車谷長吉「金輪際」読了。 短編小説が七編。 物議を醸した「変」、のちの「赤目四十八滝〜」にも通じる「児玉まで」など。 いちばん好きだったのは「静かな家」だった。
書かれているのは「私(わたくし)小説」だけれど、三浦雅士さんが解説で書かれている「幻想小説家である」という断定に賛成だ。 細部の描写が幻想をかき立てずにはおかないからだ。 もうひとつ、これは私見だけれど書かれていることは徹頭徹尾、BLUESである。
「児玉まで」という作品は吉行淳之介さんの「街の底で」と構造や設定がよく似ているのだけれど、吉行さんが女の手を取り一歩踏み出すところで終わるのに対し車谷さんは置き去りにしていく。実は自分を棄てているのだけれども。 吉行さんは優しい。車谷さんは尖っている。だけど両作品ともぼくにとってはBLUESである。
車谷さんの小説を読んでいると文体の見事さを感じる。森鷗外を下敷きにしたその文体は切れ味鋭く、余分なところが何もない。骨太である。 その文体で細部を克明に書くのだ。余分なところが何もないから強烈に印象が残る。リアルな描写なのだけれど「幻想」はいくらでも脹らむ。
車谷流小説作法というべきものを見つけた気がした。 だけどそれは「車谷流」といいながら、自分自身の書き方を見つけつつあるのかもしれないと思う。 ご当人の流儀を他人がわかるものではないから。
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