散歩主義

2006年11月18日(土) 「夢を与える」綿矢りさ(「文藝」 冬季号)を読んで

「悲劇」として読み終えた。

 読み出してすぐに、誰かをイメージしたくなった。
 「国民的美少女」とラベルを貼られた幾人もの少女たち。例えば、ここ京都の西大路病院に救急入院したMという「生き延びた」女優か。可愛さと美しさ故に中学生でデヴューしたものの苛烈な芸能界に押し潰されるように一度引退し、再び女優となった、やはりMという女の子か。それらのMIX。(特にラストシーンは西大路病院を想起させる)
 しかし、読むにつれて具体的なそのような名前は消えていき、作者が作り出した少女がくっきりと見えてくる。

 彼女たちに代表される「美少女」が主人公である。物語は彼女の歩んだ道を丁寧にトレースするように続いていく。短い段落をスピーディーに繋ぎながら、彼女の誕生寸前、あるいは誕生の「理由」から、若くして「その位置」から崩れ落ちるまでが描かれている。名前を夕子。阿部夕子という。

 テーマは「夢を与える」だ。
 本人の言葉ではない。まだ子供の、マスコミの取材にどう答えていいのか分からない頃、「将来どんな存在になりたいか」との問われ、「楽しい今」しかなく、未来などとても思い描けない夕子にマネージャーが「こういうときは、人に夢を与える存在になる、と答えるものだ」と吹き込んだところから、この言葉に呪われるように悲劇は始まっていく。

 むろん、自分の言葉ではないことに気づいているから、それが嘘だということに 意識的ではある。しかし「嘘だから夢なんじゃない」と一蹴される。そんな「芸能プロ」の世界。「夢を与える」という言葉はマスコミのインタヴュー用の台詞となり、固定化し、世間に何度も流れていく。

また、一方で彼女は母親の「夢」を担い続けた。そもそも小説の始まりは母と父の別れ話からである。
 母は一言でいえば「負けたくない女」、父はナイーブ(軟弱な)な優しい男。父から別れ話を切り出された彼女は関係を繋ぎ止めるために、避妊具に細工をして妊娠し、強引に結婚に持ち込んだ。フランス人の母親を持つ彼はカソリックであり、逃げられない、と読んだうえでの行為だった。
 皮肉にも、というべきか、そして「虹から生まれたような」美貌の夕子が誕生する。この時点ですでに多難な将来は預言されたも同然だった。
 そして、その美貌にCM業界が、芸能プロが飛びつき、母親がそれに乗る。三歳から(テレビは六歳から)である。

 やがて、父母は離婚し、夕子は学生生活と芸能活動をこなし、やがて初体験、性の快楽、恋、裏切りを経験する。
 しかも、「行為」の一部始終をインターネット流出映像で暴露される。
 この作品でのネットの扱いは、掲示板も含めて、とてもネガティヴなものだ。
 暴力装置でもあることが強調されている。

 その「暴露」がきっかけで彼女のタレントとしての生命はついえようとして、小説は閉じられる。

 誰一人、「聖人君子」として描かれていない。「悪」と指弾されているものもいない。読み終えて振り返れば、誰もが欲望を持ち、誰もが自分自身を生きようとした。
 ただ彼女は「夢を与える」と語りつづけ、その演技を続けてきた。それが虚構であると知りながら。だから「恋」と「性」という生理がそれを打ち破ることに無警戒であった。
 「夢を与える」存在が、自分自身を生きようとした途端、木っ端みじんに打ち砕かれたのだ。
 
 作者の視点、人物への距離感は一定で、じっと丁寧に見つめている。
 風景の描写、特に実家のある昭浜の描写がいい。中学生の頃までの生活の描写は透明感と躍動感もある。(特に「多摩」君とのからみは好きだ。)
それに比べて、成長するにつれて出会う人間が「壊れた人間」になっていくように読めた。
 「切なさ」が綿矢りさ作品のおおきな特徴だと思うのだが、前作同様、そこに溺れずに、そこを見据えている。

 最終場面が近づくにつれ、作者が夕子の言葉として、夕子の状況説明として自分の認識を積み重ねていく。

「振り向けばなにもなかった。実態のないものを守り続けていたとおもうと、限りない喪失感が夕子を襲った」
「裏切った。私は自分の人生を生きたことで、多くの人を裏切った。
(中略)
夢を与えるとは、他人の夢であり続けることなのだ。だから夢を与える側は夢を見てはいけない。恋をして夢を見た私は初めて自分の人生をむさぼり、テレビの向こう側の人たちと12年間繋ぎ続けてきた信頼の手を離してしまった。一度離したその手はに二度とも度つてこないだろう」
「無理矢理手に入れたものはいつか離れていく。そのことは、お母さんが誰より知っているでしょう」
「何一つごまかさず答えていった」
「無理です」
「別の手となら繋げるかもしれませんね(中略)人間の水面下から生えている、生まれたての赤ん坊の皮膚のようにやわらかくて赤黒い、欲望にのみ動かされる手となら」

 がりがりに痩せ細り、ベッドに臥し、絶望の最深部で全てを明るみに出させた。そこから、彼女の人生は「生きなおされる」のだろうか。それを読者にゆだねたエンディングであった。その余韻によってこの小説は完成する。





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