の様子、これらの場面、映画で使われた映像を再編集して繰り返し流したり、映像のメイキング、押井監督、種田陽平、樋上晴彦各氏へのインタビューなど、どれも悪くない、それなりに面白かったし、得るものもあったのですが・・・。正直言って、少し物足りなかったです。
 映画「イノセンス」でヘリとともに都市を俯瞰した映像に心臓がバクバクいうほど感じた衝撃はなんだったのか、択捉経済特区という架空の都市に強く惹かれたのは何故か、それを解く鍵があると期待して足を運んだので、映画で表現されている域を出ていない展示内容には、まあ、こんなものなのかな、という気が。
 ただ、分かったことは、択捉経済特区というあの架空の都市は、あの「イノセンス」という映画の中でこそ活きて、観る者に何かを感じさせてくれるのだということです。それがバトー或いはトグサというキャラクターの視点を通した観客の眼か、それとも観客自身の裸の眼自身が感じるのか、それは人それぞれですが、映画を観て、択捉経済特区あるいはオープニングの夜の都市が、観る者それぞれの眼で切り取られ、それぞれの脳裏に植え付けられる、だから、映画で使われた映像を中心とした展示構成からでは、映画を観た時以上のインパクトは生まれない、ということになるのでしょうか。。。
 それでも、矛盾するようですが、満足だったことは、映画に出てきた都市のイメージが、この展覧会によって壊されることはなかった、という点です。いたずらに「イノセンス」から逸脱した都市論を展開されるという悲惨なことはなかったので、「イノセンス」の世界にもう一度浸りたい、という意味ではとても良かったと思います。
 
 ・・・なんて、偉そうにぶつくさ書いてしまいました、すみません。
 とはいえ、押井監督の、都市、建築に関する言葉に、ピンと来ること、触発されること、沢山あります。今回の展示のスチールに書かれた言葉の中にも。映画の中で自分にインパクトを与えてくれた映像について、そのインパクトの根源に近づいてみたいと思ったら、それを探るのは結局は自分自身の役目なんだな、と感じました。人の眼は人の眼、自分自身の眼ではない、のですよね。写真は六本木ヒルズから地下鉄に向かうエスカレーターで見た光景です。
 


2004年05月08日(土) 神保町で。

 旧暦3月20日。
 
 六本木ヒルズで明日までやっている「イノセンス都市の情景展」を見てから神保町に行こうと思って家を出たけれど、身体がだるくて足が重い。さすがに電車にしたけど、とてもとても、混んでいそうな六本木ヒルズは歩けない、と、神保町で途中下車。古書会館に行ってから、靖国通りの古書店をざっと見て回るも、身体も頭も動かない。自宅で大人しくしてたほうがよかったかも。
 それでも、古典全集の「江戸繁盛記」と山東京伝の黄表紙が入った2冊、安く入手できてちょっと満足。それから品切れになっていた山田俊雄「日本語と辞書」(中公文庫)も買った。山田俊雄先生の、「新国語辞典」(角川書店)は中学時代から愛用しているので親近感あり。私にとって、この辞書は、三省堂の新解さんより引く頻度が高いです。買って23年間、一番お世話になってるかも。この辞書を薦めてくれた中1の時の国語の先生に感謝です。で、その、山田俊雄先生が執筆された「日本語と辞書」ですが、平安時代や近世の辞書・字書について考察されていて、とても面白そうです。・・・最後は三省堂に寄って、藤沢周平と岡本綺堂の文庫計3冊買って、もう限界。電車で爆睡して帰ってきました。明日は仕事なので早く寝ます。でも起きられるか不安。

 福田官房長官の辞任、ちょっと無責任、という気がした。頭にくることがあると、周りの人の迷惑も顧みずにプッツンして放り出すのはおぼっちゃん育ちだからかな、という、とても下世話なわたくしは思ってしまうのでありました。無責任に放り出してるけれど、実は計算ずくだったりするところが・・・。
 
