あたろーの日記
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2004年03月29日(月) 春眠

 旧暦閏2月9日。
 あと2日で3月が終わってしまう。
 今年もう4分の1過ぎたわけですな。
 今朝、異様に早く目が覚めて、眠れなくなってしまい、布団の中でもんもんとしていて、そんなことに気がついて愕然とした。
 今年も残すところあと9ヶ月ですかっ。
 やばいです。今年やろうとしていたことの20分の1しか進んでない。いや、そこまで行ってないかも。
 慌てて布団から出て、手帳を開いて改めて計画立て直した。
 会社に行ってると、会社の業務の締め切り日に追われて、それが無事に済むとほっとして脱力する。毎月その繰り返し。だけど、あたりまえだけど、会社は自分の将来の面倒を見てくれるわけじゃないし、保証してくれるわけでもない。
 会社は会社、プライベートはプライベートでそれぞれちゃんとやらないと。
 ・・・と、思いました。
 が。
 なんせ、眠いです。


2004年03月28日(日) 飛鳥山

旧暦閏2月8日。
今日もぽかぽか陽気。

 ポタ子(MTB)に乗って、北区の飛鳥山公園に花見に行ってきました。
 途中どこかで焼きたてのフランスパンとワインの小瓶買って、桜の下でかじろうなんて思っていたのですが、どこでどう計画が狂ったのか、気がついたら焼き鳥とビール買ってました。
 
 飛鳥山の桜は、八代将軍徳川吉宗が植えた1270本が始まりだそうです。当時、桜の名所として上野が有名だったけれども、寛永寺の境内ということもあり、歌舞音曲はもとより飲酒は禁止、時間も日中に限られており騒ぐのも駄目という制約があったので(今の上野を江戸時代の人が見たらびっくりするだろうなあ)、吉宗公は飛鳥山に桜を植えることにより庶民に行楽の場所を提供したのだそうです。余談ですが、3月8日の日記でちらっと書いた「花暦八笑人」の舞台にもなっています。
 私は飛鳥山初めてだったので、今日は「江戸名所図会」と「江戸切絵図集」(いずれもちくま学芸文庫)を持参して、焼き鳥食べながら江戸時代の飛鳥山と地形や賑わいの様子を比べることにしました。
 
 飛鳥山は今も昔も周囲より小高い丘になっていて、周りを見渡せる場所なのですが、やっぱり、周辺の風景は江戸時代とは全然違います。飛鳥山を描いた江戸時代の錦絵からも、江戸名所図会からも、飛鳥山から富士山が望めたことが分かるのですが、現代では当然ビルの向こうに隠れて見ることが出来ません。空気も汚れてしまったし。飛鳥山の脇を走る本郷通り(旧岩槻街道)、馬から自動車に変わってるし(^^)その通り沿いは江戸時代には料理屋が並び、その向こうはずっと畑や田んぼだったらしいのですが、今は住宅地です。その反対側、王子方向を望むと、JRの線路があって、新幹線が走っています。隅田川は高い建物の向こうに隠れて見えません。ちょっと悲し。
 飛鳥山にある北区飛鳥山博物館で買った「飛鳥山」というブックレットの表紙、勝川春潮の「飛鳥山花見」に描かれている石碑と同じアングルで写真を撮ってみました(笑)。勝川春潮のほうはちょっと上品ですが、他の絵を見てみると、江戸時代の人達も結構羽目を外していたことが分かります。仮装したり(・・・はあんまりいないか)、三味線で歌い踊ったり、敷物の上でお重広げてたりするのは、今も昔もだいたい同じだなあって思いました。しかし、それにしても、昨日青山霊園で静かなお花見をしたばかりだったので、飛鳥山の喧噪はもの凄く耳に響きました。子供の飛び回る声、ギターで歌う若いグループ(即興の花見の歌、面白かった)、いまだにイッキ飲みやってるグループの騒ぐ声、町内会?ご近所グループ?の家族連れ。大学のサークルっぽい集団。飛鳥山が小さく思えるほどぎっしり集まった花見客。みんな楽しそうにプッツンしてました。こんなに楽しいと明日仕事に行くの嫌になるんじゃないかって余計な心配してしまった。
 時代は変わっても、人間はきっと変わらないんじゃないかなって思います。人の喜怒哀楽は、江戸時代も現代も、基本的に通じるものがあるのだろうという気がします。周りの景色や着る物、食べるものが変わっても。制度が変わっても。桜の樹の下で気持ちが高揚し、てんやわんやの大騒ぎしたり、しんみりとしたりっていうのも、昔も今も皆同じ、なんだと思います。
 逢魔が時(たそがれ時)の桜に魅せられて、幻想と現実のはざまを行き来するような怖さ、神秘に惹かれる想い。暮れかけた飛鳥山の端っこで色を変えつつある桜を眺めながら立ちつくした私が、江戸の時代にもいたかも知れないと思うと、時の流れというものの不思議を感じずにはいられません。

 そんな風に思ったのも、公園内にある飛鳥山博物館で、「狐火幻影」という企画展をやっていたからかもしれません。規模は小さかったですが、とても面白い企画でした。5月までやっているので、もう一度ゆっくり見に行こうと思います。


2004年03月27日(土) 土曜日記。

 旧暦閏2月7日。

 いやー、まったく。。。すいません。
 金曜の夜は職場の送別会で、2次会でもしこたま呑んで、気がついたら終電がなかった。。他の人達がタクシー拾ってる間に私はさっさと会社に戻って、会議室のカーペットの上に横になって寝てしまいました。それにしてもなんで終電逃すまで呑んでいたんだろう?時計見たら1時近く。。。とんでもねえ娘だ。
 朝、喉の渇きで目が覚めて、ポカリスエット飲みながら早朝の都心部を窓から眺め、もうどうしようもないほど二日酔いでつらかったため、また2度寝に入った。9時半過ぎに再び目が覚めると、土曜出勤の人が出社してきて、お恥ずかしいったらありゃしない。
 その後「なか卯」で朝定食を食べて(納豆ゴハン美味しかった〜)、そのまま帰宅するのも勿体ないので、会社近くの青山霊園に花見に行きました。午前中だったせいか、まだ人もまばらでしたが、満開の桜もちらほらあり、その下にはちゃっかり青シートひいて場所取りの人がごろごろ寝ていたり、おばちゃん達がベンチに座ってお菓子広げてくっちゃべってたり。墓地なので、お参りに来る家族連れや喪服の一団とお坊さんが納骨に来ていたり、春うららな穏やかな陽の下で、桜の花のおぼろなピンクとグレーの墓石と、家族の顔と・・・なんだか心休まる光景だなあって、ゆっくり歩き回ったり座り込んだりしながら思ってました。
 墓地を歩くのは結構楽しいものです。以前近所のお寺の墓地を勝手に歩き回って散策していたら、住職さんにこっぴどく叱られたのでもうしないように気をつけていますが。。確かに、墓地にはどんな危ない人が潜んでいるかも分からないので気をつけないといけないですが、青山とか染井の墓地を桜の季節に歩くなら、同様の人も多いので、許されるかな、と思います。
 墓地って、今は亡き人達への、それぞれの家族の想いが、墓石や墓石の周りの植木なんかに現れていて、ひとつひとつ見て回ると、なんだかじーんと来るんですよね。「あ、この人は音楽好きだったんだな」とか「椿が好きな人だったんだ」とか。切手収集家だった故人の業績を讃える墓碑もあったりして、故人がどんな風に家族に想われていたのかなあなんて考えると、心が温まったりします。その子達が生まれる前に亡くなったのか、それとも後だったのか、小さな子供達が神妙な顔つきで墓石に向かって手を合わせて、若い夫婦がそれに何か話しかけている光景。子供達は次の瞬間はしゃぎながら墓石の周りで鬼ごっこを始めたり。。。人の命はこうやって繋がっていくのだなあと、目に見えないはずの血の繋がりや縁というものを目で感じたような気がしました。ところどころに、無縁墓になってしまった墓石があって、東京都の立て札が立てられており、読んでみると、この無縁墓に縁のある方は申し出てください、という内容。墓石に書かれている名前を見ると、捨吉さんとか、キクさんとかとある。ああ、捨吉さんやキクさんて、どんな人生だったのかなあ、とか、彼らの血をひく人はもうこの世に誰もいないのかしら、とか、小さな墓石からいろんなドラマが想像されて、面白いし、感慨深い。
 外国人墓地もありますが、その場所に来ると、ちょっと視界が開けたようになり、十字架に混じってオベリスクの形をした墓石もあり、ここだけ雰囲気がかなり違います。そのそばで、野の花がかわいく集まっている小さなスペースがあり、オオイヌノフグリやペンペン草に混じって、白い花のタンポポが咲いていました。思わずしゃがみ込み、観察。花の付け根の総包部分が反り返っていないので日本タンポポらしいのですが、シロバナタンポポにしては小柄な気がしました。タンポポの種類も沢山あるそうですが、私には分からなかったです、すみません。どなたか、このタンポポの名前が分かる方がいたら教えてください。・・・それにしても、外国人墓地の十字架の側で、今では珍しくなりつつある日本タンポポがポツポツと。。故人が好きだったのか、それともそれ以前から咲いていた種なのか分かりませんが、どちらにせよ、死者達に静かに見守られているんだなあっていうイメージがしました。また、墓石の周囲を綺麗に区画して、隣の家の墓とはっきり境界を作っている日本の墓と違い、外国人墓地のほうは、低い草むらの中にポツポツと墓石がある形になっていて、緑と共存していました。こういうのもいいなあって、草の上に座りながらしばし見とれていました。


