| 2004年04月06日(火) |
「光函」に書評をいただきました。 |
今日は「光函」に、とても素晴らしい書評をいただきました。
田川ミメイさんの書評へ
この散歩主義でも何度も登場している「ミメイさん」が書いてくださいました。 ミメイさんはゴザンスのライター仲間であり、はっきり言ってゴザンスで小説や詩を書いているライターたちの数歩先を行っておられます。 ぼくにしてもミメイさんの背中を見ながらここまできたという気がしています。 ゴザンスから「溺レルアナタ」が刊行されたときは我がコトのように興奮しました。素晴らしい本ですよ。
今日、ミメイさんが書評の中で引いておられた平出隆さんの「境目」論。とても刺激を受けました。 詩のような小説、小説のような詩、散文のような小説、随筆のような詩、、、、典型的な詩ではない表現を平出さんはなさっているわけですね。
ぼくの場合、始まりはいつも詩です。しかし、行間の飛躍であるとか、比喩の多用などによって「表現したいこと」のかたちが変わってしまいそうなときは、躊躇せず形を変えます。 その逆もあります。形を決め、その中に落とし込む作業をすることで、表現そのものの輪郭がくっきりする場合です。
何よりも優先するものがあるのです。それは表現のなかの「イノチ」です。 ただそこにある「イノチ」を忠実に告げること。そのことに専心したいのです。 だから制作態度に規制はかけません。 そこから詩というイノチが浮かび上がってくるのなら…。 まだはっきりと告知できませんが、今月の心太日記にもそのことを書きました。
ミメイさんの書評をいただいて思うことは、さらにきちんと苦しんで作品を書こうということです。 手を休めるのが、正直、怖いです。 このままもう何も書けなくなるんじゃないか、そんな恐怖に駆られるときがあります。 で、そんなことを感じるときは、何も書いていないときなんですよ。
もっと大きな視点に立って、自分を俯瞰すればいいのでしょうけれど、まだまだ修行の身ですね。 手が止まっていてもスクリプトを考えたり、詩的衝動に捕まるようにしてみたりということをくりかえしています。
自分を捨てる。そのことを忘れないように。
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