あたろーの日記
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2003年06月30日(月) 節約じまん!?

 先日田舎の妹と電話していたら、節約の話になった。
 妹曰く「そういえば、府中で一緒に暮らしていた学生時代に、翌日どちらかのバイト代が入るまで互いの所持金合わせて百円ってことがあったね」
 「そんなことあったっけ?」と私が聞くと、妹はよく覚えてるらしく、「あったよ。で、その百円で近所の八百屋で人参買って、それを細かく刻んでご飯と一緒に焚いて、人参ライスにして晩御飯にしたんだよ」だそうだ。
 妹が上京する前は私が風呂なしのアパートに1人暮らしをしていて、やっぱり翌日のバイト代が入るまで所持金が数百円しかなく、銭湯に行ってしまったらあとは大根1本しか買えなくて、大根づくしの晩御飯だったこともあった。あ?いや、銭湯か大根どちらかを選択するしかなかった、だったかな。・・・「○○づくし」っていうのはたぶん二通りのニュアンスのある言葉で、「贅を極めた○○づくし」というのと、「貧を極めた○○づくし」の両方の意味を裏腹に持っている。どっちの意味に捉えるかは使う本人次第。便利で幸せな言葉です。かたや旅館で、かたや風呂なしアパートで使える。奥深い言葉です。
 学生時代は学費と家賃分は親に出してもらってたのでまだ贅沢なほうだったけど、食費や他の生活費はバイトでまかなってたので、バイト給料数日前から生活費切り詰め大作戦はよくやった。それでも否が応でも出費はある。自分1人暮らしだった時は全財産を自分で把握していたのでうまく乗り切ることが出来たが、妹と2人暮しをしている時は、互いに相手がまだお金持ってるだろうという甘えがあったので、ふと気がついて互いに財布の中身をぶちまけて合計金額のあまりの少なさにびっくり仰天、数日間2人で隠遁生活をおくる羽目になったこともたびたび。。
 結構逞しい(?)生活を切り抜けてきたのかも。。。
 そのたびに二人で生活費切り詰め策を練ったり、光熱費を抑える工夫をしたり。閉店間際のスーパーに二人で行って、あーでもないこーでもないと相談しながら買い物かごに値引きシールの貼られた野菜を入れたり、出かける前はテレビやラジカセなども含めて、冷蔵庫以外の電気コードはコンセントから全部引っこ抜いて待機電力がかからないように工夫したり・・・今思えば、あの時はあの時で結構楽しかったな。喧嘩もけっこうしたような気もするけど。あの頃必要に迫られて、冷蔵庫の残り物でおかずを考える癖もついた。残り食材クッキング、結構自信あるよん。
 そのうち姉妹は帰省のたびに、実家中のつけっぱなしの電気や入れっぱなしのコンセントをチェックして回り、挙句の果てには二つもある大型冷蔵庫の中を隅々までチェックして、無駄が多すぎると母親を説教する、実に可愛げのない娘になっていったのである。今でもそれは変わらない。
 で、あれから十年が過ぎ、妹は結婚していまや二児の母親だけど、どうやら東京での暮らしで身につけた節約癖は健在らしく、さらに磨きがかかって私以上に倹約家らしい。おまけに、妹の連れ合いどのは、妹に輪をかけた徹底した倹約家で、子供の将来第一に考えて夫婦でいろいろ工夫してるんだそうだ。

 その妹と話していて結論づいたのは、「必要にして十分な範囲は、価値観によって決まる」ということ。
 必要以上にモノを持たない、買わない、消費しないという生活習慣は、イコール地球環境にも優しい、イコール人間にも優しい生活習慣なんだということ。けれど必要の範囲は人それぞれ。だけれど、それがないと駄目、ではなくて、それがなくても平気、なきゃないで十分楽しめる、という精神的な余裕があるかないか、がポイントだと思う。本当に欲しいもの、心からそれが必要なものであれば手に入れて大切にすればよいと思う。でも、もし、その欲しいものが、自分の心の中にある何かの代替品であるとしたら、なんだか哀しい。モノに囲まれた場所でなくては生きていけないと思うようになってしまったら、ちょっとツライ。
 ほんとの自分が自分の中のどこにいるのか、見失ってしまったら、苦しいかな。。

 だからね、節約って、結構楽しいもんなのです。

 


2003年06月29日(日) 勉学ノススメ・2

 ・・・というわけで、今は私が知人の大学生に、十数年前に自分が言われたのと同じことを言っている(笑)。
 でも、当の学生にはそれはうまく伝わらないと思う。だって自分が前はそうだったから。
 本当の意味で勉強の楽しさや面白さが分かるのは、実際は、学ぶための組織や枠組みである学校からいったん出てしまったあとなんじゃないかなあ。
 働くというのは、労働力を提供する、経験や能力を外に出す、いわゆるアウトプットの行為。もちろん働きながら身につけていくこともとても多いけど。それを続けていると今度はインプットの行為をしたくなる。無性に。人によって、それは仕事に関係する分野の勉強だったり、資格試験の勉強だったり、芸術方面のことだったり、もっと生活に密着した分野だったりとさまざまだけど・・・義務感からではなく、自分の意思で始めた勉強は、妥協も疲れもストレスもない、自由にとことんできる分楽しいのだなあと、周囲の人を見ていて思う。
 話はちょっとずれるかもしれないけど、私は身の回りのことなんでも学問だと思う。その人が学問だと思えばなんだって学問になるんじゃないか。例えば目の前のストローの包み紙から、お酒の種類まで。カフェで見かける人達の生態について。アイロンのかけ方、江戸時代のやくざの生活、節約術、銭湯の研究、ラーメンの食べ方に性別世代の違いはあるのかとか。狭く深くも、広く浅くも自由自在。自分の興味を持ったことを面白がって追究したり身につけていく、これって学問の王道だし、最高の人生の楽しみ方なんじゃないかなあって思う。。。たまたま歴史もあり多くの人が勉強したい分野は大学などの学校があって、先生と呼ばれる人達もいるけれど、ほんとうは、先生とか教授に値する人達はゴマンといるんじゃないかって思う。肩書きもお給料ももらってないけど。路地裏の教授、路地裏の研究者。好きなこと極めれば誰だってなれるものだよね。
 あれ、話を元に戻さなくては。そうそう、「勉学ノススメ」ですm(_ _)m
 「社会人になっても勉強する」と聞いて、「偉いなあ」と思った方は甘い。偉くなんてちっともないんだもん。苦しいとかラクとか、あんまりそういうレベルの問題でもない。休日に一日中盆栽の前に座り込んでチョッキンチョッキンやってるオヤジを誰も「偉い」などとは褒めない。やってることはそれと同じ。とにかく自分がやりたいから、面白いからやってるだけ。資格試験のための勉強はまた異なるけど、大人になってからの勉強は、趣味との境目がない。
 誰かに言われて始めるのでもない、教科書や試験範囲で区切られてるわけでもなく自分のやりたいところまでとことんできる、人と自分の理解度を比べる必要もない。また、学ぶ場を自分のほうから求めて探すのも楽しいし、受身にならずに且つ自分のペースも守れる。社会人になってからの勉強は、こんなにおトクでわくわくする。もし、毎日つまらないなーマンネリの日々だなーなんて思っている人がいたら、ぜひ何か始めてみることオススメします。楽しめること請け合い。


2003年06月28日(土) 勉学ノススメ・1

 ・・・なあんて偉そうな題つけちゃいましたが。
 BBSに「母さま」が書き込んでくださったこととか、日頃私が見聞きして思ってることとかも含めて、やっぱり今そんな気分です。
 
