| 2006年05月23日(火) |
「かえっていく場所」を訪れる。 |
今日から椎名誠さんの「かえっていく場所」を読み始めた。 集英社文庫で今年の四月にでた。初出は「すばる」の連載で、2001年のものである。単行本は2003年に出ている。 この本を読んでみたら、と言って渡してくれたのは「文庫本主義者」であった。
「椎名誠」というと年下の友人を思い出す。彼はつい数年前に脳出血で倒れた。30歳になる前だった。 本人が大変だったのは言うまでもないことだけれど、その時奥さんのお腹には新しい命が宿っていて、奥さんはもちろん周囲の人たちは大変だったろうと思う。 彼は凄い読書家で、いちばん好きな作家としてあげていたのが椎名さんだったのだ。
一時意識不明になりながらも彼は奇跡的に回復し、若干の後遺症はあるものの職場復帰を果たした。 彼のことだからまた精力的に読書に励んでいるだろう。この本もとっくに読破しているに違いない。
ぼくはというと、それほど熱心な読者ではなかった。
この本にはアルコール依存に陥った「尊敬する先輩」の話が出てくる。 椎名さんの本をよく読んでいる人ならすぐにその名がわかるという。(何故だかぼくにもわかった) その人のことも含めての話なのだが、豪放磊落というイメージで捉えられがちな椎名さんが、心身とも傷つき、繊細な神経を痛めつけ苦しんでいる姿をくっきりとみせてくれている。 鬱病の苦しみ、不眠症の苦しみ、精神的な瓦解に苦しむ姿までをだ。 前述したイメージで捉えている人が読んだら意外だと思うだろう。きっと驚くに違いない。
ぼくはその苦しむ風景に息をのみ、家族を観る視線の暖かさに頷きながら読んでいった。 この作品はエッセイなのだろうかそれとも「小説」?。ぼくには一種の「家族小説」ともとれた。 庄野潤三さんに近しい世界だ。基本的な文章の組み立て方もよく似ている。 だけれど庄野さんはこのようには書かないと思う。
たぶん作家ゆえの精神的な苦境に陥っていても読者には見せないだろうし、 陥らないように生きることを自分に課すだろう。 庄野さんの小説に出てくる一家の姿を「聖家族」とまでいう人もいるぐらいだ。
しかし庄野作品は「小説」であって、いかに経験したことしか書かないとしても、「書かないでいること」が必ずある。そう考えて作品を読むと、庄野さんの家族と共に生きる決意や注ぎ込む努力の素晴らしさをより感じることが出来る。
椎名さんは自らを晒している。優しい人なのだ。精神的にも傷だらけで身体の不調も隠さない。 庄野さんとは違う形で椎名さんも家族とともに「すっく」と立っているのだ。
「東京の白い夜景」という作品がある。 ヤクザの大活躍だとか、やたらと血なまぐさいハードボイルドなんかよりも、ぼくが「ブルース」を感じるのはこういう作品だ。
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