あたろーの日記
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2004年04月30日(金) 携帯電話の機種変更(めんどくさー)

 旧暦3月12日。
 連休2日目。時間の過ぎるのがやけに早い。
 
 この頃携帯電話の調子がおかしい。一昨年の10月に機種変更したのがそろそろ寿命なのか。時々画面が真っ白になっている。ボタン押してもウンともスンとも言わない。仕方がないので電源を入れ直す。こんなことを日に何度か繰り返す。せめてあと半年くらいは使いたいと思っていたのでちょっと不満。すぐに買い換えなくてももう少し使えそうだけど、取りあえず次の機種を探しておく。今使っているのはSDカードが使えてかつ音楽も聴ける機種なので、同じ機能を踏襲しているものがいい。でも、自宅にテレビを持たない私としては、大きなテレビは不要だけど、ちょっとしたニュースとかチェックするために(今の世の中どんな事件が起こるか分からないから)、テレビつき携帯というのもいいかな、と思う。だけど、このテレビ付き携帯は1種類しかなくて、それもすこぶるデザインが悪い。しかもSDカードも使えないし音楽も聴けない。私のワガママな要求をすべて満たす機種が今のところ見あたらないので、面倒くさくて、今のものが壊れるまで当分使う予定です。auやドコモに比べると、ボーダフォンは総じてデザイン性に欠ける機種ばかり。先日発表された「KOTO」も、なんだかなあ。
 携帯電話も、デルやIBMみたいに、必要な機能を自分で選んで、好みに応じてカスタマイズして売ってくれたりすると嬉しいんだけど。無理な話だろうなあ。
 それにしても、携帯電話って一度持つともうなしではいられないんだなあ、ほんとに。


2004年04月29日(木) 霊巌島と佃島

 旧暦3月11日。
 小唄のお師匠さん出演の演奏会を聴きに茅場町まで。私は唄も三味線もまったく上達しない不肖の弟子なんですが、もっと練習しなければ、とえらく反省しました。小唄を習い始めたばかりの頃は、歌詞がちょっと艶っぽいのとテンポが身体になじんでないのとでとまどったのですが、最近、小唄の歌詞の面白さに目覚めつつあります。今日はいろんな会派の方々の演奏を聴きながら、目をつむり、歌詞から浮かぶ情景を頭の中で楽しんでました。どっちかというと、色恋が中心の歌詞より、隅田川とか浅草とか佃島とか上野とか、土地の風物が出てくる歌詞のほうが好きです。
 自転車で来ていたので、会場から出たらその足で永代通りを霊巌島まで行きました。霊巌島というのは今の中央区新川にあたる地区で、今は深川にある霊巌寺はもとは霊巌島にあったそうです。霊巌島から望む永代橋。文化4年(1807)8月19日、富岡八幡宮の祭礼見物に集まった人々の重みで崩壊し、900人以上もの溺死者を出した橋です。今はドイツのライン川に架かるレマーゲン鉄道橋がモデルという美しい青い橋に変わっています。あ、隣の写真は霊巌島の猫その1です。

 隅田川べりを走っていくと、東京湾に浮かぶ佃島が正面に見えてきます。江戸時代に漁師が網を引き漁をしたという面影はどこへ行ったのか、今はリバーシティ21と名付けられた再開発のもと、近未来的な高層ビル群が海の上に林立しています。作家の池波正太郎氏が存命の時は、この佃島の再開発はまだ始まっていなかったようです。「江戸切絵図散歩」(新潮文庫)には、近い将来始まるリバーシティ21という再開発のもとに、佃島から失われていくものに対する危惧の思いが書かれています。池波氏のかつて見た佃島の遠景は今はもうない。私が見ることの出来るのは、突如として海の上に浮かぶ未来の水上都市のような佃島。でも、その変わり果てた佃島も不思議と魅力的だと思いました。もちろん、再開発の名の下に奪われてしまったかつての古き良き佃島、漁師の漁(すなどり)せるのどかな佃島の面影を見ることが出来ないのは残念だけど。。。古い時代の土地の記憶に想いを馳せる自分と、現代的、未来的な建築群に圧倒される自分の両方がいるんですね。古いもの礼賛のつもりなのに、新しいものにも惹かれるのって矛盾してるんですが。。

霊巌島の猫その2・・・なんですが、お尻だけです、すいません。本人(猫)は隠れたつもりらしいんですが、ばればれだよ。まったくお茶目なんだ。この茶トラは直前まで私の足元にすり寄ってきてくっついて離れなかったのだけど、自転車引っ張って歩き出したらご覧の通り逃げ込んだのです。が、このありさま。ちなみに、霊巌島の猫たちは、首輪をしているからノラではなさそうなのだけど、みな毛がばさばさしてて身体が薄汚れていました。なんでかな。潮風のせいかな。でもどの猫もふてぶてしそうで可愛かったです。猫の隣は、霊巌島から佃島に渡る中央大橋の橋脚上に立つパリから寄贈されたブロンズ像「メッセンジャー」です。永代橋のほうを向いています。
 今日は快晴で、走っていてとても気持ちが良かったです。


2004年04月28日(水) 連休だー

 旧暦3月10日。
 明日からしばらく天気が良いそうですね。
 私事で恐縮でごぜえますが、明日からな、な、ななれんきう、でござい。
 あーうーふりーだむ!
 
 せっかくの連休なので、無駄にしないように過ごしたいと思います。
 読みたい本とか勉強とかにまとめてじっくり向き合える時間がなくてストレス溜まってたので、存分に。なんて偉そうに言ってますが、実は大学の授業について行くためにもっと勉強せにゃあかんわと焦っております。
 連休の過ごし方で誓いをたてました。
 早寝早起き昼寝は30分以内。
 1日1時間はサイクリングで有酸素運動(運動不足の恐れありゆえ)。
 ほどほどの晩酌。
 
 以上でございます。
 
 


2004年04月27日(火) 「耳嚢」の上

 旧暦3月10日。
 外は風雨が強かったのですが、会社は蒸し暑くて息苦しかったです。半袖のポロシャツだったのですが、暑くて暑くて、不快指数高い。今からこれでは夏を乗り切れまい。しゃあない、水着で行くかぁ。。。周りが迷惑するからやめときます。

 仕事帰りにふと覗いた古本屋で、ずっと探していた文庫本をついに発見!
 前にもこの日記に書いたことあるのですが、岩波文庫の「耳嚢」の上です。中と下の2巻は今でも新刊書店で売ってるので買って持っているのですが、何故か上だけ絶版。重版未定なので、古本屋で探すしかなかったのです。が、神保町の古本屋だと上中下3冊セットで5000円位してしまう。それはちょっと高すぎ。しかも中下は普通の本屋で定価で買えるわけだから、3冊で5000円は躊躇してしまいます。だけど上巻欲しいよ〜あと上だけ買えば上中下揃うよ〜と嘆いていました。他の出版社からも結構出ているのですが、どうしても岩波文庫のものが読みたかった、というか、読みやすいんです、それで。
 古本屋で文庫本コーナーをチェックしてたら、岩波文庫の黄帯が3冊ビニールにくるまれてありました。まさか、と思いどきどきしながら近づいて、背表紙見て「やったー」と心の中で叫びました。上中下3冊セットで1800円。定価より安いです。上が品切れだっていうのを知らずにとっても良心的な値段を付けてくれたんでしょうか、しめしめ。神保町以外のあんまり専門が限定されてない古本屋さんだと、こういう出会いがあるから面白いです。3冊セットで分売不可なのですが、1800円ならとっても掘り出し物です。ああ良かった。。


2004年04月26日(月) 馬鹿な政治家。

 旧暦3月8日。
柏村参院議員:イラク人質は「反日的分子」 参院決算委(毎日新聞)
 怖いですね。政府の方針に逆らったり異を唱えたりすると「反日的分子」とか「反国家的」と言われるんですね、現代でも。政府のやり方に反対すると命を助けてもらえないわけです。戦前と同じですね。怖いですね。
 しっかし、政治家が国民の一部を指して「反日的分子」とか「反国家的」とか表現すること自体おかしい。そもそもこの日本にそういうレッテルを人に貼るということがすでに間違い。その間違いに気づかない国会議員というのも凄い。すこぶる低脳ですね。こんな人が政治家にいたのか。あ、某元首相もとんでもない放言だらけでしたものね、政治家なんてそんなもんなのか。別にアナーキストじゃないけど、今の政治家の不勉強にははっきり言って呆れます。肩書きにあぐらかいて先生って呼ばれることに満足してるんだろっか。中国に対しても失礼なことを言ったようで。しっかり謝罪して貰いたい。私は人質救出よりも柏村議員の給与に血税が使われていることのほうが不快だ。

 ところで、人質事件をめぐる報道で、読売新聞はひところ、マスコミの「人質自己責任論」展開の中心かと思うほど、人質に対する非難を書き連ねていたけれど、海外から「自己責任論」に対する疑問の声が上がり始めたら静かになった。一方、朝日新聞は自衛隊撤退論と人質自己責任論の間をうま〜く行き来して、今は自己責任論や人質バッシングに対する反論をどんどん紙面に出している。結局政府に迎合したり、世論の顔色みたりしてるわけで。
 新聞って、ホントいい加減だよな〜とつくづく思うのでした。
 かといって全く読まないわけにはいかない。あちこち読みながら自分で判断しなきゃいけないってことですか。


