散歩主義

2004年01月18日(日) ぼくは詩人です。

一昔前ですけれど、ある詩人が、アメリカの詩人は自分の名刺に「poet」と書いて持っているということを書いておられました。
これが日本だと、ずいぶんそれだけで怪しまれるのだろうな、とも。
たしかに日本で「詩人」という肩書きの名刺を持っている人はあまりいないと思います。
詩を書く人は健康保険や免許の書き換えの時の職業欄に「詩人」と書きこむのでしょうか。文筆業とか著述業とかくのかな。

そう考えて見ると「詩人」という言葉は「職業」という言葉になじみませんね。生産性も無いですし、職業にあらず、ということでしょうか。

サイトの方の掲示板に「にしはらさんはプロのかただったんですね」と書き込みがありました。
こことは別に「心太日記」にも書いているんですが、そこのプロフィールに『職業・詩人・ゴザンスライター』と書いたからなんですが。

「プロ」というのが、それでお金を得て、生活を支えているというのなら、ぼくはアマチュアです。
「職業」というものが社会におけるその位置であるとするなら、ぼくの職業は「詩人」です。ただし、今のところ、です。

荒川洋治さんの詩にもあるように「詩人」というのは、とてもみっともないものでもありましょう。(『美代子、石を投げなさい』)

しかし「作品」でお金を得ていなくても、ぼくは自分を「詩人」としか言いようがありません。みっともなさも含めて。

詩人にとってのプロとアマの違いが「所得と生活」という尺度で測られるのなら、いったい何人のプロの詩人がこの国にいるでしょうか。
ほとんどの人は別に収入のみちを持っています。ただし、詩を携えて社会に立つときは「詩人」なのです。

『職業・詩人』と読んだ時、あ、この人は詩ばかり書いているんだ、と思ってくれて結構です。ただ、この国の詩人は、本で認知されている人も含めて他の職業ほどの収入も認知もされていないと理解してください。

みんな食べるために様々な仕事をしています。詩人たちの問題です。それは「詩人」を名乗る全ての人、ひとりひとりの問題です。つまりぼくの問題でもあります。

そういうことがら全てをひっくるめて、それでもぼくは「詩人」としか自分をいいようがありません。


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