あたろーの日記
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2004年02月28日(土) 「絶望」

 旧暦の2月9日。
 地下鉄の駅から地上に出たら、上弦の月が浮かんでいた。
 
 仕事あんまりはかどらなかった。つまずいてばっかり。
 けろけろ。

 山本周五郎のエッセイ集を読んでいる。『酒みずく・語る事なし』(新潮文庫)。
 その中に、カール・ヒルティという人の言葉が引用されている。
        
         ☆
 ○日本人は「絶望」を知らない。絶望するまえに傍観に入ってしまう。
 ○「絶望」は人間だけがもつことのできる黄金である。同じ意味で「酒」とよく似ている。
 ○人間は「絶望」し絶望から抜け出るたびに高められる。
 ○絶望は毒の如く甘い。
         ☆

 読んでいて、頭の中と心臓がガクガクと音を立てた(興奮するとそうなる)。
 そう、そうなのだって心の中で何度も頷き、何度も読み返す。
 人生って、小さな絶望大きな絶望の繰り返しなんだと思う。生きることって、ほんとはとても難しいことだ。「絶望」を、胸の前で抱えて大事に撫でながら、日々の暮らしを重ねていく。死ぬまでずっと。長い旅だ。
 なぜ人は絶望するのか?たぶんそれは、人が想像する生き物だからだと思う。想像力あるがゆえに、人は期待し、絶望するんだ、きっと。
 「絶望は毒の如く甘い」というのは、言い得て妙、だ。私は絶望が好きだ。いざ新たな絶望にぶち当たったときは、自分の中で大騒ぎしてパニックになったり、半分壊れたおもちゃみたいにしばらく生きてみたりするけれど、結局馴れてしまって、そのうちその感情を大切に自分の中で育てて、可愛がってみたりする。


2004年02月27日(金) 私の情報は500円。

 旧暦2月8日。
 今日で今月の業務終わりのはずが、案の定片づかなくて、やっぱり明日も出勤です。明日の夜は早めにお風呂入ってテーブルにおつまみ並べて「ぬかるみ.com」でも聞きながら呑みたいのに、無理そうです。何時に終わるかなー。うー。でも、他の部署の友達も同じく出勤なので、まだ気が軽いです。仲間がいると思うと。

 ヤフーBBの顧客情報流出事件。はい、私も加入者ですので、たぶん該当します。ソフトバンクからは事件報道のすぐあと、2月25日にお詫びのメールが届きました。まあ、文面は丁寧で誠実な感じ。事件の詳細について新たな情報が分かったらきちんと説明していく、といった内容が書かれていた。それからメールはないけど、報道では、データが流出したお客さん全員に、500円の金券を送るとのこと。あら、ちょっと嬉しいじゃん、と思ったけどそれもつかの間。私の情報って、500円なんすか。住所やメアドが書かれていて、それが500円。金額の問題じゃないけど、でもね。なんかね。例えば、申込者=世帯主の場合が多いとして、住所まで流出データに乗っているということは、申込者が女性の場合は、その人が世帯主である=1人暮らしの女性という可能性高い、ってことですよね。事件の報道がされてから早いうちに顧客への対応を、との思いなんでしょうが、反面、金券を全員に送ってとりあえずそれで黙らせられる客は黙るだろうってな姿勢が見え隠れ。「お、トクした」と思う人は確かにいるかもしれないけど、500円より自分についての情報がどこにどう流れているのか不安に感じる向きには大いに不信感を与えます。ましてや、一時期ヤフーBBの新規加入キャンペーンは、出かける先のあちこちで、駅や家電量販店の店先で必ずと言っていいほど行われていて、通るたびにサンタクロース姿の勧誘員にしつこく追いかけられて、「もう加入してますから」といちいち断っていたのをあまりよい印象を持たなかった私としては、あれだけ大々的にしつこく加入キャンペーンをして、しかもモデム無料と言いながら紙袋に入ったモデムをばらまいていていながら、肝心の一番大切な顧客の情報についてはいい加減な管理しかしてなかったんだと思うと、さすがに、なんなんだよー、と、不満を感じます。代理店にも顧客情報にアクセスするIDとパスワードを与えられていたとか。
 新規加入キャンペーンとか、新しい商品の開発よりもまず、顧客情報の管理をお願いします。


2004年02月26日(木) 3月は馬力。

 旧暦の2月7日。
 あと3日で今月も終わり。閏年なのに、ぜんぜん余裕のない月。最後の最後に土日がくるので、月末業務に余裕がない。ということで今週は自宅に寝に帰るだけの毎日となっております。
 
 春ってとても好きなんだけどなあ。
 桜の蕾が膨らみ始め、一斉に咲く時を待ちわびながら宵闇を歩くなんて、嬉しいはずなんだけど、今年は仕事のことがずずーんと頭の上に乗っかって、重いです。ほえ。
 友達との約束、延び延びになってる新年会、気心知れた仲間との呑み会も、この時期やっぱり多くて、3月は相当忙しいです。でも、仕事を離れたところでみんなとわいわいやったり、しんみりサシでお酒酌み交わしたり話し込んだりするのは大切。なんだけど、仕事の見通しが分からず、プライベートの約束の日にちがなかなか決められない。そうこうしているうちに3月は過ぎてしまうのか。いや、ごめんなさい、ちゃんと連絡しますから、待っててけろ。
 あと大学の新学期の手続きもせねばならないし、読みたい本もたんまり溜め込んでいる。やりたいこと滞ってるし。時間足りないですよ。私の要領も相当悪いのですが。
 あーやはり、1日30時間欲しいです。
 ここで体調崩したら予定が狂いそう。


2004年02月25日(水) ダブルスピン投法とは。

 旧暦2月6日。
 あと少しで2月が終わってしまう。ひょえ〜。
 
 ダブルスピン投法とは。。
 野球に詳しいわけではありません。今日初めて知った言葉です。
 というのも、会社に1枚のファクスが届いたことから始まります。ファクスが届いたんでさあ。ファクスの機械の前で、それを手にしたとき、全く意味が分かりませんでした。
 A4の紙に、いきなり住所、郵便番号、電話番号、氏名が書いてあり、下半分に「ダブルスピン投法解説&『根を生やして』を着払いで送ってください。よろしくお願いします」とあったのです。筆跡から判断するに、どうやら中学生の男の子らしい。住所は、西の方の県の、山深い所でした。
 で、ダブルスピン投法とはなんぞや・・と周囲の人とともにネットで調べてみたら、野球の、魔球の投法であることが判明。『根を生やして』は、ダブルスピン投法の「6つの必須モーション」とありました。私のいる会社はシステム屋さんなので、野球とは無縁なのです、はは。中学生君、送信先間違えちゃったんですね。書いてあった番号に電話をかけて、間違えていることを教えてあげると、お母さんらしき人が、恐縮しまくってました。
 いやいや、でも、彼のおかげでこちらも魔球について知ることができたのです。
 それにしても、サインペンで一生懸命書いたけど曲がっちゃった文、いきなり住所をどどんと書く。宛先もなし。なんだけど、なんだか一生懸命さが伝わってきて、かわいい。送られてきたファクスをネタに、皆でひとしきり話が盛り上がってしまった。
 野球少年健在ですな。君の魔球を早く見たい。甲子園期待してるで!!


