朝7時前、下立売通りを東へ一直線に駆け抜けて病院へ行く。 土曜日で人も車も少なく、朝日に照らされた道を走った。新聞やヨーグルト、水を届ける。
帰ってから遠藤さんの「『深い河』創作日記」を読む。その苦闘ぶりに感じいった。そしてその制作のためのテクニックも学んだ。 しかし何より、苦闘しながら「結局、無意識が書いているのだ」という記述に至る、その心境を思う。
いかに「回路」を開くか、なのだ。そのために24時間、何をしていても意識の一片が小説から離れることはない。まさに消耗戦。
「登場人物が動き出す」という記述は夏目漱石「虞美人草」についての新聞に掲載した漱石本人のコメントにもある。 「動く」というのはわかる。わかるけれど250枚を越えて動かしたことはない。 今書いている小説はゴザンスの「800字」の書き直しから始めたものだったのだけれど、ひょっとしたらあとから書き始めたもう一つの小説と合体するかもしれない。800字がいきなり長編になる可能性が出てきた。
それこそ無意識が本や資料を呼んでいることもあるのだし…。出来事も。人も。 大丈夫。無意識に引きずり回されはしない。 ぼくは光を信じている。
ミルハウザーを少し読む。 小説に関することばかり書いたり読んだりしている。詩はどうなのか。 いつもモチーフは探している。しかし、今は小説だと思っている。
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