 義務教育受けてる小中高で、勉強が一番楽しかったのは、小学校1年生の時だったかも。真新しいランドセルと教科書。お道具箱。「こくご」の教科書開いて「あおいそら」ってみんなで声を合わせて読んでいた頃は、次のページに進むのが楽しみで、もう毎日わくわくしながら授業を受けていた。それが、2年の終わり頃からかなあ、算数で九九を暗記しなければならなくなった辺りから、だんだんプレッシャーが出てきて、周囲のクラスメートの理解の度合いと自分のそれとを比較し始める習慣を無意識につけてしまったような気がする。年度の途中での転校も何度かしたから、前にいた学校では習ってないのに転校した先の学校ではすでに授業を終えている箇所もいくつかあったりして、そのたびに帰宅後教科書めくって頭悩ませてた。中学以降になると、今度は試験が加わって、しかも点数順に順位がつく。クラスで何位、学年で何位。なおさら周囲と自分の頭の中を比べる習慣に拍車がかかる。学期末試験の前になると友達と集まってノート付き合わせて傾向と対策を必死にやった。試験日は一夜漬けで眠い頭を互いに笑いあって、「こんなに一生懸命やって頭に叩き込んでも、テスト終わったら綺麗に忘れちゃうんだよねー」と言っていたけれど、回答用紙教壇に出して廊下に出たらほんとにすっきり忘れた。高校もそんな感じ。文部省の意向にのっとった教科書の範囲内で、知識を詰め込み詰め込みして、試験の結果を気にして、点数と順位を競い合っていた、その繰り返しの小中高校時代。・・・今、自分の好きなだけ若返ることが出来ると言われたら・・・私はせいぜい高校卒業直後あたりまでにして欲しい。義務教育と高校の授業はもう二度と受けたくない。現役の小中高生と先生方には悪いけど。
 そういう意味では大学というところは、学ぶ場所としてとてもいい環境なんだろうけど、いかんせん、受験勉強のプレッシャーから解放されたばかりの身としては、そのありがたみまではよく分かっていなかった。バイトの時間を差し引いても、今に比べれば十分すぎるほどの時間があったはず。今思えばもっともっと本も読めたしもっともっと突っ込んだ勉強ができたはず。同じ分野に興味を持った友達もそばに沢山いたんだし。。
 残念なことに、小中高と、教科書と先生の授業の範囲で頭に詰め込む癖がついてしまっていた私は、大学でもやっぱり講師の提示する範囲内でしか勉強できなくなっていたような気がする。期末試験の前にちゃんと試験範囲を先生に示してもらわないと不安だったし。おまけに、これは笑えるんだけど、試験前に友達と自分のノート付き合わせて、互いのノートにないことが相手のそれに書いてあったらそれぞれを写し取ったり。自分が講義を聴いて何をどれだけ得たかは問題ではなく、試験に出るか出ないかが問題(笑)。もちろん勉強したくて入った大学だし、興味ある分野だったから講義は面白かったし印象に残った講義は今でも内容を覚えているけど、やっぱり受身の勉強だったなあ。ああ、もったいない。大学に籍を置いて、勉強を義務のように感じながら続けていたなんて。今思えばほんとにもったいない過ごし方だった。
 あの頃さんざん言われた、社会に出たら思うように勉強できないんだから、今とことん勉強しておいたほうがいいよ、というのは、自分が学生の時はさほど深く理解していなかったもんなあ。
 


2003年06月27日(金) きーめた。

 秋から大学の社会人聴講生をしようと計画中。
 たまたま引っ越し先として考えている巣鴨に、講義を聴いてみたい先生がいらっしゃる大学があるとのこと。こりゃもう聴きに行くしかないべと思った次第。これも何かの縁です。
 オープンカレッジもいいけれど、どうせ近くに住むならもっと入り込んじゃおう。ということで。
 夜間の講義中心になるだろうから、週の半分は退社後大学かな。結構しんどそう。土曜もなくなっちゃうかな。
 引越し費用に加えて学費の支払いも必要だから痛いな。でもまあ、なんとか切り詰めれば平気。
 自分の興味のあることをとことん学べる環境にあるって、すごく幸せなことだと思う。今、知れば知るほど、読めば読むほどもっともっと深く知りたいことや分からないことが出てきて、毎日時間が足りない、でも気持ちが充実してる。こんな風に書くと、インテリぶってるように思われちゃうかもしれないけど、こういう気分、分かってくれる人は分かってくれると思う。どんな分野であれ、どんな学び方であれ、自分がとことん追究してみたいと思うことがあったら、できる限りの機会を利用してみたほうがいいと思う。。

 でも、難しいのは時間の作り方。
 基本的にとってもトロくてマヌケな私なので、いっつもあたふたして時間の使い方が下手くそ。頭の回転も遅いし仕事も片付かん(-_-)そのくせやりたいことは結構多いので困ったもんだと自覚してます。
 でも、ま、時間は限られてるけど、張り切って行ってみよー!

 


2003年06月26日(木) パッションフルーツ&スペアミント

 今月の初めに銀座のバーで頂いてきたミントが植木鉢ですくすくと育っている。
 シーブリーズクーラーのグラスに入っていたスペアミントの葉っぱをティッシュに包んで持ち帰ろうとしたら、マスターが「だったらこれをあげるよ」ともっと大きな葉っぱをビニールに入れて持たせてくれたものだ。
 ミントは水を張ったコップに挿しておけば、3〜4日ほどで白い根が出てくる。梅雨時は特に根が出やすいみたい。
 3週間ほど経ってだいぶ根が伸びたので、今度はベランダに空いていた小さな素焼きの植木鉢に植えてあげた。植物の緑と素焼きの色の組み合わせが好きだ。
 先日そのバーに再び行ったので、マスターにミントのその後を報告したら、ちゃんと覚えてくれていた。

 パッションフルーツなるものを初めて食べた。
 くれた人は食べ方を一生懸命説明してくれたのだけれど、あいにく私の飲み込みが悪いので、「まあ、食べられるところまで食べてごらん」と笑っていた。
 ボルドーワイン色したキウイ大の楕円のボール。グレープかグレープフルーツか、パパイヤか、うまく言い表せないんだけどとてもいい香り。南国の香りってこういうの?
 包丁で真ん中からスパンと切って、中を見てしばし呆然。
 お鉢のような皮の中に、スイカの種をもっと小さくしたような種が一杯。種の周りはオレンジ色の半透明の果肉がついている。その様子が、バジルの種を水に浸して膨らませたか、あるいは田んぼの片隅にあるカエルの卵のよう。それをスプーンですくって、口の中で種の周りの果肉をもごもご食べて、あとは種をぺっぺっと吐き出す。
 ・・・美味しい〜!
 巨峰のような甘みと香り。そこにグレープフルーツのような酸味。
 こんな不思議な果物が世の中には存在しているんだな。
 ・・・1日1個ずつ、大事に大事に食べてる。
 で、せっせと吐き出した種は、これもまたベランダのプランターに蒔いている。
 芽、出るかな??
 


2003年06月25日(水) 風邪引いちゃった

 早もう夏風邪。
 ちょい寝てすぐ治します。
 ゆえに日記はお休みm(_ _)m


2003年06月22日(日) 「ローズ・レッド」

 「ローズ・レッド」(スティーヴン・キング脚本/制作総指揮 クレイグ・R・バクスレー監督・2001)。
 スピルバーグに依頼されてキングが脚本を執筆した幽霊屋敷ものを、制作意図の違いからキングが指揮をとることとなった作品だそう。テレビのシリーズ用に作られており、全部で4時間あまり。長い。。
 シアトルの、20世紀の初めに建設が始まった富豪の屋敷。建設当初から関係者の不審な死が相次ぎ、霊媒師によりその家の建設を続ける限り死ぬことはないと言われ増築を進めた夫人亡きあとも、自らの意思で部屋を増やし続ける不可解な屋敷が舞台。そこに超心理学者の女性と、彼女に選ばれた超能力者たちが研究のために乗り込んできた。何十人もの死者や行方不明者を出してきた家はしばらく眠っていたかのように思えたのに、彼らのお陰で再び目を覚ましてしまい・・・というストーリー。
 怖いか怖くないかで言うと、うーん、怖くなくはないけど、先が見える怖さ、かなあ。
 ごく個人的な感じなのだけど、「ジョーズ」「遊星からの物体X」「エイリアン」「13日の金曜日」「死霊のはらわた」「オーメン」あたりで、ほんとに怖い映画のパターンはすでに出尽くしてしまっているような気がしないでもないです。なんだかんだ言って、それらの映画を観たときのこちらのパニクリようを超えさせてくれる映画を見つけるのはなかなか難しいような(といいつつ、「ブレアウィッチ・・・」は怖そうで見る勇気がまだない)。。例えばジェットコースターで言えば、富士急もよみうりランドも(あんまり詳しくないのです、スミマセン)スリルがあるけど、浅草花やしきのコースター(ちゃぶ台や銭湯に突っ込むやつです)に初めて乗ったときの衝撃を超えるものに出合えないというのと似ているかと。。怖いことは怖いんだけど、怖いの種類が違うみたいです。ホラー映画であんまりCGを駆使してあるとかえって興味が失せちゃうようなのはその関係に似ているかも。
 だから、ホラー映画では、ショッキングな映像を盛り込んで最新式のジェットコースターに乗車させられるようなものより、もっと別の手法で怖がらせて欲しいなあと思います。難しいのぅ。
 あ!そうか。分かった。。ホラー映画を観てても、映画には終わりがあるとこちらが分かっているから、どっかで安心しきっているのですね。これはいかん。。ひねくれた見方だ。。
 