 青山霊園を出て、裏道から駅に向かう途中、神社の壁になんとセミが脱皮中なのを発見!はじめは、去年の夏の抜け殻だろうと思って通り過ぎようとしたのですが、にゃんとまあ、よく見ると、中身が一生懸命殻から出ようとしているではありませんか。おーい!季節間違えとるでぇ〜!と言っても当のセミ君に分かるはずもなく、彼は懸命にウニウニトロトロもがいているわけです。動きが異様に遅いのは、たぶん、彼なりに、「あれ、まだ寒いやんけ」と気がついたのかもしれない。昆虫っつうのは気の毒な身体の仕組みで、いったん服を脱ぎ始めたら思い直して着直すということはできないのですね。その点人間はラクです。春だと思って薄着になったり、寒さが戻ったら慌ててコート羽織ったり出来るわけですから。というわけで、セミ君、君は今年一等運が悪い。でもあたろーは、君の為に祈るよ、これからもう寒さが逆戻りしないように。そしてセミ君、どうか、頑張って早春の空に舞って、地域の人々にその鳴き(泣き?)声を存分に披露してくれたまえ。人間どもは、「あれ〜セミが鳴いとるで〜」と皆びっくりするだろうから。そして、地球温暖化現象がセミ君の短い人生をさらに狂わせてしまったことを、人間達に教えてください。・・・そっかあ、地球温暖化のせいなのかなあ、これも。ちょっとセミ君に申し訳ないと思った私でした。。

 で、青山霊園で花見とセミ観察(春夏一緒やんけ!)を終えて、さらにまっすぐ帰宅するのが勿体ないので、途中神保町に寄ってまた本買い込んでしまい、手荷物が増えたので、途中銭湯に寄ってようやっと帰宅。神保町の古本屋では、欲しいなあと思っていた本5巻揃が、田村書店の店頭特価セールで2500円!その隣の小宮山書店では同じ本が9000円だったので、嬉しくてめっけもんでした。新刊では全部そろえると1万5千円くらいになるので、かなり得した気分。他にも絶版の本を格安で見つけることが出来、大収穫の日でありました。

 いったん帰宅して、夕方には今度は中野に映画を観に出かけました。その途中、新宿駅で山手線から総武線に乗り換える際に、階段をボケーッとしながら降りていったら、下が血の海で、ぎょぎょっとしました。どす黒く、ところどころ泡が出来て、他のゴミと一緒になって、人が両手を広げたくらいの広さにまさに血の海が出来ていて、一瞬なんだか分からなかったのですが、そうと気づいた瞬間貧血起こしそうになった。。すぐ側の壁際では男の人が10人くらいの警察官に囲まれていて、尋問を受けているようでした。「立ち止まらないでください」と警察官に言われながら遠巻きに見る乗降客達。あれだけの血が流れたら、刺された(?)人は助からないんじゃないかと、暗い気持ちになりつつも、新宿に着くのがもう少し早かったら現場にかち合ったのかあと思うとゾッとしました。。。

 映画は「地球交響曲第二番」。先日観た「第四番」のシリーズです。学生時代に観て映画館でぐっすり寝てしまった「第二番」、今回はしっかり眼開いて最後まで観ました。佐藤初女、ジャック・マイヨール、フランク・ドレイク、ダライ・ラマ14世。
 「面倒くさいっていうのが嫌いなんです」という佐藤初女さんの日々の暮らしのあり方に、とても感銘を受けました。漬け物ひとつ、おにぎりひとつ梅干しひとつとっても、手間暇かかろうと素材が一番喜ぶ方法で作る。白神山地のふところ、1年の半分は雪に埋もれる厳しい自然の中で、春を待ちわびる気持ちを大切にしながら、人との関わり、自然との関わりを存分に楽しむ。愚痴を言うわけでもなく、自己主張するわけでもない、穏やかで温かく、それでいてとても芯の強い方なんですね。自殺を考えるほど苦しむ人達が初女さんの元を訪れて、彼女の梅干し入りおにぎりを食べて自殺を思いとどまった、というエピソード。アメリカの修道院長が初女さんのことを知り、古く由緒ある鐘を送ったこと。・・・人の為に自分の人生を捧げるというのはとても難しいです。私なんか自分のやりたいことしか考えていない。でも、初女さんは、苦しむ人、悩む人達の傍らで、彼らと一緒にいて、生きる力を分け与えながら生きている。彼女の生活の一こま一こまがまた、他の人達の生きる支えともなっている。。。そんな図式が見えてきました。
 「地球交響曲」という映画は、何か面白いものをと思って映画館に足を運ぶ向きには大きく期待はずれの映画かもしれません。だけど、こんな人もいるんだ、あんな人もいたんだ、って、画面に出てくる人達の生き方や言葉になにか勇気づけられ、生きる力を分けてもらえる、そういう映画かなっていう気がします。私これから何度も観に行くだろうなあ。

 映画のあとは、会場でお会いした職場の方とその娘さんとで中華料理を食べに行き、しばし楽しい歓談でした。中国屋台風のお店で、店員さんもお客さんも中国人の人が圧倒的に多く、炒め物どれも美味しい!・・・で、紹興酒飲んでしまった。二日酔い治ってなかったですが(笑)。でも美味しかった!友達とグループで来るにも最適の店なので、今度また行きたいです。


2004年03月25日(木) 銭湯は情報の交差点

 旧暦閏2月5日。
 
 雨が続く。
 2番目に多く行く銭湯は、入り口が男女で分かれていて、ガラガラと戸を開けると両方の脱衣所の真ん中に番台があって、そこにおばちゃんが座っている(たまーにおじちゃんの時があってびっくりする)。おばちゃんはいつもにこにこ、明るくて、楽しい。あの銭湯では、いつも常連さん達とおしゃべりの花が咲いている。おばちゃん達は孫や健康の話題、仕切りの向こうのお兄さんは嫁さんの話、在日外国人のお姉さんは仕事の愚痴・・・番台のおばちゃんの笑顔を見ると、何故かほっとして、おしゃべりになるみたい。
 私も、そう。どうせその後帰宅すれば明日の朝会社に行くまで何時間もむっつりするんだもの、脱衣所でおばちゃんと他愛ないおしゃべりが、ひととき、心を和ませてくれる。
 今夜は近隣で桜が綺麗な場所をいくつか教えてもらった。一枚一枚ゆっくり服を脱ぎながら、飛鳥山や滝野川沿い、染井霊園、板橋の方向とか、四方八方の桜処の話にうんうんうなずく。銭湯って、その土地でずーっと営業してる&いろんなお客さんが来ておしゃべりに花が咲く、という理由で、情報の交差点みたいな場所なんですね。特に、番台があっておばちゃんの人柄がいいと。。
 銭湯文化にも、十分捨てがたい魅力があります。


2004年03月24日(水) 長さん

 旧暦閏2月4日。

 小学生の頃、両親の方針で夜8時以降テレビを見ることを禁止されていた。友達に言うとびっくりされたけど、「人の家は人の家、我が家は我が家の決まりがある」とぴしゃりと押さえつけられて兄弟3人おとなしく従っていた。夜8時になると「子供は風呂に入って寝る時間だ」と言われてすごすごと引き下がっていたのです。あの頃は学校で友達の話題についていけず、(なんでウチだけ・・・)といじけてましたが、今になってみると、テレビなしでも十分生きていける娘に育ててくれた親に感謝してます。
 で、そんな我が家でも夜8時以降も見て良い番組が「8時だヨ!全員集合」でした。土曜の夜は、「まんが日本昔話」と「8時だヨ!・・」という流れと、明日が休みだという幸福感でいっぱいの私でした。
 最初のドタバタ劇と、最後のみんなでやる合唱が好きだったなあ。志村けんがいつも変なことして、長さんに叱られて。合唱団ではお決まりの白鳥のついたバレエの衣装の志村けんを、長さんが「何やってんだおまえ」とか言いながらハリセンで叩くところ。パターンは分かり切ってるんだけど、なんか愉快で番組が終わるのが嫌だったなあ。番組の思い出もあるけれど、「8時だヨ!・・」見ながらクリスマスケーキ食べたりしたのもなんだか頭に残っているなあ。
 長さんて、「みんなのオヤジ」って感じがする。長さんになら叱られても素直に納得できるような気がする。っていうか、長さんに叱られてみたいって思う。子供の頃ドリフを見て育った人なら、同感してくれるような気がする。居酒屋であぐらかいて一緒にお酒呑みながら「なにやってんだよおまえは」ってなふうに。・・・志村けんや仲本工事らドリフの他のメンバーのドタバタ大馬鹿ぶりにけらけら笑いながら、長さんに叱られている彼らをなんとなく自分に重ねていたような感じ。叱ってくれる人がいなくなったドリフの4人の寂しさは、そのまま長さんに叱られてみたかったファンの寂しさでもあるかな・・・って気がします。

 楽しい番組をありがとうございました。
 ご冥福をお祈りします。
 


2004年03月23日(火) 聖地エルサレム

旧暦閏2月3日。
焼鳥屋さんのおじさんが、焼き鳥を焼きながら、1本1本いちいち手にとって、はさみで肉の周りをシャキシャキやっていた。友達と不思議そうに見ていたら、焼き鳥のおこげをはさみでそぎ落としているのだと教えてくれた。昔、床屋さんもやっていたそうで。よく見ると、焼き鳥の周りでシャキシャキ動かしているはさみは料理ばさみではなく、どうやら理容ばさみのようなんです。おかしくて笑ってしまいました。どうりではさみを持つ手つきがこなれているわけです。・・・それにしても、はさみでいちいち丁寧におこげを取る焼鳥屋さんは初めて見ました。

 イスラム教の聖地であり、ユダヤ教の聖地でも、キリスト教の聖地でもあるエルサレム。エルサレムという聖地によって、人間は試されているのだという想いが、中東和平に関するニュースを耳にするにつけ、頭をよぎります。どの宗教の民にとっても、決してゆずることのできない聖地をめぐって、流血の惨事は幾度も繰り返されて、多くの人が命を落としてきて、これからもそんな情勢が続くのだろうか、と暗い予感をもたらす日でした。イスラエルの故ラビン首相や、アラファトパレスチナ自治政府議長らが和平に向けて歴史的な一歩を踏み出したあの日はもう遠く過去のものとなってしまったのでしょうか、完全に。かの地は、一般的な国土の概念をもってしてはとうてい解決できない複雑な宗教的な問題をはらんでいますが、人間に、宗教や人種を超えての平和へのプロセスを学ばせる場所として神が用意したのではないかと、そんな気がします。
 ハマスをはじめとするイスラム原理主義組織が自爆テロなどの強硬手段をもってイスラエルを攻撃するのは、強大な軍事力でパレスチナ問題を押さえ込もうとするイスラエルに対する限られた対抗手段であるからで、結局、報復に対する報復の連鎖は、力で止めることなどできないのだと思います。イスラムの指導者達を暗殺していったところで、テロがなくなるわけではない、かえって激化するだろうし、そもそも、イスラエルこそ、中東でアメリカを後ろ盾に軍事力を増強させて、今では立派なテロ国家ではないでしょうか。
 パレスチナ問題は、時間をかけて話し合いで解決しなければ、永久に片づかない難題だと思います。力で一気に解決しようとすれば、ずっとずっと今の状態より良くなることはないと思います。
 そんなこと、外から見ていれば皆思いつきそうなことなのに。。渦中にあるイスラエルの首脳陣にはそんな思想は微塵もないのでしょうか。
 聖地エルサレムはこの先いつまで試練の土地でなければならないのでしょうか。


