ここのところ家のものからいわれる言葉は、「またメルマガのこと考えてるの」というもの。 これはよくないです。 ネットのことでこんなふうに思わせてちゃ駄目だ、とおもいます。 おまけに「追いまくられてない?」とまでいわれては、タチが悪いです。
とにかく「老いと病気」に対処するのが、生活の、何よりの優先事項になっているのだから、そこに響くようなことでは駄目。
小説や詩を書くことが、そのことに対抗するようにあるのではなくて、その中から生まれてくるようでなければ。 やはりあかんのんですよ。
取材のための外出もほとんど諦めた方がいい状態です。 だから、メルマガを止めます、ということではなくて、あるがままの自分なりの組み立て方で続けていこう、と。
メルマガに描いている畸編小説。 今回はトルーマン・カポーティーの「夜の樹」を読んでから書き出しました。あの文章の「手触り」を思い出しながら、です。
記事の話題は花のことと祇園祭のこと。 画像は少なく、いまのところ動画もありません。 何か工夫できるかな。
ここ二日ほど、音楽は押尾コータローさんのギターを集中的に聴いています。 「歌う」ギター。アグレッシヴなアコースティック・ギター。 ぼくにとって、その音楽を聴くと何か言葉やイメージがこみ上げてくるアーティストの一人です。 一番よく聴くのは、ちょっと古いけれどアルバム「Love Strings」です。 オリジナルのバラードがとても気に入ってます。 ジャケットの画も好きです。
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