あたろーの日記
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2003年04月30日(水) 気持ち

 いつもなんとなく考えてるコト。

 会社でも街中でも、嫌だなあと思うことは至る場所で経験するけれど、たとえカチンと来ることがあっても、いつまでもいらいらしたり、イジイジしたりしなぁい。そういう感情が起こったら、頭の中で「はいカーット!」と映画監督みたいに言って、気持ち切り替える。
 誰かになんか言われたり、誰かの行為を見て嫌な気持ちになったりしても、いちいち腹を立てないようにしている。究極のところ、みんなそれぞれ自分自身のことを可愛いと思っているわけだから、むかつくことを言われたとしても、(ああこの人は自分のことが可愛いから、人より優位に立ちたくてこんなこと言ってるんだな、そうだよな、お互い自分のことも大事だもんね)って思えば相手の言動も気にならない。それが現実の何かに支障をきたしたり、誰かを深く傷つけるようなことであれば、はっきり口にして抗議すればいいだけのことであって、いちいち感情的になっていつまでもそれを引きずっているのは、自分にとってよくないと思う。
 人間の社会の中の摩擦は、基本的に、それぞれが自分の立場を守るために必死になっているから起きるもんじゃないかと思う。だから相手の立場を思いやれば、相手がどんな気持ちでそういう言動をしたのかが理解できるし、こちらが理解してあげれば相手からもそのうち理解が返ってくるものと思う。・・・常に、頭の中で、自分と相手、一人二役やってみれば、相手の考えていることも分かって、相手の意を汲んだ言動をこちらも返すことが出来るんじゃないかなあ。
 


2003年04月29日(火) デパ地下

 すんごい久しぶりにデパートに行った。
 
 さすがに祭日のデパートは混んでいた。特に今年のゴールデンウィークはまとまった連休ではない分、遠出せずに近場で過ごそうという人が多いからかな、家族連れが多い。新宿はどこ行っても人、人、人だぁ。。
 こりゃさっさと買い物済ませて家路につくべ、と思い、地下の食品売り場にもぐる。
 デパ地下はうんと久しぶり。
 嫌いだからではなく、大好きだから行かないようにしている。だいたい女性でデパ地下が嫌いな人なんてほとんどいないんじゃないか。・・・というわけで、ご多分に漏れず(?)、私もちょろちょろしながらあちこちの売場のカウンターで試食品に手を出し冷やかしながら歩く。ありゃ、しばらく来ないうちになんだかおばさんちっくになっちゃったわ私も。でも、デパ地下で試食品を食べまくっているのはおばさんよりもむしろおじさんのほうが多いような気が。まあ時間帯にもよるかな。平日の昼間はデパ地下は女性が多いかもしれないけど、休日の夕方は家族連れも多いので、家族の買い物に付き合って荷物持ちや子供の面倒をみるのに疲れてお腹すいてしまったお父さんが、ついつい食べてしまうという感じ。かわいそうに。。平日は仕事で休日はデパートだもんね。。
 そうそう、今日は、連休にお伺いする方へのお土産を買いに行ったんである。お菓子とお酒♪お菓子とお酒♪お菓子とお酒♪お酒♪お酒♪♪
 上京したての頃住んでいた世田谷区赤堤のアパートのすぐそばにあった小さな美味しいケーキ屋さん「ノリエット」が、新宿高島屋の地下にお店を出していた!わー懐かしい!わーわーわー♪もしかしてノリエットってそんなに有名になっちゃったの?住宅地の中の隠れ処のような小さなケーキ屋さんだったんだよ。・・・というわけで、お菓子はノリエットに決定。
 あとはお酒お酒。なんでお酒なのか分からないけれどやっぱりお酒な気分だからお酒。のんべい殿にはやっぱりお酒(ご本人がこれを読んでいないことを祈ります。たぶん読んでいないと思いますが万が一読んでいたらすんません)。
 越後美人(おい自分で言うな自分で!誰か怒ってごめんなさいでもたまには言わせて)の私が買うとなると、やっぱり新潟のお酒しかないでしょう。薩摩焼酎も美味しそうなのがいろいろあったのでゴクリとなったが、葛藤の末日本酒に(いや葛藤してないって)。
 ほほほ。前から飲んでみたいと思っていた「大吟醸 能鷹」があった!ので、それにしました。あれ?なんか結局自分が飲みたいんじゃないか。でもやった!「能鷹」早く飲みたい!!キーンと冷やして飲みたい!・・・とニタニタしながら帰宅してリュックの底に入れたのでした。
 
 
 


2003年04月28日(月) オソロシイ思い出

 小学校時代の恐ろしい失態を思い出して、一人赤面しながら帰って来た。
 
 あれはたしか県境の山の中の、全校生徒400人に満たない小さな小学校に転校して来て2年めの、6年生の春。
 私はその日朝からずっと級友達1人1人に訊ね回っていた。
 誰も教えてくれない。
 ニヤついて「知らないの?ホントに?」と言うくせに肝心の答えとなると話を上手くそらす人、もしくは赤面してうつむく人。私に「この意味知ってる?」とふっかけた友達は、どうやらはじめから答えを教えてくれるつもりはないらしい。だったら、と、教えてくれそうな級友に片っ端から聞き回っていたのだ。
 けれども、誰も教えてくれない。
 だんだん、知らぬ間に自分がクラスの仲間外れにされているような気がしてきた。なんだかんだいっても転校生だ。山の中の、ほとんどみんなが幼い頃から顔見知りのような地域なのだ。きっとそれは、よそ者の自分が知らないその地域独特の言葉で、私が知らないのをいいことにみんなでこの無知な転校生をからかっているのだ、と思えてきた。
 クラスで最も物静かで最もまじめな男の子にさえ無視されてしまったことにも、ショックを受けた。
 なにもそこまで徹底して厳戒態勢を引かなくてもよいではないか。一体私がどんな悪いことをしたっていうんだろう。。
 とうとう私は、「もういいよ。先生に教えてもらうから」と言って、授業が終わって教壇を去ろうとする先生のところにつかつかと歩み寄って、「先生質問があります」と捕まえたのである。
 何人かの級友が、面白いものでも見るようにニヤつきながら教壇の周囲に集まってきた。
 担任の、37歳の恰幅のいい男の先生は、「おう、なんだ?」とにこにこしながら大きな声で私が何を言うのか待っている。
 私はそばで笑いをこらえるようにしてこちらを見ている級友達に少し腹を立てながら、質問の答えには必ず答えてくれるであろう先生の顔をまじめに見上げて訊ねた。
 「先生、セッ○スって、どういう意味ですか?」
 
 しばらく沈黙があって、呆けたような表情のまま固まっていた先生がようやく口を開いた。
 「誰から聞いた?」
 「○○さん達からですが、みんな知ってるようなんですが、教えてくれないんです」
 「・・・そうか・・・」
 「教えてください。セッ○スってなんのことですか?」
 先生は「うーん」と唸って考え込み、やがてこう言った。
 「それはな、もう少し大きくなったら分かるようになるから、今は深く考えなくてもいいぞ」
 先生もやっぱりニヤついて、吹き出したいのをガマンしているような表情だった。
 今思えば、あの時の先生の気持ちがよく理解できる。自分で言うのもなんだが、だいたい転校生というのは妙に生真面目な子供が多い(たぶん転校するたびに注目を浴びるから自然と優等生然と振舞うようになっていくんだろうなあ)。加えて私は転校生のぶんざいで学級委員長なんかになってしまうほどくそ真面目でお堅い文学少女だったんである(一方で駄洒落連発のひょうきん者の顔も持っていた)。そんな女の子が、授業が終わってつかつかと教壇に歩み寄ってきて、これまたくそ真面目な顔で聞いたのが、それである。保健の先生ならまだしも、当時37歳の男性の先生が答えに窮したのを責めることはできない。

 ・・・で、その後どうしたかというと、担任にも見捨てられたと思った哀れな私は、掃除の時間や、放課後の体育館で、よそのクラスの先生方を捕まえて同じ質問を繰り返し、最後は帰宅して台所で包丁を握っている母の傍らで再び同じことを訊ねたのである。
 母は包丁の手を止めて、「え?」と言って私の顔をまじまじと見て、「誰がそんなこと言ったの?」と聞いた。で、やっぱり、担任の先生と同じようなことを言っただけだった。
 仕方ないから、仕事終えて帰宅して、晩酌している父に聞いた。
 父は、ビールをぶっと吹き出して、急に不機嫌になって、「そんなことはまだ知らんでもいい」と言った。今でこそ娘に妙に優しくなっちゃってちと気持ち悪いが、私が子供の頃はすんごく厳しくて叱るときは口より先に平手打ちが出る父だったので、私もそれ以上は聞けなくなって、おずおずと引き下がった。
 それでもやっぱりほとぼりが冷めなかったので、あとで親の国語辞典をめくって意味を調べた。が、あんまりよく理解できなかった。ただ、どういう分野の言葉なのかはだいたい掴めた。そこで、数日後、母に「本を買いたい」とねだっておこずかいを貰い、町に1軒しかない小さな本屋に行き、「大人になること」という、ティーンズの女の子向けのイラストがふんだんに入った本を買った。
 。。。それからしばらくたって、父の職場の同僚の奥さんが我が家にお茶にみえた時、母が子供部屋に彼女を連れてきて、私の本棚からくだんの「大人になること」を取り出して、「こんな本ちゃんと買ってきて勉強してるのよ」「へーえ、ちゃんと書いてあるのねえ」なんて言いながら二人でページめくりながらくすくす笑っていた。私はちょうど学校から帰ってきて、自分の部屋に向かう階段を上がりながら、その笑い声を聞いた。人の部屋に勝手におばさん入れてる!とちと憤慨し、それから恥ずかしかった。
 だいたい、私は橋の下で拾ってきたって言ってなかったっけ?
  