 イラクでのアメリカ軍の虐待。起こるべくして起こったんじゃないの、という気が。アブグレイブ刑務所で起こっていることは、昨年アメリカがイラクを攻撃して多くのイラクの民衆を殺したことの延長線上にあるのであって、両者は繋がっているのだと思います。或いは最近フランスで放映されて論議を呼んだという、アメリカ軍兵士がアパッチヘリから敵か味方かはっきりしない、しかも怪我をしたイラク人をゲームのように撃ち殺した事実とも。・・・1年前にメディアで流れたイラクの子供達が爆撃で腕をもぎ取られ、親兄弟を失い病院で横たわる姿や、子供の亡骸を抱えて泣き叫ぶ父親の悲惨な写真に始まり、イラク人が裸でピラミッドのように折り重なったり、性的行為を強要されたり、刑務所で虐殺されたり、というのは、当然根っこのところで全部繋がっていると思います。
 いきなり飛ぶようでですが、人種差別の歴史が長くいまだに根強く残るアメリカ、白人至上主義のなせる業でもあるかな、と感じます。宗教や人種や民族や経済力軍事力などにおいて自分たちが優位であるという意識が、イラク侵攻や刑務所でのイラク人虐待に結びついているのではないでしょうか。ラムズフェルド、ブッシュはもちろん、今回ようやく発覚した刑務所でのイラク人虐待の写真に写っているアメリカ人達の表情を見ているとそう思わずにはいられません。
 もちろん、アメリカ人のすべてがそうとは思いませんが・・・アメリカが今イラクで行っていることは、ナチスドイツと同じじゃないかとまで思ってしまいます。


2004年05月07日(金) 体重変わらん。

 旧暦3月19日。
 仕事終わらず結局ガッコさぼって残魚。帰宅ルートはいろいろあるのですが、深夜皇居堀端をチャリンコで走るのはとても気持ちいいです。で途中で銭湯に寄って、髪の毛乾かしながらまたチャリンコで走るのも爽快です。
 自転車通勤の人って結構多いですね。スーツ来てヘルメット被ってる人も少なくないです。女性も沢山すれ違います。かっこいい格好してる人もいたりして。
 私の乗ってるのは正確に言うとロードレーサーとマウンテンバイクの中間のクロスバイクというやつです。ロードレーサーほど速くない(どんどん追い越されちゃう)けど、なかなかスピード出ます。最近、頑張れば巣鴨から青山まで30分で行けちまうことが判明しました。しかし、部活の特訓のごとく苦しく、1日の体力それで使い果たした感があったので、普通のペースで行きます。スピード出すのも危ないですしね。
 それにしてもなかなか痩せていかないのは何故でしょうね。
 脂肪が筋肉になって重くなったからでしょうか。ほんとに筋肉になってるんでしょうか。体型変わらないんですけど。
 それが歳ってもんですかね。

 ・・・食べ過ぎってことですかね。


2004年05月06日(木) 時代小説(市井もの)

 旧暦3月18日。
 慌ただしい毎日がまた始まってしまった。。。
 時間がどんどん、指の隙間から逃げていくような感覚。

 連休中に読んだ時代小説で良かったもの。
 藤沢周平「暁のひかり」松本清張「無宿人別帳」(ともに文春文庫)。
 二本差し(お侍さん)が主役の時代ものもいいけど、それ以上に好きなのは社会からはじき出されたような人を丁寧に描いた小説。江戸の街の片隅でうごめく人々の心の綾を丹念に書き綴った藤沢周平の市井もの、大好きです。松本清張の「無宿人別帳」、無宿を主役にした小説はほとんどないのでは。そういうのが読みたくて探して探してやっと見つけたのが松本清張のこの短編集でした。なので、読み終えてしまうのが勿体なくて、ゆっくりゆっくり読みました。周平作品もそう。時代小説読むときに、武士が主役のものはどきどきしながら先へ先へとどんどん読み進めてしまう。ところが不思議と、市井ものは、本を閉じる時が来るのが哀しくて、同じ文章を何度も繰り返し読み返したりしながらのろのろと進みます。気がついたら、自分が時代もの読む速さってそうなっていました。
 藤沢周平の市井もので特にお勧めの1冊に「驟(はし)り雨」(新潮文庫)があります。こちらも、じんと来る話ばかりです。


