待ちくたびれてみることさ、とキャンパスの多くの人に敗北感漂う70年代初頭の京都の、アンダーグラウンドで唄っていたのはチャーボーだった。…焦ることなんてないよ、待ちくたびれてみることさ…今では村八分の盤は聴かないけれど、この歌詞だけは覚えている。ひたすらに待ち続けること、漂い続けること。何を待っているわけではない。たぶん次の瞬間の自分を待っているんだ、といえるかもしれないけれど…。日がな一日「河岸忘日抄」堀江敏幸を読んでいた。