 キングは自分でも言っているように、作品の中にいろんな要素を詰め込む作家なので、映像化されたものもさまざまな角度から楽しめる気がした。
 正統派のお化け屋敷もの(ディズニーランドのホーンテッドマンションみたいなイメージかなあ)なんだけど、登場人物の心理描写が丁寧で、怖いというより、人物達と一緒に迷宮に入り込んでいくような面白さがあった。ただ怖いということだけを求めて観たらちょっとがっかりするかも(?)
 でも、ほんとに怖いのは、制作の途中で俳優の1人が急死したことかも。。映画を観ていて、途中まで結構重要な配役だったのに、いつのまにか画面に登場しなくなってあいまいになってしまった人物がいるのだけど、DVDのメイキング(制作状況や出演者のインタヴューを盛り込んだおまけの映像)を見ていたら撮影中に急死してしまったと出ていた。映画の製作中に関係者が急死というのは、特にホラー映画ではたまに話題になったりするけど、やっぱりこういう世界ってあんまり引っ掻き回さないほうがよいのかなあ。。。と思うと、この映画も怖さが増す。。

 この作品のテーマの1つとして、家が自分の意思を持ち、勝手に部屋を建て増しして屋敷の形を変化させていく・・・というのがある。突き詰めれば、屋敷が建っている土地そのものに原因がありそう・・・とこれ以上は観てない方のために言いません。
 家に限らず、モノが意思や感情を持つ、というのは、結構あり得るんじゃないかと思う。いわんや土地にも。それは過去の人間の想いや感情が乗り移るだけじゃなくて、人間じゃない生き物、犬や猫や他の動物達や、もっと違う私たちが普通の視覚では認識できないものも含まれるかも。その土地で過去にどういう出来事があったかというのは現在に大きく影響するだろうし(だから人間は本能で墓地だった場所に住むことを避けるのかも)。波長が合う合わないというのは、そういうことも関係するのかも。。
 
 というわけで、早く転居したい私であった(なんだかんだとそれが言いたかったのであるよ結局)。
 よぅく考えたら、今のアパートに来て6年の間に、救急車が来たのが3回。大家さんちも入れて片手で収まるくらいの世帯数なのに。前にもちらっと書いたけど、アパートの周囲4方のうち2方は空き家で、一方は空き地。アパートの住人が転出すると次の住人がなかなか決まらず長い間空き部屋になる。ついこの前転出した人がいて、今も1部屋空いてます。加えてアパートがよく揺れる。震度1かそれ以下なんだけど、揺れます。安普請で他の部屋から響くのかと思ったけど違うみたい。もっと嫌なのはラップ音。ピシッという乾いた音が部屋の片隅で聞こえたりして、あんまりいい気分ではないです。それからやっぱり出ます。いや、ごきぶりちゃんじゃなくて。寝てて何度か起こされて横に来てるとか布団の上に乗られるというのはやはり怖いです。幸いここ2ヶ月近くはないけど。出ても構わないんだけどちょっと尋常じゃない気がして嫌です。
 ここまで書いたついでに。
 ここに転居して来たばかりのころ、アンティークショップで買った東南アジアの置物ですが、気がつくと向きが変わっている。私以外部屋に入る人はいないのに、1週間に1回くらいの割合で、飾り棚の上で後ろ向きになってしまう。インドネシアの神様であるガルーダの置物。・・・早く手放そうと思いつつ、まだあります。今週末にはアンティークショップに買い取ってもらおうと思うのですが、どなたか欲しい方がいたら差し上げます(笑)。

 で気がついた。
 私って結構鈍感なんじゃないかと。
 自分はとっても繊細(笑)な人間だと思っていたけど、案外鈍いのかも。
 東京に来て4ヶ所目のこのアパートになんだかんだと6年もいるんだもんね。図太い神経だ。あはは。
 でも正直なところそろそろ動きたくなってきたのです。
 6年いて部屋の中にすっかり溜め込んでしまったものを綺麗に振り落として、もっと風通しの良い部屋に移ろうと。
 人間というのは、自分に合った土地をごく自然にいつの間にか選ぶことが出来るのかも。表面的に「好き」と思うのは、理屈じゃなくてもっと奥深いところで波長が合っている印なのかもです。周囲の人を見ていてもそんな気がします。
 でも、うらやましいのは、先祖代々の歴史や想いが息づいた土地で温かく見守られて過ごす人達だなあ。

 「ローズ・レッド」からだいぶ外れてしまいましたm(_ _)m
 
 
 
 
 
  


2003年06月21日(土) つらいニュース

 福岡の一家4人殺害事件。
 子供が巻き添えになる事件の報道ほど、見ていてつらいものはない。
 子供もそうだし、大人ももちろん、人の命は絶対手をかけてはいけないもの。本来手の届かないところにあるべきものなのに。事件でも、戦争でも、人の命を奪うことになんら疑問を持たない人達が存在するというのは、信じがたい。

 一刻も早い犯人の逮捕を。。。
 犯人が捕まったからといって殺された親子が生き返るわけではないけれど。
 でも、このままでは被害者がさらに被害者になってしまう。
 テレビや新聞で、殺された一家の本来はプライベートであるべきはずのいろんな事情が、どんどんさらけ出されていく。
 事件についてみんなが知ることは大切だし、情報が広くもたらされることで犯人に結びつく手がかりも得やすくなるのは事実なんだけど、突然子供まで殺されて無念の想いの一家が、自分達に関する情報をどんどん世間にばらまかれる、そのありさまを天国からどんな想いで見ているかと考えると、胸が痛んでしまう。

 犯人が早く捕まるように。
 亡くなった4人の安らかなご冥福を祈るばかりです。


2003年06月19日(木) しっかり立っててくださいお願いします。

 仕事終わらなくて夜遅い電車に乗った。
 ドアの脇に立って文庫本読んでた。
 ドアをはさんで反対側には30代位の酔っ払いビジネスマン3人組。
 そのうち1匹はでろんでろん。
「お前さあ頭にくんだよ、酔っ払ったときばっかやたらうるせえんだよ」
 と、仲間がそのでろんでろんに悪態ついてる。・・・あんたもやたらうるさいんだけどね。
 電車に乗り込んだとき、その3人組が賑やかなのが気になったけど、ページめくっているうちに気にならなくなった。
 ・・・と。
 いきなり。
 ゴッツーん。
 *☆×■△★#!(@@*)

側頭上部に衝撃を受けて、私はよろめいた。
 ち、ちょっとっ!
 この酔っ払いめがっ!
 いったいどうやったらその距離からダイブして人の頭と自分の頭ぶつけることができるんだよっ!
 ・・・突然でよく分からないんだけど、でろんでろんがいきなり飛び込んできて私の頭に石頭ぶつけてそのままどてっと転んだのです。私の足元に。
 ・・・頼むからさ、電車に乗るときは必ず吊革につかまってくれないですかね。自分だけで転ぶならいっこうに構わないけど、他人を巻き添えにしないでいただきたく、しかとお願い申し上げます。
 ろれつの回らない「すみません」を耳にしたけど、足踏まれたとか肩ぶつかったとかじゃなくて、いきなり頭突きだもん、思わず睨み返しちゃった。ほんとに反省しとんのかーこの酔っ払いがー!
 ・・・ちろちろこっち見てた連れが、私が降りるときにやけた口調で「すっげえ睨んでたぞぉ」と言っているのが聞こえた。でろんでろんは頷きながら私から顔をそむけて、その友達の胸に顔をうずめるようにして支えられている。
 その友達も睨んでやったぞ。
 顔覚えたぞ。
 今度会ったら私が頭突きする番だからね。
 よーう覚えときぃや!!