2004年04月25日(日) 地蔵通り商店街とおかず横丁

 旧暦3月7日。
 朝ですが今日の日記もう書いちゃおうっと。

 で、話題は昨日のことです。
 昨日は三味線のお稽古があったので、お師匠さん達に巣鴨の塩大福を買っていこうと地蔵通り商店街に行ったのですが、塩大福買うまでにすんごい時間かかってしまいました。巣鴨地蔵通り商店街(音楽鳴ります)
 毎月4の付く日は縁日なのです。そこに天気の良い日曜日が重なっちゃったもんだから商店街は老若男女がどどどっと流入して賑やかにごった返しておりました。狭い商店街にずらっと屋台がならんでどの店もおばあちゃんおじいちゃん達が群がって(変な表現で失礼)います。・・・縁起物、骨董品、下着、お菓子、植木、佃煮、かつら、杖、布きれ、エトセトラ・・・。かつらの屋台があるっていうのが巣鴨らしいです。びっくりしました。でもって、縁日の人混みに入ってしまったものだから、前に歩いていくのにえらい時間がかかってしまって。。だいたいおばあちゃん達は自分の欲求に素直です。目の前に「おっ」と興味をそそる売り物があると、もうそれしか見えない。地蔵通り商店街の人混みは、渋谷や新宿の交差点より歩きにくいです。周囲の人の動きが予測できないのです。だけどみんな楽しそう。そこは誰もがむっつり歩いてる渋谷新宿なんかとは違って面白いかも。私が言うのもナンですが、巣鴨いいですよー、次の縁日は5月4日で連休中なので超混みそうですが。。。
 やっとこさ商店街の外れ(JR巣鴨駅から来れば商店街の入り口にあたります)にある伊勢屋にたどりつきました。ここは前に商店街で知り合った巣鴨フリークのおばあちゃんから、塩大福の一番美味しいと教わった店です。夕方行くと売り切れてたりすることもあるんだよね。私は塩大福よりごま大福のほうが好きなんですが(ごまあんが美味しいんです!)、今回はお土産&話題作りということでオーソドックスに。しかし、たどりついた店も人が群がっていて、なかなか買えない。こっちは一応並んでるつもりなんですが、おばあちゃんやおばちゃん達は我先です。おおおーい、頼むから買わせてくれーっ、と、半べそかきながら待ってたら、店の前でテレビカメラが回っていた。見たことあるんだけど名前知らない女性のタレントさんが、通りすがりのおばあちゃん達を呼び止めては「このステッキ、いいでしょう、こうやって椅子になるんですよ」と実演してみせていた。通販番組の収録っすか?それともクイズ番組ですか?よう分からないけど、みんな立ち止まって見物。休日地蔵通りに行くとテレビカメラのない日はないです。必ず商店街のどこかで撮影してます。でも、テレビカメラの対象はおばあちゃん達で、私なんかは捕まってインタビューなんてことはまずないので、安心して歩けるわけです。塩大福や鯛焼きほおばってる顔ばんと写された日にゃああんた、落ち込むわさ。

 いきなり場所は飛んで、浅草橋です。
 三味線のお稽古は浅草橋なんであります。浅草橋も情緒があって好きな街です。JR浅草橋周辺の通りは飾りものやアクセサリーなどの問屋さんがあってこちらはとっても賑やか。そこから離れた鳥越神社のそばにあるのが、「おかず横丁」です。むかーし、愛川欽也の「アド街ック天国」でも取り上げられましたな。おかず横丁、私が通るのが休日だからか、閑散としてます。平日の夕方に来たら賑やかなのかなあ。。駅から遠いのと場所が分かりにくいのとで、よそからわざわざ訪れる人は少ないのでは、と思いました。だけど、なんか昭和30〜40年代、という雰囲気が好きです。
 
 お稽古の帰りにまたおかず横丁を通って、佃煮でも買って家で一杯やろうなんて思ってたんですが、夜7時ちょっと前くらいにはほとんどシャッター下りてました。残念。ちなみに、巣鴨の地蔵通り商店街も夜は早いです。同じく7時くらいには多くの店が閉店してます。ま、それが健全といえば健全ですね。東京の夜は長すぎますもんね(でもやっぱ仕事終えて帰ってきて地元の商店街の灯りが迎えてくれるっていうのが理想なんですけど・・)。

 帰宅して自分でおつまみ作って呑むかと思ったのですが、近所の居酒屋の焼き鳥(つくねが美味しい)食べたくなったので、結局そこに寄りました。無口で穏やかなおじいちゃん(おじちゃんかな)と物わかりのよいお袋さんという感じのおばちゃんが夫婦で切り盛りしている小さな古い店です。古くて最初は汚いかな、と思ったけど、掃除も行き届いて小綺麗な感じです。ここに入るのは2回目なんですが、顔覚えててくれたようで、居心地もとてもいいです。カウンターの端っこに座って、焼鳥やまぐろぬたつつきながらビールと焼酎。こういう雰囲気で呑みながら、誰にも邪魔されずに読みたい本ってあるじゃないですか、そういうことを気楽に出来る店です。お店の人とも、他の客ともちょうど良い距離をとって、それぞれの世界に入り込める店って案外少なかったりする。特に女性の場合。そんなことが出来る店が自宅から歩いて2〜3分の所にあるなんて、あたしゃ超幸せです。
 店に入った時は私の他に常連らしきおじさん2人連れが2組、両方とも職人さんぽかったですが、静かに呑んでました。そのあと入れ替わって30代カップル、あと芸人風情の年配夫婦。次に40歳位のかわいらしい女性が1人、さらに40歳くらいの男性1人。気が付いたら男女の比率が逆転して、男3、女4になってました。うーん、ますます居心地よかぁよ。1人で来た女性は私と同じくカウンターに座り、なにやら難しそうな英文の論文を広げて読みながら呑んでました。嬉しかったっすよ。すんごく。酒呑み道の先輩見つけたみたいで。自分と似た女性がいて。・・・生意気言うようですが、世の中、1人で酒呑みに行く女性にははっきり2つの人種があるのでござる。1人でいて寂しいから店で隣り合った人と喋ろうという人と、最初から最後まで1人で呑ませてくれ〜自分の世界を誰も邪魔しないでけろ〜という人と。私は完全に後者です。誰かと呑みながら会話を楽しみたいという場合は、はじめから知り合いと連れ立っていきます。1人で行く場合は店の人と必要な会話をする以外、誰からも放っておいて欲しいもんです。そういう呑み方を許容して包み込んでくれる居心地の良い店を見つけたら嬉しいので隠れ家のつもりで大事に通います。へへ。生意気〜。ただ、女性1人で呑んでると話しかけてくれる人っていうのは、たいていやさしい人なんですね、1人で寂しく呑ませてはいけないと気を遣ってくれるわけですから。だけど、放っておかれてもぜんぜん寂しくない、むしろ孤独が楽しいわけです、こちらとしては。。。そういうのって女性も男性も同じかなと思います。
 その後9時半には帰宅。健全だぁ〜。
 できれば、「女1人で静かに呑む会」なんつうサークルでも作って、情報交換したりするのも楽しいかな、なんて思うんですが、会合と称して集まっちゃうとそれでもう「1人で呑む会」ではなくなっちゃうので駄目ですね。
 

 


2004年04月24日(土) 現実を見る義務。

 旧暦3月6日。
 酔っているので少し過激なことを言うかも知れませんが。。。
 米兵の棺の写真がアメリカのマスコミに掲載されて論議を呼んでいるとか。
 イラクの戦争で亡くなった米兵や、イラクの人達、特に犠牲となった子供の写真、それが遺体であろうとも、むごたらしい傷跡であろうとも、どんどん新聞に掲載して、テレビやネットで映像を流すべきだと思う。亡くなった人や遺族への配慮、という問題ももちろんあるかも知れないけど、だけど、もし私が戦争で命を落としたら、私の遺体を世界中の人の目にさらして、戦争の現実を知らしめて欲しい、と思う。正しい戦争とか仕方がないとか国際協調とか同盟とか、国益とか国の思惑とか、そんなもの命を失い家族を失い身体の一部を失った者の前には吹き飛んでしまう、戦場の現実を安全な場所でのほほんとしている人間につきつけてやりたい、と思うだろう。
 私も人のことは言えないが、あまりにも机上の空論だけが空回りしている(というか議論にすらなっていない)、戦争についての日本人の意識の低さ。戦争に巻き込まれすべてを奪われる無念さを全く知らない私たち。明日命があるかも分からない、そういう恐怖を知らない私たち。そんな私たちだからこそ、戦争の現実を写した映像をもっと見るべきだと思う。それがたとえあまりにもショッキングな映像であろうと、悲惨な場面であろうと、見るべきだし、見せてもらうべきだと思う。そこにいることができないのだから、せめて、悲惨な現状を直視し、目をそらさないようにすべきと思う。
 戦争の現実を知るために、見せるために、平和な場所にいる人達を悲惨な映像から保護する必要などないと思う。ショッキングな映像から目をそらさないことが、イラクから遠い日本にいる私たちのせめてもの義務だ、とも思う。
 


