浮き沈み日記。

2003年08月31日(日) 電気バリバリ、身体ビリビリ

時折、このような症状が起こる。

片手だけ電気が通ったように、痺れとは違うバリ、ビリと。

歩いていて半身だけバリ、ビリ。

感電してるように感じるが、これはクスリの副作用。

パキシルの。

飲み始めたときの副作用として、まずキモチワルくて吐きそうだった。
それを通り過ぎたら、このような電気バリバリ状態がときおり起こる。

副作用を調べてみたら、やはり認められていた。
断薬も慎重に行わないとバリ、ビリ感がひどくなると。
服用中でさえこの状態なのだから、断薬するとき辛そうじゃないか?
特に現在、パキシル1日服用量MAXだというのに。

パキシル副作用については、医者内でも議論中とのこと。
2000年にようやく厚生労働省がOK出して、
結構バンバン乱用している医者が多い。

以前、いきなりパキシルMAX量を止められてアナフラリールになった。
2日でパキシルに戻ったので、
酷い揺り戻しは起こらなくって済んだのが救い。

あ。

パキシルの恩恵も書いておくか。

マイナスになってしまう感情を、ゼロに戻してくれる、そんな感じ。

泥水を低空飛行。

朝の5時に起きて、コンビニで買った「恐怖新聞」を読破。

ふぅ。

つのだじろうの絵柄って相変わらずスゴイ。
でもこのごろ、主人公と他のキャラの絵柄が違うぞ?
あの鋭い目があってこそつのだじろうなのにー。
でもあんまり後ろの百太郎とか読んだことないんだわ、、。

日野日出志はトラウマだから読んでないが、御茶漬海苔は平気だった。

楳図かずおは、言わずもがな。
漂流教室は名作さ。
14歳と世界がくっついているそうで。
ぜひとも一度読んでみてくださいまし。
漂流教室見たら、泣きそうになる。



2003年08月30日(土) 元・医療従事者から見た精神科

そういえば、実家に帰ったときに専門学校の教科書を見た。

「精神病患者についての看護」

さすがに内臓系疾患、外科系疾患よりは分厚くない。
同時に「歯科患者についての看護」も載ってるくらいだ。

パラパラっとのぞいてみる。

『森田療法』やら『箱庭療法』やら。
昔の『電気ショック療法』だとかに蛍光ペンが塗られていて、
覚えろよ!と自覚を持っていた、らしい。
『電気ショック療法』は表立ってやっている病院は無いに等しい。
こめかみに電極あてて、バババババ!!!って。
10分は意識もどらない、、、、、イヤンイヤン。

病状についてももちろん触れていて、『精神分裂病で乏しい表情の患者』とかって写真まで載っている。
現在は精神分裂病ではなく統合失調症と名称を改めたものの、なかなか浸透していないと医者がボヤいていた。

うつ病はクレッチマーの代表的な分類種別---ヤセ型、肥満型など---が書かれており、簡単にうつ病が調べられるシートが載っている。

ちょっとやってみたが、「要加療」という一番ひどいヤツだった。

パキシル飲んでんだぞ?

パニック障害などにも触れており、解離性障害はヒステリー障害とも書かれていた。ヒステリー、、まだ使う医者はいる。

まだ自分が看護やら介護やらやっていたものの、精神科の領域はあまり判らなくてよかったときもあるし、よくなかったときもある。
ウラを知ってしまうと、耐えられないときってあるからね。
でも病院に6年くらい働いてると、だいたいどこの病院の裏事情がどうかって判ってしまうのがイヤだな。

おまけに医療従事者の方が精神科に対して偏見が強いかもしれない。

患者が入院したときの申し送りで。
「プシコだからさぁ、注意してよねぇ」
「プシコだからさぁ、イヤだよねぇ」
確かに他の患者とは対する態度は変わるが、それで悪口をいう者もいる。

さすがに精神科にはそんなことはないが、、、。

痴呆やらの患者に「○○ちゃん」(70歳代やら80歳代)というのはいただけない。
ちなみにこの「○○ちゃん」は介護施設でもよく用いられる。
親しみを込めた言い方かもしれないが、私にとっちゃ失礼だと思ったさ。

もしも家族がそう呼ばれていたら、どう思うんだろう。

元・医療従事者だとは伝えた方がいいのかなーって悩んだんだけどね、、。
今の病院での診察で。



2003年08月29日(金) 火星大接近&星座のお話

火星が大接近してる。
秋口までは見れるそうです。

海に行ったときにひときわ輝く一等星を見つけた。

後日、ネットで画像みてみた。
あかいねー、さびてるねー。
こりゃ火星人はいなそうよ?
地殻に水があったようで、地殻変動のあとがあったから火星人がいるかも、という淡い期待は裏切られたのかもしれない。