2003年06月18日(水) 巣鴨に住みたい

 なんだか巣鴨に住みたくなってきた。
 ので、秋はたぶん巣鴨に引っ越します。
 なぜに巣鴨。
 なんかよく分からないんだけど、巣鴨。

 今住んでいる西荻窪、アンティークのお店、リサイクルショップ、古本屋がひしめいていて、隣の荻窪と合わせて好きな焼き鳥屋もあるしで、かなりかなり気に入っているから離れるのに躊躇しつつも・・・なんか巣鴨にとても惹かれる。
 私は古いものが好きです。
 掘り出し物が大好き。
 巣鴨は地域全体がアンティークな感じがするなぁ。。
 ・・・人もアンティークだけど。
 
 もう10年くらい昔、大学4年の長い春休み、巣鴨に発掘に通った。
 友達がみんな卒業旅行に海外に行っている間、墓地の近くの工事現場の片隅でヘルメット被って毎日ひたすら土を掘ってるうちに、春休み終わっちゃった(笑)。それ以来巣鴨には行ってないんだけど、今再び私の中で巣鴨がマイブーム。
 物価も安い、家賃も安い、銭湯もある、山手線、お地蔵さんもある、お寺もある、70円のたいやきやさんもある、焼き鳥やさんもある、100円ショップのダイソーもある、吉牛もある(中卯はないのかなあ)、和菓子屋が多い、ぼけっとできそう、人情味のある土地柄、近所づきあいもできそう、じいちゃんばあちゃんと茶でも飲みながら語り合えそう、いいねぇいいねぇ、そういうの、ほんとにいいよねぇ。。。
 商店街が延々と続いているのもいいなぁ。
 銭湯入って、湯上りのほてった顔で焼き鳥屋覗くんだ。
 で、ちょっと一杯引っ掛けて、ほろ酔い加減でアパートに帰る。
 近所のおばあちゃんと、自分の作ったおかずをちょっとずつ交換する。
 美味しいお惣菜分けてもらったら、作り方も教えてもらう。
 ときどき近所のおばあちゃん達に三味線弾いてあげる(おい!練習さぼりまくり!)。
 とげぬき地蔵のそばでのんびりスケッチしてすごす。
 
 あぁ、巣鴨って、なんて魅力的。。。
 
 


2003年06月17日(火) てくてく

 暑いですー。
 というか、蒸し暑い。
 「暑いですねー」が挨拶代わりの今日この頃。
 家電売場の卓上小型扇風機、どれも売り切れ。
 みんなおんなじこと考えてるんだな。

 いつも会社から新宿まで歩く40分近い道のりに、今日はお供が1人加わった。遠いだの疲れただのとの文句ひとつも言わずに一生懸命コンパス動かしてついてきた。偉いじゃん!タフじゃん!これでまたひとり、てくてくてくたー増えたー。

 お洒落でカラフルな雑貨のお店に入ったら、あれほどもうモノは増やさんと豪語していたくせに、買っちゃった。
 思いっきり可愛いピンクの水玉のボディ用ナイロンタオル。可愛いんだー。え?ガラにもないって?うるさーい!服でそういう模様のものを着れないぶん、そういうところに可愛いものを求めてしまう。それが女心というものだ。これを持って銭湯に行くのが楽しみ。・・・といいつつ、さっき自宅でもう使い始め。

 牛角でスタミナつけて、たくさんおしゃべりして笑って、ああえがっだえがっだ。えがっだえが・・・
 ZZZZZ・・・
 


2003年06月16日(月) 片付けられない・・・!?

 「整理整頓」という言葉は私から一番遠い位置にある言葉のひとつだ。
 なんせ子供の頃から整理が下手くそ。妹と一緒の部屋の掃除を始めても、いつの間にか二人部屋の真ん中に座り込んで、廃品回収に出すつもりだった雑誌読んでる・・・そんな状態だからいつまでたっても部屋は片付かない(笑)。おまけに捨てられない病。お菓子の箱でも包み紙でもリボンでも、着なくなった洋服でも、いつか何かに使うだろうと思ってなんでもかんでもとっておく。会社でも同じく。お土産に頂いたお菓子の袋や配達された文具の入っていた袋なんてみんなとっておいたものだから、気がついたら空き机の引き出しを2つか3つ占領してしまっていたので、この前フロア内の移動したときにさすがに呆れてほとんど処分した。勿体ないとは思うんだけど、結局それでモノがあふれてごちゃごちゃになっちゃうんだから仕方ない。
 
 でも整理ベタなりに自分の部屋を時々思い立ったように必死に掃除してみるんだけど、あんまり成果ないような気がしていた。そうしてあることに気がついた。・・・なにしろ物が多いんだ。私の掃除は沢山ある物をあちこちに積み上げて詰め込んで、そんなことの繰り返しだから、結局掃除する前とあんまり見栄えが変わらないんである。んでもってちょっと物を動かし始めるとその一角から魔の崩壊が始まるんである。

 片付けられないというのはいわゆる「ADHD(注意欠陥多動障害)」という脳の特徴に起因するものだというのも聞いたことがあるから、一概に言えないけれど、整理整頓のためにはとにかく物を持たないことが一番じゃないかと、この歳にしてようやく気がついた。
 人1人生きていくのに、六畳間にぎっしり詰め込まなきゃならないほどの家財道具は必要ないんだなきっと。これがないと生きていけないなんてものは限られてるし、そういう物は気がつくと大抵いつも身につけて歩いてるんだから、いざとなったら他は何にもいらないんだ。まあそれは極端だし、まさか耳掻きや爪切りまで持ち歩くわけには行いかないから、やっぱり段ボール3箱分くらいは荷物が出来ちゃうけれど、たぶん、それくらいの荷物で人間生きていける。たぶん。
 といいつつ、自分の部屋を見回して、あれは捨てられないこれも手放せない、と、ぐるぐる悩み始める私。あー優柔不断。
 
 でも、不思議なことに、物を減らし始めると、新たな購買意欲が湧かなくなってきた。人間って面白いもので、何かひとつ買うと、次から次へといろんなものが欲しくなってしまうみたい。でも、逆に手放し始めると今度は物を減らすことに喜びを感じたりして。えへへ。これは発見だ。
 あ、それから、所有物が減ると、その分残った物に愛情掛けられるかも。必要最低限のものを大切に使いながら生活するという、かつての日本でしごく当たり前だったライフスタイル。この秋の引越しを機に、私も見習おう、見直そう、と思う。