 それにしてもしかし、6年生の春のあの日は、あまりにもオソロシイ思い出で、今でも時々思い出しては赤面して、その後クスクス笑ってしまう。。
 ありゃちと汚点だったなぁ。

 
 
 


2003年04月27日(日) 「グリーン・マイル」

 「グリーン・マイル」(1999年/スティーヴン・キング原作/フランク・ダボラン監督/トム・ハンクス主演)のDVDを観た。
 この映画は何回観てもボロボロ泣いてしまう。どの俳優さん達も役にぴったりだけど、ジョン・コーフィを演じるマイケル・クラーク・ダンカンが最高にはまり役。この前試写会で観た「デアデビル」に悪役で出ていたけれど、どうしてもコーフィとだぶってしまった。。。
 コーフィの台詞のひとつひとつが好き。
 決して饒舌ではないけれど、思慮深い言葉をぽつりぽつりと口にする場面がとてもいいと思う。
 映画公開に先立ってキングの原作が6巻に分かれて刊行され、せっせと買って読んだが、映画は原作のイメージを損なわずに作られていて、原作も映画も二重丸だと思った。同じ原作者と監督の「ショーシャンクの空に」も好き。両方とも刑務所が舞台。キングはホラーもこういうヒューマンなものも書けてしまう。しかも多作で愚作がほとんどない。いったい一人の人間がどうしたらこんなにカラーの異なる作品をどんどん生み出せるんだろう。キングはまさに稀代のストーリーテラーだと思う。

 コーフィの行いを「奇跡」とか「超能力」と一口で片付けて、キングの作品ならそれもありだよね、で終わるのは勿体ないと思う。
 あれは現実に十分起こりうる話ではないかと。いや実際にあちこちで似たようなことが当たり前のように起こっているのだと認識した上で、キングは書いたのではないかと思う。ただ映画となると、観客に訴えるために、どうしても演出が大げさになっちゃうのかも。。

 これは本人の承諾を得てここに書かせていただくのだけど。
 私と同い年の長い付き合いの友人がいるのだが、彼女は周囲の人の感情にとても敏感だ。例えば部屋に入ったとたんに、その場の雰囲気を瞬間的にキャッチしたり、ある人が自分に対して向ける悪意や、誰かが落ち込んだりしているのを、特に意図しなくても感じ取ってしまい、気持ちが沈むことも多いそうだ。逆に人が嬉しいとき、楽しんでいるときはそういう感情も受け取ることが出来、自分まで明るい気分になれるそう。さらにはメールに込められた感情や、モノに残る誰かの感情も読み取ることが出来るそうなのだ。
 昔はそれが災いして、人付き合いで悩んだことや、あまりの物分りのよさに、付き合っていた男性に気味悪がられたりして傷ついたことも多かったらしいけれど、だんだんと、自分の感情をコントロールしたり、人に接するときに逆に自分が相手に対してどういう感情を送ればよいかということが分かってきて、今ではかなり精神的にラクになったそうだ。
 彼女と一緒に出かけると、どうして?と思うような小さな奇跡が時々起こる。けれど、彼女に言わせるとそれは奇跡でもなんでもないことなのだそうだ。ただ、自分の想いが、出来事を引き寄せているに過ぎないのだそう。
 以前、彼女と共通の知人の家に遊びに行ったときのこと。
 その私達の親と同い年の知人は、前日足を怪我していた。小指の骨を折って、片足のくるぶしから下に包帯をぐるぐる巻きにして、松葉杖で歩くほどの怪我だった。医者からいろいろ手当てしてもらったにも関わらず、足首から下が紫色にぱんぱんに腫れて、触れるととても痛くてつらいとのこと。包帯を解いて私達にその状態を見せてくれた。
 それを見た友人が、ちょっとためらいがちに、両手でその足を包むようにしてしばらく触っていてもいいかと知人に聞いた。その場にいたほかの3人も、私も知人も、彼女が一体何をするのか分からなかったけれど、黙って見ていた。
 5分位だったかな、床にしゃがんで、くるぶしの下から小指の先まで、ちょっとずつ移動しながら、両手で包むようにして彼女が触れていたのは。知人の女性は、椅子に座り目をつむって「ぽかぽか温かい」「痛みが退いていく」「気持ちいい」と繰り返していた。そして彼女が手を離すと、「なんだか痛みがとれてラクになった」と不思議そうな顔をしていた。
 翌日その知人から私に電話があって、昨夜彼女が触れた足、今朝起きてみたら紫色で腫れていたのがすっかり退いて、まだそおっとだけどなにかにつかまりながら歩いている、と報告してくれた。
 友人によると、捻挫程度の怪我なら手でなんとかラクにすることが出来るそうだ。ヒーラーとして仕事できるんじゃないの?と聞いてみたら、本来誰にでも出来ることをしてみただけで、それを表に出したり、お金を得ようとは思わない、と言っていた。
 彼女はもの心ついてから少しずつ、周囲と自分の間にある些細なギャップから、だんだんと自分が普通とちょっと違うのでは?と気がつき始めたそうだ。けれど、そのうちに、自分がしていること、感じていることは、本来は人間誰しも持っている能力なのだと思うようになったそう。不思議でも奇跡でもなんでもなく、ただ、彼女の場合はそれを自覚するのが早かっただけなのだと考えているようだ。

 だから、そういう彼女にとっての「グリーン・マイル」は、原作者のキングが意図するしないに関わらず、彼女なりの想いを重ねて観たコーフィの物語なんである。
 


2003年04月26日(土) 不倫はほんとうに純愛か?

 ・・・結局「千と千尋・・」は観れなかった。
 延滞料金1000円以上かかった(泣)。
 観てないDVDを延滞料金とともに返す、この無念さ。
 こうなるんなら映画館で封切時にちゃんと観ておくんだった。。

 レンタルビデオの棚に柳美里原作「命」の映画化作品が入荷していた。
 借りる気はまったく起こらない。むしろ、嫌悪感を感じてしまう。
 正直言うと、柳美里の「命」に続く一連の作品が本屋にどんと平積みされているのを見るにつけ、嫌悪感と疑問を感じてきた。
 もっと正直に言うと、以前、彼女の芥川賞受賞作品「家族シネマ」を読んだ時、これが芥川賞かとがっかりした。なんとか最後まで読み通したが、途中からは斜め読みした。実在の在日韓国人女性をモデルにしたと分かるような登場人物を書いて、プライバシーの侵害だと裁判沙汰になった「石に泳ぐ魚」。柳氏の記者会見を見るにつけ、彼女の作家姿勢に大いに疑問を感じていた。
 そして、「命」「魂」「生」。表紙に使われている柳氏と子供の写真。
 まあ本人が表紙になりたいならそれは構わないけれど、まだ自分で物事の判断が出来ない子供の写真を載せるのはどうかと思う。この子が大きくなって自分が表紙の本を見たらどう思うだろうと考えてしまう。
 「命」を手にしてぱらぱら立ち読み。
 ・・・人のプライバシーを切り売りしてお金を儲けているように、私には思えてしまう、どうしても。不倫相手の男性やその家族のことになど、この人はまったく配慮していない。その姿勢、いや、勘違いは、「石に泳ぐ魚」もっとさかのぼって「家族シネマ」から続いている。
 自分やその周辺の人々のプライバシーまで書いて問題になるケースは過去にもあったし、自分の身を削り取るように表現してきた作家も多い。三島由紀夫や三浦哲郎など、挙げればきりがない。けれど、柳美里の作品を読んで感じるのは、作品の中心に常に柳美里という絶対的価値を持つ存在がいて、その視点からすべてを裁いているということからくる窮屈さのような気がする。それは結局、自分の生きざまがいかに正しく激しいかを主張するために、子供や不倫相手やその家族のプライバシーを犠牲にするという作品の書き方にも表れている。
 もっと言ってしまえば、柳氏の作品、特に「命」からの一連のものを私は小説とは思っていない。登場人物が実際に写真になって表紙に登場し、ほとんどそのままありのままのことが描かれているのは、ノンフィクションであっても小説ではないと思う。確かに作家として貴重な体験をしてきただろうと思うけれど、自分が経験したさまざまなことを自分の中に吸収し、寝かせて発酵させてからまた別の形に作り変え、あるいは作品の中ににじませることが小説家なんじゃないかと思う。
 作家本人は、自分の体験を、情熱に任せて書きなぐって、それでほとぼりが冷めてすべて吐き出したという満足感が得られるかもしれないが、その一方でその作品によって傷つく人がいるなら、どんなに売れたって、どんなに宣伝されたって、その作品は単なる自己満足の産物に過ぎないと思う。
 柳氏が私とほとんど同年齢だから、なおさら批判的に見てしまう。

