| 2004年06月30日(水) |
待っているあなたへ。 |
午前中にものすごい雨が降りました。一時間ぐらいで、嘘のように晴れあがりましたけれど。 今日の静岡ほどではないにしても、バケツをひっくり返したような雨。ちょうど外に出ていて帰るに帰れなくなり、雨宿りしていたスーパーの三階の本屋さんで時間潰し。 その時、目にはいつたのが「イチローに糸井重里が聞く」という本。 ぼくはイチローマニアなので彼の発言はたいてい追っているけれど、本としてとても興味深かったのでその場で買いました。
内容は刺激に満ちているのだけれど、イチローの発言はもちろんですが、糸井さんの仕事を「サーヴィス」として見る視点などがとても新鮮でした。 そしてこんな1節が…。
…ぼくのような人間でさえ、毎日、誰かに何かを書く仕事を続けていられるのは、読んでくれる人が、毎日グラウンドに来て、相手をしようと待ち構えてくれるからだ。…
これは「なぜ続けられるか」ということについて糸井さんが自身のことをのべておられるのだけれど、イチローとお父さんは小学校2年から6年までの4年間一日も休まずに練習をしたといいます。受けてくれる相手が「いつも」いるならなんでもしますよ、というのが糸井さんの結論。そしてその糸井さんをして、「読んでくれる相手」がいるから書けるのだというのです。
先日、亡くなった野沢尚さんの最後のドラマの脚本の最後の台詞に、「ぼくにはあんたたちが何者なのかまったくわからない…」と大衆に向けて主人公が語るシーンがあったといいます。ある俳優さんはこの台詞が気になってしかたがない、と。
「読んでくれる人」「待っている人」 モノカキには見えません。ましてぼくのような者には、ならなおさらです。しかし、誰かと繋がることが表現の意欲を持続させ、自分自身を奮い立たせてくれるのであれば、その人が一人でもいてくれるのなら、そのことがぼくに作品を書きつづけさせてくれているのだ、と思います。
ぼくは、仮に幻だとしても「その人」に向けて書きつづけているのでしょう。 待っている「あなた」へ。
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