一日はやく、婦人公論の4月7日号が届きました。 「詩フォーラム」のある号です。今回は選に絡んでいないので、井坂さんの選評をじっくりと読みました。今回はとても基本的な指摘がされていて、ぼくも自分の足元を見なおした次第です。
いわく「『物言い』に注意」 どういうことかというと、ある佳作を例にとり、詩にはけして書いてはいけない「物言い」がある、とおっしゃる。 例の詩で作者は「感謝」という言葉を使っています。で、本当に感謝していたとしても素直に書けばよいというわけではないのだ、と。詩は基本的に表現の文芸なので、手紙等の決まり文句、日常生活でのありふれた言いまわしは極力避けてくださいということでした。
ぼくに異論はありません。むしろ、一番気をつける点でもあります。 異論を唱える人もいるでしょうし、最近の歌詞なんかは『物言い』だらけだと思う人もいるでしょう。 いずれにしても詩は井坂さんの指摘されるような「文芸」です。
「そうじゃない」という立場があるとしても別にだからどう、とは思いません。詩を書く本人が詩をどう捉えているのか、ですから。 井坂さんはこうおっしゃります。
日常とは別の次元で詩は成り立っています。たとえ、そこをなぞって書いていたとしても、です。 何を書いても自由なのですが、それは日常生活や身辺に縛られないと言う意味の自由なのですね。 どんな作りものでもOKですが、ただし、単に作ればいい、嘘をつけばいいというものではなく、現実認識の深さが、その詩に投影されていることが条件です。
このことを押さえておくことはとても重要だと思います。詩が日常に埋没していく危険に自覚的であれ、というようにぼくは受けとめた次第です。
井坂さんは国語の教師のご経験もおありだから、なんだか井坂先生の詩の講義を毎回受けているようですね。
ところで今読んでいるのは詩ではなくて小説です。 最初、「号泣する準備はできていた」を読んでいたのですが、知人の文庫本主義者から江國さんならこれを読んだか、といわれ 未読の「神様のボート」にチェンジさせられました。それを読み進めています。文庫本主義者にとって、江國作品の、今のところのベストだとか。 今、「落下する夕日」を主義者は読んでいて、この人はうまい、と感心することしきりです。 そのことでちょっと話し合ったんですが、「品がある」んだという結論に達しました。それこそ『物言い』が極力少ない。つまり詩のような小説。で、ストーリーに「それはないだろう」というところがない。いや、ほんとに。 実にまっとうに「変な人」や「狂ったこと」が、しかもきれいに語られていくんです。
「神様のポート」もかなり狂った話ですけれど、読ませるのですよ。破綻なく、綺麗に読ませます。さすが、というべきでしょうね。 で、このような作品の書き方にはいつもヒントと励ましをもらっている気がします。
小説はもう一つ、今日、婦人公論と一緒に届いた文庫本「偶然の祝福」。小川洋子さんです。「博士の愛した数式」以来ファンになっておりまして、連作短篇集というのにひかれて購入しました。 実は文庫本主義者が小川さんを未読のようなので、へへこれは勝ったぜと思っていたのですが、今日、テーブルの上に乗っている同書を発見。パラパラと読んで「よさそうじゃん」。 持って帰りました…。うううう。
はやいとこ江國さんを読んでしまわねば。
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