2004年02月24日(火) 自分の暮らし。

 旧暦の2月5日。
 帰宅して銭湯に入り、銭湯脇のコインランドリーで洗濯も。が、コインランドリーの閉店24時ぎりぎりに脱水が完了。。。乾燥する時間がなかった。がっくり。
 引っ越して洗濯機置き場ないし、前のアパートで使っていた洗濯機はもう壊れて処分したし、で、コインランドリー通いなんである。これが、まるまる1時間はそばにひっついていなければならないので結構めんどくさい。洗濯機が回っている間に隣の銭湯に行く時間はあるけど、あとは乾燥機の前で本読んでるかなんかしてるか。
 でも自分の着るものだしね。

 
 


2004年02月23日(月) 自転車通勤再開。

 旧暦の2月4日。
 およそ3ヶ月ぶりに自転車通勤再開。
 朝、外階段の踊り場に立って、風の強さを確かめる。うん、大丈夫そう。でも、午後から強くなったらどうしよう。・・・天気予報はあまりアテにならないと感じる今日この頃。自分のカンでいくしかありません!?
 行きは気持ちよい天気で漕いでいるうちに暑くなってきましたが、帰りは辛かった。風、やっぱりちょっと強くなったし、寒さもまだ厳しかったです。素手だと冷たい冷たい。
 それにしても体が重い。坂道登るのを避けたくて初めての道に入っていったら少し迷って結局疲れてしまった。
 でも、銭湯の露天風呂の熱いお湯につかると最高に極楽気分。
 月が見えない代わりに、青白いシリウスが空に浮かんでいました。露天風呂から見るシリウスは、いろいろ想像をかき立ててくれる。
 宇宙人、どこにいるんだろか。。


2004年02月22日(日) 駄目だな。。

 旧暦の2月3日。
 暖かい。セーター着て暖房器具つけていたら暑くて暑くて。でも風が強いので自転車に乗れない。落ち込むのであった。
 
 昨日三味線のお稽古に行った知人宅で、文学談義に花が咲いてしまった。あー、自己嫌悪。そういう話になるとつい偉そうなことを喋ってしまう自分が嫌。何を言おうとどう主張しようと、小説書けなければ所詮話にならないのであって。今の私に必要なことは、文学論を人様にぶつけることより、書くことです。それだけです。
 反省したので今日は1日机にかじりついて・・・いた。
 と言いつつも、まったく書けず。ちょっと書いては原稿用紙から目を離してホケーッとして、パソコンの電源入れてみたり、手元の本をめくってみたり。挙げ句の果ては広辞苑枕に昼寝(ちょうどいい高さなので)。
 こうして終わってしまう休日をどんどん積み重ねて、貴重な年月を無駄に費やしてしまうのか。
 もっと自分を追いつめていかないと。
 自分に厳しくならないと。

 ・・・って言いながらまた怠けてるよ。


2004年02月21日(土) 神保町で呑む。

 旧暦の2月2日。
 昨夜は乙女二人で神保町の蘭奢待(らんじゃたい)にくり出して、遅くまで呑んでいた。そりゃ控えましたとも。胃を壊していたのでお酒はほどほどにしましたよん(^O^)Y
 出てくる料理、箸をつけるのがもったいないくらい綺麗な盛りつけで、しかもどれも美味しかったです。お皿が運ばれてくるたびに嬌声を上げてデジカメと携帯カメラで撮影して喜んでいた可愛らしき呑んベイ達であった。鶏肉の焼き加減もちょうど良くて、コクがある鴨肉のサラダはホールの赤胡椒との組み合わせがベストマッチ。豆腐と温野菜のサラダは洋風の味付けなんだけど、これが焼酎によく合った。

お酒も珍しいものが揃っていました。「酔鯨」もあったよ。でも、昨日は日本酒ではなくて、黒糖の焼酎をいくつか呑んでみました。いつも自宅で芋焼酎なのですが、相方がお酒に詳しく、黒糖焼酎美味しいよ〜、と教えてもらい呑んでみたら、これまたまろやかで激ウマ!でございました。黒糖焼酎にはまりました。
小さなお店で、常連さんが多いようです。店員さん達が皆気さくでとても居心地が良く、喋って呑んでゲラゲラ笑っているうちに地下鉄の終電逃してました。でもお店は午前3時すぎまで営業とのこと。うー、近所に住みたい!
 お気に入りの呑み処がひとつ増えたナ♪
 
 ・・・深夜のとげぬき地蔵(高岩寺)はさすがにガランとしてます。これこそまさに伽藍ですな。境内の洗い観音様も昼間はぐるぐるの行列ですが、午前○時はあたろー独占状態でござりました。深夜に観音様にひしゃくで水かけまくっている美しき乙女がおりましたら、それは私です。
 


2004年02月19日(木) 雨水

 旧暦1月29日。
 今日から雨水。
 「雨水」、読んで字のごとく・・・なんとなく意味は分かるのだけど、説明せよと言われると、はて。
 「広辞苑」には、「太陽の黄経が330度の時で、正月の中。太陽暦の2月19日頃に当る。」としか記されていない。知りたいのはなぜ今の時期が「雨水」と呼ばれるのか、なのじゃ。「大辞林」(←これはWeb辞書)で見てみると、「広辞苑」と同様の記載の後に「草木の芽が出始めるという」とある。でもまだ納得がいかない。他に何冊かある国語辞典をひっくり返す(結構辞書好き?だったりします@_@)。どの辞書も「広辞苑」と同じような説明しかない、と諦めてたらありました、「新明解国語辞典」の「雨水」の項には「雨水の肌に与える冷たさが和らぎ、草木が芽ぐみ始める時分の意」だそうです。さすがは明解さん。
 でも、最近読んだ「大江戸生活体験事情」(石川英輔・田中優子著、講談社文庫)には「雨水」について、「雨水とは、雪が雨に変わる時期をいい、東京地域では湿気が増してまず雪になり、次第に雨に変わっていく。」と書かれていた(この本、すっごく面白かったです)。
 んー。どっちも当てはまるんだろうなあ。でも、それぞれ目の付けどころが違うみたい。んー。まだ納得がいかない。
 と、季節を表す言葉とくれば、「季寄せ」(角川書店)。巻末に、「二十四節気七十二候表」というのがあった。どうやら二十四節気をさらに「初候」「二候」「三候」の3段階に分け、1年で七十二候にしたものらしいです。中国の七十二候と、日本の七十二候では結構違いがあるようですが、その違いも面白くて楽しめます。ちなみに、「雨水」の「初候」は「獺祭魚(だつうおをまつる)・・・獺が捕った魚を岸に並べ、祭りをしているように見える」が中国、日本は「土脉潤起(どみゃくうるおいおこる)・・・雨が降って土が潤う」だそうです。さらに、日本の「雨水」の「二候」は「霞始靆(かすみはじめてたなびく)・・・霞がたなびき始める」、「三候」は「草木萌動(そうもくきざしうごく)・・・草木が芽吹き始める」とのこと。各候それぞれ4〜5日ずつ順番に当てはめられていますが、なるほど、「新明解」も「大江戸生活体験事情」の記述も、どちらも「雨水」を表しているのに間違いはないのですね。
 あと、どこでだったか、誰が言ったのか忘れてしまいましたが、雪国ではこの頃雪が融け始めて水となるから「雨水」というのだ、というのも聞いたことがあるなあ。当然地域によって違いますよね。
 
 それにしても、獺(かわうそ)が魚を岸に並べて祭りをする様子って、想像できないんですが。。。これは、その前の「立春」の「三候」が、「魚上氷(うおこおりにのぼる)・・・氷の間から魚が姿を見せる」(中国、日本ともに)とあるので、それを受けての表現なのかな?獺くんが嬉しそうに魚を捕りまくって騒いでる様子なんでしょうか。。
 おちゃめですな。


2004年02月18日(水) はよ寝ます

 旧暦1月28日。
 昨日人様のミスを笑ったりしたものだから、きっと罰が当たったんでござるな、胃痛で会社を休む羽目に。やらなきゃならない仕事沢山あるのに。明日はどうなることやら(-_-;)
 平日の昼間に自宅にいるとなんだか罪悪感を感じてしまう。ふだんはもう会社に行く支度をしてごみ出しに行く時間に、スウェットとショッキングピンクの分厚い靴下とサンダル履きに、ぼさぼさ頭でごみ袋ぶら下げて外に出る。タイミングよく(?)下の大家さんのおばちゃんと一緒になる。「あら」「はあ、今日はちょっと会社お休みします」「あら、ダイジョブ?」その後、部屋は寒くないか、どんな暖房器具を使っているのか、ガスストーブ?ファンヒーター?電気ストーブ?と聞かれる。・・・大家さんと暖房器具の話をするのはこの冬4度目なんですけど。。。ま、いっか。
 夕方5時にもう銭湯に行く。平日のこんな時間なのに混んでいる。湯船に浸かっていると、「あら」。知り合いのおばさん。「早いじゃない、今日はなに、どうしたの?」「ははは・・・」
 サラリーマンな私。


