「日日是好日」。 禅語です。「にちにちこれこうにち」と読みます。 普通は「ひびこれこうじつ」って読みますね。
つまりはその日その日を「好き日」として生きよという教えです。 大事なのは悪いことがあっても好き日として生きろ、ということ。嵐にあっても好き日、怪我をしても好き日、というように。 考えて見れば厳しいかもしれません。「時に足をすくわれるな」「囚われるな」という教えなんです。 価値判断をするなという事でもあります。
実は禅宗の弱点にもなりうる部分ではあるんです。つまり、全くの自由を目指すためにどんな状況下でも、それを「可」としてしまう強靭さを逆手に取られて、権力に戦争に利用されるという側面です。 実際、太平洋戦争のときはそうだったようです。 現在の禅宗はそういう部分への「工夫」もされているようですが。
個人の生活、日常に徹底的にこだわるというのが禅宗なのです。ぼくが興味を持つた側面もそこにあります。 「自由」とは何か。少しわかった気がします。簡単に言えば字のとおりなのです。 「自らの由」です。由とは因にも近いですが、自らが出発点であるということですね。
生きることが苦しいとき、時間の無限の連鎖のように苦しみが続くと考えてはいけないし、楽しいときもそれが明日も続くなどと考えてはいけない。 禅とは徹底的に「今」を生きよ、といっている気がします。 「今」全てとつながっている。 「今」世界を味わい尽くしている 「今」自らを捨て去っている そのような「今」の連なりで、生きていく。
それが徹底された人は、たぶん現実生活の中では浮くでしょうね。 しかし、そういう精神状態を現実の生活に活かす事は可能です。
玄侑さんの本を読んで、ぼくが思ったのは 「日々新たなり」という言葉です。この言葉は本には出てきませんでした。 流れはあるとしても、今日の続きの明日は無いのです。今日は昨日の続きではありません。苦しみも、幸せも。全てを込めた「今」が続いていく。 その日を精一杯生きる。それに尽きるな、と。
その時の態度が「日日是好日」です。 ものを書くことの、例えば、続きの仕事などはどうなるのか、というとやはりこれも「日々新たなり」でなければ書けないんじゃないのかと思いました。 その日その日に、作品に一からワクワクできるような心が無ければ。
人には「役」があると禅では教えています。 その「役」が「ものを書くこと」であるのなら、粛然と役を全うすべし、ということなのでしょう。「役に徹せよ」ということです。
「主人公」という言葉も禅の言葉です。 「主人公」。これが悟りを表現しようとした言葉だとして、わかりますか?
わかるなどと到底はいえませんが、禅の思想に触れて、ずいぶん元気になりました。 「役」に徹しようと思います。
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