2004年03月22日(月) 都市は巨大な外部記憶装置

旧暦閏2月2日。
なんつー寒さですか。桜咲いたんですよね?大丈夫でしょうか。。。心配。

実は昨日、DVD「イノセンスの情景」を買ってしまいましたです。これは映画の中の人物を抜き去った背景だけをサントラに合わせてビデオクリップみたいに編集してあるものです。30分ちょっとの長さなんですが、作品に出てくる「択捉経済特区」という架空の都市に惚れ込んでしまった私は、もう嬉しくて溜息つきながら何度も観てます。白状すると、サントラは映画観る前から買ってしまってました(^^;)ジャズシンガーの伊藤君子さんの歌う「Follow Me」が聴きたくて。ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」が大好きで、マイルス・デイビスや天野清継さんのアレンジはCDを持っているのですが、ヴォーカルものは初めてだったので、「イノセンス」の公式サイトで予告編を観て、誘惑に勝てず、映画を観る前にそそくさと買いに走ってしまって。。。でも、このサントラ、全曲気に入ってしまいました。映画の添え物ではなく、1曲1曲の完成度がとても高く、ぞくぞくします。伊藤君子さんの歌うもう1曲の「River of Crystals」がとても好きになりました。リュック・ベッソン監督にエリック・セラがいるように、押井守監督に川井憲次がいるのですね。この映画と音楽が作られたことにすごく感謝したい気分です。・・・と、まだコーフンしてますが。

映画館でこの映画を観終わったとき、後ろの人達が「ぜんぜんわかんねー」とか言いながら「終わったよ」と仲間を起こしてました(泣)。トイレに行く途中通路のあちこちから「面白くなかった」「観て損した」とか言う声も。。混んでるかなと思いつつ入った映画館、とっても空いていて・・というか、ガラガラでした(悲)。で、1回の上映が終わる度にトイレに行ってた私ですが、館内見渡すと、終電までには若い人やカップルはさっさといなくなり、オールナイトで見続けたのは20代〜40代の男性がほとんどだったようです。約1名、1列目の端っこで最初から最後まで飲んだくれて椅子から崩れ落ちるように爆睡してたおじさんがいたけど。
思うに、主人公の孤独な心象風景に、自分を重ね合わせて入り込める人は、この映画、じーーーんとくるんじゃないかなあなんて思います。もちろん、エンターテイメント性も十分あると思う、それだけでも十分楽しめると思うのですが。・・・主人公のバトーがサイボーグでありながら犬を飼っている、その理由。今日も仕事しながらふと考えてしまって。きっと、観る人それぞれの「イノセンス」が、各人の心の中で組み立てられていくんだなあって気がします。
なんだかんだつらつら書いてすいません。

 昨日、まだ4時半を少し過ぎたところで映画が終わり、映画館を出たのですが、歌舞伎町が相変わらずネオンの明かりと喧噪の中にあるのに驚きました。まさに「不夜城」です。コマ劇前の広場から靖国通りまでの一帯は、たぶん日本中で一番明るい夜なのではないでしょうか。新宿駅について来た道を振り返ると、歌舞伎町の、それもコマ劇を中心とした狭い区域だけ、ありきたりですが宝石のように明るく光っていました。けれど、人工的なケバケバしい明るさの1枚裏側はとてつもなく暗い世界なんですねきっと。犯罪の起こる率も日本一だそうです。いくら気をつけていても、確かに女性1人で歩くには危ないです。なんであんなところに映画館が集まってるのか分かりませんが。
 ところが、私にとって歌舞伎町という場所は、何故か魅力を感じるところでもあります。混沌、退廃、猥雑、光と暗闇。都市に魔力(話がいきなり飛躍しますが)というものが存在するなら、それは確かにここにある、という場所が歌舞伎町なんだという気がします。都市の掃き溜めのような場所が好きです。掃き溜めの底から光を放っているような。・・・20代の頃ですが、歌舞伎町を舞台にしたロードムービー風の掌編小説を書いたことがあります(読むに耐えない代物です)。私の都市感覚って、その頃からたぶんあんまり変化してません。新潟の田んぼの真ん中からいきなり都会に出てきて、それも歌舞伎町の地下でほとんど毎日、4年近くアルバイトしていた時の経験が、今の自分の「街をみる眼」に大きく影響しているのだと感じます。
 人の手のついていない自然に惹かれる反面、人の営みのすべてをぶち込んだような都市の暗闇にも惹かれる、その相反する嗜好って一体なんなのだろうって自問しながら、歌舞伎町を後にしました。
 映画の中でバトーが云う「都市は巨大な外部記憶装置」という表現が、ずーっと頭の中をぐるぐる回っています。



2004年03月21日(日) 「イノセンス」

 旧暦閏2月1日。

 昨夜(土曜)は、ようやく映画「イノセンス」を観に行くことが出来ました。歌舞伎町の映画館でオールナイト上映されていたので、ハンバーガー買って飛び込んだのでした。20;50からの回を観て、つまらなかったらそれで帰り、面白かったらそのまま居座ってオールナイトで繰り返し観ようと。・・・で、ハンバーガー食べるのも忘れて、どっぷり朝まで見続けてしまいましたです。。。午前4:40に上映終わるまで、計4回も(^^;)

 ネタバレしない程度に感想を。
 最初の導入部分から最後まで、映像美に酔いしれました。前作「攻殻機動隊」もそうでしたが、この監督の作品でのヘリコプターの登場のさせ方がとても好きです。私が何故か異様にヘリコプターが好きなせいかもしれませんが、ヘリから俯瞰した都市の光景に惹かれるのです、とても。途中で舞台が北にある択捉経済特区という架空の都市に変わるのですが、その上空をやはりヘリコプターで回ってやがて降下していく、その場面がとてもいいです。主人公のバトーがこの都市に屹立する異様な形のビル群を「卒塔婆の群れ」と表現しているのですが、上空から俯瞰すると死のイメージの濃いチャイニーズゴシックの都市を、ゴーレムだのサタンだの、ミルトンだのと話しながら降りていくところ。それからその択捉経済特区の卒塔婆の谷底で繰り広げられている人形の祭典との対比。視覚的にまさに「度肝を抜かれる」感じがします。原色の乱舞、死と生の交歓とでもいうのか、祭りというものの本質をアニメーションで描くとこうなるのかと驚き、圧倒されました。このシーンをそばで観たくて最後は一列目に移動(笑)。
 それからやはり択捉経済特区上空をヘリで飛びながらバトーが「都市は巨大な外部記憶装置」と言う、この部分がとてもずしりと来ました。映像と言葉のコラボレーションだからこそできる表現ではないかと思います。この場面にとても大きなインパクトを貰いました。

 まだまだ好きな場面はたくさんあるのですが。。80分たらずの短い映画ですが、何度観ても厭きないどころか、回を重ねるごとに視覚から得るイメージが観る側の中に重層的に蓄積されて、観客それぞれの「イノセンス」ができあがっていく、そんな映画のような気がしました。ストーリーは特別混み入ったものではないのですが、同じ監督の前作「攻殻機動隊」を観てからのほうがやはり理解しやすいのではと思います。基本のストーリーはシンプルで骨組みがしっかりしているのですが、繰り返し観るうちに、随所に現れるメタファー(隠喩)に気づき、それを自分なりに解釈していく、という面白さもあるようです。ただ、それは、観る側の心象により受け止め方を変えることが出来る、そういうことを許してくれる懐の深い作品ではないでしょうか。この作品は、人の存在についての問題提議であり、恋愛映画であり、孤独についてのひとつの解釈であり、生命の定義を問うものであり、押井流の都市論にもなっているのだと感じました。

 アニメに限らず、映画には美男美女がつきものなのですが、この「イノセンス」には若くて綺麗な女性は1人も登場しません。モテそうな男性も出てこない。主人公は脳味噌以外は機械のおじさんサイボーグです。でも、この主人公バトー、かっこいいです。寡黙でぶっきらぼうなんだけど心の中に何か抱え込んで歳積み重ねているような。この主人公がもし若くて格好いい男性のサイボーグだったら、この映画観に行かなかっただろうなあ。あと、綺麗な女性が出てきても、あんまり興味沸かなかっただろうなあ。

 最後に、泣けます。というか、私は泣いてしまいました。1回目観たときはじーんと来ても涙が出なかったのに、2回、3回と観るうちにうるうる度が増してきて、4回目は明け方だというのにざあざあ大雨状態(大げさですが)。

 また観に行きたいので時間が出来たら映画館に足を運びます。大きなスクリーンでないと、この映画の凄さって分からないんじゃないかな、って思います。。。。。この映画、大好きな映画の1番か2番(私の中では「ブレードランナー」を抜いてしまった・・・)になったので、またそのうち蘊蓄書かせてくださいm(_ _)m


2004年03月20日(土) 生まれた家と、もしかすると還って行く家。

旧暦2月30日。
春分なのに、東京は朝から雨。昼前にはみぞれに変わった。
3月20日。
地下鉄にサリンが撒かれた日。
イラク戦争が始まった日。

ヒトが地球上に存続していく限り、こうして忌まわしい出来事がカレンダーに刻まれ上書きされ続けるのだろうか、と、いつも乗る地下鉄の車両の片隅でぼんやり思っていたのでした。天体の運行の中に黒い記号を落としていく作業は、ヒト科の宿命として予め仕組まれたものなのか、それとも単なる偶発なんだろうか。占星術が未来にまで行われていたら、今の時代の混沌をどう俯瞰するのだろう。
未来にも国家というものが存在したとして、学校や教科書も(形を変えてにせよ)やっぱりあるとしたら、21世紀はどんな時代として子供達に教えられるのだろう。歴史学者達はテロや戦争に明け暮れた時代をどう記述するのだろう。

