散歩主義

2003年11月11日(火) ケータイを持ったサル

中公文庫から出ている、話題の新書です。
書かれたのは京大霊長類研究所の正高信男さん。故・今西錦司さんの直系ですね。
今西さんは、いわゆる「今西進化論」を唱えたサル学の創始者といってもよいかたです。

 有名なフィールドワークがあります。
 ある一匹の猿が芋を洗って食べるのを見て、その仲間が真似してみる。それで具合がよかったら次々と芋を洗って食べるサルが増えていく。で、ある一定の数になると、まったく離れたところにいるサルたちも突然、芋を洗って食べだす。見ていないにもかかわらず。

 そういうことから、段階的に進化するのではなくて、種全体が丸ごとある日、一斉に変わるのだという説を唱えられた。
 これはニュー・エイジの本などにもよく援用されています。ひとつのことを思う人間が、ある一定数になれば人はそこで変わる、というように。
 このオリジンは今西先生の説なんです。そのことを断っている本は皆無ですが。

 京大のサル学は徹底したフィールドワークに基づいていますから、説にとても説得力があります。今回のこの本の中でも一番のポイントもそういうところから導きだされています。
 それは人とサルの大きな違いについて。それは「私」と「公」との使い分けが人間にしかない、ということです。そうすることで無用の争いや種全体の消耗を避けているわけで、人類の知恵といってもいいものです。

 ところがここのところ、若者はサルに退化しつつある、と。
ところかまわずケータイをかける。どこでも地べたに座って何かを食べる。電車の中で化粧する。すべてサル化であると断じています。

 私と公の区別がつかないということは、どこでもすべて自分の部屋の続きなんです。だから、スリッポンのかかとを潰して歩いたり、とにかくルーズにして寛ぎ、どこでもメシを食べる。大人社会に出ていくことを拒絶しているんですね。
 で、それが平気でまかり通っている。

 だからつまんないことで喧嘩にもなる。「自分の部屋」ですからね。まるでサルそのものです。
 これについては、あまりにも子供中心の家庭の在りかたに問題がある、としていますが、とまれ、夜の散歩にいってみると、至る所にサルがいるんですよ。病院の正面玄関の階段にへばりつくように坐ってたこやきを食べてる。コンビニの駐車場に5人ぐらいが輪になって地べたに坐りなにかを食べている。それがいくつか。全部、制服を着た高校生です。男女関係無し。ケータイにいたっては自転車に乗りながらなんてあたりまえだもんね。
 あの「買い食い」がどうこうっていうんじゃないんです。パン屋で食べるなら食べるで、食べようがあるでしょう。
 少なくともその姿勢とか、顎の出かたとか、シルエツトがほんっとにサルだから驚いてしまう。

 もうひとつ「クーコール」というのがサルにはあって、一人になると誰かが「クー」となくんです。するといたるところから「クー」「クー」と鳴き声が返ってきます。それがケータイをしょっちゅう覗きこみ、手放せない高校生といっしょだと。

 確かにねェ…。街を歩いていてもそんな気がする時がありますからね。特にこの本を読んだあとは、サル化した人間がやたらと目につきますよ。

 高校生諸君、だいじょぶかね。あ!中学生もね。

 

 


 < 過去  INDEX  未来 >


にしはら ただし [MAIL] [HOMEPAGE]