散歩主義

2008年08月06日(水) 葉月の或る一日

■朝早くに地震。久しぶりにズンッと突き上げる感覚を「軽く」味わう。「軽く」出よかった。
■「切羽へ」・井上荒野を読み継ぐ。■「チルチンびと」…草花の咲く家…を読む。ベニシアさんが表紙だ。

■インディアン・フルートを何度も聴く。今日、波長があったのはこの音楽。
■中谷美紀「インド旅行記」1〜3を読み始める。

■「街函」の在庫がなくなる。新たに製作。■昼間は空が燃えているような暑さ。

■「残り時間」を考え、いろんなことをしていかねばならないと考えた。若い頃のように熱中さえしていれば何時間でも一つのことに集中できなくなってきたからだ。数時間で体が疲れてくる。集中できる時間が短くなった。
 年老いた人が「わたしには時間がない」という時、残りの寿命を意味していることももちろんだけれど、有効に使える時間が少なくなっていくという実感の方が切実なのではないかなという気がした。どれほど健康に留意しても肉体は老い、衰えていく。まだまだ、と思う反面、自分自身にそういう兆候が見えているのも事実だ。時間に対しての意識を高めざるを得ない。

 人生の最終地点。そのヴァニシング・ポイントから人生を逆算して考えると、誰もがそう思う時がくるようにも思う。
■若いからこそ高まっていく「自己表現」への熱とは別に、「自己」から視点がはずれていくきっかけになるかもしれない。「自己」から始まり、どんどんそこから離れていく。
あるいはどんどん「自己」が消えるほど深く掘り下げていく。もしそうであるなら、そういう意識をむしろ持ち続けたい。そこから「作品」が始まるように思えるから。

■夕方、雷が響く。夕立。


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