2003年06月15日(日) 本を売る。

 昨日出がけに古本屋さんで初めて本を買取してもらった。
 かなぁり昔の「散歩の達人」と「エル・デコ」数冊と、数年前にベストセラーになったもの数冊。布製の買い物袋に入れて肩にかけて。結構重い。
 これから秋の引越しまでの間、休日に出かける際はこうしてちょっとずつ本を担いで持っていくつもり。そうやって部屋の中のものを減らしていかないと、6年ぶりの引越し、荷物の量は計り知れない。今から考えるだけでもオソロシイ。
 古本屋は大好きでたぶん2日にいっぺんは覗いてる。でも、自分の本を買い取ってもらうのは生まれて初めて。実は本を売るのに抵抗があった。本を手放すことが本に申し訳ないような気がしてて。それに手元に置いておけばいつか必要なときにまた読むことがあるんじゃないかという思いもあったので。
 でも、最近考えが変わってきた。
 実際のところ、人間生きてる間に読める本の量は限られてる。読んだ本の内容を片っ端から忘れていく私だけど、残念ながら同じ本を何度も繰り返し読むという経験は少ない。読みたいものは次から次へと出てくる。だから、これまたいつか読もうと本棚に戻した本を再び読むことは滅多になくて、気がつくとその存在すら忘れてる。逆に、読んだ時に自分に強烈な印象を与えてくれた本は、本棚に残ってなくても頭の中にちゃんと残っている。本棚に忘れて閉じ込められている本は、私がそこから動かさない限り、その場を離れることもなく、ひっそりと無駄に存在していることになってしまう。私が小さな書庫でもある豪邸に(別に豪邸でなくてもいいけど)住むことになって、それらの本も書庫に移して自分以外の人にも読んでもらえるようにするなら話は別だけど、この先そんな予定はない。それに、自分を知る人に蔵書を見られるのって、結構気が引けることも。「ああ、こんな本読んでるんだ」って思われてもいい本と、隠しておきたい本(いやらしい本ではないぞ)もあるわけで。
 とまあ、そんな風に考えたこともあって、自分が狭い部屋に抱え込んでいた本を今一度流通経路に乗せて日の目を見せてあげなければ、と思った。それが本の幸せなんですねきっと。勿論、私が持っていたほうが幸せ、という本は手元に残しておきます。それこそ何度も何度も読み返したい本はあるので。。。
 
 これは本に限ったことではないのだけれど、自分の持ち物をもっともっと減らして、身の回りをシンプルにしていきたいなあと。。服もCD(200枚ある・泣)も、そのほか諸々の雑貨も。最近自分が、羽根の重たい飛べない鳥のような(凄い表現だー)気がする。毎日帰宅してアパートのドアを開けると、狭い部屋にあふれかえったモノの多さにうんざりする。東京という巨大な都会の一角に、自分が自分の所有物と一緒にどんどん埋もれていってしまうような気がして落ち着かない。もし自分がこの土地で家族を得て安住するのであればまた違った気持ちになっていたかもしれないけれど、十数年住んでみて、もうそろそろうずうずが始まった。一人身の気楽さよ。どうとでもわがままがきく。あと2年か3年後に東京を離れよう。でも東京ってそれでも好きなところだ。だからそれまでにせめて自分の視点での東京を満喫して、持ち物をうんと減らして身軽になろう。6年前に今いるアパートに引っ越してきたときはダンボール34箱分の荷物だった。この秋に引っ越すときには20箱にしておきたい。最終的に東京を発つときには、ダンボール3箱分の荷物だけ引きずって出て行けるようにしたい。できるかな。。。

 話は冒頭に戻って、駅までの途中にあるサブカル本中心の古本屋さんで買取の交渉・・というか本をぼんっと預けて自分は店内ぶらつく。本を売るなんてはじめての経験だから、ちょっとドキドキ。計算が終わったらしく、レジに呼ばれる。「エル・デコ」6冊だし、「散歩の達人」だって人気の雑誌だし、数年前のベストセラーも綺麗なまんまだし。帯ついてるし。・・・1000円くらいはいくかな?と思っていたら。数年前のと私が記憶していたのはもう一昔前のベストセラーで、「型落ち品」(?)扱い。うち2冊は「ウチでは引き取れません」と言って返されてしまった。そんなあ。しかたない、相手も商売ですからね、死活問題ですからね。他のは買い取ってもらえました。トータル700円。そんなものなのかあ。まあ、捨てるよりましです。・・・その後、返されてしまった本2冊をどうしようか考えて、まさか捨てるわけにもいかず、駅前のブックオフへ。だめもとで買い取りコーナーに持っていったら、なんと2冊150円で買い取ってもらえた。あれ?ブックオフってあんまりいいイメージ持ってなかったけど、案外いいかも。最初からここに持ってくればよかったかも。。

 本や不用品をちょこちょこ買い取ってもらったらちょこちょこ銀行に預けて小銭貯金にしようと思う。前に作った小銭貯金用の口座、ぜんぜん活用してないし。これを機会に。。。
 と思ってたんだけど、駅前でついついラーメン食べて消えてしまった。
 次回から貯金に回します。


2003年06月14日(土) 銭湯マップ

 先日外で買って会社で食べたお昼のお弁当が見事に当たりました。
 苦しかったです。
 もうそういう季節なんですよね(んなこと言ってる場合か)。
 皆さんも気をつけてください。

 先日「東京都浴場組合」のサイhttp://www.1010.or.jp/main/index.shtmlを見たら15日まで三越の父の日フェアとタイアップして「銭湯マップ」なるものを配布しているというので、昨日残業抜け出して慌てて行ってきました。
 ところが、「三越」「ライオンの裏」という文字だけ見て早とちりして、「日本橋三越」に行ってしまい、入り口のライオンの像の周囲をぐるぐる回ってそれらしきコーナーを探したのですが、金曜の夜、待ち合わせする人達しか見当たらない。仕方なく受付のお姉さんに「ライオンの辺りで銭湯マップを配っていると聞いたのですが・・・」と伺うと、お姉さん「銭湯マップですか・・・」と不思議そうな顔。で、はっと思って「もしかしてライオンのある三越はここだけではないですか?もしかして銀座三越にもありますか?」と私が聞くと、お姉さんもようやく合点がいったという顔で「聞いてみますね」と親切に銀座三越に電話で問い合わせてくれました。・・・笑いをこらえて「銭湯マップ」って電話口で一生懸命問い合わせてくれた、すんません。。。「確かに銀座三越でお配りしております・・・」と言われ、乗ってきた地下鉄引き返して銀座三越へ。
 ・・・まあそんな人は滅多にいないとは思いますが、私と三越のライオンの像のところで待ち合わせの約束をするようなことがある場合には、どうかお気をつけてくださいませ。三越のライオンは日本橋店にしかいないと思っておるような単純な輩ですから。
 金曜の夜の銀座だけあって、さすが、お洒落した女性達で店内はにぎわっていたけれど、ライオンの裏に肝心の「銭湯マップ」配っているようなコーナーは見当たらない。おぅい、ライオンは他にもいるのかぁ、と思い、今度は銀座三越の周りをうろうろ探す。・・・でまたもとのライオンの裏に戻ってくる。よぉく店内を見回す。・・・うーん、やっぱり、父の日のプレゼントが集められた一角はここだよなあ、ということは「銭湯マップ」もこの辺りのはず。。と、コーナーの壁に「大人400円」と入浴料のプレートが貼ってある。意味不明。でも、じゃあやっぱりこの辺りなんじゃん。扇子とか甚平売っている売場の奥の店員さんたちの所にいって聞いたら、柱の陰にある台に案内してもらった。ここで簡単なアンケートに記入してようやく「銭湯マップ」を1冊頂いた〜!
 これは便利便利!都内の公衆浴場1000箇所以上が区ごとに地図上に掲載されていて、営業時間、定休日、おもな設備が書かれています。これがあれば都内どこに行っても怖いものなし!!
 今これをぱらぱらめくりながら、秋に引っ越す地域を考えてます。
 明日、15日まで銀座三越ですよん。
 