 また話が大きくすっとぶけれど、私は不倫というのが嫌いだ。
 恋愛の形は人それぞれ、人の心はどれも皆自由であってしかるべきだけれど、そのことを不倫の口実にうまく利用している人も多いような気がしている。
 互いにあるいは片方が結婚していて、それでも好きになってしまって苦しみながらどうしようもなく・・・という気持ちは分からないわけでもないんだけど、ただ、私と同世代の女性達がいとも簡単に不倫の道に走ってしまうのを見ていると、その恋への入り口の段階から、彼女自身の葛藤や苦悩がほとんど見えてこないような気がしてしまう。昔のように不義密通が重い罪になる時代にはそれこそ命がけだった恋愛の形が、今は「不倫は文化だ」と堂々と言ってのける方々のための一種の社会現象になってしまっている。
 好きな人とデートして、旅行して、プレゼント買ってもらって、今は携帯で簡単に連絡もとれるし、彼の自宅の面倒な家事や、両親や親戚付き合いは、夫のしていることを何も知らない彼の奥さんが全部やってくれるから、こんな都合のいいお付き合いの形はそうそうない。
 でも、デートしてるときに彼の差し出してくれたハンカチが、その朝彼の奥さんがアイロン掛けしたものだとしたら?日曜に自分とデートするために、彼がたまには遊園地に連れて行ってとせがむ子供達に、「今日は休日出勤だから」と嘘をついて自宅を出て来たのだとしたら?私だったら、彼のそういう裏表を想像しただけで、もう気持ちが一気に冷める。そんなこそこそして子供っぽい男性と付き合うなんてごめんだ。不倫している男性が、不倫相手の女性に、奥さんのことを良く言うわけがない。「良く出来た女房でとても愛しているし子供もかわいい。家庭第一。君は第二だけど、女房とはまた違った魅力があるから時々付き合ってね」なんて正直に言う男はいない。そういう付き合いでいい、今以上のものはこの先も望まない、という覚悟があるならその女性はまあ立派なものかもしれない。タフなんだと思う。
 けれど。
 不倫で一番傷つくのは、当人達じゃなくて、結局、彼の奥さんや子供達、家族だと思う。なんだかんだいっても被害者を作ってしまうのが不倫だ。
 彼の背後にいる家族のことにまで思いを至らせることができるかどうか。。。恋愛とは直接関係のないことのようだけど、大人であれば、気持ちのままに突っ走って当人同士いちゃいちゃするだけが恋愛ではない、ということもいい加減分かっているはず。
 
 人を好きになる気持ちを非難するのも、否定するのも出来ない。
 けれど、その気持ちがイコール行動となりえるかというと、時と場合によると思う。あの人は自分の相手ではないのだ、と、心の中で葛藤しながらそっと自分を押し殺すことも立派な恋愛だし、そういう経験も人を成長させてくれるはずと思う。
 ・・・昔、友達が不倫をしていたのに、彼女の機嫌を損ねたくないばかりについぞ自分の気持ちを言えませんでした。彼女は自分の立場を守るために、だんだんギスギスした性格になってしまって。。。
 それがちょっと苦い思い出なので、偉そうに、思っていることを書かせていただきました。
 やっぱり同世代の女性達がいい恋愛をしていると、私も嬉しくなるもんね。


2003年04月25日(金) 千と千尋の神隠し

 よく行くレンタルビデオ屋さんは決まった曜日にビデオ、DVDを半額の190円でレンタルしてくれるので、そういう日に2〜3枚ほどDVDをまとめ借りします。相変わらずテレビは壊れてるので(もういらん)、ノートパソコンでもっぱらDVDを観ます。
 一週間前の半額デーに「千と千尋の神隠し」とスティーブン・キングの「ローズレッド」を借りたのですが、まだ観てない〜。休日も平日も観る時間が作れずに、とうとう明日が返却日・・・と思っていたら、がーん、「千と千尋・・」は、新作扱いなので、3泊4日が期限ということにさっき気がついた!っつうことはだな、延滞料金払わなくてはならないのだな。しかも、通常は1泊350円だからして・・・ひゃひゃひゃ。さらにさらに、「ローズレッド」は2枚組だ!
 意地でも観て返すぞ。
 でも実は明日は会社で仕事するつもりなので・・・朝だな、朝早起きして観るしかないな。
 早朝から「千と千尋・・・」
 ・・・健全だ。


2003年04月24日(木) 乱読主義

 またホンのちょっと本の話。
 
 人さまにお見せできないような小説書いてるけれど、案外小説は読んでない。
 10代の頃は読書イコール小説だったけれど、30代の今は興味のある本なら何でも読む。むしろ、小説に片寄らないように気をつけてもいる。勿論、小説も大好きだけど、これも、いろんな作家のものを読むようにしている。ただ、自分と同年代の若手作家のものはあまり食指が動かない。こんなこと言ったらとても失礼だし、自分のこと棚に上げてるのも申し訳ないのだけれど、店頭でページをぱらぱらめくって、会話ばかりが目立つもの、白い部分が目立つもの、やたらとカタカナやひらがなばかりが目立つものは、どうしても読む気がしない。自分が立っているのと同じような日常や、そういうものをちょっと色付けして面白くしたような小説なら、自分の実際の毎日のほうがその数倍面白いという自負があるので、わざわざ小説になったものを読みはしない。だったら、じっくり腰を据えて書き続けてきた作家の小説のほうが読み応えがあると思っている。
 好きな作家は、藤沢周平、井上靖、司馬遼太郎、池波正太郎、水上勉、中上健次。。この方たちの書かれた作品はすべて読みたいと思いつつ、まだまだその一部分しか読破できていない。大江健三郎、埴谷雄高。。。白状すると、今の私にはまだ歯が立たない。海外の作家の小説も、なるべく読むようにしている。藤沢周平さんのエッセイ集「ふるさとへ廻る六部は」に、パトリシア・コーンウェルも読む、と書かれてあって、ちょっと嬉しくなった。
 でも、部屋にある本は小説以外の分野のもののほうが圧倒的に多いかと思う。どういうものがあるか書くと頭の中身がばれちゃうので書けないけれど、自分のアンテナに引っかかるまま、興味のある分野のものはどんどん読みたい。
 先日呑んでいて、やはり乱読は重要だ、というような話になった。
 巷に小説の書き方を教える本は数多あるけれど、小説書くために小説読んで「勉強」した作家の作品は、読んでみればすぐ分かる。小説はノウハウじゃないんじゃないの?と思ってしまう。
 書く人の背後にあるもののすべてが混沌とした状態、そこから書きたいものが生まれてくるんじゃないかって気がする。その人が読んできたもの、実生活で感じてきたもの、見てきたもの、経験してきたもの・・・そういったものが全部背中に乗っかって、荷物の重みで後ろにふんぞり返りながら、ときに悲鳴を上げながら歩いていくような人生、その背中から生まれるような小説が好きだ。・・・と言いつつ、自分はまだまだ「頭」で書いてる未熟者ですが。
 そんな意味もあって、乱読派です。
 別に、小説書く書かないに関わらず、乱読派です。
 一見なんのつながりもないような分野の事柄同士が、ふとした拍子に関連性を持って頭の中に浮かんできて、それらが助け合って自分を救ってくれることがある。人間の脳は当人が考えているよりはるかにうまく出来ていて、読んだものを片っ端から忘れていくような私でも、どうやら頭の中には少しずつでも何かが確実に蓄積されつつあるような気がするのでまあ、あちこち読むのもよろしいかなと思ってます。
 
 
 
 


2003年04月23日(水) 積読主義(?)

 ・・・また本を買ってきてしまった。
 
 住んでいる所は本屋がやたらと多く、駅周辺に新刊本屋が5軒、古本屋に至っては10軒もある。その隣のやはり自宅から歩いてすぐの距離にある駅周辺にも古本屋が多く、10軒以上はある。そもそも棲みついている沿線じたいが古本屋をはじめとして骨董品や古着、リサイクル品など、古いものを商いする店が多く集まっている場所なので、使い古しで安上がりなものを探すにはさほど苦労しない土地柄なんである。近頃は住んでる自分までもがリサイクル品然としてきた感がなきにしもあらずだけど、それもまたいいんである。女も骨董品と同じで何度でも再生したほうが魅力が増すもんだと勝手に決めつけている困ったあたろーである。ただ棚の上に埃と一緒に飾られ始めたら困るな(笑)。

 あ話がずれた。本題に戻します。
 本題の本は「本当の」という意味と「本、BOOK」という意味の両方を言います、この場合。駄洒落です。すいません。
 
 本屋に囲まれているためか、自分の部屋も本だらけになってしまった。
 今住んでいるアパートに引っ越してくるとき、運送会社の人に嫌味を言われたほど本のダンボールが多かったので、新しい部屋には極力本を増やさないようにしようと決心したのもつかの間、気がついたらさらに増殖していた。一時期読み終えた本をせっせと実家に送っていたのだけれど、ある時帰省してみたら、私が送った文庫本が畳の上に放り出されていて、その上を、猫が泥だらけの足でぺたぺた踏み歩いているのを見て以来、やめた。だいたい実家の両親の本も多くて本棚に収まりきらないんであります。
 「本棚が見たい!」(ダイヤモンド社)という本に、内藤陳さんの部屋の写真が掲載されていて、あれを見たときはびっくりした。部屋自体が書庫、というか、床から天井付近まで本がぎっしり積み上げられていて、部屋の主である内藤さんは本に囲まれて、というより本の間に自分の身を置くスペースを作って生きている、という感じだった。崩れてきたらどうするんだろう。
 あそこまではとうてい行き着かないけど、ちょーっと布団敷くスペースに困るようになってきたかも。「積読(つんどく)」の本の山が頭の周囲(さすがに足元に置く気がしない)にいくつかあるので、眠っている間にこれが崩れたら低い鼻がなおさら低くなるなと思って一瞬不安になる。まあ、地震の直前には目が覚めるからいいけれど。
 そうなんです。
 本の量は多いけれど、そもそも読むのが遅いので、買う量に読む量が追いつかない。部屋に置いてある本で読んでない本も多い。しかも、たまに、前に買ったのと同じ本を再び買ってきてしまうこともあって、痛く反省します。積読状態だから、自分が持っている本をちゃんと把握してないんですね。
 じゃあ本を買うのをしばらくやめて、持っている本を片っ端から読んでいけばいいじゃないか、と思うかもしれませんが、そうはいかんのです。
 本、とりわけ古本との出会いはまさに一期一会で、すでに新刊本屋に出回ってない本が、よい状態で手頃な値段を付けられて古本屋の棚にあったら、これは買わずにいられない。勿論しばし手にとって考える。この本を今買わないでおいたとして、他の店でいつかまた出会えるだろうか、その時は綺麗でもっと安いかなあ・・・などと。本をコレクションするつもりはないから高価な本には興味ないのでそういう点は救いだけど。大手の出版社の沢山流通している本ならその時見逃しても他の店でもっと安く売られている可能性は十分ある。けれど、さほど多く流通していない本や、もう倒産してしまった出版社(これが結構あるんです、たとえよい本を出しているところでも)のものとなると、もしかしたらこれが出会いのラストチャンスかも、と思ってしまう。ところが古本屋の店主はさすがにそういう客の心理もちゃんと分かっていて、よい本を出しながら倒産してしまった出版社の本は、ちゃっかりいい値段をつけてたりするのです。
 最近はもっぱら「BOOK OFF」といった古本の大きなチェーン店をまずぐるっと見て回って、そこで目指す本があれば買います。専門書なんかでも探してみると掘り出し物的な値段がついていることも。そこにない本でどうしても手に入れたいタイトルがあれば、昔ながらの古本屋で、口をとんがらせながら、ちと高い、なんて思いつつ、買います。でも、店の雰囲気が好きなのはやっぱり昔ながらの古本屋のほう。最近あちこちに見かける古本屋のチェーン店は、アルバイトの若い店員さんたちがいたるところで「いらっしゃいませー」「ありがとうございまーす」と大声を張り上げていて、落ち着かない。万引き防止策なのかもしれないけど、あれはやりすぎと思う。。
 といいつつ、ついふらふらと店に入り、数冊買ってしまう。
 そんなこと繰り返しているから、また部屋が狭くなる。
 その日買った本を、床に座り込んでぱらぱらめくっていると、傍らで、積読本たちの文句が聞こえてくる。
 買ってばかりいないでちゃんと読みなさい、って。。
 
