昨日とうってかわって、今日はずっとモーツァルトを聴いていました。 今日一日、ぼくにとっての最大の出来事がモーツァルトを聴いたことなのだから、まったく幸せなことだと思います。感謝しなければ。
かつてモーツァルトを絶対視する論調には反対する文章を書いたのですが、あの中でも書いたように、ぼくはモーツァルトが好きです。バッハも大好きなのですが、そもそもクラシックにしても、ジャズやロックについても、音楽に「嫌い」という感情は持ち込まない主義なので。全部「好き」か、反応しないか(できない)だけの違い。
ところで、クラシックを聴く人にはそれぞれ「モーツァルト体験」なり「クラシック体験」があるらしいのだけれど、 ぼくの場合どんなことが起きるかというと、聞きながら外を眺めていたりすると、風景の「見える感覚」が変わるのです。なにげなく見ている窓の外の風景も、違って見えてくるんです。抽象的な言い方になるけれど、そんな感覚かな。 みえる角度が違う、というか別のものに見えるというか、突然「意味」をもちだしたり…。 それが、おもしろい。アタマ、へんかもね。
モーツァルトはピアノ協奏曲ばかり聴いていて、今日、くりかえし聴いていたのは26番と27番。ピアノは内田光子さん。 この方のモーツァルトは定評があって、ほかにシューベルトも持っています。
内田さんのピアノでピアノ協奏曲をそろえるのが、ずっと心に懸けていることで、まとめてではないけれど、こつこつとそろえています。 この盤でも相手はイギリス室内管弦楽団。指揮はジェフリー・テイト。
ぼくは27番のほうが、すっと入ってきますね。
*モーツァルト・ピアノ協奏曲第26番≪戴冠式≫,27番 内田光子(ピアノ) イギリス室内管弦楽団・指揮ジェフリー・テイト (Philips PHCP−20214)
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