散歩主義

2004年06月05日(土) 「法」あるいは「修行」




今日から本格的に「ものを書く」姿勢が整った気がしています。
少し迷いがあったのですが、完全に吹っ切れました。

それを援助してくれた三つの要素が今日揃って目の前にありました。

ひとつは「エミリ・ディキンソン詩集」。
もう一つは「バッハ ミサ曲Bマイナー」。
最後に永平寺住職、宮崎禅師のお話。

宮崎禅師の明快なお話、実はNHKスペシャルでの放映なのですが、用事もあって見ることができないと思っていたのです。ところが、デジタルハイビジョンのBS9では6時から先行放映していて、しっかりと観て、聴くことができたのでした。

宮崎禅師は104歳。「全ては禅である」という声が五臓六腑に染み渡った気がします。何も坐ることだけが禅ではなくて、歩けば歩くことが禅、話せば話すことが禅。環境もまた私であるから、私が曲がっていれば環境も曲がる。その逆もそのとおり。ウンウンと頷いていました。
そしてつまるところ、坐禅は欲望を断つ技術であると観ました。

あすから妙心寺の大方丈で一般の参禅会が早朝からあるのです。いきたいと思う一方、犬や猫や家の用事もあって無理かなと思っていたんですが、うん、なんのことはない。いるところで禅をすればいいのです。

「前も後も見ない」「やるべきことに集中し考え、実行する」
あり難いお話をいただいた気がしています。

「バッハ ミサ曲 Bマイナー」は以前、メールであるかたから教えてもらった、「ル・ペティット・バンド」の演奏しているCDを求めようとして、直観で選んだ2枚組です。
ぼくはバッハが好きでよく聴くのですが、これほど自然でしなやかなバッハの演奏は聴いたことがありません。音がとても温かく、柔らかでしかも力強い。

この曲は「大ミサ曲」とか「荘厳ミサ曲」として有名なのですが、そんな大袈裟なところがまったくありません。活き活きとしたコーラス、アリア。そして古楽をみごとに奏でるル・ペティット・バンド。優れたディレクションを与え続ける指揮者のグスタフ・レオンハルト。
宗教的な意図を考えに入れなくても、この演奏と曲の精神性の高さは素晴らしいと思います。
最初の「キリエ」が始まったところから、じっと耳を傾けつづけました。

ディキンソン詩集。
昨日も少し書きましたが、この方の「信念」。これには学ばなければなりません。
全編を黙読したあとに湧きあがる感情を見つめてみたいと思います。
真っ白な雲のように詩篇のいくつもが、こちらを見つめ返してきます。

と、これらの三つのことがぼくのなかのなにかを確定してくれた気がしています。
「やるべきことをやる」。
それにつきます。


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