散歩主義

2006年05月28日(日) 「虚心」について


ぼくがずっと集中的に読んでいる男性詩人は高橋睦郎さんである。
詩を書くことが停滞している、と感じた時は高橋さんの本を必ず読むことにしている。詩でもいいし、エッセイでもかまわない。「姿勢」を思い出すからだ。

それだけでなく何気なく開いたページから思わぬ刺激を受ける時もある。
エズラ・パウンドを発見したのもそうだ。
ブログに書いていた「天使形」という短い小説の全体を一つのトーンでまとめるのにパスカルの言葉を見つけたのもそうだ。(ただいま再構成中)
パソコンではなく「手書き」を創作の中心にしたのもそうだ。

今日、「未来者たちに」というエッセイ集をなんとなく本棚からだして読んでみた。
読んでいてはっとした。それは「虚心」について書かれた事柄だった。
もう何度も読んでいるにもかかわらず、ぼんやりしていると忘れがちになる。とても大切なことなのに。

「虚心」。心を虚しくすること。
それは「私」が何かを思わない。ということである。
人に何かを伝えようとする時、「教えよう」としてはいけないということである。
「私」の喜怒哀楽など、極論すれば不要なのだ。ただあるがままに世界を見、あるがままに受け入れ、あるがままに伝えること。

是枝裕和監督「誰も知らない」の監督日誌と白洲正子さんの「お能」を引用して説明されている。
引用するとかなり長くなるので、結論部分を書いておくと、

…ここは悲しみを表現しなさいとか、ここは美しさを表現しなさいということではなしに、花なら花が散っているのを虚心に見つめ虚心に表現することの大切さを伝えること…
となる。

一つ間違えると形にとらわれているのでは、と指摘されかねないけれど
人の恣意や思いが世界を痛めつけてきたという反省から導きだされた考え方でもあるのだ。
どう書くかという前にどう生きるかということにも繋がっていくと思う。

人がどう思おうと世界はそのままの姿でそこにある。
それを誰かに伝えようとする時、「心」は時として世界の本当の姿を曇らせてしまうことがある。
それならば心を虚しくしてすべてを受け入れ、それを伝えようということだとぼくは思っている。無意識のうちに教えようとしてはいけない。どだい「教える」ことなんてできないのだ。

どう思うかは観る側の(読む側の)想像力の中にあるのだし。

今まで他の本でも言葉を変えて何度も同じことを読んできた気がする。
常に意識していたいことだ。

●「未来者たちに」高橋睦郎・みすず書房
●ホームページのトップが変わりました。ピエール・ド・ロンサールです。


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