2004年05月05日(水) 谷内六郎さんの絵

 旧暦3月17日。
 まだ朝8時前なんですけど、朝ご飯食べた後すぐ書いてます。もー日記書いてる(笑)。
 昨日書いた日記読み返して、「ああ私って気張りすぎ」と、落ち込む。もっと肩の力抜いた方がいいんでないかい?と、自分で自分に言ってみる。ただ、結局、なんだって自分が好きでやってることだから、苦しいってことはないのです。でも、どして進歩しないんだ私は、と、時々沈む。焦る。
 もちっと、自分を客観的に冷静に見つめながらやってかないといけないかな、と思います。それが結構難しいんだな。自分で見えるのは自分の欠点ばかり。うーん。。。

 せっかくのこどもの日に朝からしっかり雨が降ってるっていうのは、かわいそうなもんですな。で、こどもの日だけど、大人もしっかり会社休ませてもらってます。ありがとふ。自分がほんとに子供の頃、実家ではこどもの日はそういえば夕ご飯に五目ちらしとかご馳走が並んでた。「どうして親がこどもの日を祝わなきゃならんのだ」とか父がわけの分からない文句言いつつも、我が家ではカレンダー通りに、子供が喜ぶイベントはちゃんとやっていたんだなあ、と、大人になった今、ちょっとずつ、断片を思い出している。
 先月世田谷美術館に小磯良平展を観に行ったときに、ミュージアムショップで、「谷内六郎の絵本歳時記」という文庫本を見つけて買いました。新潮社から出てるんですが、今新潮社のサイトで検索しても出てこない。本屋さんではもう売ってないのかな。と思ったら、週刊新潮の表紙絵ギャラリーと称してこういうコーナーがありました。谷内六郎 週刊新潮表紙絵ギャラリーそうなんですよね、そういえば、言われてみないと記憶になかったんですが、週刊新潮の表紙絵って、昔こういう感じの絵だったなあ・・・と、くだんの文庫本をぱらぱらめくっていくと、どんどん郷愁の彼方に引き込まれていって、いつのまにか、子供だった時の自分が絵の中にいるんです。
 「雪の落ちる音」「雪あられが障子をたたく」「やまびこの住む場所」「停電小僧」「月夜の蚊帳」・・・。
 谷内六郎さんは、大人になっても子供の視線のまま絵を描き続けることが出来たのですね。それを、子供の頃のことを忘れてしまった私が観ていると、自分の中にいる子供の自分が目の前に現れて、哀しいんだけど嬉しいんだけどやっぱり哀しい、っていう、へんな気持ちになってしまいます。いつまでも子供の頃の純粋な心を持ち続けたいなんて誰しも一度は思ったり聞いたりするけど、実際そんなことできっこない、世の中そんなに綺麗じゃないし、人生シンプルからはほど遠い。それでも、六郎さんの絵を観ていると、心のどこかを揺り動かされて、自分にも子供の頃の記憶が残っていたんだ、って不思議な驚きがやってきます。でも、正直言うと、ちょっと辛いんですよね、六郎さんの絵を観ていると。。。この頃にはもう戻れないって、分かり切っているから。それでも、ページをめくってしまう。そして、生涯こういう絵を描き続けられた画家が、羨ましく思えてしまう。
 絵の1枚1枚に添えられた六郎さんのエッセイがまた良いです。ツボを突いてきます。「夜の公衆電話」で、キツネが神主さんに一晩中電話を掛けてるっていう絵と、それに添えられた文章が一番好きです。