2004年02月17日(火) ピーピー腹殿

 旧暦の1月27日。
 今日は暖かかった。地下鉄の駅から地上に出るときに、グッと体を硬くして寒さに備える癖がついている、でも、今日は「あれ?」って肩すかし食らったように空気が柔らかくて、ほっとした。昨日までとはうってかわって不思議なくらい春めいていた。

 今日中にやらなければならない仕事はなくてキリがよかったので(ほんとはいっぱいあるのですが)、18時で退社。やっほーい♪嬉しくてわくわくしながら帰宅した。こんなことで喜ぶなんて私ってかわいいねエ。・・つうか、そんなことしか喜びがないなんていい若い娘がつまんない人生だね(ーー)

 突然飛びますが、会社の部長の話です。
 このお方はメールの変換ミスが多く、部下としては毎度ヒヤヒヤ&ゲラゲラさせられております。・・・あんまりばらすと上司の名誉に関わるのでここでは黙っておきますが、部長の変換ミスの多さは社内ではちょっと有名です。しかも、人がしないような突飛な変換をしてしまう。そしてその言葉が文章の中でちゃんと活きて、重要な役割を果たすまでに進化してしまっているのだから、ある意味凄いし、恐ろしい。。とくに仕事上のやりとりであるからして。。

 今日の話です。
 部長が、さらにその上の偉い人にメールを書いた。
 いつものようにブラインドタッチ。が、この方の場合、キーボードも見なければ、画面も見ていない(としか思えない)。確かに、顔も視線も画面に向いているのだけれど、ほんとに字面を追っているとは誰も信じまい。
 ・・・まず最初に相手の名前を入れる、その名前が、「大原殿」とすべきところを「pp腹殿」となってしまった。「p」である。しかも「腹」である。キーボード上では、「O」の隣に「P]がある。「OO」と叩いたつもりが、「PP」と叩いてしまった。さらに、「原」と変換したつもりが(なんだろうが)「腹」になった。機械はかしこい。ふつう「Pやp」とくれば次は「腹」だろうと判断してくれたらしい。
 受け取った大原さんが「ひどいじゃないか」と抗議に来た。いくら何でもピーピー腹と言われては、誰だって怒るに決まってる。しかも相手は目上の人だ。しかもしかもメールの内容自体はシビアなものだったらしい。それにしても、送信前にどうして気づかないのか、不思議でならない。。
 ああ、もう、私、何も言うまい。
 世が世なら、お手討ちモノではないか。
 例えば江戸時代、家臣が主君に「下痢下痢でんでん腹殿」と書いた書状を渡したとする。お咎めなしで済むわけがない。部長は現代に生まれたことを幸福に思うべきである。「ピーピー腹殿」でみんなが大笑いして済まされるのだもの。
 と、書いてきて、ふと思った。
 むしろ、江戸時代のほうが部長にとっては良かったかもしれない。
 パソコンなんてなかったものね。
 


2004年02月16日(月) 勉強したいです。。。

 旧暦の1月26日。
 月曜から夜中帰宅なんであるからして、週末にとれたはずの疲れがどどどっとまた一気に体中にへばりついてしまった。
 こんなこと言うとあたろーはエラぶっていると思われるかもしれないけど、今とにかく勉強がしたいです。分かってくれる人は分かってくれると思う、この気持ち。。。自分の好きなテーマの勉強なら、何時間続けたって苦にならないです。おしゃれもテレビも旅行もご馳走もいらないから、勉強の続きをしたいです。平日もせめて夜8時までには帰宅して、9時から勉強始めたいです。それもままならない今の自分。帰宅してお風呂入って寝るだけで精一杯の毎日は、本来自分がやりたいことからどんどん遠ざかっていくようで、不安です。読みたい本が机の上にあるのに、一度も開けないまま布団に潜らなければならないのは苦痛です。
 明日は1分1秒でも早く帰宅できるように、もっと要領よく仕事します。結局何事も自分次第なんだろうし。。。
 愚痴ってすいません。おやすみなさい〜。


2004年02月15日(日) 新書ブームですが。

 旧暦の1月25日。風が強い。
 今朝ふと思ったのですが、昨日書いた日記の「45歳独身オヤジ・・・いや、男性」、あれは私の主観です。「45歳独身男性」が皆そういう休日を送っているわけではないので気を悪くせんといてください。私にとっては憧れですが。

中央公論新社のサイトに、訂正のお知らせ 中公新書ラクレ「『超』英語力」(初版)というのが掲載されていた(2月15日の午後はメンテナンスで見ることは出来ないようです)。すんごい間違いだらけ。英語は無知な私ですが、こんなにいい加減な校正でよく売りに出したなあ、と呆れた。
 近年の新書ブーム、私も新書好きなので嬉しいです。今話題になっていることや注目されていることが、間をおかずすぐに取り上げられて新書になる。「この件について知りたいな」と思ったら本屋の新書コーナーに行くと、だいたい関連する本が見つかるので入門としてまず新書。すんごくありがたい。昔は新書と言えば、岩波・中公・講談社だったけどここ数年で他のシリーズもどんどん登場して、私は勝手に「新書戦国時代」と命名してます。だって、大型書店ではそうでもないけど、小さな書店に行くと、老舗の新書シリーズのスペースを駆逐するように新参のシリーズが幅をきかせて書棚に並べられてたりするので。タイムリーな話題に関する本を探している場合は、いろんな新書シリーズの最新刊が並んでいる方が助かるけれど、岩波新書や中公新書の中の、すでに古典的な地位を獲得して評価も固まっているような「名著」を探して本屋を訪れたのに、目指す書名がなくて、代わりに「売らんかな」的な一過性のテーマで目立ってる新書がデデンと置かれてあったりすると、がっかりしてしまう。一過性のテーマが悪いわけじゃない、むしろそういうテーマを専門家が分かりやすく語ってくれるというのも新書に与えられた役割なんだろうけど。
 ちょっと生意気言わせてもらえば、新書という形で書店に並べれば、どれも皆それっぽく見えてしまうことをいいことに、いい加減な内容のものも結構あるような気がする。単行本として売るにはコスト的にも内容的にもリスクが高い、なので手っ取り早く新書、という感じの本もある、と思う。専門家が書く入門書、という新書の概念が崩れてきたのかな、という気も。それならそれでもいいし、どういうテーマでもいいけど、お金を払って本を買う側としては、きちんと校正された間違いの少ないものを買いたいのです。辞書だって間違いはあるくらいだから全く間違いのない本を作るのは大変な作業だろうけど、いくらなんでもこれはひどすぎるだろう、って、中央公論新社の例のページを見て思ったわけです。ブームに乗ってどんどん売りに出すばかりじゃなくて、ちゃんとした本を出して欲しい、って思う。


2004年02月14日(土) オヤジる

 旧暦の1月24日。
 
 午前2時頃にアパートの前でいつもの猫の喧嘩。例によって互いに延々唸り続けるだけかと思っていたら、いきなり「ギャウッ」「ギョワーッ」と、始まった。珍しく取っ組み合いに発展したようで。
 いつどこでも寝られるのが特技なので、猫の喧嘩ぐらいで寝不足になった訳じゃないけど、今朝はなかなか起きることが出来ずに、10時近くになってようやく布団から這い出した。外は晴れ。
 遅い朝ご飯食べてコーヒーすすりながら、ネットでニュース見て、体が動かないのでそのまま「オール讀物」めくって拾い読み。昼食食べて、またコーヒー飲んで、机の周辺にある本をあれこれ手にしては眺めて、いつのまにか眠くなって昼寝。青い空が二方向からの窓に大きく映えて、なんとも穏やかで気持ちよくって、まどろみながら(毎日こうして昼寝したい・・・)とかなわぬ夢を見た。しばらく寝て目が覚めて、またコーヒー飲みながら本を読んで、夕方銭湯道具を持って銭湯へ。いつも行く近所の銭湯は、銭湯にしては施設が豪華なためか、休日は家族連れが車で大挙して押しかける。そのため休日は10分くらい歩いてちょっと遠いほうの銭湯へ行く。こっちはいつもすいている。おまけに薪で沸かすお湯の熱いこと熱いこと。ちょっと湯船に浸かるだけでポカポカの心地よさ。壁に描かれた海と山の絵も好き。
 銭湯を出て本屋に入って新刊をざっと見て、「週刊文春」を買って、スーパーに寄り食材を調達して帰宅。今夜はビールと日本酒の組み合わせで行こう。と、韮やネギを刻み、挽肉と混ぜて皮で包んで餃子を作る。あとはキュウリに味噌つけて、冷や奴用意して、インターネットラジオの「ぬかるみの世界」を聴きながらのんびり晩酌。そこへ妹から電話。しばし時代小説談義。彼女は今藤沢周平にどっぷりはまっている。
 