 
 


2003年04月22日(火) 話は尽きない

 昨日は、用事で上京していた人と長いことお話してました。
 いつも手紙のやりとりでいろいろ書いているつもりだけど、やっぱり話し出すと尽きなくて、結局夜中まで7時間近く話してたなあ。まだまだ話し足りないし、聞き足りない。話の続きは連休に、と、時間に追われるまま切り上げました。
 
 人と会話するときはだいたい話題を無意識に選んでいるけれど、その人と話すときは、話題に気を遣う必要がない。頭の中に浮かんだことをぽんぽん口にして、そこからどんどん話がつながって、発展していく。自分の思っていること、考えていることを素直に喋ることが出来る。
 私の倍近い年数の人生を歩んできた人だけれど、裏表がなく、自分の娘さんとほぼ同じ年齢の私を自分と対等に扱ってくれるから、私もずうずうしい物言いができるのですね。
 でも、自分の本心をさらけ出して、率直な会話や意見交換をできるかどうかは、世代差や肩書きとは無関係なんだと感じます。ものの見え方、感じ方に互いに共鳴できる相手なら、その場にインスピレーションが生まれるような会話がどんどん飛び出して、楽しくて楽しくてしかたがない。いい意味で、私に喝を入れてくれるし、心を豊かにしてくれる気がします。
 ほんとにさんきゅうです。

 今夜は、またまた映画の試写会が当たったので、ジェニファー・ロペス、レイフ・ファインズの「メイド・イン・マンハッタン」を友達と観てきました。久々のラブストーリーだ。。。うん、観終わった後に友達とも話したんだけど、おきまりのラブストーリーなんだけど、スカッとして心が温まりました。たまにはこういう映画もいいですよね!とっても幸せな気分になります。劇場公開これからですが、おすすめです!!
 


2003年04月20日(日) アースデイ

 昨日のことを今日書きます(^^;)
 
 昨日は代々木公園を出発して渋谷、表参道をぐるっと回ってまた代々木公園に戻ってくるピースパレードに参加してきました。
 今回は個人、団体取り混ぜてほんとに沢山の人が参加してて、サンバ隊や仮装したグループ、バンドの人達もいてお祭りのパレードのようでもありました。メディアが伝えるイラクの戦争は、もう終わったって感じですが(厳密にはまだまだ終わってないけど)、戦争によって世の中を変えていこうとするやり方がまだまだ肯定され実行されてしまう哀しい世界、でも、花の種が風で飛んで花畑が大きくなっていくように、暴力ではなく愛であふれた力が大きくなっていくように、こういうイベントがこれからも続いていくといいなあ、と思います。
 政府や会社といった縦のつながりが重視される組織ではなく、同じ意識を持った人達が自然発生的に集まるイベントでの横のつながりって、不思議なほど自由で、おおらかで、楽しいものだと感じます。一緒に歩いているうちに、周囲のさまざまな世代の人達といつの間にか自然に会話して、意見交換して。。
 それにしても、インターネットがあって良かったと思います。
 インターネットがなかったら、こんなに人は集まらなかったんじゃないかな。かく言う私もネットで情報を探してイベントに参加しているわけだし。会場で会う人も皆、ネットでピースウォーク探したんだと言っていました。
 私は自分のことを本当は超アナログ人間だと自負しているのですが(紙の本は絶対無くなって欲しくないし、紙に書かれた小説でないと読めない。紙に書きながら考えることも多い)、インターネットのこういう側面は、紙での情報ではとうてい太刀打ちできないんじゃないかなあと思います。
 
 昨日のピースウォークは、30年以上の歴史がある世界最大の環境保護イベント「アースデイ」の一企画として行われました。
 http://www.earthday-tokyo.org/2003/index.html
 代々木公園にゴールした後、そこで行われている「アースデイ」の代々木公園会場にそのまま残り、イベントにちなんださまざまなブースを友達と見て回りました。
 環境保護団体、環境を考えた製品を作っている企業、環境保護にちなんだワークショップを開いているグループ、オーガニックの野菜で作られた料理、屋久島や小笠原など離島の自然の良さを教えてくれるところ、アジアやアフリカなど第三世界の国々の人達が作った製品を紹介しているところなど、本当にいろいろなブースがぎっしりひしめいていて、見て回ってどれも興味が尽きません。熱帯の森林保護や間伐材の利用について資料をもらったり説明を聞いたり、「マイ箸運動」を広めようとしている企業のブースで自分の箸を包んで持ち歩くための布、また材木屋さんから余った木切れをちょっと、それからそれから、杉の間伐材を利用して作られたお皿を頂きました。また、石油から作られた白いローソクではなく、ずっと昔からあった蜜蝋で作られたローソクについての話や、街でのタバコのポイ捨てをなくそうと活動しているグループの話も聞かせていただきました。どのコーナーに立ち寄っても、丁寧に嬉しそうに説明してくれて、こちらもためになるし、気づかなかったことを気づかせてくれて、ちょっとずつ心が豊かになっていくような気がしました。。
 一口に環境保護、地球のことを考える、と言っても、その内容は多岐に渡っているし、いろんな立場の人達がいるんですね。
 地球を大切にする、環境を考える、動物や人にやさしい、身体にやさしい、というのは密接につながっていることなんだなあ、と感じました。。
 ちょっと感動したのは、食べ物屋さんが集まっているコーナーでは、1枚100円でお皿を借りてそれを使って料理を食べ、食べ終わったら洗い場テントの中で石鹸水で自分の使ったお皿を洗って、また返却するという仕組み
だったことです。確かにこういうイベントでは終わった後のゴミがすさまじい。学校の文化祭なんかでも真似するところが出てくるといいなあなんて思ったのでした。

 その後友達と別れて表参道にある外国人観光客向け(?)の、日本の骨董品や民芸品が沢山置いてある大きな店に入ったのですが、そこになんとトルシエ元日本代表監督が〜♪(いきなりミーハーですいません)
 店の中をうろうろしてて、ふと、今追い越した人、どっかで見たぞぉ、と思ったらトルシエさんでした。
 テレビで見るよりスマートで背が高くて、かっこよかったですよ!!
 店員さん達もちょっとコーフン気味に、でも楽しそうにトルシエさんを囲んで談笑してました。
 
 それから再び表参道をてくてく歩いてたら、若いお兄さんに声をかけられた。どーせなんかの勧誘だろうと思って無視しようとしたけど、ちょっと違うみたいだったので話を聞いてみたら、近くの美容院の美容師さんで、お店の宣伝として、日に1人か2人位に声を掛けて、お店のカットの技術の良さを知ってもらうために半額でカットしてくれているのだとのこと。半額といっても表参道の美容室なら半額でも高いんじゃないかと思ったら、3,000円だそうなのでその気になりました(笑)。カットモデル(ある程度美容師さんのやりたい髪型にされて、その上写真まで撮られちゃう・・らしい?)ではないことを確認して、カットしていただくことに。ちょうどよかった!!だってもう5ヶ月位(!)美容院に行ってなかったので、日曜に美容室行かなきゃと思ってたところなので。本当はいつも行く店が日曜混むので土曜に行きたかったのだけど、土曜はあいにくピースパレードに行ったので時間的に無理だろうと思ってたのですよ。てなわけで、予約しなくても、しかも通常の半額で即カットしていただけるということで喜んでしまいました(^^)
 案内されたのは表参道の賑やかな通りからちょっと奥まった場所にあるその名も「村」(!!)という名前の美容室。店の前に赤い小さな橋が架かっていて、店全体が和風の造り。こ、これはまさに私好みの店でないか!こんな美容室は見たことがないです。ひと目で気に入ってしまいました。
 美容師さんたちも滅茶苦茶明るくてオモロイ。
 BGMに合わせて美容師さんたちがでかい声で歌っている!
 ドライヤーをしてくれた若い男性の美容師さんがいきなり声を張り上げて自分の出身地を紹介してくれたのだけど、私の実家の隣町だった(笑)。いきなりローカルな話題に突入。
 美容師さんたちの一体何語か分からない奇声と雄叫びを聞いてげらげら笑いながら髪をカットしてもらっているうちに、騒々しさに馴れて気持ちよくなって寝てしまい、気がついたら頭ほぼ出来上がっていた。
 あ。。。
 やば。。
 童顔がなおさら童顔になっているではないかっ。。
 い、いや、これは美容師さんのせいではない。
 とにもかくにも、いろんな意味で満足はしております。
 3ヵ月後くらいにまた来てくださいねと(ずぼらな私に合わせた髪型にしてくれたのである)言われたので、またその頃に行きます。お店、気に入ったので。

