昨日、自分の作品で評価されたものが、すべてすらすらと書けたもので、詰めて詰めてうんうん唸りながら書いたものでは決してないことを書きました。
それは一体なんなのだろう、とずっと考えていたのですが、やはり「モノ」と「コト」の関係なのかなと思うに至りました。 例えば「きれいな空」という「モノ」に飛びついたとします。すると、どんなに詳しくその空の美しさを描写しても、それがどういう「コト」なのかはとうとうわかりません。説明書きなんかだとそれでいいんですが、詩ではないですね。
「コト」とは自分の考えであり、作品にこめたい「なにか」なはずです。 だからそれがあれば、書くのは物凄く速いわけです。すべてがその「コト」に向かっていくわけですから。すらすら書ける。 ただ、その「コト」を何にするのかが難しいんですね。
力みかえった抽象的な「コト」をめざしても、「モノ」の扱いを慎重にしないと、まったくつまんない作品か、滑稽な作品になってしまいます。 じゃあ「コト」を決めるのはなんなのだろうと考えてみるに、結局それは「批評性」じゃないか、と思ったわけです。 世界を、風景を、人をどう見るのかということ。
ここで自分なりに小さな決断をしました。 批評性の原点として、自分を笑えるようになろう、ということです。 作品を読んでいただいて、アタマ抱えてうんうん唸るよりも、ははは、と笑えたり、ほっこりできるほうを選ぼうということです。そのためには、まず自分が自分を笑える批評性を持っておかないと。
え?もう、十分笑っているかな?
あ、それともうひとつ。自分にこだわらない。実はこれがいちばん大事なのかもしれません。
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