 私の本日のコンセプトは、「45歳の独身オヤジ」だった。はぁ言っときますがもちろん女湯に入りましたですよ。でもあとはオヤジな1日だった。気がついたらそうなっていた。でもそれが十分幸せだったりする。実はオヤジに生まれ変わりたい。オヤジに生まれ変わったら、アパートの近くに職を見つけて、昼は同僚と連れだって蕎麦屋ののれんをくぐり、夜は近所の焼鳥屋でクダを巻く、そういう毎日を送りたい。
 あぁ、オヤジになりたい。
 会社でも、これからオヤジに変貌していくであろう(すでに変貌しつつある)男性諸氏が羨ましい。
 
 


2004年02月13日(金) げろげろ。

 旧暦の1月23日。
 下弦の月。でも、曇ってて見えない。

 仕事で遅くなって地下鉄の終電。
 混み合っている車内なのに、中ほどがやけにすいている。私の前に乗り込んだ男性がなかなか前に進んでくれない。デンと前に立ちはだかっている。なんでよー、つり革沢山あいてるじゃないのよー、と思って前方を見ていると、奥から別の男性が首を振りながらこっちに出てきた。
 よく見ると、長座席の真ん中を3人分使って泥酔状態?の若い男性が斜めに崩れるように座って、口を半開きにして顔を上に向けて眠りほうけている。で、その足元には・・・・。
 おげろが。
 ばぁっと、茶色く丸く広がって。

 どうりでみんな引いているわけだ。
 他の電車に乗り換えたくても、あいにく終電なので嫌でもしがみついていなければならない。
 
 見ず知らずの人の、しかも酔っぱらいのお戻しになったモノと一緒に狭い地下鉄で運ばれる気分って、あんまりよいものじゃないですな。苦しかった。みんなが胃の中に持っているものなんだろうけど、外に出てしまうと見るに耐えません。おげー。。。

 途中から乗ってきた若者2人組が面白がって、吐瀉物の元の持ち主の前に立ち、それぞれの携帯のカメラで撮影していた。
 んなもん撮っていったいどうすんじゃ〜。

 あれ、掃除する人、気の毒です。
 地下鉄で働いている方々のご苦労をお察し申し上げます。


2004年02月12日(木) 子猫の気持ち。

 今日は旧暦の1月22日。
 
 新潟に住む妹からメール。幼い子供達に囲まれて、忙しいけれど穏やかで充実した毎日のよう。
 実は昨年12月の中頃に、疲れ切って半泣き状態で夜中に電話をしてきたことがあった。
 
 妹家族が古い借家に住んで2年ほどになる。引っ越してきた当初は長く空き家で、縁の下に母猫と子猫3匹が住み着いていた。猫好きな妹は乳児を抱えていたため猫を家の中にこそ入れなかったけれど、外でご飯や牛乳をあげたりしていた。その頃私との電話では、確かに「猫の鳴き声が賑やかでね、でも、かわいいの」と楽しそうに話していた。
 それが、いつの間にか子猫が1匹消え、2匹めが消え、さらに親猫も消え、最後に1匹だけ子猫が残るだけになった。子猫といってももうニャーニャー一人前に鳴ける位には成長していたけれど。
 1匹残った猫はしばらく母猫や兄弟達を求めて鳴き続ける毎日を縁の下でおくったあと、ある日ぱたりと姿を見せなくなった。そんなに猫にかまうほどの余裕もなく、子育てに夢中だった妹が知るのは、ただ、1匹ずつ猫を見かけなくなり、とうとう最後の猫もいなくなってしまった、という程度で、死んでしまったのかも、単に遠くへ移動したのかも当然分からない。
 
 それから1年以上たち、そういえばこの家の縁の下に前は猫の親子がいたんだよね、位に記憶も薄れた頃、3歳になる長女が、家の中で異様にびくびくするようになった。長女は、おっとりしているというかのんびりしているというか、妹が「この子ほかの子に比べて成長が遅くて心配」と言う位、言葉をしゃべるのも遅かったのだけど、独特の感受性が発達しているらしいと妹が気づき始めたのは昨年の秋の終わり頃だそうだ。
 昼間でも夜でも、1階の居間の一角を見て急に激しく泣き出し、「どうしたの」と聞くと指さしながら「にゃんにゃんが怖い、にゃんにゃんがいる」と言う。その方角にはテレビと壁しかない。また、買い物から帰宅して家の脇の駐車場に車を入れると、目の前にある木を見て堰を切ったように泣き出す。「にゃんにゃんがいる、こっち見てる、怖い、怖い」だそうだ。そのため、彼女は車に乗るときは後ろの座席に行きたがる。ふつう子供は運転席の母親の隣に座りたがるものだけれど、彼女は助手席には座らず、後ろの座席に逃げ込む。車の時はそれで解決するけれど、家の中はそうもいかない。次女が機嫌良く遊んでいる脇で、長女はしょっちゅう部屋の一隅を見て立ちすくみ、震えて泣き出す始末。そのたびに妹は「大丈夫だよ、にゃんにゃんなんていないよ」とあやすけれど、「いる、いる、怖いよう」の一点張りで、片方が泣き出せばもう片方もつられて泣くのが子供、しまいには家中に幼い子供2人の泣き声が響く、という毎日で、妹もさすがに疲れがたまっていった。
 そういう毎日がしばらく続いたある日、いつものように買い物から帰宅し、子供達と一緒に家の中に入ると、狭い玄関からすぐの居間の方から、ぷーんと、獣の匂いがした、という。実家には猫と犬が何匹もいるので、私も妹も猫のいる家の独特の匂いを知っているけれど、その、猫の匂いが確かにしたそうだ。それが、居間のテレビのあたりで強く感じられる。まさか、留守中にどこからか入り込んだかと思い、あたりを確認したけれど、何もない。その時の長女は、やはり、「にゃんにゃん、怖い、いやだ、いやだ」と言いながら居間に入ろうとせず、泣き叫んでいたそうだ。
 旦那さんと二人で「いったいどうしたもんだろうね」と思ったりはしたけれど、長女が怯えて泣くのはたいてい旦那さんが仕事で不在の時なので、彼がその現場を目にすることはない。現実にその場面に毎日直面している妹のほうは、母親と子供達だけの部屋で、長女が神経を尖らせてびくびくし、怯えて泣く、それに連鎖して次女も泣く、という繰り返しに、自分も泣きたいほどくたくたになってしまった。