実は金星や海王星はいるかもっていう話もあるけれど。
でも海王星のあの異様な青さはちょっと怖い。

木星自体はいないけど、惑星にはいるかもしれないとか。
エウロパか、イオのどちらかに。

地球人が見えてない、聞こえてないだけで実はいるとか?
地球の海底でさえも未知なのに、宇宙なんてもう未知だらけ。

宇宙人がいないとは限らないし、
私たちからみた人類とは異なった文化を持っている星だって、
きっとある、、、はず。
無いとはいえない。

星座の話、天体の話はとても好きで図書館でよみあさった。
ゼウスのエロオヤジぶりにはヘラも大変だなぁ、と思いつつ。
でもヘラには頭が上がらないゼウス。

地球を作ったガイアは今頃怒ってないか心配。
この人類たちに対して。

黄道12星座という太陽が通るところにある、いわゆる12星座。
私はみずがめ座。

みずがめ座の神話ってなんだかなぁ、、、ていうか星座全てがなんだか。
みずがめ座の水はみなみのうお座が飲んでます。

みなみのうお座はアフロディテが変身した姿と言うけれど、
頭だか舌が100もあり歯は尖がり何でも砕き、
ライオンのように獰猛な挙げると思えば他の神の声をも真似する。

、、、そんなお魚さんにお水あげてるんだな。

みずがめ座って天才かアレかの二手に分かれるんだってね。
私は自信持っていえます。
どちらでしょうか。

産まれた日の星(産まれた月の宝石みたいなもの)っていうのがあって、
ネットで簡単に検索したのでやってみた。
「孔雀座 ピーコック 星コトバ:高い理想と貫く信念」

、、、、、高い理想と貫く信念、、、、、、、、。

僕はもう、崩れそうだよ。



2003年08月28日(木) 洗剤2回、麦茶ポット4回

落とした数。

どれだけ頭が廻っていないのか判って貰える半面、
間抜け!などと思われそう。
すでに頭の中では責めている声が聞こえています。

洗剤は洗濯しようと思ったら、あららららら?地球の軸はどこ?
みたいな感じに陥って、案の定倒れてフタが開いたまま洗剤が床にドカッ。

もう1つの洗剤落としの犯人は猫なんだけどね。
どうやら大運動会中に障害物競走も入れてくれたらしく、
「洗剤落とし」という競技をやってのけられた。

洗剤が山盛りに盛られている様は、まるで盛り塩のよう。

もうヤケになって。
宇多田ヒカルの「Simple & clean」を歌いながら、掃除してしまったよ。

麦茶ポットはまったく同じことを連続4回もやりました。
冷蔵庫に入れようとしたら手から滑って、そのたびにポットの水が、、。
そのときは無言でワシワシとタオルを幾枚も使った。

あぁ、もうなんて情けないったら!

注意が散漫してるのか、集中力が足りないのか。

救われるのは同居人はまったく「やってしまったこと」を知らないこと。
言ったら大笑いか、呆れられちゃう。

でも日記に書く私っていったい。

同居人に日記を書いてるのを教えていないから。

ヤバエヘって感じ。



2003年08月27日(水) 祈る者、諦める者、たくさん

今日はいただいたメールの返信なんです。
メールアドレスが書いておらずメールが出せませんでした。
プロパティを調べ、そこからメールを出しても戻ってきてしまいます。

なので、いちおう日本語ではなく英語で返信させていただきます。
(そちらの方が希望されているようでしたので)

Now I lay me down to sleep,
I pray my sanity to keep.
For if some peace I do not find,
I'm pretty sure I'll lose my mind

Well heck, I've got the right to dream!

Yes now I lay me down to sleep,
I pray my wits about me keep,
But as I look around I know--

I know, I know,,,,,,,,,,,

Must have lost them long ago!


今日は雨降りです。
昨日は30度余裕に越した天気だったというのに。
でも、猫が一直線に寝ているということは。

暑いということね。



2003年08月26日(火) 痩せゆくカラダはデンジャーらすぃ

この間、海に行き。

当然ながら水着になるじゃないですか。

ふと友人たちの叫び。

「あんた、背骨と肋骨見えてる!」

うぉう。

実は胸も肋骨見えてます。鎖骨の下あたりの骨も。

そして二の腕をつまんでは、

「ほそっ!!!!皮と骨!!!!」

なんて大げさにさけぶ。

実はあと7キロ無くなると私の身長では維持できなくなるんですわ。
だからあと7キロ無くなると強制入院が待っている、、かもしれない。

でも服着ていれば別にそんな状態には見えないです。

顔の肉は変わらずついておりますゆえ。

拒食というわけでも、過食して吐くというわけではないです。

カロリーメイトとかこんにゃく畑しか食べてない時期、、
というよりもそれしかカラダが受け付けなかったから。

それのせいでしょう。

なんとかこれ以上は体重落とさないようにしなければ。

でも内心、痩せてるのはいいことよねー♪なんて思って、
BMIで計算出してみたらガコーン!だった。

なんでもいいから食え!と医者が言うはず。

包丁。
持ちました。
落としました。
足元と、シンクに。
ふるえて腹を狙う誰かさん「私」の動き。

コンロに火をかけました。
ヤカン、空焚きでした。
焦げ臭いのがわかってよかった。

電子レンジを利用した料理にはげみたいと思うこのごろ。

ドグマチールのおかげで食欲は出てきた、かねぇ?