 なんかいろいろあって有意義な1日でした。


2003年04月18日(金) ねむいよぅ

 残ぎょで帰宅がおそくなりやした。
 もう眠くて眠くて。。。
 明日書きますね。。。

   /おやすみです。


2003年04月17日(木) ベランダの住人達。

 植物の立ち枯れた姿が好きだ。
 プランターのバジル、素焼きの植木鉢にまっすぐ突っ立ったまま茶色くなってる唐辛子にしし唐。手すりに渋く巻きついているニガウリの蔓。食べ頃に収穫し損ねてそのままにしておいたミニトマトが、枯れてスカスカになった枝にちょこんとまだほんの少し赤味を残してぶら下がっている様子も、なんだか好き。
 収穫時期も採種時期も過ぎたものをいつまでも植えたままにしておくと、土のためにもよくないのだけれど、あえてそのままにして、毎日姿の変わっていくさまを見ていた。
 冬の晴れた日に、ベランダに遊びに来た小鳥が、乾いたブラックベリーの実をついばんでいった。
 
 このところのぽかぽか陽気と春時雨のお陰で、休眠から完全に目覚めてすこぶる元気なのが、ベランダの住人になって今年4年目のクレマチス。少し紫がかったブルーの美しい大輪の花を毎年沢山咲かせてくれる。育てるのが難しそうなイメージがあるが、さほど手をかけないでもすくすく育って、勝手に花を咲かせてくれるので、ずぼらな私でも大丈夫。すでに今年の新しい蔓が延びて、花のつぼみもいくつか膨らんでいる。連休頃に咲いて、花ガラをちゃんと取ってあげれば、しばらくして夏の暑い時期にもう一度花をつけてくれるはず。・・・ああ、植え替えするの、忘れてたな。ごめんね。
 ローズマリーも新しい枝がどんどん伸び始めた。青く甘く深いこの香りが大好き。ハーブの中でローズマリーが一番好き。いつか菜園を持ったら、真ん中にローズマリーを植えたい。風が来るたびに、ローズマリーの木を揺らして、あの森のような香りが辺り一面に漂うようにしたい。
 ・・・もう勝手にどんどん大きくなってるよ、というのが明日葉。
 これもベランダの住人歴4年目?いや、5年目??さすが、今日収穫しても明日には新しい葉が出ているという名の由来どおり、生命力旺盛。明日葉の味噌汁は美味しい。

 今年の春は、ベランダいじるのすっかり無沙汰してしまった。
 今週か来週末には種を蒔いて、苗を買ってきて、そうしないと、手遅れになっちゃう。あんまり気温が上がってから種を蒔くと、せっかく芽が出ても、まだ小さいうちにさっさとアブラムシの餌食になってしまうのです。植物が元気になる時季は、同時に虫たちももぞもぞ動き出す時季でもあるので。
 その前に、去年のニガウリやミニトマトを片付けないと。十分楽しませてもらったことだし。あー、土に肥料混ぜておくの、すっかり忘れてたよー。
 それからそれから、今年は何を育てるか、まだちゃんと考えてなかった。
 バジルと青じそは外せない。ミニトマトもないとつまらない。唐辛子もやっぱり欲しい。ニガウリも・・・うーん。トマトやニガウリは去年と同じ土を使うと連作障害を起こして実がつかないので、狭いベランダでは苦労します。どっちか諦めないといけないかなあ。
 早く種買いに行かないと。。。。。


2003年04月16日(水) 体内時計調整

 今日から夜は12時に布団に入るようにする!
 生活サイクルを変えるのです。
 12時に寝て、5時に起きる。・・・あ、いや、6時にしとこっか。
 
 朝から晩までパソコン見てる毎日。職場でも家でも。
 明るい画面をじっと見続けているから、なんだか体内時計がおかしい。
 眠りにつく直前まで、私の脳は昼間を認識しているみたい。
 寝るのがだいたい夜中の1時か2時。起きるのが6時すぎ。
 睡眠不足だ。。。しかも眠りが超浅い。
 今日は仕事中に夢を見た。
 書類をファイルしながらいつのまにかうとうと・・・手を動かしながら、でも頭の中はオフィスではないどこか山奥の風景で満たされていた。
 はっと我に帰る。
 やばい。白昼堂々と職場で居眠り。おまけに夢まで見た。
 コーヒー、会社で5杯。家で2杯。胃に穴があくのも時間の問題。しかも、コーヒーのカフェインではもう眠気が取れない。
 コンビニの栄養ドリンクコーナーに「眠眠打破」と言う眠気覚ましドリンクがあるのだけれど、成分がコーヒー2杯分のカフェインとある。当然まったく効き目なし。むしろ、「チョコラBB」とか「リゲイン」などの普通の栄養ドリンクのほうが眠気が覚める。でも毎日そんなのばっかり飲んでるのもよくないなあ。。
 それにしても、職場では皆が一日中パソコンとにらめっこ。
 たぶん寝るのと食べるの以外はずっとパソコンいじってる人も多いはず。
 皆残業もしすぎだし。・・・夜中まで働いた上に休日出勤する人も。。
 私のいる部署は体調崩して休む人も多い。
 
 身体が人間なのを忘れかけてる。
 
 外が明るくなったら自然に目覚めて、おてんと様が沈んだらお仕事やめて一杯やって夕飯食べて、そんでもってちょっと読書なんぞしてからあとはぐーぐー。目覚まし時計はいらない。
 あーそんな生活がしたいよー。
 どれもこれも思い通りというわけにはいかないけど、早寝早起きするだけで、結構変わるかな。
 
 
 


2003年04月15日(火) 孤独

 種田山頭火(1882-1940)の句が好きだ。


 捨てきれない荷物のおもさまへうしろ

 どうしようもないわたしが歩いてゐる

 いただいて足りて一人の箸をおく

 ころり寝ころべば青空

 草のそよげば何となく人を待つ

 
 裕福な家に生まれるも、幼い頃、父が他の女性と旅行中に母が自殺、父の事業の失敗、自身の神経衰弱など様々な波乱を経て、やがて妻や子と別れて禅僧として放浪の旅に出、58歳で亡くなるまで、一人句を詠み、日々孤独と向き合い続けた山頭火。
 比較にならないほど賑やかに人やモノに囲まれ、慌しい毎日を送っている私が、どうして山頭火の句に強く惹かれるのか、自分でもうまく説明できないのだけれど。

 孤独って好きだ。
 一人で考えてく時間の重なりって好きだ。

 孤独にもいろいろあって、たとえ家族と一緒でも、誰かと暮らしていても、会社にいても、友人といても、心の中に寂寥感を感じることもあるかもしれない。大事な人と死別して、孤独を噛みしめながら生きている人もいるかもしれない。周囲と上手く調和できずに、一人ぼっちだと思いながら暮らしている人も多いかもしれない。
 孤独の受け止め方は人それぞれかと思うけれど。

 苦しいことかもしれないけれど、自分の孤独とちゃんと向き合って生きてきた人に強く惹かれる。
 自分の中の孤独を飼い馴らして、大切にして、そこから何かを引き出していく人って好きだ。
 自分の孤独を見つめることのできる人は、自分にとってほんとうに必要なものが何なのかが自ずと分かる人なんじゃないだろうか。
 そういう人の行動は、まっすぐで、シンプルで、裏表がないんじゃないかって思う。
  
 いつか、互いの孤独を持ち寄って、小さな屋根の下につつましく暮らしたい。


2003年04月14日(月) メソポタミアの貴重な遺産

3年ほど前に、世田谷美術館で開催された「メソポタミア文明展」(NHKの「世界四大文明展」の一環として行われた)で買い求めた図録をめくっていた。
 ・・・ああよかった。不幸中の幸いと言うのもなんか気が引けるけれど、「目には目を、歯には歯を」で有名な、楔形文字のハンムラビ法典が刻まれたあの大きな石碑は、パリのルーヴル美術館が所蔵していた。白い石で出来た身体に真っ赤なルビーの目とへそを埋め込まれた怪しく美しい「女神イシュタル」の小さな像も、ルーヴル美術館に保管されている。

 高校生の頃、部屋にデュラン・デュラン(カッコイイ男の人ばかりのイギリスのバンドでしたね)とペルセポリス遺跡(イラン)やマチュピチュ遺跡(ペルー)のポスターを一緒に貼っていたので、同室だった妹に「雰囲気がめちゃくちゃ」とよく文句を言われていた。
 砂漠にそびえるペルセポリスの石柱や彫刻の施されたレリーフを毎日眺めては、大人になったらいつか行きたいと思っていた(思っているうちにはや30代・笑)。ちょうどその頃はイラン・イラク戦争が終結するかしないかって頃で、私が大人になるまでに観光客が安心して行けるような土地になっているのかなあと不安に思っていた。
 世界史を勉強するのが面白くて、特に古代史が好きで、大学では西アジアの古代史をやりたいと思い、その分野で著名な先生のおられる大学を受けた。・・・そしたら運悪く、私が入学するのとその先生が高齢のため退官されるのが同時で(そんなことまで調べなかったよ!)、加えて学年が進むにつれ次第に自分の足元の歴史に興味がわき、最終的には日本の考古学を専攻した。・・・まあ、アルコール以外の飲み込みが悪くて、さほど優秀な学生とは言えませなんだが。博物館で働きたいと思ったこともあり、学芸員資格も取った。・・・もういろんなこと忘却の彼方なので肩書きだけが泣いてますが。
 