けれど、現代のど真ん中に生きている私自身は、占星術師でもないし、歴史学者でもない。限られた場所に立ち、限られた手段でしか情報を得ることができず、また限られた能力でしか思考することができない。肝心なことは省かれ作られたニュース映像、偏った抽出対象の世論調査、おとなしい世論を都合の良いように解釈する政治家、作り出されるブーム。いつの間にか他人の服を着て、他人の靴で歩き、他人の家に帰っていく毎日を送っていることに気がついて、愕然とするのだけれど、その時には誰に服や靴を返して、誰に道を聞くかあるいはどの地図を使えばよいか分からなくなっている。そして、自分の家に帰る道順を完全に見失う。自分だけではなく、路上には帰り道を忘れた人達があふれ、リビングの灯りのついた家々も実は空っぽだったりする。
たぶん、この世の中に、自分の帰る場所をちゃんと知っている人なんて、ほんとは1人もいないんじゃないかという気がする。生まれた時代や場所や性別や周囲の環境など、その人の属性が思考や思想に与える影響は、計り知れない。じゃあ人が帰るべき自分の家というのは存在するのかと言われると私の頭では自信がなくて、でも、たぶん、人は生まれた瞬間にはおそらく知っていたであろう自分の家のありかをいつの間にか忘れてしまうけれど、そこは探してたどり着くにはあまりにも遠く困難な場所なのかも、という気がする。もっと言えば、ヒトは皆、同じ一つの家から生まれてそれぞれ思う方向に飛び出して行ったのではないか、けれど同じ家に生まれたはずの家族の顔すら忘れてしまったのではないだろうかとまで思ってしまう。
同じ一つの屋根の下で生まれた者同士、感情を共有し、痛みを分かち合うことは可能であるような気がする。それとも「家族」であるためには、一定の期間生活を共にしお互いコミュニケーションを取らねばならないのだろうか。また憎しみの感情や深い傷が生じてしまったら修復は困難なほど、家族とは業の深いしがらみだろうか。
ヒトが人であるために、不確かな存在である自分の生まれた家のありかを頭の隅っこにでも刻み込んでおくためにも、同時代にいる他の人々の想い、痛み、感情を、国家や宗教や民族という枠組みを超えて、共有することが必要なのではないかと、ヒトが人として存在していくための基本はすべてその位置に帰結するのではないかと、そんな気がします。
・・・ただ、ヒトという現象を外から見るだけならば、そんな理屈こねる必要もないわけですが。。

支離滅裂で抽象的なことばかり書いてしまってスミマセン。
自分自身理解してないことが多すぎるのですが、最近こんな風に考えてました。


2004年03月19日(金) 言論の自由?

旧暦2月29日。
今週の東京は気温が20度を超えたり桜が開花したと思ったらそれも束の間、暖房なしではいられない逆戻りの寒さ。

「週刊文春」の販売差し止め問題。「週刊文春」のサイトに「声明文」が掲載されていた。日本のマスコミには個人のプライバシーに対する良識がないんだろうか。自分たちの主張ばかりで、プライバシーを暴かれた私人に対するお詫びの気持ちはまったくないみたい。

以下、「声明文」の一部より。


とくに今回の仮処分決定は、「プライバシーの侵害」という言葉を、その具体的な内容の開示を封じることによって逆に肥大化、独り歩きさせ、もって雑誌ジャーナリズムヘの評価を不当におとしめるものであった。これは異常な事態である。

・・と続くわけですが。。
あの、「雑誌ジャーナリズムへの評価」をおとしめているのはマスコミ側ではないでしょうか。だいたい、言っちゃ悪いけど、レベルが低いですよ、やってることの。確かに今回の販売差し止めは、言論の自由という観点からだと警戒すべき事態かも知れないけれど、公にはなんの落ち度もない一市民を守るという観点からは、やむをえない措置ではなかったかと思います。
今、この国にある「言論の自由」「報道・出版の自由」は、何十年も前から多くの人達が時の権力と命がけで戦ってきた結果だけれど、一市民のプライベートを暴く記事を書けるようにするために、小林多喜二や三木清が命を落としたわけではない。「言論の自由」の重みや大切さを忘れているのは、当のマスコミではないかという気がします。
普通に生活していても、職場や家庭で相手に言っていいことと悪いことがあるのと同様、記事にして良いことと悪いことがあるのは当然だと思います。他人の噂話やあら探しが好きで、おまけに自己チェック機能が働かずに言いたいこと垂れ流し、それを指摘されると逆ギレする週刊誌を読むのはもうやめようと今日誓った私です。
自衛隊のイラクでの活動についての報道規制に対するよりも、真紀子さんの長女のプライベートに関する記事をめぐっての販売差し止めに対して躍起になって抗議しているマスコミって、そもそも「言論の自由」や「知る権利」についての問題意識の置き場所間違えてるんじゃないかって思います。


2004年03月18日(木) 検閲か、言論の自由か。

旧暦2月28日。
「週刊文春」、結構面白いので時々買ってたんですが。
別に田中さんの長女の味方ってわけではないけど、公人ではない個人の離婚を記事にするのはまずいですよ。それで司法の判断に対して日本雑誌協会が「事実上の検閲」だなどと反論するばかりなのはかなりのおごりだと思う。確かに言論の自由は尊重されるべきだけど、マスメディアは、公人にしろ私人にしろ、人の情報を勝手に拾い上げてそれを自分たちの商売道具にしているという負の側面を自覚しないと、出版社が雑誌を売らんがためにその陰で一個人のプライバシーや日常生活が犠牲になるという恐ろしい仕組みがまかり通ることになってしまう。極端な話、それって、ソフトバンクが儲けのためにヤフーBBの加入者躍起になって増やして、その裏で個人情報漏洩させてたってのと、結果的には似てない?、と思ったのでした。確信犯だからもっとタチ悪いよね。
でもって、じゃあ「週刊文春」の記者の離婚劇を同じ紙面に掲載できるかというとそうじゃないんだなこれがきっと。他人のプライバシーは簡単に暴露するけど、記事を書いてる自分のプライバシーは表に出したくないでしょう、記者さんだって。ずるいよね。それに自分や自分の家族が平穏な結婚生活を送っているかというと必ずしもそうじゃないと思う。人生いろいろだものね。それを、自分のことは棚に上げて、他人のあれこれを偉そうに記事にするなんざ、おかしな話でござあ。
ペンは武器とよく言われますが、凶器となってしまうことも十分あるわけで。


2004年03月17日(水) ここにいること。

旧暦2月27日。
風が強いけれど、各地で20度を超える暖かさ。

夜、巣鴨駅周辺で4人もの女性から次々と声を掛けられる。手相のお勉強をしているそうな。聞こえないふりして無視してすたすた歩くのだけど、しつこくて嫌になる。20歩位ぴったりついてくる人もいる。迷惑です。夜遅くにご苦労様なんですけど、私高い印鑑いらないし、新興宗教に入る気もないのです、ごめんなさい。一見するとおとなしそうで真面目タイプに見える私と同年代の女性達が手相を観る相手を探してウロウロしている側で、ヤーさんらしき人、フーゾクの勧誘の人、酔っぱらいのおじさん、ホームレスのおじさん、キャバレーのお姉ちゃん、おでん屋さん、タクシーの運ちゃん、屋台の焼鳥屋さん、お巡りさん。
とげぬき地蔵で有名な巣鴨ですが、夜の駅周辺は昼間とまったく違う顔です。とても猥雑で騒がしいです。でも、そこが好きでもあったりします。吹き溜まりには吹き溜まりの魅力があると思う。いろんな人の日常が交錯する場所って面白い。
かと思えば、駅から離れて行くと、大きな道路の両脇でも高い建物がなくて、ぱあっと視界がいきなりひらける場所がある。視野の中で空の比重が断然大きくなるのです。都会の中でこんなに開放的なところがあったのかと思うくらい、空を遮る建物がないのです。でも、その場所に立って視線を少しずらすと、高速道路のオレンジの明かりが頭上から落ちてくる。
大通りから脇に逸れると、お寺と墓地を囲むように住宅が集まって、狭い路地の奥で猫が喧嘩してる。

自分がどうしてここにいるのか、時々ふと不思議に思うことがあります。
なんでかな、小石みたいにころころ転がって、転がり続けて、あちこちぶつかって、窪みがあったからとりあえずここに落ち着いた、という感じなのかなあ。そもそも母のお腹に私の命が宿ったのも、日本に生まれたのも、昭和40年代に生まれて今こうしてこんな生活しているのも、どれもこれもなにもかも、偶然の積み重ねなんだろうか。それとも、すべて必然なんだろうか。
自分の人生の中で、偶然の部分と必然の部分て、あるんだろうか。



2004年03月16日(火) ひる寝

 旧暦2月26日。
 いろいろ調べたい事があって、会社を休んで図書館に1日いた。
 なのに、大きな窓から入ってくる暖かな陽の光の、あまりの心地よさにとうとう爆睡。
 大学の図書館、今春休みで学生はほんのわずか。春休みは平日しか開いてないので、時々会社を半休して通っているのですが、いつも勉強している年配の女性がいる。学生より熱心です。そのそばで私は机に突っ伏して眠っている。。
 
 月に1度の割合で行く近くの定食屋さん。平日の昼時は作業服姿のおっちゃん達が多い。土日になるととげぬき地蔵に来たおばちゃん達もちらほら。500円玉1枚で、主菜にみそ汁や小鉢のついた定食が食べられるのです。ただ、ご飯は大盛り。これがすんごいてんこ盛り。なんだけど平らげてしまうご飯好きの私。が。今日お昼に行ったら、同じアパートに住むお兄ちゃん(まだ高校出てそうたってないっぽい)が店に出ていた。ありゃ、食堂で働いているというのは大家さんから聞いたことあるけど、ここでしたか。。。「ここでしたか・・・」と間抜けなことを言いながら、ニシン焼の定食を注文。で、つい気取って、お兄ちゃんに「ごはん少なめにお願いします」と言う。「あ、半分くらいで」「はい、半ライスですね」「はい」・・・出てきたのは小さいお茶碗に、いつもの5分の1位の量のご飯。ありゃ。りゃ。
 ですが、皿からはみ出すほど巨大なニシンと格闘したおかげで、ずいぶん満腹になりましたです。