2003年06月11日(水) 暑くて考えた。

 職場が暑い。。。
 会社は大きなビルの中にあるのですが、今週から空調の設定温度が27か28度に固定され、なおかつエレベーターの一部は運転停止、昼間は窓のブラインドを下ろし、また昼休みはフロアの電灯も消すようにとの指示が。
 業種が業種なので、パソコンの数がやたらと多いのです。1人1台分以上あるし、パソコン以外の機器も多い。また、窓は固定されているので開きません。・・・だから暑いのです。扇風機(ぜんぜん節電になってない)でみんななんとか生きている状態。とにかく暑い、暑い、暑い〜!!
 雪国生まれ雪国育ちの私は東京の暑さが苦手なので、もうぐったりです。脳から湯気が出て思考能力が低下してます。ただでさえ頭働かないのに。
 これが地球環境のためになるならまだしも(確かになるにはなるんですがね)、例の東電の原発トラブル隠しに端を発しての原子炉停止に伴う電力不足に備えてのことだから、なんかすっごく納得いかない。団扇仰いでいてもなんか頭にきちまうー。
 だから、こんなことになるんだから、原子力発電のみに頼ろうとするのは間違っているんだよと、心の中でぶつぶつ文句言っている。。
 小学生の頃、新潟県は東北電力から電力を供給しているのに、どうして東京電力が柏崎に原子力発電所を作ろうとしているのか不思議に思った。そこでは東京で使う電力を作るのだと聞いて、どうして電力を使う人達の住む場所に原発を作らないで、その電力を全然使わない新潟県に作るのか、すっごく納得がいかなかった。東京に原発を作るのは危険だから地方に作るという感覚が解せない。東京の人達が使う電力を作るために出来た原発のお陰で、新潟の海で泳げなくなったら納得がいかない、と思った。
 気がついたら、上京して自分が柏崎刈羽で作られた電力を東京で使っている。因果なものです。
 それにしても、日本の原子力行政には大いに疑問。多くの土地で多くの住民達が原発反対の運動を続けてきたのに、それをことごとく無視して、かたくなに原発を作り続けてきた。環境にも人体にもリスクの大きすぎる原子力発電にあまりにも比重を置きすぎて、今回のような状況になると、にっちもさっちもいかなくなる。で、そうなっても結局、原子力発電は大切だから、原子炉の早期運転再開を、と躍起になってアピールしてる。なんかおかしい。
 今の日本からすべての原発をなくすのは至難の業かもしれないけれど、原発以外のエネルギー、例えば風力、太陽光、地熱、バイオマス、環境に負担をかけない規模の水力などを利用した発電も増やしていかないと、この先事態はもっともっと深刻になるんじゃないかという気がする。。
 たとえばこのサイトに、何度でも再生可能な自然エネルギーについて詳しく載っています。http://www.jca.apc.org/~gen/index.html(「自然エネルギー促進法」推進ネットワーク)
 けれども、今年の4月から施行されたRPS法(「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」)というのは、そういった原発以外のエネルギーを供給しようとする事業主や個人に圧力をかけ、東電など大手の電力会社に便宜を図るような法律だそうです。あくまで原発中心なんですね。私はその辺りの詳しいことは勉強不足なので、興味のある方は上記サイトなど、結構いろんな関係サイトがあるので、覗いてみてください。

 原子力発電を推進しようとするのと、石油の利権を求めて他国に戦争を仕掛けるのって、いろんな意味でつながってるんじゃないかという気がする。


2003年06月10日(火) ゆるすということ

 「ゆるしゆるされるとは、恋愛関係のピリオドなのだ」というくだりが、今読んでいる俵万智著「あなたと読む恋の歌 百首」(朝日文庫)にある。

 赦せよと請うことなかれ赦すとはひまわりの花の枯れるさびしさ(松実啓子)
 という短歌についての解説で書かれているのだけれど、読んでいてなるほどなあ、と納得していた。愛するにせよ、憎むにせよ、相手を強く思い続けるという行為に変わりはない、ということが前提にある。

 もう何年も前の話になるけれど、「4年経ったら帰ってくるから、それまで待っていて」と言われ、成田で見送った人がいた。何年でも待てる、と思った。会えるのが年に1回か2回でも、彼から来るエアメールの数が減っても、海の向こうできっと頑張ってるんだと思うと、会えない辛さはなんてことはなかった。・・・と、思う。
 そろそろ、あと1年、いや、あと数ヶ月で帰国になるかな、という頃に、それは突然終わった。今思えばいろいろ伏線はあったのだけれど、その時の私にとっては突然だった。
 「ゆるさなくていいから、ずっと憎んでくれてていいから」と電話口で彼は何度も言ったけど、結局私はゆるすことにした。しばらく、1年間、いやもっともっと長い間、涙も出ず、目にするものすべてが色褪せて見えていた。ほんとうに、ものや景色の色が褪せて見えるということは、ある。でも、その間ずっと、私は心の中で、相手をゆるす作業を一生懸命続けていた。裏切ったとかひどい奴だとか、そんな風に思いたくなかった。昔のように女友達に話して痛みを和らげてもらうことも考えつかなかった。ただひたすら、あちこちの重い扉を、1人で閉めて回っていた。相手が自分と一緒にこの先歩いていくことを選ばなかったのは仕方のないことだ、人は自分の幸せを第一に考えて行動していくのが当たり前なのだから、彼の行動を責めるわけにはいかない、と、そんな風に考えていた。人を悪く思うことに自分の心を費やしたくなかった。
 そんなふうに思いながら過ごしていたある夏の日に、街路樹のセミの抜け殻を見て、自分も今こんな感じかも、と、ふと思った。
 
 終わりかけた恋愛において、相手をゆるすということは、相手に対する想いの質や量を、自分から変化させることなのだと気づいた。
 愛情と憎しみは紙一重で、質量も同じ、費やすエネルギーも同じだ。ゆるすという想いは、そこから離れたところに存在する。愛情と憎しみにゆるすという心をくっつけるとまた違った意味合いが生まれるけれど、終わった、あるいは終わりかけた関係にゆるすという気持ちをくっつけると、「終わる」ということを自分で納得した、という意味も生まれるんじゃないかって思う。言い方を変えれば、最後の幕引きを自分で行った、ということになるのかも。
 
 俵万智さんの解釈、また松実啓子さんの意図されたことと微妙にニュアンスが異なるかもしれないのですが、私はふと、そんな風にも思ったのでした。

 愛するか、憎むしかない、というほどの関係に、私はたぶんまだ足を踏み入れたことがないのですが、もしかしたら目の前に横たわっているかもしれないし、もっと先、あるいはそんなものずっと幻なのかもしれないです。
 先のことは分からないけれど、少し楽しみにしながら、歩いていこうと思います。。。

 
 
                         


2003年06月09日(月) 冷たい水

 仕事を終えて帰宅する時間にまだ外がそう暗くない日には、会社から自宅に向かって、歩けるところまで歩いて帰る。
 途中タカシマヤタイムズスクエアの方から新宿に入り、西新宿の方向、それから超高層ビルの群れの下を、頭上を仰ぎ見ながら歩き続ける。ビルの谷間を抜けて、やがて新宿を出るまで、あのキッチュで猥雑で派手で飾りたてて薄汚れた喧騒の中を、歩き、立ち止まり、歩き、振り返り、歩き続ける。
 道行く人、すれ違う人、交差する人、ビルの中に入っていく人、道端に座り込んでいる人、たむろしている人たち、ダンボールハウス、傘を重ねて作った屋根。。。
 それぞれに、さまざまな人生を抱えて、小さな秘密を抱きしめながら、誰にも話すことのできない痛みに耐えながら、ときどきふと、空を仰いで、雨雲がいつ冷たいしずくを落とし始めるだろうかと不安にかられ。。
 ためしにその中の誰かと路上でぶつかってみれば、きっと、落とした袋の中からぎゅうぎゅうに詰まった人生のかけらがぽろぽろとこぼれて、いちいち拾い上げるのに苦労する。拾っているうちに交差点の信号は赤になり、とりかえしがつかなくなりそうで、だから、都会では誰もがかたくなに自分の荷物をぎゅっと胸に抱きしめて、守りながら歩いていく。
 もし、腕の中の荷物が何かにぶつかって、はじけて、かけらが路上に飛び散ってしまったら、その、行方不明になったかけらをずっとずっと探し続けながら、いつしかその場所から離れることが出来なくなる。
 かけら、探して、ずっと、さがして、いつしか空から落ちてきたつめたい水を、すきまのできた心の中に、ちょっとずつ、ためこんでいく。
 つめたいみずを、ためこんでいく。。。


2003年06月08日(日) 続けていくこと。

 今日も暑かったですね。。
 ほとんど家の中にいました。
 外を歩くのも好きなのですが、それ以上に家の中でじっとしているのが好きかも。ベランダの草いじったり、文章書いたり絵を描いたり、音楽聴いたり本読んだりできるのが一番嬉しいです。
 今日は出かけるのをやめて1日そんなことやってました。
 
