「リサ伯母さん」 山田 稔・著(編集工房ノア) ちょっとづつ読んでいた本、今日の夜に読了しました。 不思議な感慨が残っています。
表題作をはじめ7つの短篇で構成されています。著者自身の日常から「物語」が立ち上がっています。それらは「老い」をていねいに観察し、自らも「老い」を自覚し、生きている中で得られている「コト」が書かれています。
物語は悲喜劇を内包したまま、淡々と進んでいきます。フッと切れるエンディングさながらに人生の幕が下りる風景が幾度も書かれます。 青年や壮年には描けないでしょう。死へゆっくりゆっくり傾斜していく日常をここまで捉える、その想像力はないだろうと思えるからです。
表題作の『リサ伯母さん』。「わたし」が記憶の中から引きずり出し、思い出すその「伯母さん」がいるのかどうか。そんな人はいないという「妻」の神経が壊れているのか、それとも「わたし」が壊れているのか。その揺れ。
『おとずれ』に書かれる、小説家へファンレターを送っていたという「わたしの妹」。そしてその死。もうすでに忘れられ風化された存在である一度だけの出版のための「わたしのペンネーム」宛に突然ファンレターを送リ続けてくる仮名の女性。そのイメージがどんどんだぶっていきます。 妹のお骨を抱えながら、仮名の彼女へ向かう気持ちが初めて高まり出していくところで終わるところには、何層にも重なった、書かれていない物語の余韻が響いています。せつないけれども明るさが差しています。それが不思議。
死と別離が淡々と語られ、時間だけがどんどんと過ぎていく。それに無理に抗う事もなく。身近になっていく死を、さりげなく見つめ、「わたし」とまわりを語る。 望みも欲望も小さく。しかし、ときとしてフラッシュバックする記憶にふかく揺さぶられつづける。そして、それを時として楽しみさえする。 そんな老い。 揺らぎを揺らぎとして受け入れ、人の死に学び、人を想い、老いを生きる、とでもいいましょうか。
なんども映画「存在の耐えられない軽さ」が思い浮かんだ『サッコの日』という作品。ラストの部分が素晴らしくよかったです。 「老い」るということからのメッセージ、それはかくも繊細に人を想い、暮らしを大切に生きること、たんに生きること。その「たんに生きること」のはらんでいる豊穣さに気づいてほしい…。 そういうことを受け取った気がします。
山田稔さんは京都在住。京大でフランス語を教え1994年に退官なさっています。ぼくは以前から、京都新聞での素敵なコラムを読んでいました。 文章がとても好きです。 作品としてはほかに詩人・天野忠さんのことをかいたエッセイなど。
このかたの散文を次に読もうと思っています。
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