 それで、12月になって、妹は私に電話で相談してきた。実は、実家の両親、特に母は、幽霊とか、不可思議な出来事について語り合うのを異様に嫌う。たぶん母方の祖父と、父方の祖母が生前それぞれなんやかやと不思議な経験をしていてその手の話を聞かされるのがいい加減嫌だったらしい。私もそのケがあるのだけれど、実家の廊下にこういうのがいた、とか、寝てるときにこういうめにあったとか話すと叱られるので、妹だけに言うようになった。我が実家ではタブーな話題なのである。でも、妹だけは私の話に興味を持って聞いてくれていた。
 話を戻すと、12月に妹から電話があり、長い長い説明を受けた。最後のほうでは彼女も涙声になって、長女が最近どんどん情緒不安定でおかしくなってきているし、家の中もなんとなく陰湿で暗く感じられる、どうしたらいいか、と言う。はあ、ちょっと困った。幼い子供の中には特にアンテナが鋭くて、他の人に見えないものが見えたりする子も多いと思う。それと一緒になって母親までこうも神経質になり始めると、ただでさえストレスも溜まる核家族の子育てでもあることだし、妹の性格からしてともすると危ないなあ、と姉として心配になった。こういう時は、カラッと明るくできれば解決することもあるんだけどなあ、なんて、思いながら、うーん・・・。でも、まさか、テレビ番組みたいに、祈祷師とか霊能者呼んで・・みたいなこと、するわけにはいかない。世の中には理由も分からず悩む人の心につけこんで、お金を払えば何か他の力に頼って解決してくれるよう仕組む人もいるけど、それもちょっと違うし。
 妹は、早く帰省して、新潟に来たらまず彼女の家に泊まって、家の中を見て欲しい、と言う。でも、妹の話を聞いたら、長女が見て怖がっているものがどういうものなのか、疑う余地はないような気がした。
 まず、駐車場の木は、猫たちがよく登って遊んでいた木だそうだ。居間のテレビの下あたりが、縁の下でもちょうど猫たちが休んでいた位置らしい。
最後に1匹残って毎日親と兄弟を求めて鳴いていた子猫。そのあたりにもしかしたら死んでいるのかな、という気がした。寂しいんじゃないかな、と思った。だから、妹に、必要以上に怖がらないで、猫が生きてたときのように、時々お皿に牛乳を注いで縁の下の入り口か、テレビの隣に置いてあげることと、長女には、「にゃんにゃん、確かにいるね、遊んで欲しいからこうして来ているんだよ」「にゃんにゃんにばいばいしようね、にゃんにゃんばいばい」と言ってあげるように、と伝えた。それから、時々、頭の中で、子猫が母猫たちと一緒に仲良く去っていく様子を想像してごらん、と教えてあげた。たぶんそれをしばらく続ければ状況も変わると思うよ、と。
 その時、妹が、「塩も盛っておいた方がいい?」と聞いてきたけれど、それは必要ないんじゃないかと思って「いらないんじゃない」と答えておいた。一人暮らしならまだしも、旦那さんも旦那さんの両親も近所の人の目もあることだし、そこまでしなくても・・・と私は心配したのだけれど、結局妹は部屋の隅に塩も盛っておいたらしい。まあ、塩は浄化の意味もあるというけれど。ただ、一番大事なのは、猫に対する「気持ち」なのかな、という気がした。

 果たして、それから1週間後、妹から電話がかかってきて、私に聞いたとおりのことをやってみたら、長女も泣かなくなったし、匂いもなくなった、部屋の中もなんとなく明るくなってきたような気がする、とのこと。
 結局、年末に帰省した時、私は熱があったせいで妹の家には寄れなかったけれど、その必要もなかった(私が行ったからどうなるってわけでもないだろうけど)。それからも、妹からはかわいい姪っ子達の遊んでいる姿が携帯の写真で送られてくる。ほんと楽しそう。
 
 それにしても、人間も含め、動物の想いって、強いんだね、と、その後妹としみじみ語り合ったのでした。
 


2004年02月11日(水) 梅の花

 旧暦の1月21日。
 昨夜は仕事を終えてから友人と夜遅くまでおしゃべりしていた。
 気兼ねなくメンタルなことや本の話をし合える相手は嬉しい。
 銀座で食べたモンブランのケーキが、すっごく美味しかった!あんなに美味しいのは初めて。。。

 今日みたいに週の真ん中が休みだとほっとする。・・・でもほっとしすぎてあっという間に終わってしまう1日。
 三味線のお稽古、浅草橋までポタ子(MTB)で行った。途中、湯島天神のそばを通ったら、梅の花の香りがふわ〜っと。。。
 江戸時代に表された『江戸名所花暦』(ちくま学芸文庫に所収)は、四季の花鳥風月を43項目に分類してひとつひとつについて解説をつけたもの。めくるとまず最初が「鶯」で、次は「梅」。梅が咲いてようやく花暦が始まる。次は「椿」「桃」、そして「桜」。これから4月まで、春が少しずつ近づいてくる楽しみを花たちが感じさせてくれるんだなあって思ったら、寒さが急に吹き飛んだ。
 それにしても、不思議、というか、面白いというか・・・街の風景がどんなに変化しても、花の香りは昔からずーっと一途に同じなんだよなぁ。


2004年02月09日(月) 紙の上の文字。

 今日は旧暦の1月19日。
 曇りがちで、痩せていく月を観ることができない。

 今日は残業せず、銭湯に寄って20時半に帰宅。朝から水に浸しておいたお米を文化鍋で炊いている間に冷凍庫からウィンナーを出し、軽くゆでた後、冷蔵庫の獅子唐や舞茸、玉葱と一緒に炒める。オリーブ油、ニンニクで強火でサッと炒め、獅子唐の青さが鮮やかなうちに、酒、醤油をザーッと回し入れ、あまりかき混ぜずに、むしろ味にムラが出るようにして、最後に粗挽き胡椒をパッパと振り、火から下ろして、ご飯を盛ったどんぶりの上に乗せる。
 平日の夜とか、忙しい時とか、もっと時間を節約したい場合のご飯は、たいていワンプレートディッシュか、丼もの、あるいは麺類です。炭水化物のとりすぎにならないように、具は野菜を多めにして見た目で満足感を得られるようにします。ワンプレートの時は、常備菜をちょこんちょこんと盛って、流行のカフェご飯みたいな雰囲気にして気取ってみる。で、机に座ってパソコンの画面見ながら食べちゃう。誰にもとがめられないから、とってもお行儀が悪い。
 忙しくて手抜き料理が多いけど、それでも、外で食べるよりはマシ。平日は圧倒的に外ご飯だけど、ほんとは自炊しない日が数日続くとすぐ体調崩す人間。気がつくと、作っている料理は、しぜんと、自分の体にそのとき足りてない素材を使ったモノになっている。自分の体と一番長くつきあっているのは自分自身だから。・・・もっと自分の手でご飯を作る日を増やさないと。

 「一太郎2004」をあれこれいじってたけど、とても使いやすいなあって思った。使い込んで、自分のワープロに育てていこうと思う。まずはこちらが使われないようにしないと(笑)。
 
 朝起きてまずパソコンの電源を入れ、会社でも一日中パソコンを使い、帰宅してもパソコンを触り、と、一昔前に比べたら数倍もパソコン三昧の自分。今や新聞までパソコンで読み、メールマガジンやデジタル本をザウルスに入れて外にでる。手紙よりメールのやりとりのほうが断然多くなり、携帯電話の画面も日に何度も見る。そんな私だけど。

 紙に印刷された文字と、手書きの文字がやっぱり一番大切です。

 デジタルな文字はいつ目の前から消えてしまうか分からない、そんな不安に駆られながら読んでしまう。紙に書かれた文字は、ページをめくる感触を味わうことのできる本は、目の前から逃げていかない、こちらが望めば、いついかなる時でも、何度でも語りかけてくれる、そんな安心感がある。古い本の黄ばんだページ、活版印刷の味のある文字、読みながら共感して引いた傍線。分からなくても背伸びして分かったつもりで検討つけた傍線。。食べながら読んじゃった時にページに挟み込まれた、お菓子のくず。。。
 電子文具をいじっている人もかっこいいけど、ほんとは、携帯電話のキーを指でいじくっている男性達を見ても、あんまり魅力的だと思えない。ビシッとスーツ着こなした男性が必死に小さな携帯の上で親指をもぞもぞさせている姿って。。。滑稽に思えてしまう。私自身も携帯メールしてるから、これは自分勝手な見方だとは分かっているんだけど。
 それよりも、電車の中やホームで、文庫本を読んでる人を見るとハッとする。いいなぁ、って思う。男性も女性も、斜め45度に視線を落として集中している表情って、どんな人でもドキッとするほどかっこいいんだって気づいたのは、もう何年も前。周囲からは見えない、自分の目の前にだけ展開する文字の世界に夢中になっている姿は、実はとても色気のあるものなんだって思う。
 ・・・これも自分勝手な意見ですが、電車の中とか、人前で漫画を読む男性って、かっこわるいと思う。あくまでも私の独断なので気を悪くした人がいたらすみません。でも、漫画は誰も見ていないところで読んで欲しいって思ってしまう。だって、漫画を読んでいる人の表情って、ページに描かれているキャラクターの表情そのまんまなんだもん。読んでる人は気づかないかもしれないけど。昔、ある漫画家のインタビューで、彼女が、漫画を描いている時は描いているキャラクターと同じ表情しながら描いてる自分に気づくんです、というようなことを言っていた。

