朝から夜の入口まで雨降りだった。 ここのところの暑さで開ききっていた薔薇や昼咲き月見草などが、崩れるようにアスファルトに散っていた。 あまりその様子が好きではないので 朝のうちにそうやって道に貼り付いてしまった花びらをいちまいいちまい剥がして捨てた。
まだ開きはじめたばかりの花は、雨を弾いていきいきとしている。
「淳之介流」村松友視・著 を読了。 感じたことを、作家・吉行淳之介の「人生の作法」だと自分の中でまとめている。 「分かる」というと、嘘になる。
感じることが出来てよかったとおもう。 何故なら、感じた心持ちは、ぼくを生きる前面へとむけてくれたからだ。 しゃんっ、となった。 ひょっとしたらぼくは自分でも分からないうちに衰弱していたのか、という気持にさえなった。
あるいはそれは病、死、世間との軋轢など、「どうにも仕方のないもの」をいかに「手なづけて」生き抜いていくか、というお手本のようでもあった。 しぶとく、「ぐにゃぐにゃ根性」を発揮し、「やわらかい約束」を他人とも自分自身とも交わし、 それをけっして忘れずに生き抜いていく、したたかな強さと優しさを教えられた。
村松さんは「あとがき」でこう書いている。
『病気、世間、文壇、スキャンダルの大津波の中を、 様子のよい男を表にあらわして切り抜けた。 その見えにくい強靱さは、年輪を重ねるごとに、 鍛えられたしたたかな色気が匂い立っていた』
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