2004年04月23日(金) 人の一生。

 旧暦3月5日。
 妹の長女がこの春から保育園に通い始めたのですが、毎朝「保育園行かない、お友達いらない、おかあちゃんお仕事行かないでー」と泣いてだっこにおんぶとしがみついてくるのだそうです。それでも保育園が近づくと、「○○(自分の名前)ちゃん泣かないよ、泣いちゃ駄目だよね」と自分で自分に言い聞かせるように言い、保母さんと一緒に精一杯の笑顔で、送って来た妹に手を振るのだとか。妹は「泣いちゃ駄目」とは言った覚えはないのに、長女は自分で泣いてはいけないと思っているのですね。小さい胸で一生懸命考えて、初めての試練を乗り越えようとしてるんだな、って、妹から聞いてこちらもじーんときてしまいました。
 自分の時は忘れちゃったけど、そういえば人の人生ってそんな幼い頃から試練の繰り返しなのかなー、と思う。程度の差こそあれ、誰しも乗り越えたり我慢したり迷ったり悩んだりぶつかったりを繰り返しながら歳を重ねていくんでしょうか。でも、自分の力では乗り越えられないほどの困難を不可抗力で背負ってしまい、途中で命を落とす子供も多いし、自ら生きることを放棄してしまう子供もいる。人の一生ってなんなのだろうと考える。ただ生まれて食べて排泄して生殖活動を行い、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し、死んで腐って土に還る。人間の一生ってただそれだけじゃないのだから、ほんと不思議だ。


2004年04月22日(木) 不公平だーっ!

 旧暦3月4日。
 
 我が家の近所にあって一番多く入りに行く銭湯の浴室には壁の富士山がない。というか壁絵すらない。ただ、広くて新しくて露天風呂やジャグジー、打たせ湯もあるので快適。とても気に入っています。
 でもあちこちの銭湯に行ってみたいので、通勤含め、外出時は基本的に毎日お風呂道具も鞄の中に入れており、煙突の前を通るとふらっと立ち寄ります。だいたい焼き鳥と銭湯のお湯の匂いに弱いんですね。また、自転車通勤だと、銭湯に寄って洗い髪のまま、化粧もとれたすっぴんのままでも、臆せず乗って帰れるから嬉しいです。夏の夜なんか最高に気持ちいいよ。
 ところで銭湯の壁の絵に戻りますけど、私は単純なので、初めての銭湯に入り、浴室の奥、湯船の背景にででーんと壁画が描かれてるともうそれだけでわくわくしちゃって、うおおおっと叫びたくなる位嬉しくて、急いで服脱いで浴室に飛び込んでいくわけです。で、身体洗ってる間も早く湯船に浸かりたくて全然落ち着かない。ようやくお湯に入ると、壁画のほうを向いて、しばしボケーッと絵の風景に見とれてます。
 壁画が富士山だと、すこぶるコーフン。銭湯に富士山、の当たり前のような組み合わせなんですが、最初にこの発想した人って偉いですよね。湯船に浸かりながら富士山を望む。これで1日の疲れが吹き飛ぶんですよね。この、チープでキッチュな富士山。湯船の向こうにデデデーンとそびえる富士山。かつては江戸のいたる所から眺めることの出来た富士の山。今じゃ運良くビルの谷間にかすむのを目にすることが出来るかどうか、程度ですが、ところがどっこい、風呂屋の壁には紛れもなく堂々たるお姿です。思うに、私は地方出身だから、それも山には囲まれども富士山は見えない新潟から東京に出てきた者だから、よけいに富士山に対する憧れのようなものがあるんじゃないかと思います。これが、異様に興奮する理由のひとつですね。

 えーと、それから、銭湯の富士をこよなく愛し、絶賛したい私でございますが、実はそうはいかのきんもくせい。
 男には分かるまい、でも女には分かる。
 銭湯の壁画の富士山はですね、ほとんどが男湯側に描かれてるのです。一応ね、女湯の湯船からも富士山は見えるこたあ見えるのですよ、斜めの角度から、男湯の壁の富士を。特に、浴室の天上の高い大きな銭湯なんかだと、脱衣所から浴室の壁の富士山がでーんと見えて、嬉しくてドキドキしながら浴室に入っていくと、壁画の下には真ん中に男湯と女湯を隔てる仕切りの壁があって、富士山は男湯のほうにあったなんてこと、多いです。そういう時は馬鹿みたいにお湯の中から男湯の壁の上のほうに顔向けて恨めしそうにしてます。男に生まれれば真っ正面から富士山を拝めるのだぁ・・・んーなんとまあ悔しいことよ。。今ここに書きながら、女湯で富士山を間近に見れた銭湯なんてあったかと思い出そうとするのですが、残念ながら記憶にない。
 で、今夜は我が家に2番目に近い、ここもお気に入りの銭湯に行ったのですが、ここは壁の絵が富士山こそないのですが、海に浮かぶ小島やヨット、海面を望むように生えた松の絵なんかがちょっとリゾート気分で好きなんです。番台のおばちゃんの笑顔もいいし。・・・が、今日そこの湯船に浸かりながら壁の海辺の絵を見ていて、はたと思いました。ここの銭湯は女湯から男湯の壁はまったく見えないのですが、まさか、まさかとは思いますけど、男湯には女湯の壁画のつづき半分が描かれていて、そこにまさかとは思いたいのですが、そこに富士山があったりはしませんよね。なんでそんなこと思ったかというと、先日入って男湯のほうにある富士山に非常に嫉妬したとある銭湯の壁画と、今日行った銭湯の壁画の雰囲気、風景が似ているのです。たぶん描いた人も同一ではないかと。まさかとは思いますが、向こうの男湯には富士山がっ!今度番台のおばちゃんに聞かなきゃ。そしてなんとか、「男湯に富士山なんてありませんよぅ」という返事を貰わなきゃ落ち着かない。

 それにしても、なんで男湯だけにしか富士山はないのか!? 
 ひとつの銭湯にふたつの富士山があっちゃまずいのか!?
 女湯にも富士山の絵を描いてよーっ!
 
   /本気で怒ってます。


2004年04月21日(水) 全体主義。銃後。

 旧暦3月3日。
 暑かったです。通勤ですでに汗だく。
 
 私も結構しつこいんですけど。。
 今の日本って、「銃後」という感じがする。ふと思った。極端な表現かもしれないけど、「銃後」という言葉が浮かんだ。戦地へ自衛隊が行き、残された国民がそれを応援しているような。・・・人質事件を巡っての解放された5人に対するバッシング。他の国々が撤退を考え始めたイラクでの自衛隊活動継続を表明した政府とそれを支持する国民。首相の靖国神社参拝を良いことだと支持するのは若い世代に多いという。政府の言うことはすべて正しいと信じる人が多いのだろうか。マスコミの報道や世論調査、掲示板などインターネット上の議論(?議論というより、単なるストレスのはけ口になっている場合のほうが多い)、それから実際耳にする周囲の人達の会話。自分たちと異なる意識や行動の人を非難し排除するか潰そうとする日本人。
 私も含めて、ほんとうの戦争を知らない世代、歴史を知らないし学ぼうともしない世代が増えてしまった。戦争を経験して、もう戦争など起こしてはならないと誓った世代が減ってしまった。
 今の日本なら、かつて国民がひとつになって戦争に突っ走っていったあの時代と同じ状況になっても不思議はないなと思う。もちろん、今のイラク情勢と日本の状況について憂えてる人も多い。だけど、今、自分の国以外で起こっている戦争、戦闘や虐殺で命を落としている人達がいるのだということ、それに対しての日本や国際社会の関わり方、或いは国内の状況について、危機意識を持っていない人のほうが多いのではないだろうかと、とても不安。最近の全体主義的な日本の傾向が怖いと感じるのは考えすぎでしょうか。。


2004年04月20日(火) 陰湿で視野の狭い日本。

 旧暦3月2日。
 イラクで人質だった人達のことをしつこく追いかけて報道しすぎ。必要なことだけでいいから、あとはそっとしておいてあげるべきだ。ただでさえ精神的なダメージを受けているのに、政府やマスコミや世論が寄ってたかって3人を潰すようなことがあってはならないと思う。日本のマスコミは陰湿でねちっこい。問題なのは、今回の人質事件を通じて、自衛隊派遣に対する世論の反応を、結果的に政府に都合の良いように変化させることに小泉内閣が成功してしまったことだ。結局人質の救出に政府が何をしたっていうのか。何もしてないじゃん。じたばたしてただけで。情報戦になったらまったく役に立たないということを暴露しただけで。でも、何故か政府の尽力により人質は助かったという認識が広まっているのは不思議だ。また政府が「行くな」と言っている国に自衛隊がいるのも問題じゃないか。「イラクは非戦闘地域」だと派遣を強行したのは当の小泉内閣じゃん。他の国の軍隊が撤退を考え始めているのになんでまだ自衛隊が残っているのか。マスコミは解放された3人の行状をあれこれつつくより、イラクの情勢についてもっと真剣に報道すべきだと思う。
 こんな意見だってある。
 「『日本にも新世代育つ』仏紙が3邦人の行動を弁護 」(朝日新聞)
 「仏紙ルモンド、人質事件で自己責任問う声に皮肉 」(朝日新聞)
 「『人質・家族バッシング』に異論噴出 政府責任問う声も 」(朝日新聞)
 
