散歩主義

2004年07月01日(木) たましいのトポス



ピアニスト、ウォン・ウインツァンさんの新譜、「たましいのトポス」がリリースされました。
ウォンさんのピアノはずっと聴きつづけてきています。最近、キース・ジャレットやリヒテルの旧譜を熱心に聴き続けてきて、そのサイクルの最後にウォンさんのピアノを聴いた、とそのように感じています。

今回のアルバムはライブ録音の2枚組。おなじみの曲もあるけれど、断然、いいのはピアノ・インプロヴィゼーション。クラシック音楽の隆盛期、ピアノの演奏はソロが当たり前だったように。この楽器への興味はソロ演奏での、しかも即興での音楽に行き付いている様にも思えます。

全国ツアーの中から、選び取られた演奏は、それぞれが生き物のように生々しく呼吸しています。

ウォンさんのサイトのレヴューに書きこんだ記事を下に貼りつけておきます。

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「たましいのトポス」を聴いて

 ウォンさんの「たましいのトポス」を聴きました。
 ぼくはピアノという楽器が好きで、いろいろなミュージシャンのソロピアノのCDを、クラシックからジャズ、アンビエントなものまで聴いてきましたけれど、これほど、たおやかで、懐かしく、温かな気持ちになれた音楽はありませんでした。もちろんウォンさんの音楽も数々のCDで聴き、ライブでも聴きましたが、これまで聴いた中でのベストです。

 特にライブ録音というところに、注目しています。というのもソロピアノのコンサートにでかけて、聴いているうちに、ピアノのコンディション、ホールの場所(土地)、ピアノの位置、オーディエンス、その日の天気、そしてピアニストのコンディションと姿勢。それらが一体となって音楽が創られている、と感じるのです。インプロヴィゼーションはもちろんすでに聴いたことのある楽曲においてさえそうです。 その渾然一体となったピアノ1台をめぐる状況こそが、まさにトポスといえるのかもしれないなと思うことがあります。みんなそこにいるのです。
 今回のCDでは、ピアニスト、ウォンさんはその中央にいて、「その魂」に忠実であるような演奏でありました。それが深く深くしみこんで来ます。激しく打ちます。優しく抱きしめてくれます。盤が変わっても途中で聴くことをやめることができませんでした。

 小説「パリ左岸のピアノ工房」(T.E.カーハート著)にこんな台詞があります。
…一語ずつに解体できる書物がないように、一音ずつに分解できる音楽なぞ存在しない…

 ぼくはこの台詞が大きなんです。音楽全体に向けた言葉なのでしょうけれど、今回の「たましいのトポス」を聴いてさらにその感を強く抱きました。…だからこそトポスなのだ、と。

 そして分解不能、再現不能の、ピアノを核としたひとつながりの経験の蓄積としてのトポス(=在りか)。その場固有の在り方でありながら、世界と繋がり、世界へ飛翔する音楽。そしてそのベース(=トポス)。
 ぼくはこのトポスに連なるもでありたいです。

 素晴らしい音楽をありがとうございました。


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