一日中冷え込んだ。昨夜は23:00、午前2:00、午前4:00前にそれぞれ起き、ハナを外に出して排泄。4:00にはあまりに寒いのでパジャマの上からコートを着て外に出た。その姿がどう映ったのか、佇んでいた車が急発進していった。異形であったか。 その頃から積もりはしないものの、雪が断続的に降った。
昨夜、東京の友人から懐中電灯を頼まれた。関東では「計画停電」が実施されている。闇は危険だ。ところが東京ではどこに行っても売っていないのだという。
買いに行った。驚くべき事にどこにも売っていなかった。ここは京都だ。 ないと困るだろうから、ロードレーサーやMTBにつけるバッテリーライトを二つ買った。ハンドルに着脱するものだから、手にもって歩ける。 高価だけれどライトとしての性能ははるかにいいはず。使用される性格上、強い光が出る。点滅もできる。 案の定、バイクショプにはいつものようにあった。
それを梱包して送ろうとして友人に連絡をすると、トイレットペーパーとインスタント食品も頼むとのこと。やはり東京では入手しづらいのだそうだ。(友人は三軒茶屋に住んでいる。怖がりなので外に出られないんだろう、というと本当にないんだ、という)
まとめ買いをしようとホームセンターに行った。売り切れだった。あわててスーパーマーケットにいくとあった。そしてトレペも買ったけれど、安いものはスーパーでも売り切れだった。
おいおいここは京都だよ、と思ったけれど僕のように関東の親戚や友人に送る人が多いのかもしれない。ちなみに電池もほとんど品切れ状態だ。
それを発送し、夜、本を読んでいる。 朝吹真理子さんの「流跡」。 彼女はつい最近別の作品で芥川賞を受賞されたけれど、この「流跡」というデヴュー作品に、ぼくは強烈な印象を受けている。
誰かすでに指摘している人はいるのかどうか知らないけれど、海外(SF)小説の影響があるのではないか。夢幻のような作品の内容はどこかそれを思わせる。
それはさておき、なんともへばりつくような日本語の表現が読んでいる間中つきまとうし、いつまでも残る。 彼女が大学院で専攻していたのが近世の日本文学であるというから、古語から「絶滅した不思議な日本語たち」がすくい取られたのであろう。それらがなんとも妖しく脳の裏をくすぐるのだ。
そしてぼくにはこの110枚の小説が、詩の連なり或いは歌の連なりのように読めるのだ。 自分の目指していることの先を越された。 だけど書く刺激には大いになった。とてもなった。
じっと読んでいる。
|