 文章書くほうは遅々として進みません(笑)。考えて書き、線を引いては書き直し、で、話の構想の段階から引っかかるものがあるのだから、途中で行き詰るのも無理ないですよね。自分の頭の中で話のイメージがある程度熟すまでもうちょっと練ったほうがいいかもしれないです。あーがんばんないと。才能があるわけではないので、地道にこつこつ続けていくしかないのです。
 絵のほうはまだ気楽にやってます。文章書くほうに力んでるから、絵を描くときはふと肩の力がぬけていくようで、ほっとします。
 ただ、最近使い始めた水彩絵の具にまだ馴れてなくて、思うような画にならないので、まだ四苦八苦してます。他の画材のものと違って、水彩画は一度色を塗ってしまうと修正が難しい、一発勝負みたいなところがあるので、画材と仲良くなって性質を知らなければいけないみたいです。水彩画は小学生の時にさんざんやったからと、高校時代はもっぱら油絵やアクリル画だったのですが、最近、この歳になってようやく水彩画の良さを知りました。自分の描きたい画のイメージは、どうも水彩画のほうがしっくりくるようです。
 それにしても、水彩画を甘く考えていました。小学生の時にさんざんやったからちょろいもんよ、なんて思っていたのが大間違い。調子に乗って絵の具を塗りたくっていたら、遠近感もなく、ぎゅうぎゅう詰めの窮屈な絵になってしまったり。絵の具だけでなく、水をどう操り、紙の白をどう利用するかというのも重要なのですね。
 幸い、ネット上にプロアマ問わず沢山の方がご自分の作品をサイト上で紹介してくださってます。それを見て回ってます。一昔前だったら考えられないですよね。今は、絵画のギャラリーがインターネット上に無数にあります。ありがたや。

 小説も、画も、作り上げた作品の数だけ進歩するのだとよく耳にします。
 
 やりたいことはあれこれ多いけれど、どれも人より秀でているわけじゃなし、総じてあれもこれも中途半端のままのような気がして落ち着かないのですが、たぶんこのままこんな風に書いたり描いたりを繰り返しながら、歳を重ねていくように思います。勿論、小さな目標をこの先あちこちに配置しているけれど、一番大切なことは、今、毎日、ちょっとずつでも書いたり描いたりを続けていくことだと肝に銘じています。要領が悪い人間なので、とにかく沢山数を重ねていくに越したことはないと考えています。
 好きなことに没頭できるのは、この上なく幸せで、ありがたいことです。。。
 


2003年06月07日(土) シンプルライフ(昔の渡辺謙のCMを思い出してる)

 イラクへ自衛隊派遣って、なんかヘンだ。
 自衛隊は軍隊じゃない、って野中氏が言うのももっともだと思う。
 自衛隊はあくまで自衛隊であるべきなんじゃないか。イラク復興支援のためになにか形になるものをと思うのも分からないわけではないけれど、自衛隊はよその国で言う軍隊とは違う。日本には反省すべき過去がある。だから国際社会の中で果たす役割の種類も過去の行いに基づき制限される。それでいいじゃないかって思う。できる分野での貢献の可能性を探っていけばいいわけであって、自衛隊の性質を無理やり変質させて近隣諸国との摩擦を生み出すなんておかしい。・・・イラクへの自衛隊派遣が、ほんとうにイラクの復興のためなのか、それともイラクとは関係のないところで何か別の魂胆があってのことなのか・・・なんだか後者に思えてしまうんだけど。

 ☆☆☆

 今年の秋で今住んでるアパートの契約更新を迎えるので、それを機に6年ぶりの引っ越しを計画中。
 今いる沿線が好きなので、できれば最寄り駅は変えたくないなあ。
 で、今度は家賃をぐぐっと下げて、ちょっと古くても広めで押入れの大きい部屋がいい。今の部屋は洋間6畳だから、押入れが滅茶苦茶小さいのです。布団を入れるのにも苦労する。
 で、風呂なし。銭湯通い。ユニットバスもういいや。銭湯が好きで、風呂つきのアパートに住んでるくせに、ちょくちょく銭湯に行ってる。だったらいっそ風呂なしにしちゃおう。そうでないと高い家賃無駄だし。
 木造の「寿荘」とか「日の出荘」なんて名前がぴったりの古いアパートがいい。その部屋の古い木枠の窓から、夕焼けを眺めるんである。
 生活費に占める家賃の割合も低くしたいというのもあるし、東京での最後の数年間を、趣のある古いアパートで過ごしたい。
 東京の次はどこに住むか、決めたんであるよ。
 だいたい3年後をめどに。
 どこに住むことにしたかは、その時まで秘密です。
 それまでに、持ち物を少なくして、資金も少しは貯めないと。
 テレビに続いて、上京した当初から使っている洗濯機(いまだに二槽式!)も壊れ始めたから、コインランドリーを視野に入れて、不要な家電製品も処分していこう。電化製品も減らしていく。
 もうちょっと身軽になろう。

 ・・・といいつつ、欲しいものはやっぱり出てくる(笑)。
 
 
 
 
 


2003年06月06日(金)

 BBSにいつも楽しい話題を書き込んでくださるまさしの母さまから頂いた虹の写真をしばらくトップページに飾っています。
 建物のまばらな九州の大地にくっきりと大きな半円を描いた虹。
 母様のサイトに写真日記に掲載されていたのを「ちょうだいちょうだい」とお願いして、送っていただきました。
 BBSに「名無し」さんが虹について書き込んでくださって、私も虹について考えてる、今。。。

 東京に住んで、毎日地下鉄で高層ビルの下の暗くて長い洞穴を行ったり来たりしているうちに、空を見上げて時間や自然の移り変わりを五感で受け取ることを忘れてしまいそう。
 それでも救いなのは、働いているビルの窓から見えるのが球場や競技場で、そのずっと向こうの新宿のビル群に至るまでの間が、他に高い建物で視界をさえぎられていないということ。私の席から見える窓の向こうは、ずっと遠くの建物群まで覆う空。東京の空。
 会社から新宿まで、朝と帰宅時はなるべく歩くように心がけている。ちょっと距離はあるけれど。歩いているといつのまにか空を見上げてる。月の形、星の数、雲の流れる速さ、空の青さの度合いに感動もする。
 雨上がりには虹を期待することも。
 でも、なかなか虹を見る機会はないなあ。
 虹の探し方が、ずいぶんへたくそになった。
 
 子供の頃、遠くに見える虹のふもとまで行ってみようと、友達と出かけたことがある。
 ずいぶん大きな、くっきりした虹だった。
 幼稚園児の足だからたかが知れてるけど、虹が消えないうちにと一生懸命走った、走った。競争しながら虹に向かって走った。
 田んぼのあぜ道を懸命に走って、出発したときに確かに虹のふもとにあった大きな家までたどり着いて、ここが虹のふもとのはずだと思ったのに、虹にのぼるはしごがなかった。予定では、虹によじ登って、向こうのふもとまで渡ることになっていたのに。
 もっとがっかりしたことは、虹の中にいるはずなのに、自分の周囲は色とりどりのふわふわの雲で覆われているはずなのに、さっきまでいたところと周囲の空気になんの変化もなかったことだ。
 自宅に残った妹には、虹の上までのぼったら手を振るからね、と言って出てきたのに。
 しょんぼりしながらもと来た道を歩いて家にたどり着いたときには、虹はもうほとんど消えていた。

 今でも虹がすき。
 子供の頃よりもっとすき。
 たぶん、虹の絵や写真を見ると、幼い頃虹を追いかけて走っていった時の自分を思い出すから、というのもあると思う。
 虹がついているものを見るとつい買ってしまう。レターセット、缶バッチ、ハンドタオル。。。
 70〜80年代に活躍したバンドに「RAINBOW」がある。もちろん大好き。
 そんなに詳しくないけど。
 今日のBGMはRAINBOWの「StoneCold」です。
 RAINBOWの曲では一番好きかな。
 


2003年06月05日(木) あまりにも窮屈。

 今日はちと疲れちゃったカナ。
 
 ☆☆☆

 いろんな人がいて、人の数だけ生き方があっていいんじゃないかと思うんだけど、日本って、人と違う部分があるととっても窮屈で居心地が悪い国なんだなあと感じる今日この頃。
 私だけじゃなくて。
 私の周囲にもそんな風に感じてる人は多いんだって感じた。
 
