散歩主義

2004年07月16日(金) MATATABI/バンブー茂




 「バンブー茂」の新しいミニアルバムがリリースされました。
タイトルは「MATATABI」。つまり「またたび」。猫が狂おしく悶えてしまう植物のことです。
うちの猫たちも「またたび」の匂いが漂っただけで落ち着きがなくなります。それといっしょ。
…やはり癖になりそうです。

 以前から彼らの曲を創る能力の高さを感じていたのですが、今回さらにメンバーの個性が前面に出てきたような気がします。
 「バンブー茂」とは、卍屋タケコ、サカサイツトム、山昌平の三人のメンバー。タケコさんが作詞でサカサイさん、山さん、のふたりが作曲。タケコさんの言葉、つまり詞がすべての根底にあって、それもぼくは好きなんだけれど、言葉を載せるサウンドプロダクトが今回はとても際立っています。

 タケコさんの詞は、一貫して「生きていることのリアルさ」を求めていて、「夢」「幻」ではないことを願ったり、逆説的に「夢」「幻」でもかまわないけれど手にしている「リアルさ」を信じると言い聞かせたり。それがとても切なくて、まっすぐなものだから息が時々詰ります。切なくて美しい。
 この特筆すべきタケコ・ワールド。聴けば聴くほど…matatabi…。
彼女の京都へのこだわりもいい実を結んでいるのではないでしょうか。ジャケットには京都の町での彼女のショツトがあって、それを見ながらいろいろと考えてみました。

 東京を拠点にする彼らが京都でライブを数多くこなしファンを増やしていることと、タケコさんが京都に興味をもちつづけていることのあいだには、たぶん街と人を見る視線の「同調」があると思うのです。
 よく京都に来て、何か懐かしい感じがするという方が多いのは、京都市内が空襲に遭わず、大正から昭和初期の下町や建物が残っているからだとぼくは思っています。もうだいぶ減ってきましたけれどね。それでも街の基本的な構造は変わっていないわけで、多くの人は「崩れかかった自由さ」に惹かれるのかもしれません。
 そして、京都の下町風情もたしかに朽ちてきているのだけれど、潰れまいとして突っ張りまくっているわけでもないのです。

 唐突かもしれないけれど、正岡子規を想います。
 病床の正岡子規がその最期の「仰臥慢録」に記した事。もはや治癒の不可能な病の中で、子規は人間の強さを、最期まで病気に負けまいとして闘う事にではなく、どんなぼろぼろの「形」になっても生きている事の素晴らしさ、どんなふうになっても美を見つけることのできる自由さに発見したのでした。
 西陣の朽ちた家を改造して住む若きアーティストたちや、古い路次での生活がいまだに息づく街、京都。観光名所ではなく、生きている現場のありようはまさにそんな子規の精神に似たものを感じるのです。早晩、京都の下町もさらに様変わりしていくでしょう。ゆっくりと瓦解していく、そんな京都の下町にクタケコさんも惹かれたのかな、と思い至るときがあります。 彼女の歌詞に「生と紙一重の死」という部分が時々、吐息のような言葉になっていて、はっとすることがあるからなんですが。

 サウンドは、とにかく感じたのがエナジーに満ちていること。たぶん「書きこも」うと思ったら、もっときちきちに詰められるんだろうけれど、敢えてそれをはずし、繊細さとエナジーのバランスをリミット一杯でとっているように感じました。
 胸いっぱいの音と声…。
 またギミックがないということは、このバンドの質の高さを証明しているわけで、今後ますます楽しみなバンドなのです。
もともとバンブーとの初めての出会いで、ぼくをノックアウトしたサカサイ氏のギターは、今回もニュアンスたっぷりのギターワークです。いいですよ。

ところで
サカサイさんのところの愛猫・銀ニくんもジャケットに登場。これで全国に知られました。
山さんはスリムになって、キーボードプレイヤーとしての側面が忙しくなるのでは。もちろんドラムスも好調。
パッケージがまたいいです。漆器に盛った白梅の和菓子のようです。白が映えていて、とてもおいしくて、ちょっと苦くて。そんな内容にリンクするような秀逸なデザインです。

 「バンブー茂」。まだ聴いたことのない方、ラジオなんかでかかったら聞き耳を立ててみてはいかがでしょうか。

■ CD「MATATABI」・バンブー茂  (music front)


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