| 2004年01月12日(月) |
こんな本を読んでます。 |
PCの調子が悪くて、作業効率がかなり落ちています。 ほんとにいい加減、新機種を買わないとヤバイかもしれません。 酷使してますからね。
原稿をまとめるのに神経を使うかたわら、最近、やたらと本を購入しています。 白川静さんの「常用字解」。これは辞書です。だけどべらぼうに面白い。すでに重版されたものがでてますね。隠れベストセラーです。 ほんとうは「字解」のほうがいいんですが、コンパクトであるということで「常用」を。 おなじく白川静さんの「初期万葉論」「後期万葉論」。これは文庫ですが、急いではいません。
藤原新也さんの「なにも願わない手を合わせる」 「メメント・モリ」「全東洋街道」など、藤原さんの本は愛読してきました。 本の帯にこうあります。 …これまであらゆる祈りを拒否してきた著者が愛する者の死をへてたどり着いたもの。それは なにも願わない ただ、手を合わせる。…
ゆっくりと読み進めていますが、「愛するもの」とはお兄さんだということ。藤原さんをしてそのように決意させたものは、手を合わせる少女の姿であったということなど、噛み締めながら読んでいます。 舞台は四国。御遍路さんです。ただし、藤原さんはそのルートとは離れて自由に移動していますが。
たぶん明後日に来るのが玄侑宗久さんの「禅的生活」。これは新書です。新書なんだけど、玄侑さんが「わたしのこれまでは、この本を書くためにあった」とおっしゃる本なのです。天竜寺に修行された僧侶であり芥川賞作家である氏のエッセイが好きでいろいろと読ませてもらっていますが、その決定版だと思っています。
生活のなかで、平日の執筆は夜の数時間に固定されつつあります。リズムを壊すわけにもいかないのであまり長くはできません。それと、実はいちばん大事にしたいのは、瞑想の時間なんです。 直接、誰からも教えてもらったことは無いんですが、自分なりのやり方でやっています。いろんな本を読んだのと、実際にやってみてぴたりと来るやりかたでやっています。
「無心」になること、です。なんにも考えないし、考えようともしない。「自分を忘れる」ということです。実はまじめにやりはじめてから、そんなに時間は経過していないんですが、どんどん新しい事に気がついていきます。 「自分を忘れる」のが無心です。或いは無を感じるのがそうなのだとしたら、なにかに没頭するのも一種の瞑想ですね。歩くことも、掃除も、ゲームだってそうかもしれません。質はどうだかわかりませんが。
「自分を強調する」ところから離れる。それこそ「なにも願わない手を合わせる」という心境に近いものがあります。「なにも願わない」…実は無こそが、凄まじいパワーの根源なのですね。怖がらずにそう思えるかどうか。 自分から離れるためにどうするかというと、人のためだけを考えればいいんです。そうすれば無になれる。無になれば自分の奥深くの自分に素直になれる。 あるいは、呼吸の事だけを考えるのです。 まぁ、そんな事いってもつまらない人には、こんな退屈な事はないでしょう。
コミックスの「バガボンド」を全巻揃えようかと思っています。どうもいかがわしい偽宗教よりも、はるかに瞑想を語っている気がするのですよ。
ではでは。
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