 そんなこんなで、バグダッドの国立博物館に暴徒と化した人達が押し寄せて、貴重な文化遺産が多数持ち去られるという悲劇に、やりきれない思い。
 紀元前何千年というはるか昔から、気の遠くなるような時を経て、大切に守られてきたはずの歴史の証人者である遺物が、今、一瞬にして持ち運び去られ、散っていった。どこで発見されたのか、どの遺跡で出土したものなのか、そしてどういう性質のものなのか、その遺物についてどのような研究がなされてきたのか・・・そういうこともこの暴力的な行為によって分からなくなってしまう。・・・当地の学芸員や研究者達の嘆き悲しむ様子が目に浮かぶようだ。
 どのような理由があっても、今この時代に生きる私達が、過去の大切な遺物を破壊したり、由来が分からなくなるほど粗末に扱っては絶対いけないと思う。イラクにあるものに限らず、世界中のどんな地域の遺跡でも、遺物でも、文化的な遺産というのは、私達にとっては貴重な預かり物なのだと思う。未来の人達へきちんと引き継いでいかなければならないものだ。未来の人達の過去を知る権利を、今の時代に生きている私達が勝手に奪ってはいけないと思う。たとえ今私達の目に魅力的に映らないものがあったとしても、未来の人達は、同じものを見て、私達とは違ったイメージをそれに対して抱くかもしれない。
 いわゆる文化的遺産というのは、過去から未来、すべての時代に生きる人達との共通の財産であって、今現在生きている私達だけのものではないはず。
 タリバンによるバーミヤンの大仏破壊、あの恐ろしい愚行と同じ行為が、再び行われてしまった。。。
 


2003年04月13日(日) ちょっと怖い思い。

 たまに、たまぁにですが、もうこの世の住人ではない人と出会うことがあります。
 本来なら他に誰もいないはずの場所に人を見たり、先日亡くなったのではという人とばったり会ったり、ということが。
 でも、そういうのはさほど怖がる必要はないんじゃないかと思います。
 相手も怖がらせようとして姿を見せているわけではなく、こっちの世界にまだちょっと未練があって、やり残したことを片付けに来ているんじゃないかなあ。必要以上に怖がるのはかえって失礼かと(自分もいつかは通るかもしれない道であることだし)思うので、心の中で相手のご冥福を祈りながら、つとめて平静にしています。相手が物質的な肉体に頼らない存在である分、こちらの心の中を敏感に感じ取ってしまうようです。だから、よくある心霊番組みたいに、心霊スポットに霊能者やテレビカメラやタレントが押しかけていって、大袈裟に騒いだり怖がったりするのは当然よくないですよね。あれはほんとに気の毒な感じがするんですが。
 父方の祖母と母方の祖父がこういう世界に縁があったようで、それぞれに風変わりだったのですが、その反動で母は「幽霊の話は聞きたくない」派だったので、我が家では昔からその手の話はタブーでした。子供の頃、私が、こうこうこういうのを見た、なんて言おうものならすぐ叱られて否定されちゃうので、せいぜい妹に打ち明けて終わりにしてました。でも、両親も歳を重ねるに連れて柔軟性が出てきて、また、実家でもたま〜に、「これは死んだじいちゃんの仕業としか思えないよね・・・」というようなことも起きたりするので、最近ちょっとは話しやすくなったかな。
 妹に、そんなんでよく1人で寝起きできるよね、とか、お寺の宿坊に1人で泊まってかえって怖くないの?とか聞かれもしましたが、霊能者みたいに頻繁に見るわけでもないし、お寺はむしろ清浄な空気が流れているから安心かな、と思います。

 でも、実は最近ちょっと怖いかな。この半年間。
 夜寝てるところを、金縛りや叫び声で起こされるのはさすがにちょっと怖いです。 
 昨年の10月に一度日記に書いたのですが、この半年間、だいたい1〜2ヶ月に1回位の割合で夜中に起こされてしまいます。
 訪れる方々は毎回異なるのですが、寝てるところを無理やり起こされて、ひゃ〜ってな感じで怖い思いさせられてしまう。。
 3人位で来て足押さえつけられた上に首に手が伸びてきたり、顔がただれて血だらけの男の人が私のすぐ隣に横になってこちらの顔を覗きこむようにして見ていたりして、これは夢だ夢だ夢だって思いたいんだけど、哀しいかな意識がはっきりして逃れようもない。
 昨日は、最初、ほんとに夢見てると思っていた。
 夢の中で、頭のすぐそばにあるテーブル(部屋狭いもので。。)をバンバンすごい勢いで手で叩きながら、男の人がわあわあ叫んでいる。叫んでいる、というか、怒鳴っているというか、そんな感じなんだけど、何言ってるのか聞き取れない。最初は父親に怒られている夢を見ているんだと、夢の中で納得しようとしている私だったんだけど、だんだん意識がはっきりしてきて、いい加減これは夢じゃないぞ、って分かってきた。あーこれはやばいぞ、と、思い切ってえいっと目を開けた瞬間、テーブルを叩く音と、怒鳴り声は消えた。部屋は急にしーんとなった。ところが、今度は体が動かない。掛け布団の上が重い。異様に重い。私の体の上に誰かが乗っかって、布団ごと押さえつけている感触。それどころか、部屋の空気全体がよどんで重い。
やばい、どうしようどうしよう、って焦っているうちに、上に乗っかっているその誰かが、少しずつ手を掛け布団の上に這わせて、私の頭のほうに手を伸ばそうとしてくるのに気がついた。豆電球の灯りの中で、私の体は金縛りにあって首すらも動かせない。布団の上で体を押さえつけているのがどんな姿をした人なのか分からないけれど、このままほうっておいたらすぐに掛け布団の端から手が伸びてくるだろうっていうのは予想がつく。掛け布団が少しずつずれていく。もう滅茶苦茶怖かったです。布団の端から手が現れるのを見たら絶対失神すると思ったので、もう必死に、心の中で「般若心経」唱えました。今だに意味はよく知らないのですが、子供の頃覚えた「般若心経」をこういう時に心の中で繰り返します。それしかできないのですが、とても効果があります。・・・そうしたら、まだお経の半分も唱えていないうちに、ふっと布団が軽くなって、体の自由がきくようになりました。部屋の空気も元通りになった。
 しばらく呆然として、仰向けになったまま、疲れきって動けなくなってしまって、ようやく思い出したように時計に目をやったら、2時半ちょっと過ぎ。まだ恐怖感が残っていたけど、部屋の電気つける気力もなくって、寝返り打つのもやっと。なんとか体を横に向けて、膝を抱えるようにして、今度は丸くなって布団に潜り、頼むからもう来ないで、と祈っているうちに脱力感と疲労感が襲ってきて、またすぐ眠ってしまいました。

 こういうちょっと怖い思いをするのは、ここ半年位。それ以前は、高校生の時に2度ほどあった程度。今住んでいる場所が悪いのか、それとも私に対する恨みか何かか・・・でも後者はまったく心当たりないし、訪れる人も毎回異なるみたいだから、やはり前者かなあ。これはただの偶然かもしれませんが、近所に空き家が多いです。6年住んでいる間に、空き家になったり引っ越したりっていうのを何度か見てきたし。土地の「気」っていうのはありますよね。。。今度のアパートの契約更新を機に引っ越そうかなとも思ってます。
 でも。こんなこと言うと、「ばっかじゃん」って人に思われるもしれないけど、相手がどんな存在であれ、こちらの心を穏やかに、やたらと動揺しなければ、さほど怖がる必要もないのかもしれないです。
 私もついつい焦ってしまうからいけないのかも。
 
 
 
 


2003年04月12日(土) あの子の両腕

 久しぶりにピースパレードに行ってきた。
 中央区の坂本町公園から東京駅や銀座を歩いて日比谷公園にゴール。
 友達がカラフルな風船で器用に「peace」を形作ってきてプラカードみたいに棒に結んだのを、一緒に持った。すごい。これ。注目度大。みんながにこにこしてこっち見てる。写真も沢山撮られた。インタビューも何度かされて、友達が熱心に答えてた。うーん。彼女のセンスと器用さに脱帽だ。文字をでかく書いたプラカードもいいけど、こういう可愛く目立つ異色作もいい。みんなが「わあっ」って顔で見るもん。こういうアピールの仕方もあるんだなって感心した。
 あいにくの雨で、しかもバグダッド陥落のニュースが駆け巡っているからかな、パレードに参加する人達、3月に比べたらだいぶ減った。まあ、それが自然の流れというもの。
 でも、ほんとは、戦争はまだまだ終わっていないんだよね。
 まだ完全に戦闘が止んだわけじゃないし。
 それに、イラクの人達にとっては、これから「戦争の痕(あと)」の時代が長く続くわけで。
 バグダッド陥落、フセイン政権崩壊、というけれど、イラクに真の平和がやって来たわけじゃないから。

 パレード、前を歩く人のプラカード、爆撃によって両腕をほとんど付け根から失い、体中に薬を塗られ、ベッドに横たわるイラクの子供の写真を大きく引き伸ばして貼り付けたものが使われていた。この写真、私インターネットで見たな。そう思いながら、そこに写っている子供の大きな悲しそうな目をじっと見ていた。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030408-00000479-reu-int.view-000&d=20030408
 あの子に、今回の戦争は一生つきまとう。
 ブッシュさんとブレアさんが勝利の美酒に酔いしれても、本国へ帰還したアメリカ兵達が家族との再会を喜び合っても、そして世界中のマスコミがこの戦争のニュースを流さなくなっても。
 両腕をもがれた子供にとって、この戦争が過去のものになることは、決してない。
 こんなことがあっていいの?
 こんな不条理なことが平然と、公然と行われている。
 あの子は今、病院のベッドの上で、どんなことを思っているの?
 この先どんな人生を歩むの?
 
