散歩主義

2004年01月19日(月) 一切唯心造

玄侑宗久さんの「禅的生活」を読み始めました。
ちくま新書です。新書だから安いです。
(ぼくの本も出きる限り安くしたいと思ってますよ。だから薄いです…)

これはおもしろいです。まだ読み始めて数ページだけど嵌りそうです。
モノの考え方、暮らし方なんですけれど、禅のめざす「自由」がいいですね。
「自由」といっても奥が深くて、いわゆる「放縦」とも違い、自由の阻害者としての「自分」からも自由になるというなかなかに面白いお話になりそうです。

もちろん「考え方」と「身の処し方」ですから、詩なり文章なりを書く上でのヒントも満載です。満載と思う人にとってのみ満載ですが。
というのも禅というのは、最終的な悟りにおいては言語を超えていくものですから。

詩、文章というのも方便となります。そういう突き放した見方。これがぼくにとっては大事な点。学びたい点です。何かに染まった心を信じないという考え方。
簡単に言えば、好き嫌いを超えるということです。
禅語でいう「可もなく不可もなく」です。
これは一般には「良くも悪くもない」と理解されている言葉ですが、出典の孔子も禅でも「あるものごとに価値判断をしない」という意味になります。
「自分は、為すべきことや為してはならないことや、これは良くてこれは駄目という判断しない」ということです。

混沌の中から禅はたちあがってくるのですね。
おお、という感じです。
今日のタイトル「一切唯心造」といのも
「所詮全ては心がつくりだしたものやんか」という禅語です。
玄侑さんも指摘してはりますが、かぎりなくフッサールに近い考え方です。

たぶんぼくに、世界の見方を変えたいと思うところがあるのでしょう。
それが動機で、そして作品を作りながらいか自分を変えて、そして人にどう寄与していことができるのか。
勉強は続くのです。

それにしてもオモシイぐらい心を馬鹿にしますよ。
ほんとに気持ちいいぐらい。

心こそ心迷わす心なれ 心に心 心許すな

つまりは、それほど心を大事にしているということとぼくはみました。


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