2007年04月16日(月) |
読み書きは静かなうちに熱を持つ |
友人の文庫本主義者が文庫本を持ってやってきた。 まあ、四の五の言わずにこの啖呵をお読みよ、というから渡された文庫の、開かれたページの前後を読む。
それは 『これで晴れて新撰組も天下のどん百姓や』という「輪違屋糸里」(浅田次郎・著)の糸里の啖呵だった。 糸里の目の前には刃が突きつけられていて、それを握りしめているのは土方歳三である。
この小説は新撰組の芹沢鴨暗殺と花街島原の太夫殺しが絡み合っているのだけれど、いきなり手渡されてその前後数ページだけ読んだだけで、その息づかいに感心した。
いとさと、かっこいいね。 映画で上戸彩さんがやるんだよ。これ。 ほほお。 これ読んだら壬生義士伝も読まなあかんねえ。
といって彼女はいきなり本屋へいってしまった。 しばらくして帰ってきた彼女は、これおもろそうやったから、といって文庫本を一冊渡してくれた。つまり読めよ、とうことである。
帯に書いてある言葉、あんたといっしょやんか。はははは、と笑う。
本は佐藤正午さんの「ありのすさび」。エッセイ集だ。ふうん、といって読み出したらおもしろい。 佐藤さんの本は岩波新書の「小説の読み書き」を持っていて、まだ読んでいなかったから二冊を同時に読み出した。
たぶん「小説の読み書き」の方が先に読み終えると思う。「ありのすさび」はボリュームもあるから、もう少し先まで時間がかかるかな。
佐藤さんとぼくは年齢が一つ違うだけだ。 だからこの小説家のありようが分かり、かつ、モノカキの参考になるだろうという彼女の配慮だろう、と、素直に感謝した。
さてそのモノカキは、ノート1ページ分だけ進んだ。 静かな風景だけを書きたい。 それは小説にはならないのかもしれないけれど。
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