 たまたま朝日ばかりになっちゃいましたが、新聞によって取り上げる記事にかなり偏りがありますね。マスコミだって、記事を書いているのは結局人間なんですもんね。。


2004年04月19日(月) 日射病かな。。

 旧暦3月1日。
 旧暦ではようやく3月。あんまり実感わかない。それより暑くて暑くて。
 昨日から頭が重い。ばうんばうん締め付けられてるみたいに。土曜日長時間外にいたからかな。帽子かぶらなかったしな。自業自得。月曜からこんなんじゃ今週先が思い遣られます。・・・なので今夜はもうパソコンの画面がツライです。目がちかちかするよー。
 というわけで・・・すいませんm(_ _)m


2004年04月18日(日) 家庭菜園

 旧暦閏2月29日。
 
 早いとこ苗買ってこなきゃ、と思っていたので、ちょっくら近所の商店街に行って、野菜の苗なんかを買ってきました。
 アパートには小さいベランダが2つあるのですが、一方には山椒やシークァーサー、ドッグローズやローズマリー、タイム、ゼラニュームなどの果樹や宿根草のプランターを置いてあります。日当たりも良いので、こちらは冬の間も元気でした。もう一方のベランダは先の冬に、小松菜やサラダミックス、二十日大根の種をまいたのですが、肝心な肥料をあげるのをすっかり忘れて、順調に育ったのはサフランだけ、二十日大根は根元が膨らまず、小松菜に至ってはひょろひょろ。食べる気にはなれず、それでも育てておいたら、先日小松菜に黄色い花がチコチコと咲いて、結構可愛かったです。でも、結局どれも失敗しちゃったわけですな。とほほ。せっかくいい土を戴いたのに、勿体ないことをしてしまいました。というわけで、天禄農法で作られた特別な土をプランターに入れたまま、今度は元肥もちゃんと加えて、二十日大根や小松菜の後釜に、今度こそ育てて食べるぞとの意気込みで野菜の苗を植えました。
 春に買う野菜の苗は毎年ほぼ決まっています。
 青しそ、鷹の爪、ミニトマトは外せません。これらはベランダに1〜2株もあれば私の食生活には十分なので、種を買うより苗を選びます。ニガウリも欲しかったのですが、小さいベランダなので断念しました。そのかわり、アシタバとモロヘイヤを購入。場所の限られたベランダ菜園の基本は、一度収穫したら終わってしまうものではなく、使う分だけちょっとずつ収穫しながら長い期間楽しめる野菜を選ぶことなんです。
 あと、野菜やハーブの花も可愛いのですが、もうちょっと花っ気が欲しくて、クレマチスを3株買いました。ブルーの同種を2株、珍しい深紅のものを1株。ほんとは1株だけにするつもりだったのが、商売上手なおばちゃんに乗せられて、3株1000円で買ってしまった。。でも、それでよかったかも。青のクレマチスは野菜のベランダ、深紅はハーブと果樹の側のベランダの手すりに蔓を這わせます。花が咲くのが楽しみです!
 さて、野菜の組み合わせ。これを迷うのも結構楽しいんですよね。狭いので寄せ植えが基本です。アシタバとモロヘイヤ、青しそと鷹の爪、ミニトマトの苗を植えた周りにはバジルの種をまきました。バジルは大好きで毎年沢山育てないと不安なので、ミニトマトのプランターの他に、バジルだけのプランターも作って、そこにも種をまきました。これで基本の4つのプランターのできあがり。あとはそれぞれのプランターの中の空いたスペースにちょこちょこっと、ナスタチュームやスミレなどのエディブルフラワー、それからこれも便利なルッコラなどを撒こうと思います。
 しっかし、相変わらず食べるものばかりだなあ。。。
 

 
 


2004年04月17日(土) 小磯良平展

 旧暦閏2月28日。
 
 ・・・オハヨウゴザイマス。
 土曜の日記なんですが、書いているのは日曜の朝です。
 布団を干して、部屋を軽く掃除して、朝ご飯食べて、その後マグカップにカフェオレたっぷり作って机の前に座りました。
 昨日12時きっかりに寝たんだけどたっぷり7時間も眠ってしまった。勿体ないよ〜(泣)。欲張りなせいか、休日に遅くまで寝ていられないんです。天気がいいとなおさら張り切って早起きしてしまいます。休日にやろうと思ったことをできたかどうかで、その週の平日の精神状態が大きく変わるので、とにかく朝が肝心なわけです、私の場合。・・・そう言いながらあとでちゃっかり昼寝もしたりします(^^)あとね、ひと部屋向こうの住人のお兄さんの目覚まし時計がリリリリリリーンとさっき何十分も鳴り続けてうるさかったんであります。たぶん私の隣のおじさん?も近所のみんなも無理矢理起こされたはず。が、当の部屋の住人はたぶん熟睡なんでしょう、ぜんぜん目覚めない様子。窓あけて寝てて、朝目覚まし時計のベルにも起きない、代わりにご近所を起こしてくれるという大変ありがた迷惑なお方です。前はドラえもんの音楽と「起きろ〜」という声で起こしてくれる目覚まし時計を使ってたのですがどうやらそれでは起きられないと思ったらしく(いや、起きないのは本人だけで、私はそのけたたましいドラえもんの音楽に毎朝びびってたんですが)、最近新しいのに買い換えたようです。でも、やっぱり起きない。ドラえもんの時代もそうだったのですが、ひどい時は1時間くらい鳴り続けてます。彼の時計は電池の消耗激しいだろうなあ。。。と、ここまで書いたところで、そのお兄さんがドドドドドッともの凄い勢いでアパートの外階段を駆け下りていきました。どこに行くのか知りませんが、完全に遅刻でしょー。

 昨日は小磯良平展を観に世田谷美術館に行ってきました。杉並に住んでいた頃は環八沿いに自転車で気軽に行けたのですが、巣鴨からだとさすがに躊躇しました。でも、ま、天気いいしってことで、ポタ子さん(MTBの愛称)漕いで行きました。が。走り出してすぐ後悔し始めました。なんつう暑さだ。もう夏じゃん。。。Tシャツでしたが、アスファルトのもわっとした熱気に当てられてすぐ気力が萎え始めました。し、しかし。引き返すことのできない性格ゆえ、結局そのまま走り続けましたです。
 自慢じゃないですが(自慢だろーが)、この方向音痴の私が、東京山手線内とその周辺をかなり自転車で走り回って、今では地図がなくても目的地にだいたい近づくことが出来るようになりました。走ってみて、東京って狭いなーと感じます。特に山手線圏内なら、最長距離でも1時間半くらいあれば端から端の駅に行けちゃいます。ただし、坂が多いので(山手線内は坂から逃れられない〜・泣)しんどいですが。
 