2004年03月14日(日) 「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」

 旧暦2月24日。
 
 暴力が暴力を産むという悲劇的な連鎖が止まらない。
 それが他者の命や日常を奪う行為である限り、テロであれ戦争であれ、正当化される理由などどこにもないと思う。
 自分に当たり前のようにやってくるはずの明日の生活が、ある時突然暴力的に奪われることの恐ろしさ、無念さ。実際に経験してみなければ本当の痛みは分からないかも知れないけれど、せめて、起こっている現実について、目をそらさずに考えるということが、生きている側の義務ではないかという気がする。気が滅入ることだけど。

 ***

 6日に公開された「イノセンス」を観たいので、予備知識を仕入れるために、同じ押井守監督の前作、「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」を観た。レンタル屋さんに行かなくても、今はネット配信というものがあるから楽ですね。しかも300円ほどで、購入後7日間は何度でも観ることができるというのも嬉しいです。
 最初に、すいません、謝っときます、アニメってあんまり好きじゃなくて、ちょっと馬鹿にしてました。子供の観るものだと思ってました。宮崎駿以外は大人がわざわざお金払って観るものでもないよなぁ、って思いこんでました。まあ実際、帰省して姪っ子達と一緒にテレビのアニメ観てても、キャラクターの動きがカクカクだったり、アニメ素人の私が観ても明らかに手抜きな作品もあったりで、テレビで30分間もよくこんなの流すよなあっていう憤りもあったりしたのですが。
 そういうわけで、「イノセンス」の押井監督については全く知りませんでした。映画「マトリックス」に日本のアニメが影響を与えたというのは聞いたことがあるのですが、ふぅん、程度で。ところが、いろいろ想う処あって、押井監督と、映画「イノセンス」の描き出す世界に興味を持ち、この映画をスクリーンで観てみたくなったのです。
 「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」は、今から9年前に公開されて、「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟らに影響を与え、海外で作られた多くの映画の「元ネタ」となったアニメーション映画だそうです(ちなみに「マトリックス」、実はまだ1作目しか観てない。映画館に行く機会逃してそのまま・・・)。80分足らずで短いなあという印象を受けましたが、中身は濃かったです。ストーリーは分かりやすい反面あっけない気がしたけれど、なんと言っても絵がきれい。舞台である近未来の街の設定、キャラクターの動き、表情、作品のもつ世界観がちゃんと完成されている、という気がしました。3回ほど繰り返して観ましたが、観るたびに新しい発見があり、考えさせられ、自分なりに噛み砕いてみたくなりました。映画のよしあしの明確な基準なんて存在しないんですよね、作り手受け手がどう観て、感じるかで。実写だろうが、アニメだろうが、それは作り手の表現手段であるわけで、アニメだから大人が観るに耐えない、ということはないんだと感じました。実写でもつまらないと感じる映画はいくらでもあるし、アニメのほうが才能を出せる監督もいるのですね。私は、どっちかというと観る側の想像力を喚起して刺激する映画が好きです。監督自身も答えを知らないんじゃないかって思いたくなるくらいの。深い所に引き摺り込まれるような作品が好きです。アニメーションでもそういう映画はあるんだと驚き、今までの食わず嫌い、思い違いを反省しました。
 
 「イノセンス」のほうはいつ行けるかまだ予定が立たないのですが、早く観たいです。できれば、週末に夕方の回とレイトショーを続けてどっぷりはまってみたいのですが。
 今月末にでる雑誌「ユリイカ」(青土社)が押井監督の特集を組むそうです。こちらも楽しみです。
 


2004年03月13日(土) 桜がもう。。

旧暦の2月23日。
自宅近くの桜が満開。東京でこんなに早く咲く桜は、なんていう種類なんだろう。夜の写真になってしまいましたが、1枚。

昨夜は友達と遅くまでしゃべくってました。バナナケーキとホットケーキ、美味しかった。
 私は友人として付き合うにはつまらない人間だと思う。おしゃれや流行の話題ぜんぜん知らないし、テレビの話についていけないし、理屈多いし。自分の興味あることだけにどっぷり浸かって毎日暮らしてるような、面白味のない人間だし。集団行動より孤独でいるほうが好きだし。ぜんぜん華やかじゃないし。不精だし、気も利かない。恋人だったらなおさら、可愛気ない嫌な女だと思われるだろうなあ。
 でも、友人にはとても恵まれている。数の問題ではないけれど。
 大人同士(と、自分では思っている)の友人づきあいは、十代の頃のような「仲良しさん」づきあいとは、ニュアンスが違うと思う。お互い歳も食って、しょっぱい経験もある程度積んでいる。だから、それぞれの歴史と内面を尊重し合い、いたわり合い、励まし合って行く。社会に出てみると、うわべだけのつきあいの多さにも我慢しなければならない。だからこそ、本音を語り合ってそれでいて心が癒される関係のありがたみが身にしみる。
 自分のことばっかりにかまけてて全く不肖の私なのに、そういう仲間達がいるというのは嬉しいことです。


2004年03月11日(木) あ〜ぶ〜ら〜かたぶら。

旧暦の2月21日。
いよいよ虫さんが元気になりそうな陽気で。ところが明日はまたぐっと冷え込むんだそうです。虫が元気なのも、寒いのも嫌。
江戸時代に著された日本で初めての方言辞典「物類称呼」というのがありまして、地方ごとの自然現象から父母の呼び方、食物や衣類、動植物の呼び名を紹介しています。

あぶらむし○伊勢にて・ごきくらひむしと云 薩摩にて・あまめと云 肥州にて・ごきかぶらうと云

「ごきかぶり」を「広辞苑」で引くと、「御器噛り」という漢字が出てきました。「御器」は飯椀のことだそうです。茶碗に群がってかぶりつくからそんな名前になったんでしょうか。ひえ〜ぞっとしますぅ。それにしても、カタカナで「ゴキブリ」と書くのと、ひらがなの「ごきぶり」では雰囲気が違いますね。さらに「ごきかぶり」だと、ちょっと愛嬌がある・・・なんてことはないけど。。

「あぶらむし」というのは、油が好きだからとか、背中が脂ぎっているからとか聞いたことがありますが、どっちなんだろう(あ、でも、別に知りたくありませんっ)。年配の人は「あぶらむし」と言うほうが多いようです。よく、年配の方と一緒にいて、「ほれ、そこにあぶらむし」とか、「こないだあぶらむしが出てねぇ」なんて言われて、あぶらむしが植物につくあの緑色の小さい虫のことだとしか思っていなかった頃の私は、(なんだ、そんなの全然平気なのに、大げさだなあ)と思っておりました。で、ある日、知り合いの女性宅で食事をいただいてるときに、「あれまっ、あぶらむし」とおばさんがティッシュをつかんで立ち上がった。あぶらむしくらい構やせん、と思いつつも、口をもぐもぐさせながらおばさんの手の先に目をやった私は、思わず中のものを吹き出しそうになった。

それ以来、あぶらむしと聞くと、まず、ぞっとするようになりましたです。



2004年03月10日(水) 被差別民について

 旧暦2月20日。
 空気が柔らかくて、ちょっとした風も気持ちよい1日でした。

 仕事が終わると会社飛び出して、急いで神保町などに行き、時間の許す限り本探しです、このごろ。うまくいけば古本屋の何軒かはまだ開いているので。どうしても調べたいことがあって、あれこれ資料をめくってます。明日時間があれば図書館です。なるべく残業しないで早く帰れるようにしたいです。
 学生時代、もっと勉強しておけばよかった、あんなに時間があったのに、と、今になってひどく後悔しています。今勉強しようと思えば、寝る時間を削るしかないので、きついです。だけど、今この年齢だからこそ、調べたり考えたりすることの面白さや大切さを知っているのだと思えばいいのかも。

 近世の被差別民について、あれこれ調べています。「穢多」とか「非人」とか「かわた」とか。
 唐突に言いますが、私の父の生まれは被差別部落です。正確には被差別部落であった、というべきなのでしょうが、実態を知らない私の目から見ても、佐渡の中でも特に貧しい地域であることは明らかです。だから、というのでしょうか、私にとって、被差別民、被差別部落、不可触民といったテーマは、自分なりの方法でずっと関わっていきたいことでもあります。部落差別は現代でもやはり残っていると聞きます。表向きではなくても、人間の心の中には他者を差別する思想が根強く息づいているのではないかと思います。それは差別する側の個々の人格、人間性といった問題だけではなくて、人間の血の中に植え付けられた遺伝子のようなもののしわざではないだろうか、とも思うのです。だから、差別というのは、この先もなくならない。たとえ将来日本の中で部落差別が綺麗に根絶されたとしても、世界のどこかで、差別する側とされる側の対立が必ず存在していくのではないかと思います。そんなこともふまえて、近世、江戸、佐渡、美作、弾左衛門、穢多、非人、かわた、ちょうり・・・などのフィルターを通して探る「差別」の深層を、自分なりに理解できたら、と考えています。
 というわけで、今日はここらへんで。


2004年03月09日(火) 鳥インフルエンザ

 旧暦2月19日。
 ちょっと暖かかった。月がオレンジ色で浮かんでた。
 
 鳥インフルエンザがこんなに身近な問題になるなんて思ってもみなかったなあ。数週間前までは遠い場所で起こっている出来事のようで、それもそのうち収まるだろうななんて考えてたもの。
 焼き鳥はじめ、鶏肉料理が好きで、スーパーで買うのも豚より鶏肉が多い。生卵かけご飯、納豆に卵はキホンだし。月見そば大好きだし。鶏肉はよく加熱すれば大丈夫、生卵も問題ない、とのことだけど、やっぱり少し慎重になり始めてる自分。必要以上に騒いじゃいけないだろうけど、「食」について考えさせられる今日この頃。スーパーに食材を買いに行っても、陳列ケースの前で選びあぐねて考え込むことが多くなった。土曜に買いに行ったときは、鶏肉の値段にさほど変化は見られなかったけど、「国内産」の表示だけでは不安だな、と思ってしまった。
 