とりあえずは目の前にある人形焼を朝から食べてみます。



2003年08月25日(月) 昼の空は青く、夜の空は黒く。

海から無事に帰還。

九十九里浜まで行きは電車でエッチラオッチラ、
帰りは車で初アクアラインを体験した。
夜だったからアクアラインっつったって海見えない、、、。
海ほたるは興味なかったしなぁ。

そして、今年最後になる海水浴を楽しんできた。

御宿というところの浜は白くて、遠浅が続いている。
そしていきなりガクっと深くなり、クラッと浅くなったり。

ビニールボールのスイカ君1号を手に波にクラゲのように漂う。

時々来る大波に顔をのまれて塩水おもいっきり浴びたり。

昼の空が青かった。
入道雲はさすがに季節的にもう無理だったけど、青かった。

現在の我が家は都心に近いため、白く見える。
高村光太郎の妻だったか、「東京には空がない」と言ったヒトがいたっけ。

私が思ったのは「東京の空は白い」

昼はスモッグで、夜はネオンで暗くならず白い。

プラネタリウムなんかよりも、もっとたくさんの星も見てきた。
実家よりも空気が澄んでるのだろうか。
こんなに星ってあったんだっけ、、って思えるくらい見えた。

そして、夜の空は黒いのです。

夜の海も黒いのです。海鳴りをあげて。

昼の空は蒼く、青く。
夜の空は黒く、吸い込まれそうな。

そんな当たり前が都心では失われている。



2003年08月23日(土) 急遽、海へ

今日、いきなり海に行くことになった。

さすがにこんな時間には出発しないよ<猫の「朝飯攻撃」にやられた。

同居人が仕事で徹夜してて帰宅してないんだよねぇ、、、。

それで海って辛そうな。

今年最後の海になりそう。

また、夜の海を見たいと思う。

吸い込まれそうなあの感覚は、未だに忘れられない。

そういうわけで、明日はへばってて日記書けないかと思われます。

もうすでにへばってます。



2003年08月22日(金) 診察で、心中やら物騒な話を。

これから元主治医の診察をずっと続けていくことになった。

メリット1つ、デメリット1つ。

メリットは、私の症状をほぼ知り尽くしてくれている。
デメリットは、2週間に1度しか外来の診察がない。
もちろん代診として他の医者に頓服薬は出してもらえる。

はじめはデメリットをとったが、私にとっちゃマジでデメリットで。

メリットをとり、曜日は違えど医者は同じ。
、、、、、なんだかシャンプーみたいだな。

帰省する直前にその医者にクスリを出してもらったのだが、
かなり心配していたらしく。

医者曰く「ヤバくなったら今すぐにでも実家から帰ってきてね」と。

実家にいたときに心中したかったのよ、とか自殺未遂でね、とか。
そのときはダイジョーブだと思ってた。
おそろしいほど気持ちはフラットで、平坦で、平野で、丘陵など無かった。
夜中にベッドで涙することなど1度もなかった。

なのに、こちらに帰ってきて身体が動かなくなり包丁持てず。

自分自身を過信し過ぎていたのか。

家族という絆はもちろん深いし、大きい。
でも家族でも個人個人の人生がある。
誰にも止められないし、家族だからこそ止める権利もない。
やりたいこと、夢へ進めばいい。

心中したその時点で命を失えばよかったんです、なんて言えなかった。

今の医者はまるで、カウンセラーみたいだ。
話したいことだけ話せばいいよって言ってくれる。

昼寝やら夜眠れない!ってクスリ1シート以上飲んだことを告げた。
死ぬためじゃなくて、眠りたいためにね。

私の睡眠リズムはちょっとズレているけど、
ひとまずこの状態でいきましょう、、、とのこと。
昼寝の時間と夜寝の時間を足すと、だいたい平均睡眠時間に匹敵した。

分割眠りってやつですか。

そして21時に眠剤飲み大作戦は決行しててヨイそうです。

変わった眠り方だなぁ、われながら。



2003年08月21日(木) 開き直れば強いもの?

昨日は午前11時に起床。
厳密にいうと午前7時だったが。

キジトラ猫が大暴走して、家中をビュンビュン走るんですな。
それこそ一軒屋だったら広くていいんだろうけど、我が家はマンションだ!

先住猫の三毛猫はおっとりとした美人さん。
向こうが手を出してこなければ、だいたい寝てます。

FF11のゴブリンに似てると言われたキジトラ猫。
三毛猫に手を出しまくり、「ウニャン!!!」と三毛猫に一瞥されてます。

そんなこんなで、キジトラ猫のおかげでほとんど眠れなかったり。

まだ夜中じゃなかったから良かった。

自分自身のバイオリズムが「食べられない」から、
「眠れない」にスイッチが切り替わった様子。

食欲は出てきた。
ドグマチールのおかげでしょう。
でも相変わらず包丁持つと利き手が震えて、ボトっと落とした、、、。
あと少しでヤバーな世界に突入しかけた。
勝手に手が動くのはやめていただきたい。

反面。

眠れません。

(猫暴走については、同居人も悩んでいるが、それはそれ、これはこれ)

眠いのに眠れないのは拷問に近いよ。
眠れそうだなーって思ってベッドに横になると、嫌なモノばかりが広がる。

新たに出たリスミーは効かない(ロラメットよりも弱くない?)。

プチODになるんだろうけど、昨夜はクスリ増やして寝てみた。
ユーロジンは1錠なんだけど、2錠。
ロヒプノールは2錠なんだけど、4錠。

それでも途中で目覚めて、
下手な睡眠導入剤よりも眠れるソラナックスは追加で2錠。

パキシルはそのまま。
パキシルって眠気を誘うらしいが、どこが?って感じでございます。

リスミーは休止。

結果?

