| 2009年02月13日(金) |
叫ぶ。声を出さずに。 |
金子光晴さんの「ねむれ巴里」がそろそろ読了にちかい。 PCの横には海外放浪三部作の最後にあたる「西ひがし」が待っている。 昼前に本屋さんが届けてくれた。
まったく「詩人」というのは…。まったく男というのは…。まったく日本人というのは…。まったく人間というのは…。と、時に立ち止まりつつ「裸の言葉」に魅惑され、幻惑されて、巴里の地獄の底めぐりのような話にアタマをぐりぐりさせていた。ほんとに「どうしようもない」のだ。 金子さんも「どうしようもない」。
おかげで神経は冴えてしまい、昨晩、寝ながら細かな黒い糸の塊を吐き出すような気分で叫んでいたような記憶がある。 声が出ていたかも知れないし、出ていないかも知れない。 何に対してか突撃していて、ほとんど咆吼していたような感覚が残っている。
金子さん自身書いているように、第二次大戦前の巴里での金子さん達の無鉄砲な生き方と1970年前半の若者たちの一部の生き方は似ている。 パリのアパートを「北白川アパート」とか「下鴨一本松のベッドハウス」と読みかえれば、そのまま京都の話になるし、東京であれば60年代末から70年代にかけての新宿でもかまわないぐらいだ。
フランスに行って帰ってきた男達。 遠藤周作さんに、生活の苦闘の記録としてすぐれた作品が残っている。山田稔さんもパリでほとんど外に出ないで部屋で言葉と格闘していた時間があったという述懐を読んだ。
「ねむれ巴里」にはフランス語やフランス文学に対しての言及はほとんどない。ときどき、ほとほと嫌気がさしたというような記述が現れる程度。
それどころではなかったのだった。生きていくことに精一杯なのだ。多くの人が病み、多くの人が死んでいった。多くの人がパリの土となり、肌のあわない人はたちどころに日本へ帰っていく。
奥さんの森三千代さんは凄い。フランス語を学び、フランス語の詩集まで制作し、自分を置いていった夫を追い越して帰国を果たしたのだから。
ほとんど詩を放擲していた金子さんが、奥さんと離れ、ぼろぼろの連れ込みホテルの奧に部屋を借り、透きとおるような孤独の中で、ようやく何年かぶりにノートを開き、何事か書き始めるシーンが好きだ。 書いている場合ではないのだが、書くより他に出来ることもないというその感覚が。
金子さんたちがこの時代をくぐり抜けると、日本は第二次世界大戦に突入していく。 戦後、金子さんは時代に対して反骨を貫き通したと評価されているけれど、背後には人間に対しての透徹した覚醒があったからだとおもう。 それは上海からマレー半島、巴里と彷徨ったこの時代に、否応なしに身に付いてしまったことなのではないだろうか。
うーむ。 今夜も叫ぶかなあ。たぶん声は出ないと思うけれど。
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