 でもね、新潮社のサイトで販売されている複製画は1枚5万円以上します。そういうのじゃなくて、文庫本かそれよりちょっと大きめの画集で手軽に買える六郎さんの本、もっと流通させて欲しいなと思いました。
 
 それにしても。
 しばらく古本屋さんに行ってないです。
 そろそろ禁断症状が。
 行きたい行きたい行きたい。。
 でも取りあえず今日は我慢。


2004年05月04日(火) あと1日だー

 旧暦3月16日。
 早いですな、連休もあともう1日で終わってしまう。
 終わってしまうけど、当初やろうと計画していたことをある程度まで実行できたので、思いのほか充実した連休でした。でも、やればやるほど時間が足りなくなってしまうのは何故。成果がはっきり形として残らないからか、まだまだ、という気持ちが大きいのも欲張りなのかな。だけど、連休が終わったら、全く自由に使える24時間はなかなか巡ってこない生活が再び始まるんだって考えると、この、24時間×7日は結構有意義でした(あ、あと1日あるね)。
 職業人ならみんなそうなんだから贅沢言うなーとは思うんですが、今自分を机の前に駆り立ててるのは、自由な時間は限られている、という脅迫観念のようなものです。人間には平等に時間が与えられてるのに、この自由な時間を作り出すのが上手な人も沢山いて、そういう人達は基本的に物事をてきぱきと効率よく片づけて、忙しい中にちゃんと充実した時間を産みだしているんですよね。私はそれが出来ないのですね、いわゆる時間貧乏。あたふたしてるうちに1日が終わっちゃうっていう感じ。いい加減そんな生活やめないとねーと思う。仕事や家事は能率良く済ませて、数年後十数年後の自分がどうなっていたいのかを見据えた生き方しないと、って思う。ずいぶん偉そうだねー、まったく。でも、言うのは簡単なので、言うだけ言わせてくださいな。すいません。


2004年05月03日(月) 手形足形

 旧暦3月15日。
 昨日、アパートの幣の壁と扉を直しに左官屋さんが来てはりきって1日かけて作業してったんですが。。。。。外階段の下もコンクリで綺麗に平らにしてくれたんです。きれい〜にコンクリ敷いて。で、夕方になって、翌日コンクリ固まった頃にまた来るけど、それまでに誰か間違えて踏んじゃいけないからってんで、まだ乾かないコンクリの上に、渡り板を通してくれたんですね。それも、段差に合わせて、何枚かの板を丁寧に組み合わせて。その後、夕方5時にいかにも職人って感じの威勢のいいおじさんは帰っていきました。
 それからさほど経たない6時頃。
 私は銭湯道具持って階段を下りたんですが。
 しっかりついてましたね、コンクリの上に、猫の足跡。
 5つ6つ。
 だいたい犯人は検討つくんですけどね。
 たぶん、あいつ。

 今日の昼前、再びやって来た左官屋さんが寂しそうにひと言。
 「猫踏んじゃった・・・」
 
 あんまり面白くないね。
 さほど笑える話でもないですね。
 でもほんとの話です。

 たま〜に見かけますよね、公園とか、どっかの立派な家の駐車場の前とかのコンクリに、猫の足跡とか、子供の足跡とか。あ、乾く前に乗っちゃったんだなってすぐ分かるような。でも、あれ、趣ある素敵な足形残すのって、難しいですよ、人間には。いかにわざとらしくなく、愛しげに残すかってなると、やっぱ猫にはかなわないなあと思います。
 
 私が卒業した大学は、体育会系が多かったんですね、学校としてはスポーツで実力のある学生をどんどん入学させる、で、優秀な成績でさらに貢献してもらう、という。で、今ではもうとっくの昔に引退したけど超有名な力士が在学中の頃、学年末試験で、学科の科目、全然解けなかったらしいんですが、その方、答案用紙に、ばあぁ〜んと、力士ですからそりゃやたらでかいんですが、手形を押して、それを提出なさったそうです。で。通ったそうです、試験に、手形で。
 偉くなると手形にも足形にも箔がつくんだと思います。
 猫でも人でも。
 