 が、さて、世田谷美術館は広い世田谷区のしかも横浜寄りの砧(きぬた)にあるのでさすがに遠かったです。道ばたの看板とか花とか犬とか、あと○○の碑、みたいなのにすぐ反応して寄り道してしまうので、私のチャリ漕ぎでは片道3時間、往復6時間もかかっちまいました。。だいたい私の時速は10キロなので漕いだ時間が実質2時間ずつとすると、たぶん巣鴨と砧間は20キロの距離ということになるでしょうか。往復40キロ。はい、体重減りましたです。1キログラム。夜、銭湯の体重計に乗って密かに喜びました。が、たった1キログラムで浮かれるなかれ。しかもその後風呂上がりのビールの誘惑に勝てなかった己の甘さを思い知れ(←リバウンド早し)。
 あ、横道逸れちゃいましてスミマセン、えーと。あんまり道に迷いたくないので、わりとストレートなルートを使いました。巣鴨から池袋に回り、明治通りを新宿に南下、新宿御苑脇から甲州街道に入り、高井戸で環八通りに折れ、あとは砧まで一直線という非常に分かりやすい道順です。しかも、坂道がなかった。けれど、もの凄い排気ガスで、休日だからまだマシな方ですが、たぶん耳鼻穴真っ黒です。げげ。身体に悪そう。。
 写真は一番左が、甲州街道と中野通りが交差する渋谷区幡ヶ谷1−10の地点にある「牛窪地蔵尊」と「道供養碑」それから「庚申塔」です。上京してからしばらくずっと京王線沿線住人だったのですが、電車だったり、たまに友達の車で甲州街道を行くにしても、こんなものがあるとは全然気づきませんでした。自転車で通り過ぎてから、「れ?今のはなんじゃ」と引き返してみたらこういう面白いものだったわけです。「牛窪地蔵尊」は正徳元年のもの。昔この地は極悪人の刑場として、もっとも厳しい牛裂きの刑が行われていたその供養のためだそうです。牛裂き・・・『江戸の刑罰』(石井良助著・中公文庫)によると、とくに戦国時代に広く行われた残酷な刑のひとつで、「罪人の両足を二頭の牛にむすびつけ、牛のあいだに焼松(たいまつ)を入れて、おどして牛を走らせ、罪人の股をひきさく刑である。」とあります。牛窪の地で牛裂きの刑がいつ頃行われていたのかはちゃんと調べていないので分からないですが(江戸時代ではないと思います)、今は車がひっきりなしに行き来している甲州街道でかつてそんな恐ろしい刑が行われていたのかと思うと、時の流れというのは不思議なもんだなあって感じました。「道供養塔」というのは、道自体を供養し交通安全を祈願したもので珍しいそうです。邪推かもしれませんが、場所の記憶、というものがあるとしたら、大昔の刑場であった場所と、今非常に交通量が多く事故も少なくない場所、そこに立つ供養の碑、関連性がないように見えるけれど、案外なにか繋がっているのかも、なんて思いました。
 隣は環八通り沿いの雑貨屋さんの屋根から溢れんばかりに咲き乱れていた藤の花です。はじめはこんな造花もあるんかい、と思ってよくよく見ると、本物でした。この前まで桜だったのに、もう、藤の季節なんですね!といっても、ちょっと早いような気がします。日当たりがいいからかもしれませんね。道行く人がやはり立ち止まって「ほぅ」って感じで眺めていきました。甘くむせるような香りが漂ってきて、もう幸せな気分になっちゃいます。で、この雑貨屋さん、言っちゃ悪いけどオンボロなんです。商品もほとんどなくてガラガラ、人気もない。藤に食べられちゃったような店です。でも、そこがいいんです。周りの景観も考えられて作られた藤棚もいいけど、こういう、なんでこんなとこに!って感じの古い家屋の屋根にドバーッと咲き乱れてる藤。呆気にとられて圧巻です。
 あとの2枚は世田谷美術館の前で撮ったものです。
 母が小磯良平の描く清楚な感じの女性画が好きなので、図録も買って実家に送るつもりで行ってきたのですが、私は「清楚な」女性画より、男性画も含め、描かれたモデルの視線を通して見えてくる小磯良平自身のまなざしに強く惹かれました。描かれているのはモデルではなく、画家の視線なのだということに、何度も気づかされました。描く対象を通して、描く側が見つめるもの、外的にあるいは内的に、そしてその絵の前に立ち絵を見る者がかつて画家が見つめた何かをそれぞれに感じ取ることが出来る、それが小磯良平の絵かと、そんな風に思いました。確かなデッサン力、それから卓越した構図、特に計算されつくした意外性のある構図に驚き、絵の中に引き込まれました。絵画について語れるほどの語彙がないのですが、素人の表現を許してもらえるならば、小磯良平の絵は、「意思の強い絵」というイメージです。展覧会場の中を、1枚1枚の作品の前で立ち止まりながら観て、出てきた後に残るのは癒しとか清々しさとかではなく、画家の視線によって観る側の内面をあぶりだされたような、でもそれは決してこちらとしては苦痛な体験ではなく、哀しいんだけどほっとするような、だけどそこから小さなある種の萌芽のようなものが生まれてくるような感情でした。。。

 自転車漕ぎすぎたせいで、今日はちと疲労感が残ってます。さっき部屋の中に蜂が入ってきましたが、すぐに出て行きました。
 もうそんな季節なんだー。
 
 
 
 


2004年04月16日(金) 頑張ろうっと。

 旧暦閏2月27日。
 3人が解放されて、次はやはりどんどん噴出する自己責任論。帰国する3人は針のむしろだろう。家族も。自己責任論議に拍車を掛ける小泉首相の発言。今後もイラクでの活動を続けるという意思表示をした元人質に対して不快感をあらわにしている。けれど、それでいいのだろうか、と疑問に思う。みんな、「あれだけ心配してやったのだからそれに報いよ」とでも思っているのだろうか。そういう意識が彼らを非難する人達の心の中にないだろうか。。。確かに、戻ってきたら3人は、しばらくはイラクへの渡航は自粛したほうがいいかもしれない。今現地では外国人を人質に取って交渉の材料にする方法が横行していると分かっているのだし、人質事件に巻き込まれる確率が高い中で本来の目的である支援活動は難しい。命を落としてしまっては元も子もない。・・けれど、彼らが、日本政府や自衛隊ができないことをやろうとしているのなら、今後状況を見て再びイラクへ行くことを、非難することは出来ないと思う。小泉首相は、イラクの問題は政府に任せよと言うが、政府が見落としていること、できないことがあるから危険を冒してイラクへ行く民間人がいるのだということも認識すべきだ。首相に国民の行動をそこまで非難して規制する権利はないのではないか。

 アメリカのパウエル国務長官が日本のJNNの単独インタビューで、「イラクの人々のために、危険を冒して、現地入りする市民がいることを日本は誇りに思うべきだ」と語っている。その一部を抜粋させて頂きます。原文はTBS Newsi

・・・前略・・・
 さらに日本の一部で、人質になった民間人に対して、「軽率だ、自己責任をわきまえろ」などという批判が出ていることに対して、「全ての人は危険地域に入るリスクを理解しなければなりません。しかし、危険地域に入るリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。彼らは自ら危険を引き受けているのです。ですから、私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を呈したことをうれしく思います。日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきです。
・・・後略・・・

 と、その後は自衛隊派遣も誇りに思うべき、と続くのですが、その点は共感できないにせよ、パウエル国務長官のように、冷静に状況を判断して多角的に物事を見る眼というのは、大切ではないかと思いました。一連のイラク戦争でも、ネオコンとは距離を置きながら開戦に慎重であったパウエル氏の発言はいつも、戦争推進派のブッシュやラムズフェルド国防長官やライス補佐官とは一線を画し、彼らを牽制する役目を持っていたように思います。立場上慎重にならざるをえないことも多いとは思いますが、冷静な判断状況のできる政治家ではないかと感じました(ネオコンや中道派の争いなど、いろいろ複雑な事情については私にはよく分かりませんが)。

☆☆☆
 
 昨日から、大学の授業が開始されました。長い春休みだったなあ。。。まあ、ちょうど、会社の決算時期と重なっていたのでその点助かりました(笑)。
 今学期は、週3日学校に通うことになりました。どうしても聴講したい先生の講義がいずれも18時15分からなので、会社を定時退社して自転車飛ばさないと間に合いません。必然的に会社で残業できる日が減るのですが、まあ、考えてみれば、残業すれば仕事が終わる、と考えるよりも、残業できないのだから定時までになんとかして終わらせる、と考えて仕事した方が、結局能率も上がるような気がします(と言っても能力が上がるわけではありませんが)。今までほとんど毎日残業してそれでもあっぷあっぷだったのに、急に無謀ではないか、とも思うのですが、今ここに勉強したいと思っている自分がいる、その「今」を大切にしたいのです。時期が来たら、時間に余裕が出来たら、と考えるのではなく、今勉強したいと思うなら、その今を活かすも殺すも自分次第なのだと思うのです。・・会社後、90分授業が2時限続くのは体力的にはちょっときついけど、気持ちはとても充実しています。

 今日は授業後、先生としばらくお話させて頂いたのですが、図らずも、話題が、物事を多角的に、いろんな視点を持って見るという眼を養う、というテーマになりました。この情報化社会の中で生きる時、自分がどんな情報をどこから得ているのか、その情報の出所、根拠はどこにあるのか、ということを、常に気に掛けながら、偏らずにさまざまな情報を引き寄せ、自分の頭で判断しなければならないのだということを再認識しました。生命倫理の講義になりますが、こういう点を踏まえた上で、現代に生きる人間の、生命にまつわる考え方を探っていく、という面白い内容になりそうです。とても楽しみです。


2004年04月15日(木) よかったよかった

 旧暦閏2月26日。
 
 銭湯に行ったら番台のおばちゃんの第一声が「解放されたよ」だった。
 おばちゃんの前のテレビでは元気な3人の姿。よかった!脱衣所でみんなテレビ見ながらほっとした表情であれこれ喋ってた。年配の常連さん達は一様に「自分の責任で危ないところに行ったんだもんねえ」と厳しいご意見。「政府の言うこと聞かないで自分勝手なことばかりしてね〜」とも。・・・それに対して反論したかったけど、ぐぐっとこらえて黙ってました。世の中いろんな考えの人がいるもんだ。うん。
 でも、ほんとうによかったです。家族の方々が心から喜ぶ映像を早く見たいとずっと思っていたので、画面を見ていてこちらまでじーんとしてしまいました。人質となった3人はけがもないようだし、元気そうだし、とにかくよかったです。早く帰国して、それぞれの家族に囲まれてゆっくり癒されてほしいですね。
 あと2人。。。無事でいて欲しいと切に願います。