 人様に読んでいただけるほどの出来にはなかなかならないのですが、小説を書いています。芽が出る出ないに関わらず、人の評価にこだわらず。初めて物語を書いたのは小学生の時、原稿用紙に。高校生の頃は、受験勉強をしている振りをしながら、机の引き出しに忍ばせた横書きノートに。
 20代の半ばを過ぎて、同人誌や物書きをしている先輩達の仲間に入れてもらい、自分の書いた作品を人に読んでもらう形にするために、ワープロで入力することを始めてから、しばらく、「書く」ってどういうことなのかな、と、自分なりに模索しながらやってきた。
 数年前に、「文学界」という文芸雑誌上で、書家の石川九揚氏の論述が契機となり、しばらく、「ワープロか、手書きか」という論争が続いた。何十人もの現役作家に、小説を書く際何を使って書くか、なんてアンケートまで採って掲載された。それを読んで思ったのは、文章を書くスタイルは人それぞれなんだなあ、ってことで、別に、紙に文字を書くという行為に普遍的な意味が込められる(小説に関して言えば)わけじゃないんだってことだった。手書きにこだわるひとはこだわるし、こだわらない人はこだわらない、ワープロだからといって中身の薄い小説になる、というわけではない。
 ただ、拙い文章ばかり書いている私だけど、私は、小説の場合、まず手書きです。原稿用紙に、鉛筆書きです。いきなりワープロだと、言葉が上滑りして脳みそより先に指先が思考してしまう。ストーリーを追ってしぜんと先へ急いでしまう。結果として、話の筋だけに重点が置かれて、行間から湧き上がってくる文章の生命力のようなものが、作品に感じられなくなってしまう。もちろん、ここに書いている日記は画面に向かって思いつくままにキーを叩きますが、小説の場合は、原稿用紙を真っ黒に埋める行為の繰り返し。書いた文字に線を引き、隣に小さく候補の言葉を並べ、こうと決めた表現を楕円で囲み、つぎはぎだらけの文章を、パッチワークよろしく並べ替え、膨らませ。。よく言われることだけれど、ワープロだと、文章を修正して更新してしまうと、修正する前の部分は消えて残らない。原稿用紙だと、あとで読み直して「あ、やっぱりここは最初に書いたのでいいや」と元に戻したり、文章の変化の過程を追うこともできるけれど、ワープロだとそうはいかない。いつも最新の文しか残らない。
自分の書いた作品をしつこく練り回すのが好きなのと、ゆっくり立ち止まりながら書く性格なので、原稿用紙に鉛筆書き、というスタイルが一番私に合っているようです。
 でも、手書きの大切さに気づくまで、あーでもないこーでもない、と、ワープロ書き、手書き、交互にしてみたり、それなりに試行錯誤でした。そのうち、ワープロで書いた文章と、手書きの文章では、自分の場合、呼吸というか、リズムも異なるということが分かり、書くモノの性質によってワープロ、手書きを使い分けるようになりました。今は、小説を書く場合は、まずは手書き、最後の清書だけワープロです。

 とりとめもなく書いてしまいましたが。。。。。
 デジタルなことに興味を示し、手を出しつつも、捨てちゃいけない大切なことも続けていこう、と、思っています。
 


2004年02月08日(日) あたしだって購読者です。

 旧暦の1月18日。
 昨日のことだけど、自宅に朝日新聞購読者対象の世論調査の電話がかかってきた。受話器をとると、品のよさげな年配の女性の声で、「少しお時間いただいてもよろしいでしょうか」とのことだったので、いたずら電話ではないな、と、気軽に応じた(10年前、そういう調査を装ったいたずら電話にひっかかり、性的な質問にくそ真面目に答えてしまったことがある)。
 本人と同居家族に情報サービス関連の仕事に従事している者はいないか、と問われ、次は、朝日新聞は朝刊夕刊両方配達してもらっていますね、と確認されたので、「私は紙の新聞じゃなくて、インターネットの朝日新聞のサイトで会費を払って朝刊を読んでます」と言うと相手は「はぁ・・・」と、いまひとつ理解できていない様子。なので、「IDとパスワードを入力してその日の朝刊を全部読めるサービスに入っています」と説明する。でもやっぱりピンとこなかったようで、「はい、質問は以上でございます。お忙しいところどうも失礼いたしました。ご協力ありがとうございました」「あ、はい、いいえ〜」と、電話は終わった、あっけなく。
 受話器を置いて、しばし呆然とした。
 夢の世論調査(世論調査受けてみたかったんだよ!)は、こうして、私の鼻先をかすめて去っていった。尻切れトンボの会話の後に、私が味わった虚脱感を、調査担当のおばちゃんは当然知らない。なんの調査か知らないけど、たぶんこの時期、自衛隊のイラク派遣についての意識調査あたりじゃないかと思う。そりゃ紙の購読より3000円も安いけど、購読者にはかわりないじゃんかぁ。それに私だって世論調査でたとえば小泉内閣不支持のウン%に貢献してみたい。自衛隊の派遣について一購読者として意見を言ってみたい。それを、それを・・・調査対象外とみなしてさっさと見捨ててしまうとは、ひどいではないですか。。
 と、いじけたけれど、いじけてもしょうがないので気を取り直して。たぶん、受話器の向こうの女性の頭の中には、新聞=紙というイメージが固定されているんだと思う。ネット購読、なにそれ?という感じなんだろうなあ。しかたないです。自分だって数年前には思いもよらなかった購読スタイルだもの。
 ほんとは紙の新聞のほうが読みやすいし、記事を切り取ってスクラップするというアナログな作業も楽しいんだけど。一人暮らしだと古新聞の整理が案外面倒だし、部屋も狭くなる。こまめに処分すればいいのだろうけど、あの記事切り取ってから、この記事後で読んでから、なんて思っているうちに部屋が乱雑になっていく。それがいやで。
 実家ではずっと「新潟日報」を購読している。私が生まれる前からウチでは新聞と言えば「日報」だ。上京して一人暮らしをし、しばらく読売と朝日を交互に購読していた私は、帰省するたびに日報のページの少なさと読み応えが今ひとつ足りないのに不満だけど、地方紙には地方紙ならではの良さがある。紙面作りに独特の味が出ている。だから隅から隅までずずずい〜っと読む。しかも、夕刊がないので、朝読んだ新聞を夜再び読む。翌日もまた読んだりする。ところが、母は、掃除の時に前日の新聞や広告をさっさと物置に入れてしまう。物置に行っちゃうだけなら取りに行けばいいのでかまわないのだけど、運が悪いと、物置の前の猫のプラスチック箱製のトイレの砂代わりにちぎって放り込まれてしまう。あの記事をもう一度・・・と思いながら物置に取りに行くと、タマやクマがジージジーッと音を立てながら放心顔でこちらを見ているその後ろ足の下にみるみる濡れていく見覚えのあるタイトル文字。何度抗議したことか。そのたびにもたもた読んでいるのが悪いのよ、みたいに言われてしまう。母の言うことも一理ある。マイペースで時間をかけて新聞を読む私のスタイルは、今の時代に合わないのかも。。。と、いきなり考えが飛躍してさらに落ち込む私。尻切れトンボな終わり方ですが今夜はもう寝ます、明日月曜なので。
 


