何でも全て原稿用紙に書きなさい、と教えてくださったのは仕事の先輩、Yさんだった。その頃、仕事でも様々な記事や原稿は原稿用紙に書いていた。 しかし、Yさんが言っていたのは、「メモ書きから日記に至るまで全て原稿用紙に書きなさい」ということだった。正直言って、そんなことはできなかったし、できるとも思わなかった。 だいいちレジュメにしてもレポートにしても、ワープロかパソコンで打ち出していたし、スピードの点で原稿用紙からいちいち移し替えるのは手間だったのだ。 だから、その「教え」はとうとう守られることはなかった。
そのうちにパソコン一色の時代になり、そもそも手で書くことが減っていった。その制作スピード、保存収納の合理性と確実さは圧倒的だったから。
ずっと書いていた詩だって、パソコンにどんどん移し替えていったし、パソコン上で詩を書くようになっていったのだった。
ところが最近、意識して手書きをしている。このことは一度日記でも書いたけれど、さらに意識して増やしている。 原因はパソコンよりも原稿用紙の方が原稿全体の見晴らしがいいからだ。再読もスムーズにできる。考えながら書く作業がパソコン画面よりも原稿用紙の方が自分にはよいようなのだ。最後はパソコンに載せるけれど。
そういう作業を、実はノートに書いてからパソコンでまとめたりしていたのだけれど、ノートよりも原稿用紙をよく使うようになり、今ではA4、B4両サイズの原稿用紙のストックがノートより多い。
そうやって書いているうちに、万年筆にはまった。ほとんど水性ボールペンで書いてきたのだけれど、ある方からプレゼントされた万年筆が抜群の書き味で、いつまで書いていても飽きない。 それと自分の字が嫌いでしょうがなかったのだけれど、実は万年筆で書くと悪字が目立たない。勢いで滑らせて書いていくとそれなりに収まってしまうのだ。そのことが手書きをさらに後押しすることになった。
最近、いったい何枚書いたかわからないくらい書いている。 それこそメモからプランニング、詩や小説まで。それに自分の作品だけではない。「書き写し」も実行中だからである。
その「書き写し」にはまってしまった。 「習字感覚」というのもある。それと書いていてわかったのだけれど、自分は書くことで「精読」するという、面倒くさいタイプの人間だったということ。好きな本でも二度、三度読んでくると惰性に流れたり、時としてしんどくなるけれど、好きな本を書くのだったらいつまででも書いていられる。 それに原稿用紙だと流すことができない。だから思いもかけない読み落としを発見したりもする。それはいいことだと思っている。
Yさんが言いたかったことは、もっとマス目になれろ、文章の量を「肉体」に覚え込ませろということだったのだと思う。 あの言葉を聞いて、もう何年たっているだろう。 忘れないでいた自分と、それでもやろうとしなかった自分がいて、その二つの自分を抱える自分を見つめる自分がいる。
少しは大人になったのか、と思う。
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