午前9時にサワヤカに目覚めました。
かなり意味が無かったらしい。

愚かだ。

眠れない、、っていうのをずーっと悩み続けないのかが心配だと、
同居人が漏らしておりました。

肉体的自虐的行為はしてないけど、精神的自虐的行為はしまくりな日々。

頭の中は栗とウニだらけ。

中身はないの。
殻だけね。

眠れないのは眠れないんじゃあ!!って開き直りましょうか。



2003年08月20日(水) 音楽の与える効果

ホンの少しだけど、元気らしきものが出てきた。

外はどんより曇り空。

入道雲なんて、今年1度しか見てないぞ?

カキ氷も食べる気しないから舌が緑や青になることもなく。

今日は朝から。

ちょっとだけ気分がいいので。

エアロスミスを聞いてみたり、クイーン聴いてみたり、ニルヴァーナとか。
フレディ大好き!
オフスプとかグリーンデイとかSUM41とかblurとか聞くと落ち着くー!
アヴリル・ラヴィーンとかシェリル・クロウなんかもよろしいかも。
なつかしどころではカーディガンズとかさ。
スティングやジャミロクワイ、あと宇多田ヒカルじゃなくてCubic U。

エンヤやアディエマスとかは「癒し系」とか「ヒーリングミュージック」とか言われてるけど、それってどうなんだろう。
好きでみんなCD持ってるけど、癒しとして聴いたことはないや。

以前に、音楽療法としてクラシックを聴いてみましょう、、とかって習ったこともある。
バッハのトッカータとフーガとか。
チャイコフスキーのこんぺいとうの踊りとか。
こんぺいとうの踊りはかえってうつ状態を助長しそうな感じがするのだが。

音楽というのは心に大きく作用するものだ。

私はどちらかというと邦楽よりも洋楽より、しかもロック&ポップ好きなのでそれらを聴くと落ち着くというか、気分が良くなる。

局所麻酔で手術するとき、
病院によっては患者の好きな曲をかけながら手術をする。

さすがにセックスピストルズとかは却下かなーって思ってみたり。

♪ゴッドセイヴザクイーーーーーーーーーーン♪

とかの中で手術。

私がもしもそのときの担当ナースだったら、とてもイイカンジなんだが。



2003年08月19日(火) How ya doin'?

低空飛行のまま、泥水の上を走る。

このエンジンも、バーストを起こして止まってしまうのが見えている。

金曜日までなんとかクスリで持たせて、病院受診しないと。

パキシルをなんだかんだいって、1年ちょっと飲み続けたことになる。

低空飛行すぎる感はあるけれども、効いている、ような気も。

病は気から。

重々、承知です。

壊れないで
触れないで
揺らないで

そういえば最近、泣いてない。

漠然とした不安が起こらなくなった。

そのかわり、明確とした不安が現れた。

壊れていた扉のカギが見つかって、その先は草原だと思っていたのに。

育て方間違えたり、自分を蔑んだり、汚い体と思わせてくれる前に。

その手で終わらせてくれた方が良かったかもしれない。

海と、ホースで。

きっと、今の状態は下降している。



2003年08月18日(月) ただ音楽を聴く人形

我が家には猫3匹という感じ。

1匹の3歳ミケ猫はベッド上で丸くなって目をつぶっている。

2匹の2ヶ月(過去の日記で2週間とか書いてたのは間違いでした)のFF11でいうと「ゴブリン」にそっくりなキジトラ猫も一文字になって寝ている。
カラーリングとかすごい似てるらしい。
FF11だけはやったことないからなー、、、どこかから画像見てみよう。

