散歩主義

2006年04月14日(金) 文字について

文章を書くことが嫌になる理由の一つに、自分の字の汚さがある。
いい歳をしてなんだと思われるだろうけれど、小学生のころからぼくは自分の書く字が大嫌いだった。

ここのところずっと、意識して字を書いている。「変えている」ともいえるか。
鉛筆をつかい縦書きで書いているうちに、3Bでは柔らかいように感じ始めた。ついこないだまでは4Bでちょうどよかったのだが。筆圧が強くなってきたのだろうか。それぐらい暇さえあれば何かしら「字」を書いている。

それはさておき、字がきれいになるという事は、書き始める際の障害が減るように思えた。いやそれどころか言葉の扱い方が変わり、思考方法が少し変わり、生活の質まで変わるのだという思いがある。
個人的には確信に近い。

小論文試験対策のひとつとして、ボールペン字講座の受講をすすめる人がいる。そんな外面をいじってどうする、と思うなかれ。ぼくもその意見に賛成だ。
まず字が驚くほど「読みやすくなる」ことは間違いないし、高い確率で「美しく」もなる。それはなにより、試験官が「読んでくれる字」に変身した事を意味する。これは大きいよ。
それと、ぼくの個人的な意見だけれど、美しい字(読みやすい字、でもいいんだけれどあえて美しい字)は必ず自分にフィードバックする。
読み直しが苦ではなくなり、文面の見通しがよいから文章の直しがスムーズにできる、はずだ。

パソコンで「書く」のはいいけれど、ノートに書くのはどうもとという意識がずっとぼくにあったのも、字面の悪さにうんざりしていたことに原因があったのだと思っている。
ぼくは悪筆だ、という劣等感がずっとあった。

「音函」や「光函」を封筒に詰めて宛名書きをするのだって冷や汗ものだった。懸命に書いたけれど、うっかり私信まで気が回らなかったりした。
申し訳なく思っています。すみません。
(それにしても返信してくださる人たちの字の綺麗さ。素晴らしいと思いました)

だから、自分の字が好きな人は、きっと筆まめになると思う。それはとても大切な事に思え、今、意識して字を修繕中なのである。
よく美しくなくとも読みやすければいい、というけれどそれでは自分を合理化してしまいそうなので、美しい字(なるべく客観的に……)、人に不快感を与えない字、自分が顔をしかめなくてすむ字を目指している。

(講座を受講しているわけではありません。ある新書を参考にしています)


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