 イラクも心配ですが、パレスチナ情勢も気になります。
 イスラエルの一方的な要求に肩入れして、ただでさえ崩れかけている和平への道をわざわざ遮断してしまったアメリカ。パレスチナ問題とイラクの問題が相乗してイスラム社会における反発をさらに高めることは目に見えているのに、と思います。私は政治の素人ですが、この先中東情勢がさらに悪化して、日本もこれまで以上にその中に巻き込まれるのではないかという不安があります。ブッシュ追随型で国粋主義的な小泉政権の今の日本なら、アメリカの言うなりに突っ走って、複雑な中東情勢に適度なスタンスも知らないまま首を突っ込んでいきそうで心配です。かと言って自民党以外に政権の中枢を担っていける政党が今他にあるかと考えると、どこも力不足。民主党の論理には一貫性がない(ように思える)し。
 今回の人質事件で、政府はもちろん、マスコミや世論までもが、自衛隊撤退論と人質の命との絡みで、どちらかというと「個人」よりも「全体・国家」に重みを置く論調になっていた、少しヒステリックに「自己責任」「自分勝手」「国益を損ねる」という言葉が叫ばれていたのは、ちょっと怖いです。考えすぎでしょうか。他方で、中国との尖閣諸島を巡る領土問題、首相の靖国参拝問題、さらには憲法改正をめぐる諸問題、特に第九条とそれに関係する自衛隊の海外派兵問題。北朝鮮との問題。。。日本は、もっと、アジアの中での歴史と位置を確認しながら、中国をはじめとする周辺の国々ともっと良好な関係を保っていかないといけないのでは、と思います。第二次大戦中、日本は周辺諸国に対して加害者だったという歴史的事実が消えることはないのに、今の日本はそれを忘れて、アジアの人に反発や不安を引き起こしつつある存在になっているのではないかと、危惧しています。考えすぎでしょうか。
 アジアだけに眼を向けていればいい、というつもりはありません。世界が狭くなっている昨今、日本もやはり、さまざまな場面で国際社会の一翼を担うのは当然とは思うのですが、帝国主義的なアメリカに盲信的に追従するのではなく、過去の歴史の反省の上に立ち、憲法第九条を持つ平和主義国家として、独自の方法を模索していかないと、世界のどこに行っても「主義主張のない国」としてしか評価されないのでは、と思います。


2004年04月14日(水) 人の心の痛み。

 旧暦閏2月25日。
 人質の家族の方々が、みんなに迷惑を掛けて申し訳ないと謝っている。そんな必要ないのに。確かにみんな心を痛めて心配しているけれど、家族の人達に謝って欲しいなんて思っていない。ただただ3人が無事に帰ってきてくれればそれでいいと思う。家族達は人質となった3人のことだけに集中していればよいのだし、無神経で無責任な中傷や悪意や嫌がらせにまで気を遣う必要なんてない。ただでさえ身体も精神的にも疲労が限界にきているのに、無責任な外野にまで神経を使う必要なんてないよね。
 今こういう立場にある人達を謝罪させなきゃならない日本の社会って、やっぱり寒いと思う。人の心の痛みを思いやれぬほど想像力が枯渇した人もいるのだろうかと悲しくなる。多くの人はそうではないのだけれど。。。


2004年04月13日(火) 戦争の真実を見る眼。

 旧暦閏2月24日。
 また寒くなった。

 寒いのは日本人の心の中でもあるかな、と思う。まだ解放されない人質家族に中傷や非難の声。なんとも寒い世の中だと思う。一部の人達だと思うけど、あまりにも無神経で無責任だ。平和ボケして政治にも国際情勢にも無関心、自分の娯楽にばかり関心が向いてる人達がいる一方で、危険な場所にあえて足を踏み入れ、助けを必要としている人達に手をさしのべ、真実を私たちに伝えようとしている人達もいる。高遠さんに助けられ彼女を心から慕っているイラクの子供達がいる。郡山さんが自分の足で撮って回った写真が週刊誌に掲載されて、私たちはフセイン政権崩壊やイラクの現実の様子を見ることができた。今井さんが自分の目で確かめようとした劣化ウランの問題は、実は政治家がないがしろにしてはいるけれど非情に恐ろしい問題をいくつも孕んでいる。アメリカが使用を隠そうとし(最近ようやくイラク戦争でも使用したことを認めた)、大手の新聞やテレビが詳しく報道しようとしない劣化ウラン弾の影響、例えば子供達の健康被害や環境汚染について、写真や詳細なルポで遠く離れた私たちに現実を教えてくれるのは、政府でも大手のマスコミでもない、危険を冒して現地を這いずり回ってくれている人達だ。そういう人達がいなければ、果たして戦争の現実は正しくこちらに伝わってくるだろうか。生命の危険を冒してまで現地に行くべきだ、とは思わないけれど、でも、実際そうやって行った人達のおかげで、私たちは政府や大手マスコミ主導の偏った報道からだけでなく、現地のもっと生々しい、多角的な視点に立った情報を得ることが出来るのだと思う。この先、イラクでアメリカ軍が使用した劣化ウラン弾の問題が必ず表面化してくると思う。放射能の影響で肢体に傷害を持って生まれた子供達や白血病の発症、死の土地になった場所、アメリカ軍兵士、それから劣化ウラン弾が使用されたサマーワで活動した自衛隊員。目を背けて真実を知ろうとしない人は見なくてもすまされる。でも、戦争の現実を直視し、真剣に考えようとする人ならば、危険を承知してまで、日本での安全な暮らしを捨ててまでイラクに行った彼らの行動を、無責任だとか自業自得だなどと非難する気にはなれないはずだと思う。
 人質になっている3人を失うのは、私たちが戦争の真実を見る眼を失うことと同じだと思う。


2004年04月12日(月) 無理矢理かぶせたティンガロハット、その後。

 旧暦閏2月23日。
 朝晩の自転車通勤が気持ち良い季節。
 冬の間ぶくぶくついた脂肪を落としていかないと。。。

 長期化するのかなあ、イラクの人質事件。人質も家族も、体力的にも精神的にも限界がきてしまうのではないかとニュースを見ながら不安になる。これが自分の家族だったらと思うと、やっぱり他人事とは思えない。
 
 アメリカが、まるでタガが外れたようにイラク人を殺しまくっているように見える。たとえ「狂信的」(私にはそうは思えない)に思えても、「過激派」と呼ばれる人々であっても、イラク各地で起こっているのはアメリカの占領に対する抵抗運動ではないか。多くの市民も巻き添えにして、アメリカがファルージャで行っているのは大量虐殺ではないか。自国を異教徒の手から守ろうとするのはイスラム教徒の人達にしてみれば当然のことだと思う。これ以上イラクの人達やアメリカ軍兵士の犠牲者を増やさないで欲しい。過激派でも武装勢力でも、イラクの人民には変わりない。よその国の軍隊が無理矢理排除したり弾圧したりすることが果たして許されるのだろうか。結局アメリカは自分たちに都合の良いイラク人しか認めない。彼らの社会のあり方をもっと尊重すべきと思う。一国も早く国連主導の復興支援に移行して、フセイン崩壊後のイラクの市民社会の現実に即した統治を模索し始めないと、イラク戦争は終わるどころか、どんどん泥沼化する。アメリカはベトナムと同じ轍を踏むことになる。
 一年前、無理矢理バグダッドの上にかぶせたティンガロハットの隙間からあふれ出たものが今アメリカ軍を悩ませている。結局暴力は暴力しか生み出さない。戦争もテロも、勇気を持ってそれを断ち切らない限り、永久に連鎖し続ける。


2004年04月11日(日) 無事に解放されることを祈って。。。

 旧暦閏2月22日。
 
 明日の朝起きたら、イラクで拘束された3人が無事に解放されたというニュースを、ようやく見ることができるだろうかという不安と期待。今朝起きて知ったニュースに誰もが喜んだのも束の間、今日1日はなんとも長く感じた。家族の方々の心労を考えると本当に気の毒としかいいようがない。24時間以内の解放を伝えたニュースからすでに21時間。現地の状況の複雑さを考えれば、まだまだ楽観できない。どういう情報がどこまで真実なのか、人質や家族はいつ安堵できるのだろうか。

 「外相ビデオ自衛隊部分の削除要求『反感あおる』と家族」朝日新聞の記事。川口外相が反抗グループに向けてメッセージをビデオに録画。その中で、自衛隊もイラク復興の為に派遣されているのだという主張を入れたため、人質の家族らが、かえって犯人を刺激して人質の不利になるので削除するよう要請したけれど外務省はこれを拒否。BBCなどで放送された。これに対してイラクの友好団体から「人質解放の道を閉ざす危険性がある」と警告があったそうだ。
 高遠さんの弟さんではないが、まさに人質家族と政府の「温度差」を感じずにはいられない。あまりにも鈍感で配慮を欠く。

 小泉首相に直接会いたいと人質家族が何度も希望しているのに、「今は会えない」というのはどうしてか。自衛隊撤退に応じることができないからか。そのつもりならそのように首相の口から家族に直接伝える位の気持ちはないのか。回転扉の事故で子供が亡くなった六本木ヒルズの現場に花束を持って行ったのは、国民の視線を意識した単なるパフォーマンスだったのか。現に今、命を反抗グループと日本政府の手の中に握られている人質の家族が、首相のすぐそばまで来ていて、しかも会いたいと懇願しているのに、それでもかたくなに会おうとしないのは何故か。例えば人質が政府高官の家族だったら、あるいは自衛隊員だったとしても、同じ対応をとるのか。

 今回の人質事件を巡る政府の、即座に自衛隊撤退拒否を表明し一貫して毅然とした対応を高く評価するコメントが、NHKで流れていた。終始一貫した政府の対応というのは確かに重要だけれど、だけど、その対応の根拠を考えると、それで良いのかという疑問がつきまとうのが今回の人質事件と自衛隊派遣問題。そしてただただ単純に思うのは、日本政府は一市民を救ってはくれないんだな、ということ。ダッカ事件の教訓、というのも分かる。政治は非情、というのもよく言われる。それもある意味では理解できる。
 だけど、それでもやっぱり、救える命なら最大限の努力をして欲しいと願っています。
 


