隣家の御婆さんが急逝された。今日の午前中だという。 天神さんの近所の眼科へ通っていて、そこで倒れたのだと。
今日はごみの分別回収の「缶の日」で、いつもの黒松の木の下に持って来たのは御婆さんだった。うちの北隣も老夫婦が住んでおられて、そこの奥さまとツツジの花と満開になった紫陽花を愛でていたのだという。
急なことで、町内に回覧版が大至急便で回る。通夜と告別式の日取りなど。 北隣の御婆さんの家に回覧版を持って伺うと、声が震えていた。 …ほんの、つい…わたし…朝、はなしたのよ…あの人と…おとうさんはいかがって…花がよく咲きましたって…。 ぼくを帰さない。大きく開かれた瞳でしゃべり続ける。 …あの人…どこも悪くないって…
ふたりで表に出て、紫陽花の前で話は続いた。 「わかりました」とぼくがいうと 「いいえ、わかりません」と御婆さんはいって話を続ける。 ぼくは黙って聴く。
…裏の人たちは、嫁思いやいわはる。ころんと死ねたらええやんか、いわはる… …そやけど…ねえ…だってわたし、今朝…。 話が終わらない。
都市の古い街は老人ばかりだ。「裏の人たち」というのは、うちの近所の人たちのこと。8割が老人である。みな、亡くなった人よりも年上である。
震える声は何かに怒っているようで、抗うようでいて無念さを隠そうとしない。 亡くなった御婆さんの旦那さんは寝たきりである。
悔しさと怖れ。しかし、今までをきちんと生きてきた力は、明日の朝をきちんと迎えることをぼくは知っている。
死はどこにでもある。あたりまえのように。 祈りがあり畏れがある。それを芯から受けとめる。
突然差し出された死の姿を、ぼくらは紫陽花の前で噛み砕いていた。
蒼が濃い。
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