散歩主義

2006年09月07日(木) 人は「生きて」いる

メルマガ「京都余情」の取材であちこちに移動した。
時間がふんだんにあるわけではないのでピンポイントである。
一目散に行って、一目散に帰ってくる。

そんなあわただしい取材の中でも、驚かされることがある。
今日は人の繋がりに驚かされた。

場所とモノは動かない。人は動く。生きているから外見も心も変わっていく。それをアタマから固定してかかると、ずいぶん世界が狭くなる。
理解できることも少なくなるだろう。
生きているモノは変化する。だから振り回されて苦労もするし、思いがけない喜びに遭遇したりもする。だからおもしろい。
まして誰と誰が繋がっているなんて、想像もできないほどだ。

人と人の関係の中で、一方が一方をアタマの中で勝手に規定し、さらに固定してしまうと、そうでない相手が想像できなくなる。
酷いときは許せなくなる。
そうなってしまっては関係の成熟どころか、そもそも会話のための言葉も不要になるだろう。
「言葉」を失ってしまうと、生きることが辛くなる。

自分の都合だけで世界を回そうとするなら、周りの人は「死んでいなくては」ならない。
世界の中心に一人でいたいのなら。
それは精神の危機だ。

しかし、世界は「生きている」のでその目論見は必ず失敗する。生きている人は必ず繋がっていくから。

他者を本当に「生きもの」としてみているかどうか、だ。
人の関係の不思議さから、そんなことを考えていた。



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にしはら ただし [MAIL] [HOMEPAGE]