2004年04月10日(土) この場合の国際社会って。。。

 旧暦閏2月21日。

 今自衛隊を撤退させれば日本はテロの脅しに屈して自衛隊を引き上げた国ということで国際社会の信用を失う、という意見もある。けれども、そこで言われる国際社会というものの枠組みが、こと今のイラク情勢を中心に見据えた場合、それぞれの立場によって曖昧だし、また偏ってもいるのではないだろうか。イラク戦争の意義そのものが大きく問われている現在、十分な議論も持たずに行われた自衛隊派遣もまた、当初からその意義を国内外において大きく問われてもいる。大手新聞の社説が一様に、即時撤退は国際社会の信用を失う、と主張しているけれど、そもそもその国際社会が、日本が国益も視野に入れて当面協調していかなければならない国々との社会のことなのか、それともそういう垣根を乗り越えたところにあるさらに広い意味での国際社会なのか、自らの位置から周囲を見回しただけでは見えない部分があまりにも多いのではないか。国際社会に善や悪や正しい間違っているの明確な基準を設けることはできないし、宗教や民族が多種多様であるのと同様、信じがたいことだけれどこの世での命の重みについてまでも様々な考え方がある。いわんや一国の価値観を他国に強制することなど、とうてい不可能である。
 そういったことを踏まえて、いつまでも終わらないイラク戦争を、この先どのような国際社会や国際世論を意識しながら処理していくのか、また関わっていくのか、難しい問題だけれど、日本もここで改めて考え直しておくのは、決して無駄ではないと思う。
 国際社会というものを、日本政府よりもさらにグローバルに巨視的にとらえて、その上で微視的なレベルで地道に動いていた一例として高遠さんや今井さんがいるのではないか。政治が持ち得なかった視野と行動力を持ち、政府がなし得なかったことをしていたのが今人質となっている3人ではないだろうか。
 その3人を、危険な地域に勝手に行ったのだから自業自得だなどと非難するのは、あまりにも短絡的だ。

 いろんな考え方があるとは思うが、3人を救う一番確実な方法が自衛隊の即時撤退ならば、政府がそれも視野に入れて今回の事件に対処すべきと思う。自衛隊を撤退させ、新たな復興支援のあり方を検討し、貢献していくならば、国際社会の信用をなくすことはないと思う。
 
 こちらのサイトの真ん中のほうに、3人を救うために自衛隊即時撤退を求める緊急署名のコーナーがありました。
 WORLD PEACE NOW.JP


2004年04月08日(木) まさか見殺しにはしないですよね。。。

旧暦閏2月19日。

 イラクで3人の日本人拘束。3日以内に自衛隊を撤退させないと殺害するとの予告。武器を持たない民間人を拘束して殺害をほのめかすなど、決して許される行為ではない。
 ・・・いろんな意見があると思うけど。とにかく3人とも一刻も早く無事に解放されますように。。
 3人とも、イラクが安全な場所ではないということは十分分かっていたと思う。でも、皆、日本が自衛隊派遣を決める前からイラクとそれぞれの形で繋がりを持ち、それぞれのやり方でイラクの人達を支援してきたんだと思う。自衛隊派遣とは別の次元で、自分たちに出来る精一杯の支援活動を続けてきた人達なんだと思う。なかなか出来ることじゃない。
 アメリカの主張する大義名分になんの疑問も持たずに金魚の糞よろしく追従する日本政府が、国内の世論を二分するほどの重大問題なのに、ろくな議論もせずに自衛隊派遣を強行。米英で今イラク戦争や9.11テロに関する疑惑があれだけ噴出しているのに、相変わらず自分の頭で考えない日本政府を、先日イギリスの新聞が社説で、日本の指導者は外交問題でもっと積極的に発言すべきだと揶揄したほど、自分の意見を持たない日本の政府。そのくせ国民を小ばかにしたニヤニヤ答弁を繰り返し無理矢理送った自衛隊は、蓋を開ければ武装したアメリカ兵を輸送してた。武装兵を運ぶのが人道支援なら当初の説明とぜんぜん違うんじゃないの?しかもいつ国民の気持ちを確かめたのか、スペインの列車テロを受けて小泉首相、「日本国民はテロと戦う覚悟がある」。
 首相の言うテロと戦うっていうのは、どういうことなんだろう。暴力行為や破壊行為はイスラムの過激派と同様アメリカ軍も行ってるじゃないかって思う。イラクはまだまだ戦争状態だし、その原因を作り出してるのはアメリカやイギリスを中心とする占領軍だ。イラクの人達が、たとえ一時はフセイン政権の崩壊を喜んだとしても、キリスト教徒の国であるアメリカの支配をいつまでも甘んじて受けることを屈辱と思うことくらい、簡単に想像できたはずなのに。それでも様々な思惑があってたぶんいつまでも撤退しないアメリカ。小泉首相の意図するテロとの戦いというのは、要するにどこまでもアメリカの言う通りに、日本の国益を一番に考えて振る舞うということであって、真の意味での暴力や破壊との戦いとは言えない。思惑まみれの自衛隊派遣によって、現地の自衛隊員に犠牲が出るのも、日本国内でテロが起こるのも、海外で民間人が危害を被るのもどれも嫌だ。今回たとえこの3人が拘束されなかったとしても、自衛隊に犠牲者が出る可能性も否定できない状況に向かって、今のイラクはどんどん悪化しているわけで。
 3日以内に自衛隊を撤退させなければ拘束した3人を殺害するとのことだけど、小泉首相、まさか撤退しないなんてことはないよね?方針は変えないとのことらしいけど、本気で3人を見殺しにするつもりじゃないでしょう?
 現地の自衛隊員には罪はないけど、アメリカの大義名分に乗っかって派遣した自衛隊と、身体張って草の根レベルでイラクの人達の支援をしていた民間人、どちらが本当の人道的な復興支援なのか。それを教えてくれる若者3人を、まさかこのまま見殺しにはしないですよね?
 


2004年04月07日(水) 半べそ

 旧暦閏2月18日。
 すいません、日記、書かなくて。。
 ちょっと、頭の中が疲れちゃったみたいで、甘えなんですけど。
 
 もうあと数ヶ月で、35歳になるんですが、自分はこれでいいのか、いけないだろう、なんでおまえはいまだにこんな駄目な人間なんだって、自問自答しちゃって、情けない気持ちでいっぱいです。
 精神的にも、社会的にも、経済的にも、ぜんぜん一人前でない。新しい自分の家族もない、子供もいない、中途半端な立場で会社につながってるだけ、自分の食い扶持稼いでるだけ、私でなくても誰にでも出来る仕事を毎日不器用に四苦八苦続けてるだけ。妹や同世代の友人達が子供を産んで世界が広がったと活き活きと話すのも、会社でみんなが仕事に夢中になっているのを見るのも相当ツライ。だけど今自分がこうしているのはすべて自分が選んだ結果なのだから自分の責任。誰かが悪いわけでも、世の中のせいでもない。「負け犬」という言葉が流行してるみたいだけど、最初はアホか、と思って深く考えなかったけど、別に土俵に上がったつもりはなかったんだけど気が付いたらどうやら自分は知らぬ間に土俵に上がり込んでいつの間にか転がり落ちてしたたか腰を打って下でのびていたようで、ということは自分はやっぱ「負け犬」の中の1匹なのかあと思い至った。人生に勝ち負けもないんだけどさ、だけど世の中がそう分類したがってるなら自分は負け組にいるんだな、もちろん。でも、私には勝ちたい相手がいるわけじゃない。誰かを負かしたいわけでもないし、やっぱ、おかしいよ、「負け犬」とか「勝ち組」とか「負け組」とかつけるのって。人生って相対的にみるもんじゃないでしょう?
 でもやっぱり他人の人生も羨ましく思えたりする。外面も内面も成長してない自分にうんざりする。なのに、年齢と実家の問題と身体の問題と将来の経済的な問題だけはしっかりついてくる。あと5年で40歳だ。40歳になっても今より成長してない自分だったらと思うと、ゾッとする。。

 だけど、半べそかいててもしようがない。ぶきっちょはぶきっちょらしく、芽が出ようが出まいがそんなことは取りあえず考えないで、毎日一歩でも二歩でも前進していくしかないんだと思います。だいたい一度に二つ以上のことを掛け持ちできない不器用であるからして、今は目の前にある登り掛けの山をちゃんと登り終えることに集中しなきゃ、って思います。まだ登山口で背中の荷物背負い直している段階なんだから。。他人から見ると低い山かも知れませんが、自分にとっては高いです。それでも構わないから、ちゃんと自分の山登っていかないと。
 時間は残酷です。
 

 


2004年04月04日(日) 人は何故同じ失敗を繰り返すのか?