 ベトナム戦争で米軍が撒いた枯葉剤の犠牲となった多くの子供達。べトちゃんとドクちゃん。
 人間は、なんでも都合よく忘れてしまう。
 過去の戦争の被害にあっていまだ苦しんでいる人も多いというのに、それを忘れて再び同じ境遇の人達を作り出してしまった。
 
 あの子が、自分の手で物を掴む機会は、もう一生訪れない。。。
 


2003年04月11日(金) 風土

 少し年上の、家庭と仕事をパワフルに柔軟に両立させながら楽しんでいる女性と二人で食事。
 脳内刺激ビシバシ。
 物腰柔らかでおっとりしている女性だけれど、中身は一本スジがピンと通っていて、気持ちのいい生き方してるって感じた。
 ことさら自分の正当性を主張するわけでもなく、些細なことに対して不平不満を言うわけでもなく、日常を楽しみながら、自然に歳を重ねていく・・・そういう女性に憧れるなあ。
 こんな生意気なこと言うと怒る人もいるかもしれないけど、女性が(男性もだけど)眉間にしわを寄せて喋るようになったらいけないと思う。人を白眼視できるようになったら終わりだと思う。人の悪口を誰かに言わないと気がすまないようになってしまったら、気の毒だと思う。
 やっぱ彼女みたいにおおらかにいきたいもんだと思った。

 ところで関西人の彼女の考え方の基本形は、雪国人の私にとって新鮮でなんかちょっとおもろい。
 雪国人は長い冬を雪に埋もれた家屋の中でじっと過ごすためか、内向的なところがあって、自分の内側にどんどんどんどんはまってしまいには穴の中へ落ちていくような考え方をする傾向があるけれど、関西人は、それに比べるとあっけらかんとした明るいところがあって、これが駄目ならこっちで勝負や、それでも駄目なら笑い飛ばしたるで、みたいな逞しい考え方をするような気がする。まあ、これは極端な言い方ですが。
 和辻哲郎の著作「風土」の中に、関連したようなことが書いてあった。そういえば。
 自分と生まれが違う人と話すのは、結構よい刺激になりますな。
 


2003年04月10日(木) 無理やりかぶせたティンガロハット

 本当に戦争は終わったのかな。。
 ともかくこれでもう人が亡くなることがないのなら。。
 でも。
 星条旗の図柄のスカーフ巻いた巨大なティンガロハットで無理やり蓋をする瞬間に、帽子の隙間からいろんなものが風圧で飛び出していったような気がする。
 強気なガンマンのやり方は、昔も今も変わらない。
 自分であちこちに火種をばら撒いておいて、それが大きくなったら刈り取りに来る。ついでにその土地のお宝もちゃっかり頂くことも忘れない。だって本来の目的はそのお宝だもの。
 
 とりあえずフセイン体制は力を失った(らしい)。
 長い間その政権下で抑圧され、また弾圧を受けていた人々が解放された。
 だけど、自分達の民族に対し、宗教に対し、非常に誇り高い、かの国の人々が、ほんとうに解放されたと感じるまでには、まだ相当の課題が残されていると思う。
 人種も宗教も全く異なる国によって、多くの人の命を奪われ、国土の姿を暴力的に変えられてしまったのだから、その分また火種も増えているし。
 アメリカがこの先どんな行動をとるのか、周辺のイスラム諸国も注視している。ユダヤ教徒の国であるイスラエルの対イスラム教徒テロを支援しながら、イスラム教圏を引っ掻き回して最後にはいいとこ取りしてきたのをずっと見てきたのだから。


 


2003年04月09日(水) 春望

  国破山河在   
  城春草木深   
  感時花濺涙   
  恨別鳥驚心   
  烽火連三月   
  家書抵万金   
  白頭掻更短   
  渾欲不勝簪 

 国破れて山河在り
 城春にして草木深し
 時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
 烽火 三月に連なり
 家書 万金に抵(あた)る
 白頭 掻けば更に短く
 渾(すべ)て簪(しん)に勝えざらんと欲す

 杜甫の「春望」
 好きな漢詩です。
 高校時代、漢文の授業で知って以来、春になると思い出す詩となっています。
 戦乱で荒廃した都長安。けれど、山も河も昔のまま。春はここにもやってきて、草木が生い茂っている。。。と詠んでいます。そして、別れ別れになった家族を思い、打ち続く戦乱の世を憂いている詩です。
 このところ、あちこちに咲き誇る桜の花を見、イラクの戦争のことを思い出すにつけ、この杜甫の詩が頻繁に浮かんでくるのです。
 
 戦争は、今も昔も人が死ぬことに変わりはない。
 人の命を人が奪うという、絶対あってはならないこと。
 
 ただ、昔の戦争と、今の戦争で決定的に異なること。
 ・・・荒廃した土地に春が来ないこと。

 汚染された土と空気が、春の訪れを妨げてしまうということ。

 
 


2003年04月08日(火) だるだる。

。。。風邪が治りきってないので、今夜ははよ寝ますね。
すいません。
おやすみなさい。。


2003年04月07日(月) なんでかよくは分からないけれど。。。

 ・・・なんか最近物欲がなくなってきた(笑)。
 アクセサリー売場も、洋服売場も、化粧品売場も、ぜんぜん見ないで素通りしてる。
 なんでだろ。へんなの。
 春物の服ちょっとは買わないといけないんだろうけど、めんどくさい。誰か代わりに選んで買って。
 顔の表面も、まあ、ファンデーションと口紅と、眉毛だけついてれば問題ないだろって感じだし。
 これってやばい?・・そういえば女性雑誌半年以上買ってない。うー。い、いや、女捨てたわけじゃないんだけど。
 音楽もおんなじCD繰り返し聴いてるから、新しいのは今のところ興味ないし。。うーん、確かに私ヘン。
 ヨドバシカメラも行ってない。
 ・・・もうずっと使ってないもの、実家に送っちゃおうかな。。
 つうか、妹の家にどさっと送ってしまえ。。。
 置物、気に入ったのだけ残してあとは骨董品屋さんに売ってしまおうかな。
 テレビもないままでいいや。
 ・・・それにしても、狭い部屋になんでこんなに物があふれているんだろ。もーう、全部捨てちゃいたいなあ。
 人間1人生きていくのに、どうしてこんなに物が必要なんだろ。
 
 なんか、急に身軽になりたくなった。
 最低限自分に必要なものだけ持って生きてみたくなった。
 そうでもしないと、大事な感覚を、なんだか忘れてしまいそうな気がして。


2003年04月06日(日) 雨のあと、生き残る。

 バグダッドでイラク側死者3000人?
 3000人の遺体がバグダッドに転がっているのだろうか。。。
 ゲームでは、死んだ人は何度も生き返るけれど、現実の世界ではそうはいかないよね。
 でも、こうして毎日ニュースで死者の数を知るうちに、だんだんと「亡くなった人の数」に対しての感覚が麻痺していく自分も怖い。
 戦争のニュースに慣れていく自分が怖い。

 
 ほとんど1日中コーヒーショップにこもって、なんかいろいろ書いてた。
 途中で抜けて、桜を見に行った。
 川沿いの桜、昨日の大雨で、すっかり花が散っているんじゃないかと思っていたら。
 生き残っていた。
 満開の桜、晴れ渡った青空をバックに、薄桃色の花のトンネル、しっかり残っていた。
 心底驚いた。
 あんなに激しい雨だったのに、風も強かったのに、ちゃんと耐えたんだ。
 耐えてたんだ、って思ったら、とてもいとおしくて、ありがたいと思った。
 雨の前より、活き活きしてて、青空と桜の美しいコントラスト。
 あまりにも生命力に溢れていて、恐ろしくらい。
 命を育む空と、死をもたらす空。
 それでも世界中の空はひと続きだ。


2003年04月05日(土) やりきれない

 市街戦はもう避けられないの?
 犠牲者がもっともっと増えるの??
 
 「イラク軍兵士約1000人死亡」とひとくくりにされた中に、1000の人生があったのだと思うとやりきれなくなる。
 1000人それぞれの家族や恋人や友人、1人につき最低5人の親しい関係者がいるとして、5000人以上が愛する人の死を嘆き悲しんでいると思うとやりきれなくなる。
 バグダッドに残る市民、フセイン政権によって人間の盾として市内に留まるよう指示されているのはどれくらい?バグダッドを脱出したくても動けない人も沢山いるはず。聞くところによると、家族全員が家を空けると逃亡したとみなされるため、母親と子供だけがバグダッドを出て、父親は自宅にそのまま残っている家庭も多いとか。どれくらいの家族が、今離れ離れになって互いの安否を気遣っているのだろう?
 イラク、米英軍双方の兵士達が今どんな気持ちでいるのかを考えると、やりきれない。
 それぞれの親しい人達が、今どれだけ彼らの無事を想っているかを考えると、やりきれない。
 
 

 今日はほんとは代々木公園のピースイベントに行く予定だったのですが、どしゃ降りの中、風邪がひどくなりそうで出掛ける勇気がなく、結局家で大人しく寝てました。
 正直、こんな日はさすがにみんな集まらないだろうと思っていたら甘かった。沢山の人達が出掛けていったそうですね。私も認識がちとゆるい。
 ・・今日も早く寝ます。


2003年04月04日(金) 酔っ払いオヤジ

 今日の部内会議。
 4時から夜の10時まで、切れ目なく延々6時間。。。
 私は自分に関係のある部分だけ顔を出していたからいいけど、狭い会議室に十数人。みんなよく集中力が続くなあと心底驚いちゃった。ほとんどトイレにすら立たないんだもん。。。私には出来ません。。
 
 残業して11時過ぎの電車に。
 金曜の夜遅い電車は最悪。
 車内は足とアルコールの臭いが充満(ー_ー;)
 目が据わった人も多い。。。
 自分が飲むのは大好きだけど、人がお酒臭いのは耐えられぬ。

 赤ら顔のおじさんが「ひとつ吊革ずれてもらっていいですか」と言いながら隣に立ったので、ずれてあげた。
 ・・・う、お酒臭い。
 と、おじさん、
「お嬢さん、ご出身はどちら?」と聞いてきたので、
「新潟です」と正直に答える。
 ・・・酒くっさぁ。。
「おーそうですか、私は青森です」
「あぁ、そうなんですかぁ」
 ちなみに私は音楽聴きながら本を読んでいる(満員電車ではよく静かな音楽聴きながら読んでます)ので、おじさんに話しかけられるたびにページから顔を上げて、いちいちイヤホン耳から外して答えなきゃならない。・・・そもそもなんで見ず知らずの酔っ払いおじさんに読書の邪魔されなきゃならんのだ?
「新潟はいいところですねぇ」
「ありがとうございます」
 ・・・褒めてくれたからちょっとは許しちゃる。
「新潟に行ったことありますよ」
「あ、そうなんですか」
 ・・・頼むもう話しかけないで。
「昔長岡に市村デパートっていうのがありましてね」
「あ、そうなんですか」
 ・・・ちょっといい加減にしてくんない?
「そこの店員さんに○○○○(知らない人のフルネーム)さんという人がいたんですが、知ってますか?」
「いえ、知りません」
 ・・・知るわけないだろうがっ!ほんとに酒臭いんだって!!