2004年02月07日(土) ワープロジプシー

 旧暦の1月17日。
 昨日「一太郎2004」が発売されたので、いそいそと買いに行ってきた。
 会社でのワープロは「ワード」だけど、自宅ではまだ「これ」というワープロが定まらなくてなんか落ち着かなかった。「一太郎」は、1年半前までずーっとWindows95と一緒に「一太郎7」を使っていて、OSもソフトもぜーんぜんバージョンアップしないでのんびりこんとしていたのだけど、新しいパソコンに買い換えてOSがいきなりWindowsXP(^^;)になってからは使っていなかった。今自宅ではNEC製LaVieのA4ノートをメインにして、外出用にSharp製MebiusのB5ノートも使っている。A4のほうには「ワード」が入っているけれど、B5のほうには入っていない。ほんとに軽いモバイルノートなのでほんとにシンプルなソフト構成だったのです。。。そこがよかったのだけど、私が自宅でパソコンをいじるときに一番使うのはワープロなので、はよ気に入ったワープロソフトを見つけないと、と思っていた。で、はじめの頃、2台には「秀丸エディタ」「QXエディタ」を入れて使っていたのだけれど、どうもしっくりこない。起動も速くて使いやすい、人気のあるエディタとは分かっているのだけど、長く「一太郎」に慣れてしまっていた身にはどうも。。これは嗜好の問題であるかもしれませんが。それともワープロとエディタの違いでしょうか。それで最近では2つのエディタは使わず、A4では「ワード」、B5では「ワードパッド」を使い、外でB5を使って帰宅したらメインのA4の「ワード」に読み込んで・・・という作業を繰り返していた。
 でも。。。
 B5ノートを使うのは、主として図書館で資料をめくりながら必要事項をまとめ写すとか、大学のレジュメ作成とかなので、文字をどんどん入力していく分には「ワードパッド」の機能にさほど不満はないはずなのだけれど、なにせ、仏教語や江戸時代の言葉や用語、古文漢文が入り交じるので、文字の変換が、とんでもないことになる。せっせと辞書登録していたけれど、あぁ、何が欲しいって、私は「ATOK」が欲しいんだ、と、思うように変換してくれない画面にいらついておりました。
 「一太郎」は重いとか言われるし、実際、以前自分が使っていて重いと感じたこともあり、ただでさえ容量が少なくてゆっくりしてるB5に入れるのはどうかなぁ、と思っていたのだけど、「ATOK」ついでに「一太郎」も買おう、と思い、今回の最新版の発売日まで待っていた。「一太郎7」からいきなり「一太郎2004」。その間、「一太郎」は8から13まで進化・・・ひええ、ほぼ毎年バージョンアップしてたんだぁ。。。(そんなに毎年買い換えられないよ)。
 ふだん、電化製品やPC関係の買い物は新宿のヨドバシカメラやビックカメラでするのが多いけれど、たまには秋葉原に(ほんとはこっちのほうが自宅からは近い)、と、行ってまいりやした。
 
 秋葉原、って・・・。初めて訪れたときも思ったのだけど、街歩いている人のタイプというか、傾向というか、やっぱり独特だよなあ。人だけでなく、街全体の雰囲気なんだ。それを言ったら女性が群がる浅草橋のアクセサリー用品の問屋街とかも独特だけど、秋葉原ほどではない。。その、秋葉原っぽさが嫌いなわけじゃない、PC部品なんかを夢中にむさぼってる姿は浅草橋でビーズ玉を必死にかき回してる姿と同じだし、そういうクリエイティブな「オタク」さって個人的には好きなんだけど、それとは別に、大人の男性達が街頭に置かれたゲーム画面に食い入るようにして一列に立ち並んでいる姿とか、ロリコンっぽいアニメの女の子があちこちに君臨するように描かれているとか、なんかこう、三十路の女は必要なものだけ買ったらさっさと退散したほうがよろしいどすか、みたいな雰囲気がどよよ〜んと漂ってるところが・・・苦しい。。と言いつつ、十六夜の月が電気街のネオンの向こうにぽっかり浮かぶまでいちまった私。街の匂いをかぎ回っておりました。
 ただ、私が上京したての1990年代初めと比べると、秋葉原の活気の様子がだいぶ違っているなあ、とも思った。たまにしか来ないからどこがどう変わったというところまでは感じ取れないけど、土曜のかき入れ時にも関わらず大通りに面したお店のシャッターが閉まっていたり、閉店セールをやっている店も多かったりで、櫛の歯がどんどん欠けていきつつある、という印象も受けた。帰宅して、こんな記事をみつけて、なるほどと思った。「【特別企画】アキバで閉店相次ぐ!今、電気街で何が起こっているのか?」

 話がそれました。秋葉原には「一太郎2004」を買いに行ったんです、それで。
 いくつかお店を回ってみると、やっぱり同じソフトでも値段が違う。私の見た範囲で、最大700円近い差があった。数百メートル四方の中で、前日発売された商品の値段にそんなにひらきがあるもんなのかー、と、ちょっとびっくり。ポイントカードなんか導入している店はポイント還元する分値段が高めなのかなぁ。でも、ヨドバシとビックカメラ以外ではポイント貯めていないので、今回は一番安価なところで。見たところ一番安かったサトームセンの駅前5号店でキャンパスキットを7280円で購入。へへ。学生証って嬉しいもんですな。同じサトームセンでも、店舗によって値段が違うらしい。電車賃ほどの差もあるからこれは大きいです(電車賃って・・・すみません、巣鴨秋葉原間です)。その後入った別の大型店では発売キャンペーンをやっていたので、つい近寄って同じキャンパスキットを手にして値段を確認していたら、キャンペーンのお姉さんが申し訳なさそうに、「あの、それは学生さん対象の商品になります」と言う。へへーん、いいんだよー、もう買っちゃったもーん♪

 帰宅して早速、A4とB5のノート両方にインストール。B5のほうにはCDドライブがついてないのでちょっと面倒ですが、A4経由です。でも、両方ともスムーズにインストール完了。あぁほっとした。これでATOKが使える。2台の間でファイルの共有が楽になります。ワード文書との連携も簡単だそうなのでますます便利になりそうです。それから、ちょっと使ってみたところ、さほど気にならない重さ。起動に時間がかかっていらいらする、ということもなさそう。少なくともザウさん(所有のザウルス)のワードよりも速い立ち上がりです。・・・嬉しいです。

 ところで、サトームセンで購入したときに、おじさんが袋におまけを入れてくれた。なんだろうと後でわくわくしながら出してみたら、こんなんでした。タダでもらっておいて文句は言えないけど、スライムのキーホルダーなんて、いらないよゥ。。。
 


2004年02月06日(金) 今日は満月だった。

 旧暦の1月16日。
 今日は満月。 
 仕事で遅くなって、銭湯が閉まる15分前に「すみませんっすぐあがりますからっ」と言って入れてもらう。フロント(番台じゃないんです)のおじさん笑ってる頷いてる。初めて閉店間際に飛び込んだときは嫌な顔で「12時閉店なんですけど」と言われたけど、私はすぐ上がると言ったらほんとにすぐあがってくるので今では信用(?)されてるらしい。事実、ダーッと服脱いでダーッと頭のてっぺんからつま先まで洗って、ドドーッと湯船に浸かって・・・体まだ温まらないけど、我慢して出てきた。だいたい閉店間際の常連さん達は慣れたもので、12時になっても浴室には10人位が体洗ったり歯磨きしたりしてる。完全に人がいなくなるのは20分過ぎくらいだろう。
 確かにね、その銭湯は閉店時間が早い(他では1時まで営業しているところも多い)けどね、お風呂屋さんだってタイヘンなんだよぅ、きっと。もちっと人の身になって考えてあげようよ、と、言いたくなる。
 でも、今夜は満月を銭湯の露天風呂に浸かって眺めるのを楽しみにしていたので、それができなくて不満・・・不満月だった。しゃあない、自分が仕事でもたついたのがいけないのだもんね。

 
 イラクに大量破壊兵器がなかったかも知れない、と、ラムズフェルド国防長官。ふざけなさんな、あんたがイラク攻撃に一番躍起になってたくせに、と言いたい。今更前言撤回みたいなこと言われても。多くの人の命が失われ、多くの人の人生が狂い、環境を破壊したイラク戦争が、そんないい加減で曖昧な情報を元に始められた、あるいはそれを利用して始められたなんて、とてもやるせない。もとより戦争に正当な理由などあるはずがないのだけれど。