 けれど、生まれたときから狭い鶏小屋に押し込められて、食べられるために育てられて、ある日突然殺されて埋められてしまう鶏たち。人間の身勝手です。申し訳ないです。せめてもの気持ち、感謝しながら食べます。

 それにしても、日々ニュース見ながら、いろいろ考えさせられる件ですよね。。。


2004年03月08日(月) 河童の屁。

 旧暦の2月18日。
 昨夜、夜遅くに銭湯に行き、露天風呂に浸かっておりましたら、天上の月がまんまるで、とても綺麗でした。青白く輝いていて、それが湯の表面にきらきらと反射して、幻想的でした。湯船に入ってしばらく月を眺めていて気づいたのですが、どの人もやってくると、お湯に身体を入れてしゃがむと同時にまず月を見上げる。しばしぼーっと見とれている。人間て、自然に満月に吸い寄せられてしまうものなのかなあって、面白く思いました。

 この前神保町で見つけてきた岩波文庫の「花暦 八笑人」(品切れ中につき、古本を探すしかありません)を読んでるんですが、面白いです。
 だいたい私が岩波文庫の黄帯が好きなのは、近世に書かれた読み物がべらぼうに楽しいからなんです。
 例えば「花暦 八笑人」。
 
 ・・・・・河童の屁といふは、どういふわけか知りハしめへ。あんまり文盲で不便だから、友達のなさけに、おしへてつかハそう。マヅかつぱといふやつハ河にすむものだが、水の中で屁をひつたら、ぶくぶくと、音のするはづだぜ。ソレ柳樽(やなぎだる)に、
 すかしても音のするのは河童の屁
といふ句があるは。それを亦、たわひのない譬(たとへ)にいふハ、わけがわかるめへ。これ則(すなわち)いひあやまつて、居るからのことだ。子曰(しのたまハく)、こつぱの火と論語にもあるハ。

 てな感じで、お気楽なご身分の8人衆のどたばた茶番劇が繰り広げられる話なんですが、これはかなり前に映画にもなったらしいです。観てみたいです。
 岩波文庫の黄帯は日本の古典ばかりですが、私が特に好きなのは近世もの。滑稽物や奇談、説話集なんかが面白いです。特に好きなのは「耳嚢(みみぶくろ)」(上中下の3巻。上のみ品切れ中につき、古本を。もしくは平凡社の東洋文庫にもあります)。根岸鎮衛(やすもり)という佐渡奉行や南町奉行を務めたお役人の集め書きしたいろんな話。たくさんあるのですが、題だけざっと見てもなんじゃこりゃって興味が沸きます。
 ほんの一部分ですが。

 一 耳に蜈(むかで)入りし時奇法の事
 一 蘇生の人の事
 一 猫の怪異の事
 一 糞穴に落し笑談の事
 一 痴狸油に酔ふて頓死の事
 一 幼女子を生(うみ)し事
 一 棺中出生の児の事
 一 鬼火の事

 読んでいくと、どこかで聞いた話だなあと思うことも。杉浦日向子さんの有名な漫画「百物語」に出てきた話もありました。

 中学高校で古典に苦手意識を持ってしまった私ですが、この歳になって夢中になっています。文法なんて気にしない気にしない(先生ごめんなさい)。古典の授業や教科書のイメージから解き放たれて、もっと気楽に古典を手にする人が増えるといいのになあって思います。お堅いイメージで書棚の奥に放っておかれるには勿体ないですよ〜。

 
 
  


2004年03月07日(日) 好きな本屋 神保町買物独案内その一

旧暦の2月17日。

 草なぎ君の出ている「ホテルビーナス」観てみたいな。テレビタレントの出演する映画ってあんまり興味ないんだけど、これはそそられる。駅のホームのポスターで草なぎ君のブラウス見て、「なんじゃこりゃ」と思ったんだけど、妙にインパクトのある姿に惹かれた。
 ああいう、どこかの街の隅っこで、みたいな映画が好きなのです。

 昨夜、ちょっと(じゃないだろー)酔っぱらった頭で日記書いて、「草稿保存」の設定にしたままパソコン閉じて寝てしまいました。どうりで昨日の日記が載ってないわけでした。ごめんなさいませませ。

 好きな本屋、神保町編というか神保町辺。
 自宅から地下鉄で乗り換えなしでぽんっと行けちゃうので便利なこたぁ便利なんですが、なにせ夜が早い街なので、平日はほとんど行けません。たまに仕事帰りに神保町駅で降りて地上に顔を出しても、たいていの古書店は閉まっている時間帯なので、新刊本屋さん、それも「三省堂」くらいしか入れません。三省堂が夜8時までで界隈の本屋さんの中では遅くまで営業してるほう。あと、神保町交差点の新刊本屋さん「廣文館」はさらに遅くまで営業してますが、何せ小さいので売れ筋の本しか置いてないようです。
 というわけで、神保町は時間帯と曜日で行動パターンが決まってしまいます。
 神保町の古本屋さんは、ほとんどが日曜定休なので、私がゆっくり回れるのは土曜日しかありません。なので、土曜に時間が空くと、いそいそと出かけていきます。こんな時、地下鉄の中ではうるうると充実感。
 神保町駅を出て、神保町の交差点を起点にして、靖国通りをまずは九段下方向に歩きます。まずは「岩波ブックセンター信心社」。ここは岩波書店を中心にちょっと堅めの新刊本を扱う書店。駅から一番近いし、岩波文庫の品揃えは確かに多い(ただし黄帯はそれほどでもない)ので、とりあえず入ってみる。でも、岩波文庫の側にあるレジの店員さん達がいつも悪口や噂話をしているのが好きでないので、基本的にここでは買わない。ごめんなさいです(笑)。でも、ここのホームページは面白いです。
 その2Fにある「(株)山陽堂支店」は、岩波文庫を中心とした岩波書店発行本の古書店ですが、小さい店内ながらさすがに岩波文庫は充実してます。充実してるんだけど、絶版本はそれなりに高いです。岩波文庫は、永らく絶版や品切れになっていたタイトルを復刊したり重版したりすることを定期的に行っているので、欲しい本を見つけてもすぐには飛びつかないほうがいいです。ここで1800円の値のついた岩波文庫が、他の古書店で1000円以下で売られている場合も多い。最近復刊したばかりのタイトルに絶版本並の値段がついているケースもままあります。初版本や改訂前のものが欲しいという人もいるし、いちいち値段付け替えるのも相当な労力且つ無意味(復刊や重版本はすぐ新刊書店から消えるので)なので、それでいいかと思います。なので、買う側が自分の欲しい本についてある程度下調べしていったほうがいいみたい。ところで、一見無愛想なおじさんが意外に(すみません)親切で、私が岩波文庫でどうしても欲しい品切本を探しても見つからなかった時に、他に探す方法を教えてくれました。岩波文庫に愛情持ってるんですね。それと狭い入り口をさらに狭くしているレジの周りのあの未整理本の山。どんな宝が眠っているか興味津々なんですけど。
 概して神保町の古書店はどこも岩波文庫の絶版や品切をよく調べていて、タイトルによってそれ相応の値段をつけているようです。加えて店によって取り扱う分野が専門化されてるので、店主が自分の店に置いてある本の(相対的な)価値について敏感でよく勉強しているせいか、欲しかった本が思いのほか安く手に入った、というようなことは、他の地域の古書店より少ないかも。そういう意味では、1軒でいろんなジャンルを扱っている街の商店街にある古本屋さんのほうが面白かったりします。「あ、ここの店主は文学にはウルサイけど、歴史関係はあまり重視してないな、しめしめ。。」と。あとはブックオフのような新古本の大型チェーン店とか。だけどやっぱり、神保町の古書店街には語り尽くせない魅力がいっぱいある。なので通ってしまうのですね。。
 隣の「泰川堂書店」は、鉄道関係の本が揃っていて、鉄道マニアっぽい人達が多いですが、江戸時代関係の本も多いので気になって見に行きます。ここは全体的に値段が安めかなあという気も。鉄道関係は分かりませんが。それから狭い店内の結構なスペースを割いて置いてある戦前の絵はがきも、地域別、分野別に整理されていて、箱の中漁るのが楽しい。モノクロの写真に色つけてたり、印字されてる文字が右から左になってたり、旧仮名遣いだったり、それだけでも楽しい上に、有名な観光地の昔の姿を見るのも面白いものです。たまに買って、それを知人に送ったりしてる。勿体ないかな。でもウケてくれる相手ならOK。
 
 さらさらっと書こうと思ったのに、1軒1軒書いてしまう形になりました。というわけでこれは時々こうして書いて、ミニシリーズにしませう。私の興味あるジャンルの古書店が中心になるので多分に偏ってしまうと思いますが、まあお気楽に。
 
 岩波ブックセンター信山社
 山陽堂書店(支店)
 泰川堂書店


2004年03月06日(土) 神保町に新しい店

旧暦の2月16日。

 かなり酔っぱらってますね。なんてったって土曜日だもの。夜は1人晩酌。これが最高に幸せ。午後早めに銭湯に行き、その足で神保町に。古書店街をさまよい、あれこれ本を購入して、スーパーで食材を買って帰宅。カーテン閉めたり着替えたりしながらおつまみをささっと作って、缶ビールと今日は日本酒を机に置いて、夜のお楽しみ開始。インターネットラジオの「ぬかるみ.com」聞きながら、買ってきた本をぱらぱらめくって、1人悦に入りながら呑む。これが最高。