 旧暦閏2月15日。
 情けない話ではありますが、NHKのラジオ語学講座、毎年春になるとテキスト買うんですが、続いたためしありません。なのに、なのに、3月、書店に積み上げられたテキスト達を見ていると、今年こそ続けたる!なんて妙にむくむくはりきり魂が沸いてきて、買っちまうんです。で、最短3日、長くてせいぜい3ヶ月で勉強頓挫してしまう。3ヶ月も続けばましなほうです、私の場合。。。お恥ずかしい。
 で、こんなこと書くってことは、つまり、その、また買ってしまったんですね、今年も。しかも、よせばいいのに「ビジネス英会話」を。以前の杉田先生の「やさしいビジネス英会話」(ぜんぜんやさしくなかった)に比べるとずっとやさしい内容になっているんですが、だいたい私、英語からだいぶ遠ざかっていたもんで、元々中学生レベルの単語の羅列でなんとか相手に理解して貰っていたような会話能力しかなかったのに、さらにレベルが落ち込んでます。だって、先日会社にかかってきた英語の電話、第一声を聞いただけで思わずそばの部長に回してしまったんですよね、がはは。英語を聞くと激しく拒否反応起こすようになっちゃったわけです。
 じゃあ、「ビジネス英会話」じゃなくて、それよりやさしめの他の講座にすればよいのですが、いかんせん、放送時間が自分の生活サイクルと合わない。まさか自転車に乗りながらラジオ講座聞くわけにも行かないし、夜の放送はどうしても残業か大学の授業と重なってしまう。となると、夜の10時45分から放送の「ビジネス英会話」しか聞けないんであります。録音?別売CD?とんでもない!私の性格では、そんなものに頼ってしまうと、毎日ちょっとずつ聴こうという気持ちがいつの間にかしぼんでしまうのです。ついつい甘えてしまって。。英語の学習は、ネイティブの発音で同じセンテンスを何度も繰り返し聴くのが効果的なのは知っているんですが、その時間を作り出すのは今の私には無理です。とりあえずは、番組の放送時間に合わせて、ラジオの前に座る、ということから習慣づけようと思います。犬の訓練だなまるで。・・・それから、「ビジネス英会話」は、2日続けて同じ放送をやり、週3レッスンとなっているので、たとえ1日聞けなくても翌日チャンスがあるわけです。それに、2日続けて繰り返し聞けば私のトロい頭にもまあ効果的かと。
 ・・・しかし、明日からの放送開始を前に、すでに続ける覚悟がなくなりかけている私。この根性なしめが。。(^^;)


2004年04月03日(土) 石神井川の桜並木

 旧暦閏2月14日。
 銭湯のおばちゃんから教えてもらった石神井川沿いの遊歩道をポタ子に乗ってズーッと走ってきました。といっても、もの凄い数の人が川沿いを歩いていたので、その歩調に合わせてのんびりゆーっくりの自転車旅でした。
 
 JR板橋駅のあたりから川沿いに入って、王子方面までトロトロ行きましたが、おばちゃんが教えてくれたとおり、すんごい数の桜の樹。薄桃色のカーテンの下を、桜貝のような花びらが川面に流れる様子を追うように、皆楽しそうに歩いています。花にむせかえるほどぎっしりの桜並木。特に板橋のほうは圧巻です。橋の上から眺める風景は、春の絵巻のようで溜息が出ました。飛鳥山の麓まで川を下って、そこでUターン。飛鳥山も相変わらず盛り上がっていました。
 最近は、時間が出来ると、デジカメをリュックに入れて、江戸の名残を探して都内あちこちを散策しています。道ばたのお地蔵さま、庚申塚、冨士講の碑、祠、小さなお寺や神社、史跡。文庫本になった「江戸名所図会」を持って、掲載されている名所を実際に訪れて今と昔の様子を比べてみるというのも結構楽しいです。特に、庶民信仰に関わるものは地域の人達の手によって大切に守られてきたのが多くて、ほんとに面白いです。。。


2004年04月02日(金) 近所の居酒屋。

 旧暦閏2月13日。
 やっと金曜日だー。
 残業終えて、くた〜っとなって帰ってきて、じゃあ今夜は早めに寝るか、それとも一杯やるかで選ぶとなると、後者を選んでしまう。金曜だと。
 銭湯を出て、近所の居酒屋に入ってみた。
 女性1人でゆっくり静かに飲める処ってほんとに少ない。居酒屋や焼鳥屋の雰囲気が好き、でも、1人で入ったときは、カウンターの片隅で、周囲の喧噪を何気なく聞き流しながら、誰にも話しかけられずにのんびり安心して飲みたい。そういう望みはワガママなんでしょうか?だけどオヤジ1人で来てしんみり飲んでサッと帰る人もいるじゃん、女性がそれやって悪いってこともないべ。と、いつも考えていた。そういうのって、すんごい憧れ。ところが、残念ながら、女性がそういう呑み方を出来る店ってなかなかない。1人で入っていくと、ドアを開けたとたん、店主や客に、「お」って顔されて注目され、店主が気を遣ってあれこれ話しかけてきて、そのうち周囲の客も加わって(皆1人で寂しく呑ませちゃいけないと気を遣うらしい)、女性相手の話となると結局恋愛や結婚の話になって、挙げ句、他人の恋愛観結婚観なんかにも首をつっこんでくる。だいたい1人で呑みに行く女性には何かしら事情があるんでしょう、みたいな感じでいろいろ根掘り葉掘り詮索されて、余計な説教されて。最初はそれも楽しんで聞き流せるけれど、そんな酒の席でしか会ったことない人達に、自分のことそうやすやすと理解されてたまるか、という気持ちもこちらにある。だいたい、酒を呑むと人は自分の考えを人に押しつけたがる。1人で呑みに来てる独身の女はそういうのにいい対象になってしまう。
 なもんで、自分の結婚観を押しつけてギャーギャーわめく女主人のいる焼鳥屋では平和な独り呑みはできんと見切りをつけて以来、もう何ヶ月も1人でどこにも呑みに行かず、もっぱら自宅で週末に呑むくらいでした。
 だけど、週末仕事を終えて帰る道すがら、ふと思うわけです。自宅で呑むのもいいけど、たまには居心地のいい居酒屋の片隅で、おしんこつつきながらちびちび呑みながら、文庫本読みたいなんて。毎日通るお世辞にも綺麗とは言えない居酒屋の前で、夜中に看板片づけに出る店主のおじいさん見かけるたびに、ここなら静かに呑めるかな、と思いつつ、自分にしては珍しく躊躇し続けていました。
 でも、今夜は決心して、銭湯からあがって11時ちょっと前にその居酒屋に入ってみました。おじいさんと、おじいさんより少しお若いおばさんのご夫婦で切り盛りしていて、小さな居酒屋です。常連とおぼしきおじさんがカウンターに座っているだけでお客は他にいません。そう、いつもあんまりお客入ってないっぽいんだよね。それもまた嬉しいかも。なので奥のテーブル席に座り、焼き鳥(これがそこんじょそこらの焼き鳥屋より美味しかった!)や煮込みをつまみにお酒を呑みました。呑みながらずっと藤沢周平を読んでいた。12時までの1時間ちょっと、時々料理を運んでくるおばさんと一言二言料理やお酒の味について言葉を交わす以外、誰も邪魔しない。藤沢周平の市井ものを読みながらしんみり考え込んだり、煮込みに箸をのばしながら、ちびりちびりと原酒を呑む。最高に幸せです。
 生意気ながら、私の考えるよい呑み屋というのは、誰かと話したくて来たのか、それとも1人で静かに呑みたいのか、客のニーズに合わせた環境を提供してくれる店ではないかと。。。と、これは、お酒の呑み方を教えてくれた人に教わったことでもありますが。
 聞くと、そのお店には女性1人で来て静かに呑む人も結構いるとのこと。なので遠慮なくまた来てくださいとご夫婦に笑顔で言われた。いいところ見つけたかも。
 お店は12時までやってるし、自宅まで歩いてものの2分もかからない。なので、残業終えて銭湯からあがった週の終わりに、文庫本持って1時間くらい呑みに行くのにちょうどいいです。せいぜい月に2回くらいしか行けないだろうけど、とりあえず安住の店みつけて一安心。


2004年04月01日(木) チロリロリ〜ン

 旧暦閏2月12日。
 4月になってもなーんも嬉しくない。嫌な大人になったもんだな(-_-)
 とにかく今は少しでも早く帰宅したいです。なのに、要領悪くて仕事なかなか終わらない。決算はなんとか乗り越えられそうだけど、4月はもっと忙しいので怖いです。脅迫観念に駆られながらもとにかく目の前の仕事片付けていくしかないです。頑張らねば。・・・でもホントは逃げたい(弱気)。
 
 

 近所のお寺の塀の上でくつろいでいたまだ子供の猫。
 通りかかったついでに声をかけたらびっくりして逃げようとしたんだけど、私が携帯電話のカメラを向けたら「チロリロリ〜ン」という音に反応。「ん?」という顔で塀の穴からこちらを覗いたところをすかさず「チロリロリ〜ン」。そしたらさらに興味を持ったらしく、今度は塀の上からそ〜っと顔を出してこちらの様子を見ている。なのでもいちど「チロリロリ〜ン」。きゃつめ尚更わくわくしたらしく、塀の向こうからさらに伸び上がってこちらを見下ろしている。一体塀の裏側で足はどんな格好してるんだ(笑)。次の「チロリロリ〜ン」でいてもたってもいられなくなったらしく、今度は塀の穴から首を出さんばかりにこちらを凝視。あらお前、結構ぶさいくな顔してるじゃん(注:お互い様)。
 しばらくかまってあげたかったけど、先を急ぐ身ゆえ後ろ髪引かれる思いでその場を後にしました。
 ちょっと寂しそうに見送ってた。
 ごめんちょ。


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