3匹の24歳、亜種の謎生命体は音楽聞き人形と化しております。

ときどき本を読みかじる。

No Music,No Lifeであり、No books,No Lifeであります。

小説を書こうと思っている。
プロットみたいなのはあらかじめ出来ている。

演劇の脚本を書いていたので、プロット見たら脚本みたいだろうなー。

久しぶりに下北沢とかで演劇観たいもんだ。

この身体が低空飛行を終えたらね。

マザー1+2がやりたいよぅ。ブルーブルーブルー。



2003年08月17日(日) 廃人ライフ突入

冷夏なので、きっと今年の秋はコメ問題が起こるという。
でも備蓄分があるからダイジョーブ!というニュースも傍らでみた。

昨日は眠れない、、と午前6時近くに日記を書き。
それからベッドでずっとゴロゴロしていた。

何も食べず何もせずただ、ベッドの上。
眠ってるわけでなし、ただ「横になっている」という行為。
午後4時くらいにようやく調子があがってきたらしく、起床。

食欲はないがクスリを飲まなきゃなので、
カロリーメイトゼリーと豚汁を飲み、
美の巨人たちと、スマステ2だけは欠かさず観て爆睡。

昨夜はクスリたちが効いてくれた。

今日は朝から同居人と出かける予定だった。

しかし、却下になった。

「あんた、まったく顔に表情がない」

そんなことまでいわれた。

あらら。

表情を表す筋肉が弛緩しちゃって動いてくれないの。
だから無表情の能面みたいなの。

心模様は最悪で。

思いモヤのような、キリのようなものが一面立ち込めているかのようで。

昨日の雨でも落としきれなかった泥がまだ残っているらしい。

泥沼から手が出てこまねいている<マドハンド?

低空飛行過ぎて、泥沼に落ちないようにちょっと頓服飲んだ。

はやく効け効けレキソタン。



2003年08月16日(土) 眠れない

スリィピングビュウティにはなれなかった。

たくさんのクスリたちは効かなかった。

軽いうたた寝くらい程度しか引き起こせない。

スケジュールが狂っていく。

黒い文字が赤い文字で、「ナシ」もしくは「延期、○日○時」。

身体が動かない。

金縛りとは違う。

重たくて、鉛をつけられたような感じといったら適当だろうか。

心臓だけドクドクと脈を早める。

眠れない、眠れない、と責めてはイケナイ。

また重荷になるんだ。

わかっている。

僕にはわかっている。

闇には歓迎されていないことに。

僕の足元にころがるクスリたちは、効くことを望んでいるというのに。

心に泥が棲み付いているかのようだ。

早く雨が全てを洗い流して。

みんな、僕さえも溶かして欲しい。



2003年08月15日(金) 家族の肖像

無事に実家から関東へ帰ってまいりました。

およそ1年近く、親と別居をはじめたわけだけれども。
半年たった今年の初めはまだ主観的でしか自分を見れなかった。
1年経ってみたら少しは客観的に見れるようになってきたかと。

もともと自分がやっていることを、自分がナナメ後ろで見てたりすることは症状としてあったんだけど、それとは違う。

今まで親にビョーキのことはほとんど話すことはなくて。

8月8日、久しぶりに実家に帰ったら母が迎えてくれた。

やや疲れていたが、シワは増えていなかった。
「シワは無いのよ」伝説はまだまだ続いていたのね。

ひどい貧血にさいなまれているということで、
ヘム鉄を服用しているとのこと。
もともと身体が強いヒトではない。
彼女も医療従事者であった。だからこそ無理をしてしまうこともある。
精神で意地で強くしてきたのだろう。

私が覚えている一番古い記憶がずっと謎だったので、聞いてみた。

おそらく3歳ごろだろうか。
母をはさんで兄と3人、砂浜でいる姿。
母を目の前に、ゴムホースをくわえている自分の姿。

今までの私だったら聞けなかった疑問。

母はしばらくためらいながらも答えてくれた。

「心中しようとした」

しんじゅう。

それが成功していたら現在はココにいなかったんだね、私。

自分はひどく落ち着いていた。
今更、心中しようとしてたと言われたところでどうこういっていられるか。

心中するのは親のエゴではないのかって思い続けていた心は割れたけど。

コドモはオヤの背中を見て育つという。
でも、オヤがいなくともコドモは育つ。
歪むか真っ直ぐに育つかはソイツ次第なだけだ。
もちろん環境も関係するだろう。

家族とは案外脆いものでもあり、強いもの。

家族とは、信じられるものでありたい。

自分自身を今は信じろ、そう言われても血が流れ続けているから。



2003年08月13日(水) まとめ日記。見るのは面白くないかも。

相変わらず実家からです。

とりあえず日にちを追って書いてみよーかと。
家族うんぬんは後日たっぷりと書くので、
うんざりする人は見ない方がいいかもしれません。

<8月9日>
ひたすら寝る。
BR2のノベライズが予想以上に素晴らしい出来だったので、
実家に置いていくことに決定。
やっぱり高見広春さん(原作者)が書いて欲しかった。
でも彼の中ではBRは終わっているとのこと。
オーケイ。それならば次の作品を待つこととする。

<8月10日>
花火大会だったのに、台風のせいで明日に延期になる。
半年振りの実家。
マンガやら小説やら持っていけなかったモノを、読み漁ってみる。
「おたんこナース」とか川原泉のマンガとか。
アンネの日記(完全版)を現在は読んでいる。
うつ状態は今のところ、小康状態であるが朝はやはり身体が動かない。

<8月11日>
社会保険事務所へ出かける。傷害年金の諸用紙をもらうため。
実家に帰ってきたのはこれの理由もデカイのだ。
初診でかかった名古屋の某病院に行き、初診届を書いてもらうよう頼む。
すると診察を受けた上でしか診断書はかけないといわれる。
しょうがなく診察を受ける。
解離性障害といわれました、と医者に言うと驚かれた。
PTSDについて、この医者は治療できない、みたいなことを言われた。
もう行かない病院だから、いいよ。

初診代と診断書代として約5000円が消えたわ、ジョニー(誰だよ)。

んー、、、確かに治療できないと言ってくれるのはいいが。
精神科医でも得意分野があるだろうからね。
でも「治療できません」と言われても。
たとえ私が医療従事者だったからと言っても。
そりゃ言っちゃいけないような。

あ、でも言ってくれたほうが専門の病院に通えるからいいのか。

、、、、いいのか?

