芥川賞発表の波紋がまだ続いています。 なんといっても19歳と20歳の受賞者というのがトピックになっているけれど、新聞や週刊誌上での、それに関する批評が出揃いつつありますね。
そんななかでいちばん面白かったのが京都新聞1月22日・夕刊の小泉義之氏の論評。なんせタイトルが「文学に蹴りをいれる」だから。
しかも、論の半分近くをここのところの小説のメインラインの解説に当てていて、それが『保坂和志の系譜に連なる作家たち』となっているのです。ふうん、であります。 どんな作家たちかというと、岡崎祥久、鈴木清剛、長島有などとなっています。 少し引用してみます。
『文学は、脱落して降り立った生活の有様、社会に流通する言葉では捉えられない有様を描き出す。無意味で無目的に見える生活を、別の角度から描き出す。そのことによって、文学は、いかなる生活にも肯定されるべき何かが潜んでいる事を示したのである』
しかし、現実の人間はこんな生活に耐えられない。放浪や貧乏に耐えられないというより、それ以外に何もせず、何も起こらない生活に耐えられない、と。 で、ここを打開する方向は近年の作品に見られない、と。
そういわれても、そうなんだー。といえるほど小説を読みこんでいないんでなんともいえないのだけれど、綿矢さんはここに「蹴りをいれた」そうなのです。 これは読まなあきませんな。
で、「友情でも恋愛でもなく、孤立した者たちの連帯でもない、別の関係を創出しようとする」そうだ。 これは、言われるまでもない。自分で読んで確めてやろうと思ったわけです。 ほんまかいなー、という気が半分と、びっくりさせてくれるのかなという気持ち半分です。
とにかく『蹴りたい背中』、大至急読みます。できるものならレヴューにしてみたいですね。
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