 おじさんはそれからまた延々と市村デパートの店員の○○さんの話を始めて、私は最初は仕方なくいちいちイヤホン耳から離して頷いてあげてたんだけど、途中からイヤホンずっと耳に挿したまま、視線もおじさんには向けず本の上に集中させて、片手間に時々うんうん頷いてあげるだけにした。もうこれはボランティアだ。
 しばらくして気がついたらおじさん話すのやめていた。
 でも、電車がさらに混んできたのに乗じて、停車するたびにひとつづつ吊革ずれて、おじさんから離れようとしたんだけど、私が動くたびにおじさんもぴとっとくっついてくる。。
 ・・・こ、このオヤジィ〜。
 ・・・もう、酒くっさぁ〜(泣)。
 まあ、おじさん降りるときは振り返って「じゃあねぇ〜」って機嫌よく挨拶してったからいいけどね。
 私もにこっと笑って「おやすみなさい〜」と答えたもんだ。
 ・・・あの調子じゃ、たぶん、ホームのベンチでほんとに眠っちゃってるかもね。

 まったく。
 疲れちゃった。
 気がゆるんだら風邪ひどくなってきた。
 あたろーシステムダウンです。。。


2003年04月03日(木)

 ほんとうに、早くこの戦争が終わって欲しい。
 とにかく、もう犠牲者を出さないで欲しい。
 
 イラクで多くの市民や兵士達が亡くなっていくことを知らせるニュースの隣で、日本と香港の、ともに40代半ばの俳優の自殺が報じられていた。
 二人とも好きな俳優さんだったのでショック。特に、レスリー・チャン主演の「さらば、わが愛 覇王別姫」(チェン・カイコー監督1993年)は、映画館で観て衝撃を受け、長時間の作品だったにもかかわらず、席を立つことが出来ずに続けて2回観たほど好きな映画だったので、46歳というあまりにも早い死にしばらく呆然とした。

 命ってなんだろう。
 学生時代、レポート課題で、「死刑制度について思うところを書け」というのがあった。
 命について初めて私が言葉を使って表現しようとした機会。
 その時は、命というものは、人それぞれに与えられた可能性の源であって、たとえ法であってもそれを侵すことは出来ないのではないか、というようなことを書いた。1人1人の人間は善と悪の両方を持っていて、刻々と変化し、生まれ、死んでいくさまざまな思いや考えを抱いて生きている。人の内面は宇宙のようで、それが1分先2分先にどのように変化し、新しいものを生み出していくのかは、当人にすら分からないほど奥深いのだから、その宇宙の源を断ち切ってはいけないというような内容にしたと思う。
 今でもその思いは変わらないけれど。。。
 変わらないけれど、命って、そういう説明では定義づけられないんじゃないかって、30代になってから感じるようになった。
 
 命って、そんな、言葉で語り尽くせるほど私達の手の届く近さにあるものじゃないと思う。
 私達がいたずらに触れてはいけないもの。
 私達がもっともっとおそれなければならないもの。
 自然の摂理の中で、人間の手の及ぶことのない、不可侵の領域にあるべきもの。。。

 ・・・それしか今の私には分からないけれど。。。
 

 ・・・イラクで亡くなっていく多くの方々と、自分で命を絶ってしまった二人の俳優さんのご冥福をお祈りします。。。

 ブッシュさん、人の手によって人の命が奪われることの恐ろしさ、愚かさに気づいて欲しい。
 
 


2003年04月02日(水) 9.11の真相とイラク攻撃について。。。

 アメリカの言語学者ノーム・チョムスキー氏は、その著書「9.11」(山崎 淳訳・文春文庫)の中で「アメリカこそテロ国家の親玉である」と述べています。その理由の例として、1980年代のアメリカのニカラグア侵攻(国際司法裁判所がアメリカの侵攻を「国際テロ」とした判決も無視)、1985年のベイルートでの爆弾テロ(80人が死亡)、1989年のスーダンの薬品工場爆撃(安価な薬を生産していたので、その後薬で治るはずの数万人以上の人の命が奪われたことになったそう)などを挙げています。薄い文庫本ですが、興味深い内容だと思います。愛国心があるからこその訴えであると、私は読みました。

 チョムスキー氏の本を読んだ上で読むと、そういうことも十分あり得るだろうと納得できるのが、こちらです。
 http://tanakanews.com/d0327wtc.htm
 田中 宇(さかい)の国際ニュース解説「見えてきた9.11事件の深層」(3月27日)
 9.11テロの主犯格に流れたテロ資金を逆にたどるとCIAに行き着くと述べています。そして、いくつものソースの情報によってそれを検証しています。要は、テロリスト達を野放しにしてテロを起こさせることで、都合のよい人達がアメリカにいる、ということらしいです。私がまとめると間違って伝えちゃいそうなので、上記サイトで実際に読んでいただければ・・と思います。
 田中宇さんの、これは、週1回のメールマガジン形式で配信されるのですが、よく、「まさか」と思うような切り口で国際ニュースを噛み砕いて述べてくれています。片寄った見方をせず、様々な方面からの情報や自分の視点を検証して納得のいく解説をしてくださっています。メルマガを購読しなくても、サイトhttp://tanakanews.com/index.htmlで過去記事も含めて読めます。おすすめです。

 ふと思ったんだけど、例の炭疽菌事件はいったいどうなったんだろう??
 使われた炭疽菌が実はアメリカ軍がつくったものと性質が一致した、というあたりであやふやにされているような気がしないでもない。。
 
 9.11のからくりはよく分からないけれど。。。
 
 いま、遠くの国で人がどんどん死んでいくのと同時に、別の国の武器商人の財布がどんどん膨れていくという不条理。
 イラクで過剰とも思えるような攻撃をしているのも、もしかしたら兵器をたくさん消費することで潤う企業があるから?とまで思ってしまう。。。
 


2003年04月01日(火) 彼らにあったはずのこれからの長い人生。

 今日から4月。
 会社も街も慌しい。
 新しい黒や紺のスーツと靴。一目でそれと分かる新入社員。桜の下での宴会。居酒屋の前の賑やかな集団。
 毎年繰り返される光景が、今年もいたる所にあふれている。
 
 でも、日本も今、戦争をしている。
 こうして家と職場を慌しく往復する毎日の中ではなかなか実感がわかないけれど、この国も確かに戦争に参加しているんだって、時々思い出す。
 アメリカ軍の空母キティホークは横須賀港からイラク攻撃に向けて出て行ったし、日本政府は自衛隊のイージス艦を現在インド洋に派遣している。イージス艦派遣はアフガニスタンのテロ掃討後方支援というが、どういう名目であれ、立派なイラク攻撃間接参加だと思う。実際、自民党の山崎幹事長が昨年11月にファイス米国防次官に「日本はイージス艦を派遣する。イラク攻撃の間接支援になる」と断言したと伝えられている。http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/iraq/200212/10-09.html
 それに、自衛隊という概念は日本でしか通用しない。日本人は自衛隊のつもりでいても、それがいったん日本の外へ出てしまえば、よその国から見れば立派な軍隊だと思う。攻撃するかしないかは別として、立派な攻撃(迎撃)能力を備えた軍艦が日本から遠く離れた海でぷかぷか浮いているのに、それでもやっぱり自衛隊ですというのは、なんだか滑稽な話に思える。
 だから日本も今、戦争に加わっていることになっていると思う。

 イラク中部のナジャフ近郊の米検問所で、停止命令を無視したワゴン車に米兵が発砲して、女性と子供の7人が「殺害」された。現場を目撃した従軍記者によれば、5歳未満と思われる子供5人を含む10名が即死したとのことで、米軍の発表と食い違いがあるらしい。
 どちらにせよ、今日も子供が殺された。
 これから何十年も生きて、いろんな人生を歩むはずだった子供達が、機関銃の弾を身体中に撃ち込まれて、あっけなく殺されてしまった。

 以下は毎日新聞のサイトから原文のままです。

 ワシントンポスト紙によると、車には15人が乗っており、5歳以下とみられる子供5人と女性5人の計10人が死亡。機関砲の弾が何人もの体を貫通し、残る5人のうち男性1人が瀕死の状態だという。負傷した女性はずたずたになった子供の遺体を抱え、米兵が近づいても外に出ようとしなかったという。一方、米当局の発表では乗車数は13人で死者は7人と、現場からの報道と食い違っている。

 「あんなひどい光景は見たことがない。もう2度と見たくない」。中隊のマリオ・マンサーノ軍医(26)は同紙にこう証言している。車には爆発物も銃も、不審なものは何もなかった。米軍は無傷の生存者に遺体を収容するバッグを10袋と、賠償金としていくらかの現金を渡そうとしたという。

 ここまで。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200304/01/20030402k0000m030102000c.html
 
 誰が、何の権利があって、子供達のこれからの人生を奪えるというのだろう。。
 
 


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