あやうくセロクエルを出されそうになる。
要らないっす!しかも、もうここの病院こないし!

どうもあの名古屋の医者は最後まで胡散臭いまま終わった。

それでもって帰宅し、待ちに待った花火大会。
ウチはコネがあるので(とはいっても親の勤務先だが)、
とある場所からめちゃくちゃイイ感じにゴザで座って見物できるのさ。

<8月12日>
アンネの日記を読破中。
完全版はかなり分厚く、読み応え満点。
それ以外は寝る、食う、寝る。
実家の猫を風呂に入れた。
断末魔の叫びが響き渡っていましたとさ。
10キロと書いたが8.5キロだった!

<8月13日>
今日ですな。
再びアンネの日記を読破中。
なんとか実家にいる間に読み終えたいんだが、どうなるでしょう。
それ以外は寝る・寝る・寝る!
でも夕飯は友達と食べる約束をしているんだった。

実家には半年ぶりだが。
本当に会いたかった友達しか今回は帰省を連絡していない。
体調がすこぶるよくないので、あまり遠くも出かけられない。

寝るのと、アンネの日記と、猫の風呂、花火大会のために帰省したのであろうか?

本当はもっと会いたい人たちいるんだけどね、、、、。

ううむ。

探してた高校の卒業のとき自分たちで撮った写真が出てきた。
ブレザー、可愛かったっすよ。自分で言うのもなんだけど。
制服負けしてました。



2003年08月12日(火) 帰省中、なのです。巨大猫現る。

帰省中、と打ったらIMEが「寄生虫」って一発変換してくれてクラリとした。

今日までの日記をようやくまとめて書けます。
なぜなら、実家のディスプレイが復帰したからだ!
電源つけてもウンともスンとも言わなかったからどうしようかと思った。
案の定、壊れていた。
そして本日めでたくもディスプレイ復帰(購入)。

帰省中の現在であるが、これまでのいきさつを軽く書いてみる。

8月8日。
帰省する前に病院に寄り、薬をもらう。
そしてついでに「以前の主治医」に戻してもらった。
医療と看護というのは合う、合わないというのが大きいと思う。

残念ながら新しい女医さんとは合わなかったので。
不眠のことしか聞いてはくれない。
頭の中の声のことは聞き流される。
ちょっと、ダメでした。

私も看護と介護をやっていたので判るが、
合わないなと思ったら無理してまでも、
病院や医者にあわせなくてもいいかもしれないね。
ハッキリ言って、それぞれ病院の治療方法ってまったく違う場合が多い。
病院の中でも医者によって違うから。
ドクターショッピングは推奨できないけど、セカンドオピニオンはいいと思う。

さて、私の帰省話へ。

新幹線に乗ろうと駅に向かうと、台風が来ているというではないか。
私は台風に立ち向かうオンナ、、、。

名古屋もヤバイという。
西日本に向かうのはできることならば、
中止してくださいーーーーーーーー!とJR東海の社員が言っていた。

私は西日本に向かうのではないのよ。
東海地方だからダイジョーブなのよ!

などというワケのわからない北島マヤ(ガラスの仮面)状態になり、
フンゴーと新幹線こだまに乗って帰宅。
ひかりの指定席は取れなかったので、こだまの指定席でございます。

実家の猫は引っ越す前の半年前は7キロだった。

現在は10キロだった。

ニャジラだ。

抱けませんでした、、、飼い主なのに。

こんなのがドカドカと腹の上でゴロゴロ言われたら、と思うとヒヤヒヤします。
内臓つぶれかねません。いや、マジつぶれる。

うう、不安だ。

性格はいい猫なので、ホノボノとしております。
「チビとぼく」という4コマのちびにそっくり。

まだまだ帰省中のため、不定期更新になりますのでよろしくお願いします。

家族とのことは長くなっちゃうから、
向こうの家に帰ってから書こうと思ってます。

それでは、また不定期にお会いしましょう。



2003年08月07日(木) 実家へ、帰省します

実家に帰省する。

台風が来てるんだって?
なんておあつらえ向き。
嵐へ立ち向かうようだね。

名古屋の、あの蒸し暑さを再び感じてくる。

実家へ帰る本当の理由は社会保険事務所行って、
初診としてかかった精神科の病院行って「初診届」をもらうこと。

親は大変に私に会いたがっているようだ。

たまに電話をする。

白髪なんて無かったのよー、なんて言ってた母だがどうなってんだか。

仮面は、もう既に割れた。

イイコではいられなくなった。

ズバズバと思うことを言えるようになった。

親から離れてもうすぐ1年になるが、そういう意味では成長できた。

親って、とても謎な存在だ。

泣いて気をひいてみたり、小声ながらも悪口を言ったり。

私は、あくまでもフツウに対応する。娘として。

フツウの娘としてなんでもなく過ごすことも、難しいかもしれぬが。

実家はADSLをひいてパソコンも置いてあるが、
クロックアップじゃなんじゃかんじゃといじりまくってたりする兄のこと。
ディスプレイがいきなりブーン!って言ってお亡くなりになったりした。
ナナオのイイヤツだったのに。
呪われてるのか?ってくらいあのときはメモリ破壊してたりしたな。