 あんまり面白くないね。
 さほど笑える話でもないですね。
 でもほんとの話です。

 


2004年05月02日(日) UMA

 旧暦3月14日。
 
 実を言うと、あたくしUMAが大好きなんでございます。
 UMA、というよりも、未確認生物、と言ったほうがなおのことぞくぞくいたします。
 ネッシー、イエティ、ツチノコ、巨大イカ、ヒバゴン、ビッグフット、クッシー、スカイフィッシュ・・・中でも、毛むくじゃらの雪男グループにすこぶるロマンを感じます。雪男より身近で、絶対いる!(もしくはいた)と信じているのが鬼と河童です。河童には異様に親近感を覚えます。ただ単に自分の子供の頃のあだ名が(ど根性)ガエル、あるいはベムベラベロだったので、ああいう両生類系に妙に親近感を覚えるのかもしれません(そんなわけで大人となった今は黄桜酒造のカッパッパ〜に自然と惹かれるわけです)。小中学生の頃の愛読雑誌は学研の「ムー」でした。今も本屋でしっかり売っているかの雑誌、当時、今は獄中の麻原彰晃が空中浮揚している写真を、確かに載せていました。その頃の読者です。が、麻原彰晃の明らかにトリックと分かる写真よりも、数段に面白かったのが未確認巨大生物の記事です。今はさすがに「ムー」は買わない(さすがにいい歳して恥ずかしいんだよねーレジに持っていくのが)ですが、相変わらず怪しい怖い話は大好きです。
 
 この前、こんなニュースがありました。
 ヒバゴン映画化決定 8月から広島県西城ロケ
 ヒバゴン、なんと懐かしい響き!小学校の図書館で、「世界の七不思議」の類の本ばかり借りていた(いえ、「赤毛のアン」とかも借りていました)少女時代の私は、その名を知ったとき、同じ陸続きの日本のどこかに、ヒマラヤの雪男の親戚のような怪物がいるのだ、もしかしたら新潟に来てしまうってこともあり得るのだ、などと怖くて不気味でそれでいてドキドキ嬉しかったことを覚えています。あとツチノコも興味をそそられました。農家のおばちゃん達が目撃した、なんてのも妙に信憑性があるな、なんて、子供心に思っていました(笑)。
 で、ヒバゴン、いつの間にか本になってたんだ、それで映画にもなっちゃうんだ、しかも、地域おこしに一役買っちゃうんだ。なーんか、ヒバゴンの不気味さが薄れて可愛いイラストになっちゃったり、ちょっと残念な気もするけど、半分嬉しい感じがして、コーフンしました。なんでもかんでも真相あばかないと気が済まない人も多い中、ヒバゴンは怪しい未確認生物として、ある意味認知されたまま生かされてるんだなあって思いました。商魂たくましい人間に利用されてるっちゃあそれまでなんですけど。

 世界的に有名なイエティとかビッグフットとか。その姿をとらえた映像が偽物だと判明したり、ありゃでかい猿だとかヒグマだとかいろいろ言われてますが、私が死ぬまで謎のままでいてほしいなあなんて思ったりしまして。。謎のまま、得体のしれない生物のままでいてほしいです、正直言いますと。
 だって、子供の頃ワクワクゾクゾクさせてくれた未確認生物達が、実はクマだった、巨大猿だった、なんて判明した日にゃぁ、ひどくがっかりしますよ、たとえ大人になった今でも。