 イラク戦争で、最も深く考えさせられたことのひとつ。ひとつの出来事を一方から見ているだけでは本当のことは分からない、ということ。というよりも、絶対的に本当のことなんて、存在しないのかも。文化によって価値観も違う、捉え方も違う、それぞれの文化圏にあまたの人がいるのだから、人によってさらにさまざまな見方、ものの考え方がある。それを踏まえた上で、互いにとって最良の結果を求めていくのが筋じゃないかと思う。理想論かもしれないけど、国際社会ではそうしていかないと収拾がつかなくなる。今の国際情勢は、超軍事大国のアメリカが、力にものを言わせながら、自分の価値観をイスラム世界に植えつけようとして行動してきた結果なんだと思う。フセインの独裁は悪い、その圧政下で多くの人が犠牲になり、抑圧されてきた、と言われる。それは本当のことだろうけれど、昔フセインを援助して結局力をつけさせる原因を作ったのはアメリカだ。また、誇り高いイスラム教徒の中には、アメリカの支配を受けるのなら、フセインの独裁のほうがまだましだ、と言う人もいるという。日本に生まれ育ち、抑圧された生活というものを知らない私からすると感覚的に理解できないことだけれど。だけど、欧米主導型の国際政治の論理では読み取ることのできないイスラム世界の現実がそこにある。日本人は明治からずっと、欧米至上主義的な価値観に引っ張られてきたと言っても過言ではないと思う。だから中東世界の価値観に疎いし、理解不能のことも多い。・・・けれど、欺瞞に満ちた今回のイラク戦争をさまざまな角度から、いろいろな立場から見なければいけないと感じたことは、私にとって、自分の中に植えつけられてきたある種の欧米崇拝的な価値観を崩す大きなきっかけとなった。

 それにしても、何度聞いても滑稽だなあ。 
 イラクに大量破壊兵器があるだのないだの言ってるアメリカが、実は世界で一番大量破壊兵器を持ってる国なんだものね。


2004年02月05日(木) ささやかな日常。

 旧暦の1月15日。
 また寒くなった。
 
 夜、いったん帰宅して銭湯道具持って外に出るのがおっくうで、時間のロスでもあるので、バッグに銭湯グッズも入れて会社に行くことにした。といっても当然バスタオルなんかは持ち歩けない。シャンプー、リンスも小さな容器に詰め替えて、最低限の道具のみ。駅の改札抜けて、自宅に向かわずまずはそのまま銭湯に行く。
 銭湯の脱衣場も湯船の中も、周辺住民(とくにおばちゃん、おばあちゃんたち)の社交場なんである。服を脱ぎながら、身体を拭きながら、湯につかりながら、まあ、みんなあれこれよく喋る。どこそこのだれそれがどんな病気でどういう境遇だとか、あそこの息子さん一家がどーしたこーした、とか、でも、話題に悪意は感じられず、なんとなく、人情味あって暖かい会話だ。悪口はあんまり聞こえてこない。私はいつのまにか話に聞き入ってしまって、よく、自分勝手に話を発展させて想像している。
 ささやかな庶民の日常、そんな言葉がよく似合うなあって思う。
 誰しも小さなドラマを毎日抱えてお風呂に入りに来る。


2004年02月04日(水) 立春。。

 今日は旧暦の1月14日。
 今日から立春。ようやく立春。。
 で、明後日は満月です。
   
 腹痛で会社を午前半休していたけど、動くのが辛くて結局全休にさせてもらった。。病気じゃないんだけど。手足は冷えるわ、貧血気味になるわで、しんどいもんですな。男性も読んでくださるところで書くのも気が引けるけど、女性の身体は自然のリズム、特に月の満ち欠けに敏感に呼応するものだなあ、と思いつつ、今日は自宅の机の前でフリースに包まってじーっとしていた。
 でも、今日はわりと暖かい1日だった。まさに寒明け、立春というのも納得できる。二十四節気って面白いな。今まではほとんど意識していなかったけれど、ちょっと気にかけてみると、日本の細やかな季節の移り変わりをいっそう肌身に感じることが出来るような気がする。
 ・・吉良邸討入りを果たした赤穂の四十七士のうち46名が切腹したのは2月4日。旧暦だから今よりもう少し暖かかったのかな。
 
 


2004年02月03日(火) 春よこい!

 今日は旧暦の1月13日。
 明日はようやく立春です。ぐんと冷え込む日があったり、そうかと思えばあれっと嬉しくなるくらい暖かい日があったり。早く春にならないかなあ、と、待ち遠しく思えたり。
 
 冬になってから、自転車通勤はお休み中。
 始めは年中自転車だ、なんて鼻息荒かったんですが、やっぱりへこたれました。残業後、冷え切った空の下、アスファルトの上を震えながらペダル漕ぐのは根性ナシの私には無理でござした。。。ヘヘ。
 でも、もうそろそろ自転車に乗りたくなってきた。
 先日、ポタ子(自転車の名前です)に乗って出勤しようとする夢を見た。
 夢の中で私はポタ子に謝っている。ごめんね、しばらく乗ってあげなくて。おそるおそるサドルにまたがり、ペダルを踏む。さびてないかな、タイヤの空気は十分かな。。。と思いながらおそるおそる。。。そこで目が覚めた。
 やっぱりね。
 ポタ子怒ってるんだよ。ほったらかしだから。
 でも、ほんとに、早く暖かい日差し訪れないかなあ。
 休日に、リュックに文庫本とざうさん(ザウルスの名前です)と地図入れて、途中で美味しいパン買ってぽたぽたポタリングして、しまいには緑の多い公園でポタ子の脇でごろんとなってくつろぐのだ。
 早く春こーい!
 


2004年02月02日(月) トリ

 今日は旧暦の1月12日。
 昨日と大違いの寒さ。外歩くの辛かった。
 昼休みに会社飛び出して渋谷までコンタクトレンズを買いに行った。帰りに「松屋」に入って牛丼でも食べようと券売機の前に行ったら、あ、そっか、牛丼はないんだ。。。で、あったのが豚めし。値段は牛丼と同じで味噌汁付きで290円。んー、食べたんだけど、やっぱ、牛丼のほうがいいな。豚バラを牛丼と同じ味付けにしてあるんだけど、どうしても牛肉の代わり、って印象が強くて、食べながら、「嗚呼、ほんとの牛丼食べたい」って思ってしまった(笑)。いっそのこと、味噌あじにしたらいいんでないかい、と思ったけど、きっとコストもかかるんだろうな。
 
 鶏肉も注目の的で。。
 牛肉よりも豚肉よりも、鶏肉と生卵を食べられなくなったらかなり落ち込んでしまうだろう、私。
 焼き鳥が大好物だし、熱々ご飯に生卵は最高に美味しいし、納豆に生卵しょっちゅう入れるし、かけそばかけうどんに生卵は当たり前だし・・・。卵なくなったらほんとに耐えられません。
 そう言う私は実は酉年生まれなんです。
 コケコッコーコケコッコーコケコッコー
 モウケッコー


2004年02月01日(日) 大根と油揚げ。

 今日は旧暦の1月11日。
 ちょっと暖かかったな。もうすぐ大寒も終わり。1ヶ月前、年賀状に、「初春のお慶びを申し上げます」なんて書いたけど、ようやく初春??って気持ちに。
 そう、「あたろぐ」の更新サボりまくってたのでえらく反省いたしやした。
 明日からは携帯からでもきちんと更新しよう。
 
 池波正太郎の「仕掛人・藤枝梅安」に、主人公の梅安が、大根と油揚げだけのシンプルな煮物に舌鼓打ちながらお酒を呑む場面が出てくる。それがずっと頭から離れなくて、今日は大根と油揚げ。味付けはだしと酒、しょうゆ、みりん。ちょっと青いものも足してみたくて、最後にニラを乗せて色合いが鮮やかなうちに火を止めた。
 ああ美味しい。うまい素材の組み合わせ。これにはやっぱり日本酒が合うんだけど、今夜は我慢。明日は仕事だしね。

 冷蔵庫から出したら、新しい大根の葉が伸び始めていた。
 水を張った小皿に移して窓際においておきます。少し育ったらさっと茹でて刻んで軽く塩もみして、炊きたてご飯に混ぜて食べるととっても美味しくて、彩りも綺麗です。おまけにちょっと得した気分。


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