おそらく実家でのパソコンは使用できると思うけれど、
もしかしたら壊れてたら名古屋のネットカフェからでも不定期更新します。

それでは、味噌カツ、中日ドラゴンズの街へ行って参ります。

読みかけのBR2ノベライズとともに。



2003年08月06日(水) No more ヒロシマ、No more ナガサキ

今日から58年前、広島で原爆が投下された。

「正義」という名のために。

これで戦争が早く終わったのだという考えもある。

広島へは2度足を運んだ。

小学生のときに家族旅行で行ったときは、感受性が多感な時期で。
原爆資料館での、2体の被爆者の母子のマネキンや、黒くそのまま焦げたお弁当箱、蒸発されたと言われている階段の人影、熱線で溶けたガラスなどの全てが恐ろしくて、その日は寝られなかったことを覚えている。
幼心に原爆は恐ろしいモノだということがイヤでも理解した。

1つの爆弾で全てを失わせてしまう。
そして、後遺症としていつまでも体を蝕む。

はだしのゲン。
現在ではトラウマ状態になってしまったが、
広島から帰ってきて2学期が始まったら図書館で読んだ。
今までは見たくなかったマンガだったが、広島へ行ってから読んだら、
泣きそうになった。

水を、水をください。

切実にその絵は物語る。

そして、高校での修学旅行。
原爆ドームはそのときも静かに原爆の日、そのままでたたずんでいた。
原爆資料館の記憶での中身が少し変わっていたような気がする。
小学生のときに見た衝撃こそはそれほど無かったが、
やはり見学したあとの考えは揺るがない。

核爆弾はこの世から全て無くして、、。

広島と同じ年、長崎でも水爆が投下された。

最初は佐世保か小倉の予定だったらしい。
佐世保は父の母が住んでいた(父はまだ生まれていなかったが)。
もしも投下されていたとしたら、私はいなかったかもしれない。

ゆがんだ正義などいらない。

核爆弾などいらない。

「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから」

ヒトはまた繰り返そうとするというのか。

今日の新聞でも爆弾テロというコトバが踊っていた。

いつまでヒトは争いを続けるのだろう。

ヒトは進歩し過ぎた。

もう少し、ゆっくり歩いて生きていけないんだろうか。

増え続けていくヒバクシャ、PTSD患者を思うと胸がつまる。

偽善じゃない。こうやってコトバだけだと軽く思えられそうだけれど。

本当にそう、感じている。



2003年08月05日(火) オトナになるのが早すぎた

時間がたてば、イヤでも1歳年をとる。

年をとればとるほど。
しがらみやら、鎖やらやってはいけないことが増える。
世間の目というのが変わるのだ。

もちろん判らなかった世界が広がることもあるので、全て否定できないが。

同居人が四半世紀、地球で生きてきたなぁってしみじみ言ってた。
誕生日を迎えたワケですな。

私は1月生まれだからまだ四半世紀、地球で育っておりません。

四半世紀とか書くとすごーーーく年とった気になる。

私自身、24歳という世間でいうオトナというのは4年しか経験してない。

酒は呑むけどクスリや肝臓を考えて自粛中<実はザルだったが
タバコはやりませんのことよ。
NYじゃタバコ800円なんだってね。しんじらんねー!
それはないっしょや?

精神的に24歳っていうのには、まだまだ追いついてない。
オトナになるのが早すぎた、、、って自分自身で思う。

医者が言うには(ロールシャッハやらの心理検査の結果を見て)。
アナタはコドモのうちにオトナで経験する「大変さ」を、
ほとんどこなしてきたという。
ヘンなところでコドモのくせにオトナだったって。
だからコドモ返りがときどき起こるのは仕方がない症状だと。

身体だけ、世間体だけオトナになったって仕方がない。

精神的にオトナになれるのは、まだまだ先のことだろう。

それにしても、体だけオトナになっていくのは怖かったな。
私はまだコドモだっていうのに、どんどん勝手にオトナへの用意が。

止まって欲しかった。

時間は誰にだって平等に流れすぎる。



2003年08月04日(月) 真夜中の海・真昼の海

日記はお休みをいただいて(オトナ事情という意味でした)。
海に今年、初めて行ってきた。
療養という意味も兼ねて、という意味もあるんだけどプチ旅行かなぁ?
医者に言うと怒られてしまいそうだけど、オトナの事情ということで!

