●一日中、強い風が吹き続けた。 薔薇に新たな支柱をつける。
●漱石の小品「京についた夕」を読む。 子規を懐かしみ、言葉遊びをしながら、春先の京都の冷え冷えとした感触を伝えてくれる。
注解を参照にしなければ、京都が魔境のように読める。 しかし、さすが漱石。「京都幻想」を笑い飛ばしているところがいい。 京都は「ぜんざい」でしかない。それも小田原提灯に赤くぬかれた「ぜんざい」なのだ。ははは。
寒さの描写は素晴らしい。京都は幾重にも寒いのだ。
●「若者殺しの時代」(講談社現代新書)の著者が週刊現代のインタヴューに答えていた。 大学生にインターネットに関心のない人が確実に増えているという。 彼らは子供の時から携帯もネットもある環境に育っているから自らの意志で選んでいるのだという。
何を選んでいるというのだろう?そのことは書かれていないけれど、情報の洪水を泳ぐ術を身につけているというように読めた。
ぼくはネットをある意味「見切っている」のだと思える。 著者はそのことが増えれば、若者が少しは幸せになる時代がくるかもしれないといっている。 「情報」にいかに多くの人間が振り回されているか、ということをいいたいのだろう。
このことは平野啓一郎さんの作品を通しての度重なる問いかけ…ネット依存による二重生活でいいのか…に対しての一種の答えが社会の中で起こりつつあるともとれなくもない。
とても面白い見方ではある。
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