 人をだましたり傷つけたりしない限り、どんな生き方、どんな生活があったっていいじゃないか、と思ってしまう。別に学歴や肩書きがなくったって、稼ぎがなくったって、目の前の目標がただ、その日のご飯にありつくこととねぐらを確保することという生活だって、そういう暮らしがあったっていいじゃないか、それを蔑視するのはおかしいんじゃないかって思う。
 立派な生き方と立派でない生き方の違いが分からない。
 立派な仕事というのがあるなら立派でない仕事もあるというのかな?
 誰かを立派な人だと定義づけたら、一方で立派でない人も生まれるということになるんじゃないか。
 人が人を評価したり卑下したり、見下したり差別したり、生活の手段を奪ったり、生きるという基本的なレベルでまで規制したり、一体なんの権利があってそんなことをするんだろう。
 日本人は特に仲間意識が強いのか、はたまた自分と人とを比べるのが好きなのか、自分がイメージしている範疇から外れている人がいると差別したがる傾向にあるんじゃないだろうか。・・・すべての人がそうとは言えないけれど。
 職も家も家族も失い路上で生活を余儀なくされている人も、いつの間にか屋根のない所での暮らしが板についてしまった人も、会社に通って夜家族の待つ家に帰る人も、みんな目の前の生活に一生懸命なのは同じ。周囲の状況によってそれぞれの立場が逆転する可能性だってあるわけだし。
 社会の枠組みや組織から外れてる人がいても全然構わないと思う。だって、そこから外れちゃったと誰かが感じるような社会だったら、そんなもの初めから人間の社会じゃない。人間は本来さまざまに個性あって、いろんな生き方、考え方がある生き物だから。都会の中の小さな土地も、本来は誰のものでもない。人間のものでもない。そこに生き延びるためにやむを得ず暮らす人がいようと全然構わないじゃないかって思う。

 ☆☆☆
 
 人に対する批判や中傷が先行し、行動するよりじっとしているほうが美徳とされ、信念を貫こうとする人は偽善者と呼ばれ、出る杭は打たれる。
 人を傷つけるための行為が正当化され、本当のことはカムフラージュされ、その陰で弱い立場の人達は忘れ去られる。
 自分に正直に、まっすぐに生きていきたい人は多いはずなのに、そうするにはあまりにも窮屈な世界。
  
 


2003年06月04日(水) にゃあ←眠いだけ

がんばるぞぉ・・
・・・って、書いたんだけどね。
やろうとしていること自体は、結構、というかかなり可愛いことなのでありました。はは。ははは。
昨日そのアイデアを書きとめたメモ帳見た人が、ちょっとおだてて褒めてくれたのでなおさらその気になって張り切っている、相当単純なのですよ。
もうちょっとしたら息切れしてぜぇはぁ言って投げ出して昼寝始めてるかもしれないです。
ま。そんなもんす。
でも、がんばってみよっと♪

昨日は思いがけず嬉しい日になった。
ひとつの大仕事を無事に成功させて充実した表情の人と話すのは、とってもいい気分。
なんかいろいろな意味でいい日でした。




2003年06月02日(月) がんばるぞーっ

 今とっても燃えているんでアル。
 ここのところ頭の中でおぼろげに計画していたことが、だんだん形を現してきたんでアル。
 私には無理かもしれない、と思っていたことが、もしかしたら出来るかな、というレベルまで想像できるようになってきたので、もうこれはやってみるしかないべ。
 行動あるのみ。←自分の好きなことだけ。。。偏りがあります。
 失敗したらしたでよいではないか。
 自分がどれだけやれるか、試してみるんであるよ。
 もともと、子供の頃から好きでやってきたことと関係してもいるので、楽しいかな。甘いかな??うぅん、なんだって、やってみなくちゃ分からないもんね!
 
 というわけで、会社帰りにあちこち寄っていろいろ「研究」したんであります。疲れたけど、いろんなアイデアが湧いてきたよ。
 あとはそれを準備して、できることから始めていかないと。
 
 でも、ああやっぱり、時間もっと沢山欲しいな。
 1日24時間じゃほんとに足りませぇん。
 前からやってきたことももっともっとじっくり腰を据えてやりたいし。 
 他にもやりたいこといっぱいあるよぅ。。。
 
 うぅん、愚痴る前にちょっとでもやりましょう。
 あれもこれも中途半端はやっぱいけない。
 でも、どれもこれも、みんな自分が好きでやってることだから、私ってなんて幸せなんだろう。
 
 とにかく、がんばるぞぉ♪
 
 


2003年06月01日(日) ニヒル牛

 自宅でごそごそあれやったりこれやったりしているうちにお昼すぎちゃったし、外見たら雨も降ってなかったので、コンビニでおにぎりでも買って近所の公園で食べるかぁ、と、きちゃない格好で出かけた。基本的に屋根のないところで食べるのが好きなんだよね。
 んだども。
 いつの間にか散歩になってしまった。
 100円ショップの「ダイソー」に入って、広い店内をくまなく見て回る。ううぅ、なんでもある。あれもこれもぜぇんぶ100円。特に文具コーナーが面白い。画材も充実。豚毛の絵筆も100円だ。24色入りのお絵かきペンも100円だ。12色入りの色鉛筆も。すだれもある。すだれも100円。うぅ、見ていて飽きない。日曜だけあって、家族連れも多い。おじいちゃんから孫まで、家族みんなの物欲とお母さんのお財布を満足させることができる店。それが100円ショップ。
 でもって私は4ロール入りの牛乳パック再利用トイレットペーパーと東京都指定のごみ袋と、ピアスと座布団を購入。トイレットペーパーとピアスが同じ値段だというのも素晴しい。ついでにトイレットペーパーと座布団までが一緒の値段というのも嬉しい。お尻に使うものは安いにこしたことはない。
 それからまたちょっと歩いて「ニヒル牛」に行った。
 ここは、「たま」の石川さん(ランニングさん)がプロデュースされてるお店で、店内には小さな箱が沢山並べられていて、それぞれの箱の中にいろんな有名無名の作家さんたちの手作りアートな作品が、わんさか詰め込まれている、摩訶不思議な空間です。作家さんたちはひとつの箱を1ヶ月単位でレンタルして、その中に趣向を凝らして作品をレイアウト、要するに、小さなアートギャラリーがひしめきあっているわけです。焼き物あり、ポストカードあり、布モノあり、豆絵本あり、アクセサリーあり、写真あり。。。しかも、どれも半端じゃなく、個性的。鼻水たらした人の顔ばかりモチーフにした焼き物や、ヒゲもじゃの原人みたいなおじさんばかりが被写体になってる生写真(どんな人が買うんだろう?)とか、人生相談を受け付けてくれる申し込み書?みたいなのを置いてある箱も。小中学生の頃、勉強や体育でべつだん目立つ活躍をするわけではないんだけど、教室の片隅でパラパラ漫画や訳の分からないオブジェ作ってそういう方面で妙にみんなから一目置かれている男の子がいたけど、そういう子供だった人達が「ニヒル牛」にこっそり作品を置きにきている、そんなイメージ。小さな箱をひとつひとつ覗いて回っているうちに、絶妙に脱力させてくれます。ノスタルジックな気分にもなる。ほんわかな気持ちにもさせてくれる。大量生産モノではないから、その分作り手達の熱が作品にダイレクトに残っているような気がして、いつまで見てても飽きません。
 オーナーの石川あるさん(ランニングさんの奥様)もとっても気さくで楽しい方で、居心地がいいです。今日は他のお客さんと私にお菓子と紅茶をご馳走してくれました。なんだかほっとくつろいじゃいました。
 私も箱借りたいなあ、と思って聞いたら、1年以上待ちの状態だそうです。残念。
 こういう味のあるお店が沢山あるから、今住んでいる場所が結構気に入っているのです。
 あ、「ニヒル牛」のサイトがあります。
 http://members.tripod.co.jp/ukyup/ng.html
 この中の「ニヒル牛全箱紹介」と「石川浩司のひとりでアッハッハー」(下の方にあります)が私は特に好きです。面白いです。
 
 
 


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