昨日同様、雨上がりの朝。 朝一番で茄子を収穫する。それから自転車で丸太町通りを一直線に駆け抜けて病院へ。 どうも食欲がないらしく、バナナなら食べられると聞いていたので、生鮮食品もあるコンビニ、Shop99に寄っていくことにした。ところが丸太町通りにある、というのはうろ覚えで 、実は今出川通りだった。寄り道の時間もないのでローソンでバナナとマンゴーのミックスジュース、水を買う。それと新聞、ヨーグルトを病室へ届けてから帰宅。
朝の散歩でハナが草を食べて、毛玉もろともに吐く。最近の湿気と暑さにバテ気味のハナだ。
哲学、あるいは現代思想の最先端のひとつであると思われる、 「象徴の貧困」(ベルナール・スティグレール著) を精読しようとしている。哲学的な言葉の使い方になじみがなくて四苦八苦しているけれど。
同書はコンピューターとネットが席捲する、あるいはポスト・モダンで簡単に語られる現代社会の「貧困」について書かれている。
今日、関口宏「サンデーモーニング」で、タイトルだけがトークのテーマに使われていた。結構、話題を呼んでいるようだからこれからいろんな局面で取り上げられることだろう。 同番組では、ワールドカップに対しての日本人の過剰な期待と落胆が題材として語られていた。その中で「みんな本当のこと(本当のレベル)を知りたくないんじゃないか」と中西君(彼は同志社大からJリーガーになった人)が、その「貧困」をずばり言い当てていた気がする。
その書評が京都新聞にでていて、スティグレールの言葉も引用されていたんだけれど、あえて引用は書かない。 哲学的でない僕流の言い回しでいうと、情報洪水の中で自前の選択も判断も出来なくなっているということを「貧困」と書いている。 もっと簡単に言うと「踊らされて薄っぺらになっている」。
だから例えばこの日記にしても、自分はどう思うのかということに力点を置くべきだといつも以上に感じている。
「象徴の貧困」とは「象徴=個の消失」ということだ。
だけど考えてみれば、この間読んできた梅田望男さんの「ウェブ進化論」にしても 茂木健一郎さんの新書にしても、例えば「大渋滞のその先は」、とか「コンピュターを越えろ」 などシンクロするようなメッセージがあった。
自分で判断すること、自分で考えることにもっと意識的にならないと足許は凄い勢いで崩れ続けていくようだ。 五感を研ぎ澄ますこと、それぐらいしか考えつかない…。
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