2007年05月11日(金) |
「フューチャリスト宣言」を読み始める |
5月の新刊。「フューチャリスト宣言」を手にして早速読み始める。
ぼくは個人的な様々な事情や生き方から、「文芸作品」発表の場としてインターネットという場を選んだ。 だからネットに関する様々な論説には注目してきた。
ことに「どうやっていくのか」「何が可能なのか」を指し示す、あるいは示唆するものは、読んできたように思う。 「時間」を「流れるように見つめている」ものを。
インターネットに拘泥する、と決めているのだから当然である。
また、どのような現在で、どのように生きていくのか。そのことを考える「補助線」として ぼくは三人の方のブログと本を常に読んでいる。 内田樹氏、茂木健一郎氏、梅田望男氏の三人の方だ。
その梅田さんと茂木さんの対談なのだから読まないわけにはいかない。 今「ネット時代のリテラシーは感情の技術」という小見出しのところまで来ているのだけど この小見出しだけで、やっぱりなあと思ってしまう。
「荒々しい部分を体験する」ということも含めて、何度でも「ネットの側」につこうと、数頁ごとに確認しながら読んでいる。
この本には書かれていないけれど、文学、文章、詩、エッセイといった文芸作品をコンテンツとして提出している以上 その組み立て方も考えなければいけないなとおもいはじめた。
コンテンツをもっと鍛える。もっと提出する。毎週メルマガだけで発表している畸編小説をブログでも数ヶ月遅れで発表しようか、とか…。
メルマガもweb1.0。MIXIもweb1.0。 さらにその上、というとやはりブログなのかな。
ネット上の「文芸作品」をつうじて、すでにぼくは多くの人との「偶有性」を体験しているじゃないか。 ここでひるんでいてはいけない。
そんな思いをパソコンにメモしながら読書が続いていく。
●「フューチャリスト宣言」茂木健一郎・梅田望男(ちくま新書)
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