 このサイト、面白いです。ただし、右側の写真付き面白投稿のコーナーは恐ろしくて見れません。雪男とかツチノコとか、そういう類とは別の意味で。
 謎の巨大生物UMA


2004年05月01日(土) のんべいの優雅な休日。

 旧暦3月13日。
 ベランダにある小さな睡蓮木(スイレンボク)に、花が咲きました。
 
 ナンの変哲もない木に、睡蓮に似た可愛らしい桃色の花がぽつんぽつんと咲く、その取り合わせが絶妙に美しくて、不思議です。桜の時季にお花見で出かけた青山霊園には大きな睡蓮木があり、花が沢山咲いていましたが、どちらかというとミニ盆栽にして手のひらで楽しみたい、と感じます。

 連休中の朝ご飯は、文化鍋でご飯茶碗1膳分だけ焚いた白飯に、ネギたっぷりの納豆、大根やもやしの味噌汁、きゅうりと大根のぬか漬け(私のぬか漬けは超手抜きで、冷蔵庫に小さな容器でこしらえてます)です。文化鍋は一番小さいものを使っていますが、少量焚くなら電気炊飯器より何倍も美味しいご飯になります。1人暮らしの方にはとってもお勧めなんです。食後の後かたづけしながら、その日の晩酌の肴を考えます。今夜はじゃがいもの煮っ転がしと、ねぎぬたと、焼いた鮭、胡麻豆腐、いかの塩辛。じゃがいもは朝のうちに煮込んでおいたので、あとは味が染み込んで夕方にはいいあんばいになります。ねぎぬたも出来てるし。夕方銭湯から帰ってきたら、お膳並べてる間に鮭を焼くだけで終わり。今昼過ぎですが、今日はとても暑いので、今夜のビールが楽しみです!朝のうちにその夜のお酒と肴の準備が整っていると、充実した1日が過ごせそうな気がするのは私だけでしょうか??いやいや、他にもそういうのんべいは結構いるはず。現に何名か、心当たりがあります(笑)。

 夜、お酒を舐めながら何を聴くか。前にも日記に書いたことがある鶴瓶・新野のぬかるみ.comは、新野センセのお身体の具合が悪く、残念ながらこの5月で休止となるそうです。毎週末はこれを聴きながらちびりちびりやるのが好きだったんだけどなあ。
 で、最近もうひとつ、どっぷりはまっているのが、こちら→SSWeb新潮社と大日本印刷が共同出資した会社とのことですが、このSSWebのサイトで、寄席、講演、朗読などを音声配信してくれてます。有料ですが、月定額で、何度でも好きなだけ聴けるので、沢山聴く分にはお得かも。私はこちらで寄席を聴きまくっています。古典落語がたっぷり揃っていて、例えば有名な「時そば」でも、噺家さんによっていろんな味付けがあるので聴き較べたりできるし、高座の映像こそないものの(一部あり)、画面に文字が現れるのでよく聴き取れなくても文字で確認できたりと、なかなか重宝です。今度、末廣亭あたりに行ってみたいなあなんて思ってるのですが、パソコンの画面で鈴本演芸場と新宿末廣亭での最新の落語を150本(サイトによる)、いつでも聴くことが出来るのはとっても魅力です。すっかり魅了された私は、この連休中、朝昼晩と三度の食事の度に聴いてます。単純な性格なものだから、お酒を飲むときはお酒が題材の噺、例えば「試し酒」「親子酒」、おそばを食べるお昼には「時そば」、という具合に。不思議と目の前の食事が美味しく楽しく、気持ちがいいです。ひとつ、ご注意。こちらはRealPlayerの最新バージョンではファイルが認識されないようで、聴けませんでした。面倒でしたが、自分のPCに入っている最新バージョンをアンインストールして、バージョン8を入れたら、ようやく聴けるようになりました。
 あ、そうそう、SSWebは有料ですが、無料で落語を聴けるサイトもあります。(社)日本落語協会のサイトの左側、「ねっと・ねっと」→「インターネット放送」。それから、よみうり関西の上のタイトル脇にある「娯楽」→市民寄席。どちらもお勧めです。
 こんな風に暮らししてたら、連休明けに出社するのが嫌になっちゃいそうだなあ。


 

 


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