冬の底は続きます。 風の強い日。空が呼吸でもするかのように 黒い雲が北から延びたり縮んだりを繰り返しています。 そのたびに晴れたり、雪がちらついたり。
今日はキース・ジャレットのパリコンサートを聴きました。 繰り返される音の渦が部屋に解き放たれたようでした。 1曲目が特に好きです。38分23秒あります。 激しさ、美しさ、繊細さ すべてが含まれたインプロヴィゼーションです。 この曲と続くwindという曲は素晴らしい。
注文していた本が二冊、届きました。 楽しみにしていた本です。読み終えたら感想文を書きます。 舞台は鎌倉。もう一つは東京。
読む前から、たぶんぼくと重なる部分のある方だろうなと思っていたんですが、まともに予想は当たりました。
朝、偶然、料理研究家の辰巳芳子さんのお話をテレビから聴きました。 スープのマエストロというかスペシャリストとでもいうべき方なんですが、ご自宅の植栽の話が素敵でした。
新たに家に住む方、世帯を持つ方は柚子と山椒の木を植えるといいですよ、と。確かに柚子は青い実も黄色い実も使えますし、今、話題のユジャロンも簡単にできますよね。辰巳さんは花もみそ汁に入れるとか。 山椒は香辛料としてそれこそ幅広い使用法があります。
他にも辰巳さんはご自宅の周りの家庭菜園でとれる野菜を普段の食事につかっておられて、随分、刺激を受けました。
庭のない家庭でもできますよ、と力説されていたのが印象的でした。 そうなんです。巨大な木枠の鉢で作られている方がおられますから。
明日は園芸店に行って苗を見てきます。
そしてある老詩人との対談で、一人暮らしだから、簡略化したりいい加減になりがちな、ひとりだけの食膳をきちんと整えているという話題になったとか。そのお話がよかったです。
確かに、そういうことに限らず、衣食住のそういう部分がいい加減になると 感覚が鈍磨して、退行していくとぼくも思います。 ただし、面倒くさいのも事実。 別にそんなに整えなくても死なないし、生きていけますから。と、いうように思うことが実は落とし穴なんじゃないかな、と。
精神的にも身体的にも凛としていたい、というためには必要なことだと思うのです。 で、老詩人はそれを自分に癖づける方法として、「お客様に対するようにしています」と。自分との向き合い方、とでもいいましょうか。
辰巳さんは「そこで気づかれたんですね」とおっしゃっていました。 同じ文脈、あるいは意味合いで、辰巳さん自身は「命に仕えている」と意識しているそうです。
自分の、他者の、動物の、植物の、ありとあらゆる「命」に仕えているのです。
「自分」が「自分」の命に仕えている、という感覚。最近になってぼくなりの理解が少しずつまとまってきています。
身体と脳という分け方でもいいし、身体と精神という分け方でもいい。どちらかというと後者だけが「自分」と思いがちだけど、両方とも「自分」なのです。しかも不可分。
意識しなくても動くことを止めない心臓や肺。意識しなくても、考えなくても日々繰り返される「命」のシステムというのは、まさにそれだけで奇跡的なことであって、まさに「自分」というものはその「命」そのものに仕えていくようにすべきではないのか、と。 「命」がなければ自分もないのですから。
実は大病の経験や人や動物のの死に触れるにつけそう思うようになりました。 今日から読み始めた本も「命」「生」の輝きがその足下から描かれています。 感想文を書き、著者や題名はそのときに紹介しようと思います。
今、頭に引っかかっているのはその老詩人が誰か、ということです。 知りたいな。
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