 神保町に行ったら、神保町交差点のみずほ銀行のあった場所に紳士服のチェーン店が出来ていた。ずっとシートが掛けられていて工事中だったので、気にはなっていたのですが。。。地下鉄の出口から通りに顔を出すと、どどーんと目を引く。紳士服店が神保町にあっちゃいけないというわけではないけど(需要はありそうだし)、本屋さんより目立っちゃ嫌、というのが私の勝手な想いです。ま、正直言いますと、白いシートがようやく取れたと思ったら、中から現れたのが期待していた本屋さんとかじゃなかったのでがっかりしたわけです、はい。神保町を愛する人ならあんな場所にあんなでかい紳士服店を作ったりはしないでしょう、と、しつこい私(お酒が入ったので)。せめて、向かいのキムラヤくらい控えめでいて欲しい(だからしつこいって)。

 


2004年03月05日(金) 好きな本屋 池袋新宿編

旧暦2月15日。啓蟄。

 好きな本屋さん。
 一番好きな新刊書の本屋さんは、なんといっても池袋の「ジュンク堂」。もともと関西の本屋さんだそうで、それが東京に進出してきたばかりの頃さっそく行ってみたら各フロアに椅子とテーブルがあって立ち読みならぬ座り読みが出来るようになっているのに驚いた。その後都内の書店で同じように座り読み歓迎のお店がふえたような気もする。で、そのジュンク堂、2年だか3年前に改装して売り場面積が日本一になってますます好きになった。杉並に住んでいた頃は新宿の紀伊国屋本店と紀伊国屋タイムズスクエア店のほうをもっぱら利用していたのだけれど、豊島区民になってからはやっぱりジュンク堂。夜9時までというのも助かる。専門書が充実している上に、文庫本も私の知る限りでは都内一。ただし、岩波文庫については他の大型書店とどっこいどっこいかも。私が好きな本屋は基本的に岩波文庫の黄帯が充実している本屋です。岩波の背表紙の肌色に吸い寄せられる習性があります。とりわけ黄帯、青帯を見つけると足早に。ジュンク堂はまあまあと言ったところです。黄帯、もっと増やして欲しいです。ジュンク堂の目と鼻の先にある池袋西武内の「リブロ」も好きです。ただ、池袋のリブロはちょっと疲れます。駅から地下道を通ってデパ地下のお総菜売り場の混雑の中を歩いて、目的の本屋に着くまでにあれこれ心奪われて、美味しそうな匂い攻撃に合い、銘酒売り場に立ち寄って、これだからだめです。へとへとになります。本来の目的を忘れてしまう(それは私だけかも)。おまけに混んでいる。まあ、池袋で電車を降りてジュンク堂に行くにしても、リブロを通って行くことが多いので同じことなんですが。ジュンク堂の方が混雑してないしゆったり出来るので好きです。あと池袋の「旭屋書店」もあるけど、百貨店の上の階にありたどり着くまでに迷子になるので結局ジュンク堂とリブロをうろついてます。ジュンク堂が閉店した後は、バスで帰るためバス停に向かうのですが、その側にあるのが「新栄堂書店」。ここは夜10時、金曜なんて1Fは10時半まで開いている。でも、とにかく狭い。狭い上に、すんごい混雑してる(たぶん他の大型書店閉店後にしか行かない私と同じ人達が多いのかも)。狭いし本の量もさほど多いわけではないけど、探してる文庫本がなぜかあったりする。ここの文庫本は、出版社ごとではなく、著者名ごとに並べられている。例えば池波正太郎ならば新潮文庫、文春文庫や講談社文庫の池波作品がひとつところに集まっているので探しやすい。時代小説は一カ所に集められているし。でも、棚の上の方にある本には、どう考えても脚立でないと手が届きません。脚立使うには混雑していて狭い店内。欲しい本が棚の上の方にあってもあきらめるしかありません。そこが不満。てなわけでくたくたになる本屋さん。
 同じく疲れるのが、新宿の紀伊国屋本店。地下鉄丸ノ内線の駅すぐなのはいいけれど、エレベーターの数が少ない上に混んでいる。せっかく来たエレベーターも満員で乗り切れないこと多い。エレベーターを待つ間に気の短い人は階段で上の売り場に行くしかない。あ、私です。もうひとつの新宿タカシマヤタイムズスクエアの方にある紀伊国屋はエスカレーターで各階に行けるので楽ちん。でも、駅からちょっと遠い。ちょっと面倒なんです。
 池袋と新宿では、本屋に関しては池袋に魅力があるなあ。最近は滅多に買わなくなったけど、CD買うなら新宿、でも本は池袋、です、私の場合。
 神保町と八重洲などについてはまだこんどに。
 眠うございます。
 
 


2004年03月04日(木) やふびーびーびー

 旧暦2月14日。
 雨水も今日で終わり。明日は啓蟄。蛙さんミミズさんごきぶりさんこんにちは・・・ぶ、ぶええ〜。ごきぶりさんはご遠慮くだされ。

 ヤフーBB、昨日自転車で通った御徒町あたりでも勧誘してたなあ。地下鉄の出口付近に赤いジャンパー着た4〜5人くらいで。しつこいし、道幅が狭くなって危ないので前から気にはなっていたんだけど、まあ相手も商売だから仕方ないとは思ってました。でも、個人情報漏洩事件が問題になっている最中も変わらず勧誘してるのを見ると、さすがに腹が立ってしまうよ。そこまでしないと採算合わないなら別だけど、他のプロバイダーでこんなに派手な勧誘してるとこないもの。しかも今渦中なんだから、やっぱり控えて欲しいです。
 
 先日母と電話で話していて、「私もヤフーBBの個人情報流出の中に入っちゃったよ」と言ったら、「何それ」「ほら、今ニュースで騒いでるでしょ」「・・・あ!信販会社のね」
 パソコンには無縁でキーボードすら触ったことのない母は、当然、プロバイダーだの、インターネットだのと耳にしても今ひとつピンとこないらしい。だから、「ソフトバンク」=「信販会社」と理解していたらしいです。

 パソコン持ってネットにつながると、いろんな世界が広がると同時に、いろんなものもひっついてくる。ウィルスもうようよしてる。
 ふと、最初からパソコンとは無縁で興味がない生活のほうが安全でゆったりできるのかなあと思ったりして。・・・でも、パソコン使い始めちゃったらもう離れられないよなあ。。


2004年03月03日(水) 丸山応挙展

 旧暦の2月13日。
 
 休暇をとって、ゆっくり起きて、午後から江戸東京博物館へ「円山応挙展」に行ってきました。ポタ子(自転車)に乗って。乗ったはいいけど、寒かったです。。帰りは小雨までぱらついて。失敗。おとなしく電車で行けば良かった。。

 平日なので混んではいなかったけど、どの絵の前にも人がいる程度に入ってました。
 とても良かったです。日本画には詳しくないのですが、絵の前に立って細部を観て、少し離れて観て、いちいち嘆息してました。
 川の絵の前では激しい水音が響いてくるようで、子犬たちの絵の前ではじゃれ合う犬たちが紙から飛び出してくるようで、虎の絵は、毛の描き方がリアルで、ただ、実物の虎を見ることができないため、猫がモデルだそうですが、顔つきは猫っぽかったりして。
 会期今月の21日までだそうです。


2004年03月02日(火) 母のこと。

 旧暦の2月12日。
 寒いです、今日も。

 残業中に携帯電話に実家の母から電話。
 一瞬何かよくないことが実家に起こったかとぎくっとした。
 実家から電話がくるなんて滅多にないのに。そうなのです、長女でわりと厳しく育てられたせいか、あんまり親の手を煩わせることがないので、今ではほとんど放任状態なんです、私は。電話で実家の母と話すなんて、2〜3ヶ月に1回あるかないか。半年くらい声を聞かないこともある。10年以上前に上京した頃は心配してしょっちゅう電話がかかってきたのに、ここ数年はほったらかし。長電話するのはよほどの問題が実家に起こったときに相談してくる時くらい。逆に、少しくらいのごたごたなら、両親も私に心配かけまいとあえて連絡してこないことも。もっとも、両親もいろんな意味で、物理的にも精神的にも多忙。同居している弟一家や近くの妹一家でてんやわんやだし、孫達に囲まれてるし。
 ただ、都会で1人暮らししてて、毎日遅くに疲れて帰宅するような毎日を送っていると、1人になったとき、ふと、私って親に忘れられてるのかなあ、って寂しくなるときがある。親の私に対する愛情が薄れたとか、そういうことじゃないんだけど、でも、ちょっとは心配してほしいなあ、かまって欲しいなあと、だだっ子のように人知れず1人ですねてたりする。でも、さすがに30代だけに、その不満をぶつけるわけにはいかない。自分のほうから親元離れて自立してるからには、今さら甘えたり不平を言うことなんてできるはずないし、この歳になったら逆に親を助けなければいけないのに、私は未だにそれができないでいるのだし。それに、正直言うと、それぞれに家庭を持ち、孫に囲まれる喜びを両親に与えている妹や弟と違って、相変わらず私は東京で好き勝手やってるのだから、せめて親に迷惑をかけないようにやっていかなきゃという気持ちも大きい。
 昔から、母や妹に、手のかからない子だとか、お姉ちゃんはしっかりしてるとか言われてきた。そんな風に言われると、甘えることも、羽目を外すこともできない。長女らしく、姉らしく、と、何かと我慢してきたことも多かったような気がする。でも、自分にとってそれが悪いわけじゃないと思う。今のような私に育ったということは、そういう風に育ててくれた家族のおかげでもあるし。幼い頃、両親ともにしつけに厳しく、殴られたり平手打ちをくらったことも何十回とある。父に殴られて鼻血が出たこともある。今もし自分が子供を産んだら、自分は決して体罰は与えないだろうけど、だけど、自分が子供の頃に親がどうしてあんな風に自分を殴ったか、その時の親の気持ちや愛情はとてもよく分かる。叩かれた痛みと同時に、親の愛情の深さも感じ取っていたので。両親は両親なりに、3人の子供達を一生懸命に育てていたのを昔も今も理解できるので。・・だからといって、体罰肯定派ではないけれど、今、体罰や虐待に過敏になるあまり(過敏にならなければならない問題ではあるけれど)、身体の痛みを教えないのと同時に子供に肝心なことまで教えていない親が多いような気がしないでもない。。子育てを知らない私が言うのもなんだけど。

