鶴見俊輔さん。哲学者。京都在住。 哲学の著書よりもこの方のコラムやエッセイが好きです。最近、近代の大衆小説について語っておられる事が多くて、まったくその辺の知識がなくてちんぷんかんぷんなのですが。身辺雑記の事なども書かれるものもあって、それは好きです。 ある世代以上の方だと、かつて、ベ平連の立ち上げに参加された事でご存知のかたもおられるでしょう。
何故好きかというと、まなざしがとても優しいからです。視点を置く場所が常に庶民・大衆の側にあるということ。それを微動だにしない。 どちらかというと厳格な哲学者の風貌。(オヤジギャグなんかまずでてこないと思われます)だけど、接した人は皆、その優しさ。それも「徹底的な優しさ」に驚き感激されています。
ぼくは先生とは言葉を交わした事はないのですが、購読している田口ランディーさんのコラムに先生が登場した時は驚きました。あのランディーさんをして激しく感動せしめた鶴見さんの「ふるまい」。あぁこの事だったんだ、とうなづいていたのでした。
おもしろいと思った人の本は全部徹底的に読む。何故いいのかすべてノートに書き、よいところすべてに付箋をつけて、自分で考える。 対談では相手にそのすべてを語り、そして、みずからの責任において、絶賛するのです。その「責任」というところが重い。自らの全存在を賭けて他者を絶賛する趣があります。
これでは相手はたまりません。ひょっとして「誉め殺し」?。いやいや本気なのです。ぼくが見習いたいのはその「態度」です。「うそくさい」「馬鹿じゃないのか」、そんな言葉を忘れてしまうほど、堂々と没入してしまいたい。「嵌らなければ」わからないことがあるのです。 それで破滅するのなら潔くひき受ける。それぐらいの武士のようなたたずまいが鶴見さんにはあります。 だから、 ぼくは鶴見さんが「敵だ」と言った時の重みも知っています。だからこそ、人に「懸命」になりたい。 人を本当に好きになろうとすることを忘れちゃいけないな、と。
そんなことを思った朝でした。
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