山と平地の場所で生まれ育ってきたので、海という存在がとても大きい。
現在も出かけないと海にいけないところに住んでいるし。

海は大好き。

どこまでも広がっていって、流れていって、目の前にあるであろう、
某御仁のいるロサンゼルスに手を振ってみたり。

海って昼と夜とまったく姿を変えてみせる。

真昼の海はそれこそサーファーは波に乗り、ヨットは浮かび、
遊泳客はキャッホーでジェットスキーはドバババ。

明るさが感じられて、サワヤカそのもので。

その反対として、真夜中の海も連れて行ってもらった。

海鳴り。

波の音。

太平洋は広いから、水平線も見えるんだけど暗くて高い波しか見えない。

まるで吸い込まれていきそうで、こちらの方が「母なる海」という感じ。

昼の海は優しさ、で夜の海は寂しさを感じた、、、のは私だけみたい。

怖さを感じた。

きっと一人だったら、「追いで」とでも言われている波に飲み込まれそう。

海は昼と夜の2面性を持っている、ということを改めてしった週末。

そしてハシャギすぎてちょっと気だるい月曜日。

さて、洗濯だけはしてきますか。



2003年08月01日(金) 将来のユメ

ふと、将来のユメってものを考えてみたりした。

もうユメなんて語る年齢じゃないかもしれない。

でも人生はいつでもスタートできるでしょう。

小学生のころから、『高校は公立に行かなきゃ』という暗黙のルールが我が家には存在していた。
私立はお金かかるしね、、、間接的に『我が家は切迫してる』というのは幼心からそれとなく理解してた。

兄もそれを意識してなのか、公立高校に通いそのまま就職コースへ。
私もそうする予定だった。
公立高校へは無事に入学、卒業。

情報処理科に通っていたので、そこから大学を狙うのは高校からの推薦くらいしか無理(だって数学で微分・積分なんて習ってないもの)。
おまけに情報処理科から大学へ進学したのは私の学年ではいなかった。

そのとき、漠然になりたかった職業。

小説家になりたい。

小説のような文章は幼いときからずっと書いてた。
現に中学時代から友達に小説を見せたりしては、批評もらってた。
高校では投稿してやろうかと(ウイングス系に)思ってたんだけど、
「アンタの書く小説は文芸春秋とかに載ってそうだからウイングス系はやめたほうがいい」
なんて言われたので、高校で文芸春秋系はイヤだなって思って投稿しなかったんだった。
ちなみに私が書く小説は今で言う「角川ミステリー文庫」系。
あのころは芥川龍之介やら太宰治の影響を受けまくってたからな、、。
現在は純文学は書いてないです。

親に「小説家になりたい」なんて言ったら。
笑われるどころか蔑まれるのが関の山。
それどころか就職して早く家にお金入れてちょうだいって感じだった。

まぁ、そのぶん高校で演劇の脚本を書いて気を紛らわせていたのも事実。
演劇で舞台照明で知事賞をもらったことは今でも嬉しかったこと。

大学の文学科へ行きたかったんだけれど、、、、。

卒業してから、『当たり前のように就職』した。
働いたお金は貯金と家に入れて消えていった。
小説家になりたい、なんてことは親に一度も言うこともなく。
自分で金を貯めて、大学行ってやるって思ってた。
ボーナスも、もちろん貯金と家に消えた。

あるとき。

親が「貸してちょうだい」と言ってきた。

貸す=戻ってこない
理解してた。
今まで貯めてきた大学への貯金、ほぼ全額渡した。

いつの間にそこまで家計は切迫していたのか、理由はわからない。
別に贅沢な生活をしていたわけではないのに。
奨学金等で大学へ通おうかとも思ったが、もういいやって思った。

それなら手に職つけてやる、って思って専門学校へ通った。
そこの専門学校は授業料が安かったし。
専門学校は多忙で、学校行きつつ病院で勤務という状態だった。

その2年間の間でも親からは、
ときおり「1万円貸して」やら「5千円貸して」やら言われていた。

99年ごろからインターネットをやり始めたのだが、
電話代を払っていないからネットも出来なかったことがあった。
家に携帯電話でかけたら「お客様の都合によりお繋ぎできない」コール。

専門学校ではイジメはなかったが、病院内でのイジメがすごかった。
友達がまずイジメられ、それが原因で退社したら私がターゲットに。

兄、そのあたりで失踪。2回くらい。

さっさとそこの病院は辞めて、次の病院(去年8月に辞めたところ)へ。

親、精神的ショックで働けなくなる。

私、働くしかなかった。
ゴハン食べられないよ?電話もガスも水道も止まるよ?
家賃払わないと退去させられるよ?

働かないといけない。働かなくちゃいけないんだ。
働いてるのは私だけ。
働かないと、お金貯めないと、そして家に入れないと。

小説家なんてユメは無理だと思った。
書く暇無かった。書くことさえも無理だった。

私、おそらくそのときあたりから壊れてたのかな。

既に壊れていたのかな。

それだけで壊れてしまうなんて、弱いよね。

あーあ、長文になってしまった。

それからビョーキが明るみになるも、親からお金は徴収されるのでした。

<追記>
明日と明後日と日記、更新不可能になりそうです。
オトナの事情、で済まされてきた幼い頃の私のように、
理由として「オトナの事情」ってことで。
ケータイからも書けるようだけど文字化けてしまうんだよなぁ。



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蓮華 [MAIL]

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