 それで、母の話に戻ります。
 残業中だと言うと驚いて、毎日こんな状態なのか、とか、ご飯はちゃんと食べてるのかとか、珍しくこちらの近況をしつこく聞いてくる。そのうち話は実家の近況に移って、洋服の話だとか、他愛のない話題をいろいろ話し始める。残業中だと言うたのに・・・と思いながらも、母が電話をしてきてこんなに話すのも珍しいことなのでうんうんと聞いてあげる。で、ふと、しんみりと、この前○子(妹)に、お母さんは子供の頃お姉ちゃんに厳しすぎた、と言われてね、と、話す。そのことが頭からずっと離れず、気になっていたそうだ。それで、今日実家に、私が購読料を払って両親に毎号届けてもらっている雑誌が配達されたので、お礼がてら電話してみたのだそうだ。なんか、今日は、バスに乗ってても、家事をしてても、ずっと私のことばかり考えていたのだそうだ。「最近私も歳取って、人間が柔らかくなったのか、昔のことよく思い出すんだけど、当時は自分に余裕がなかったのよね、やっぱりあんたには厳しすぎたわよね」「このところそれを思い出して後悔ばかりしてるのよね・・・」「側にいてしょっちゅう顔を見ている○子達と違って、あんた遠くに離れているから、ほんとはいつも、どうしてるかなあって、一番心配してるのよ」
 別に、厳しすぎたわけじゃないよ。確かに厳しい部分も多かったし、いらいらしている時もあったみたいだけど、毎日美味しいご飯作ってくれたし、幼い頃は絵本毎晩のように読み聞かせしてくれたし、休日には家族でしょっちゅうドライブしてたじゃん。自分で言うのもなんだけど、私は両親のそれぞれに良い所をちゃんと受け継いで育ったし。そりゃパーフェクトな人間なんかいないんだから、パーフェクトな子育てだってあるわけない。みんな試行錯誤しながら、特に一番上の子供は、ついつい厳しく育ててしまうことだってよくあるんだし。自分が今、昔自分が小学生だった頃の両親の年齢になってみて、あの時の彼らの気持ちが手に取るように理解できる。
 それに、ほんとに全然恨んでなんかいない。ちゃんと育ててもらったくせに親の文句を言うなんてもってのほかだと思う。この世に生まれさせてくれて、食べるものと着るものと住む家と、それ以上のものまで与えてくれたのだから、感謝してもしきれない。ほんとうにそう思っている。
 ・・・でも、この気持ち、どうしたら伝わるかな。今夜の電話で少しは伝えられたけど、でもまだ完全じゃない。

 夏には祖母の十三回忌だから絶対帰ってこいと言う。そういえばあんたの新しい住所も聞いてなかった。え?そうだっけ。そうよ、こんど何か作って送りたいけど・・・あんたなかなか家にいないんでしょ・・。
 
 ふと思った。母が私に謝るなんて、そういえば滅多にないことだよなあ・・・別に、謝る必要もないことなのにな・・・。
 電話を終えて席に戻って仕事の続きを始めたのだけど、まじにPCのモニタがかすんでちょっと辛かった。でも、心の中にずっとつっかえていた何かがふわ〜っと溶け始めて、なんだかとても元気が出てきた、と同時に、母も歳を取ったんだなあと、少し不安になった。

 久しぶりにお母さんの作ったおかず、宅配便で送って欲しいな。
 
 


2004年03月01日(月) 「地球交響曲ガイアシンフォニー」

 旧暦の2月11日。
 寒かった。東京は昼頃雪が舞った。今日から3月だっていうことを一瞬忘れてしまった。今も寒いです。着込んでいます。
 
 昨日は、先輩でもあり友人でもあり、誕生日も干支も同じという女性と、映画「地球交響曲ガイアシンフォニー第四番」を観に行った。この映画は、映画のテーマに賛同する人たちによって、もう何年も、日本各地で主に自主上映会という形をとって、繰り返し上映されている映画です。私は学生時代、当時住んでいた近所の下高井戸シネマに1人で観に行き、その時は映画の途中で爆睡するという失敗をやらかしました。確か、「第二番」だったと思う。
 今回、彼女が誘ってくれて、改めてきちんと観たい!と思ったのでした。
 息の長い映画なんだけど、実はなかなか観る機会がないのです。自分の観たい時に、運良くどこかで上映されていればいいけど。なので、今回はちょうどいいタイミングでした。

 昨日は東京プロフェショナルズ主催の上映会で、青山のウィメンズプラザが会場。250人ほどで満杯の小さなホールでしたが、座り心地も悪くなくゆったりした座席で、何より真ん中の前から2列目というベストな場所で、映画も、ミニライブも、それからなんと、龍村仁監督の講演も!堪能することができました。

 映画の前のミニライブは、KNOBさんのディジュリドゥというアボリジニーの楽器の演奏。ユーカリの枝の真ん中をシロアリが食べて空洞になったものを楽器として使うのだそうです。まず、着物姿のKNOBさんが現れて、ステージの真ん中に正座して、チベタンベルをチーンと鳴らして、それからディジュリドゥを手に取り、口をつけて、演奏を始めると、ホールの中の空気が一気に変化したような気がします。ボオオオッという音が、倍音のように響いて、ずーっと途切れません。演奏は、口から息を吐いている間に鼻から息を吸う、ということを続けるのだそうです。んー、信じられない。でも、実際ずーっと音が続いていました。ボオオッという音、次第にリズムが入って、何か大きな動物が大地を駆けめぐるような地響きの音、それから猿のような鳴き声。聴く人によってイメージは変わるかも知れませんが、私は行ったことのないアボリジニーの土地へドーンと投げ出されたような感覚を味わいました。とても不思議な浮遊感、それでいて、オレンジ色の大地で太陽に照らされているような土っぽさ。1本のユーカリの枝を使って1人の演奏者が舌や腹筋や喉を使って作り出していく世界です。メロディがあるというわけではないのですが、どんどん引き込まれていくような音楽でした。また聴きたい。

 あ、予定外にミニライブのことを長く書いてしまいました。そろそろ寝なければ。
 映画は、もうこれは私の下手な説明よりも、龍村事務所のサイトをご覧ください。私は最初から最後まで何度も何度も雷に打たれたような感動(なんて手垢のついた言い回しだ)を受けました。ストーリーはなく、これはその後の監督の講演でもおっしゃってたのですが、シナリオもなく、インタビュー(というか、語り)を中心に、登場人物となる人の周辺を静かなまなざしのカメラで追っていく、という映画です。12年前の私はどうやらそれが退屈で、ストーリーのないのにちょっとがっかりして眠ってしまったらしいのですが、今の私には、映画の中のひとつひとつの場面、語られる言葉のそれぞれが、どれもずしりと重くて、心の奥深くに染み込んで、骨の髄まで変化させてくれそうな、とても意味のある映画です。それだけ私も成長したんだろうか。。。?
 「ガイア理論」の提唱者である生物物理学者ジェームズ・ラブロック。
 野生チンパンジー研究家ジェーン・グドール。
 伝説的なサーファー、ジェリー・ロペス。 
 版画家、名嘉 睦稔(なか ぼくねん)。
 自分のやりたいことに精一杯人生をかけている人たち。だから、言葉のひとつひとつがずしりと重く、どの人も瞳がとても美しい。表情がとてもきれい。言葉は映画でなくても伝えられるけれど、表情や、まなざしの穏やかさ、美しさ、その奥に秘められた強さを伝えるとなると、やはり映像にはかなわないなあ、と思った。
 ジェリー・ロペスの言葉に強く打たれた。これは、自分の心の中にしまっておこうと思う。。
 
 映画の後は、ロードレーサーに乗って、ジーンズとダウンジャケット姿で颯爽と会場に現れた龍村監督の講演。映画を観て、深く打たれてぼーっとなっている時に監督が目の前に現れて、しかもそれがほんの3メートルくらいしか離れていない位置で映画について語ってくれるのだから、すごくラッキーで貴重な体験でした。1時間はあっという間でした。いいなあって思ったのは、人間の霊性、スピリチュアリティについて考えさせられる映画を創っている監督が、精神世界やニューエイジの世界の住人という人ではなかったことです。ごく普通のオヤジ、という感じでした。居酒屋で焼酎呑みながら話聞きたいなあっていうイメージの。映画の登場人物である人々もそうなのですが、自分の行きたい道を純粋に求めて生きている、自分に嘘をつかない人生を送っている人というのは、きっと、自分や他者の中にある霊性について、自然に学んでいるのじゃないだろうか、という気がした。それは特別なことではないのだとも思う。私は、どうも、精神世界という言葉や、そこにどっぷり浸かっている人達が苦手です。霊性とか、スピリチュアルとか、人間にとってとても大切な事だと思うのですが、何かに頼ることによってそれを得よう、理解しようとするのはちょっと違うんじゃないかと思う。まず、地に足をつけて、やるべきことをやって、自分の人生ときちんと向き合い、日々真摯に生きていくことによって、自分の中から自然と生まれてくるものが、霊性を理解することにつながるのではないかと思う。そういうことをせずに、方法論から入っていくのは、単なる現実逃避ではないかと思う。・・・そういう意味でも、この映画と、監督の語ることは、大切なメッセージなんじゃないかって気がする。
 監督曰く、とりあえず、仕事でもなんでも、自分のキャパシティからはみ出す位沢山受ける来るものはどんどん吸収する。もういっぱいいっぱいで駄目だという場合は、身体が拒否反応を示す。そういう時は無理をしない、とのこと。あ、そうだよな、って納得。そうしているうちに自分が本当にやりたいことが見えてくる。やりたいことが見えたら、自分に嘘をつかずに、真剣に取り組んでいく。そういう自分でありたい(言うのは簡単だけど)。
 
 講演のあとは、サイン会。監督が1人1人に名前を聞いてくれて、パンフレットに名前と監督のサインを書いてくれた。そして握手。私の名前は監督の妹さんのお名前と同じだそうな。光栄です(←と言うのが精一杯だった)。
 次回は「第三番」のチケットを確保してもらった。
 故星野道夫が登場する。第四番でも、少し名前が出ていたけれど、改めて、彼がヒグマに襲われて亡くなったと報じているニュースに見入った時のことを思い出す。
 「ノーザンライツ」を読んでから観に行こう。

 


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