| 2002年10月27日(日) |
原稿用紙2枚半の小説。 |
25日から京都新聞夕刊で重松清さんの連載小説が始まりました。 「カシオペアの丘」というタイトルです。 ぼくも、注目していた作家だけに、乗り遅れまいと読み始めています。
連載にあたって重松氏のインタヴューが新聞に掲載されました。 新聞連載は一回、原稿用紙2枚半です。氏は新聞なだけに読者が毎回読めないことも考え、また社会面を読む人が読むんだぞ、と言い聞かせて、2枚半の小説を書きつなぐ気持ちで書いておられるそうです。
すでに2回が終わり、著者が告げておられたように「恋愛小説」が元恋人だった男の語りで始まりました。主人公は著者と同じ年齢設定。39歳です。 同世代の女性にぜひ読んでほしい、と。重松さんの作品は同世代を描いたものが多いと聞きます。2002年に39歳、40歳の方には同世代にしかわからない、何かがあるかもしれませんね。 ぼくはそこから離れてはいるものの、違うことで興味を持っています。
それは、「物語」の考え方。 重松さんは「現実」とは「事実」と「お話」の交じったもの、という考え方をされています。 新聞から引用しますね。
『事実だけで、というなら統計の数字だけで書ける。だけど同じ数字をポジティブに解釈するか、ネガティブに解釈するかでまったく違ってくる。その物語(解釈)の部分に現実が左右されることはたくさんあると思う。同じ出来事を書いているのに新聞によって論調が違うように。 小説というのは嘘だから、数字の部分とは拮抗できない。ただし物語の部分は小説と近しいところにあるのではないか。 それはある面で人々がほしがっている物語かもしれない。欲求に合わせるかどうかは別問題だか、今の世の中はどういう物語をほしがっているかということはずっと考えている』
この「物語」「小説」の部分を「夢」や「考え方」と読みかえると、現実というのはそれぞれの「思い(夢)」がつくりあげているとも読めはしませんか。
現実(数字)の波に翻弄されながらも、みんなみずからの「物語」を生きています。「夢」に意識的な人ほど現実を直視しているんじゃないでしょうか。 数字に埋没し、夢に醒めている人ほど実は現実が見えていないんじゃないでしょうか。逆にいうと、「現実を見ていない」ということは「真剣に夢を実現しようとしていない」ともいえるのでは。そんな気がしたのです。
自分ではこの考え方が気に入ってます。 現実は思いひとつで変わる。これは「事実」だから。
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