斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2003年06月26日(木) |
プロダクトアウトな発想に戻ろう |
B級コンサルタントの書いた雑誌記事や経営本を見ると「プロダクト・アウトからマーケット・インへ」と未だに書いてある。 そして、その言葉を金科玉条としているC級の人も多い。 僕の発想のスタイルは完全にプロダクトアウト型でマーケットイン型ではない。 僕のようにマーケット・インではない発想をする人間は、駄目なのだそうだ。
僕は企画を練る際、意識的に消費者の意見や世間の動向を無視して考える。 消費者の意見やニーズは無視して、まずは何ができるか、何が面白いかを考える。 プロダクトアウトなので、まず製品ありき。 企業の資産ありき。 そして、テクノロジーありき。
僕の仕事は最新のテクノロジーを活用したものであったり、5年後に花開くような未来的な技術を活用したようなものが多い。 ワイヤレスがどうのとか、ブロードバンドがどうのとか、ユビキタスがどうのこうの、といったネタ作りである。 2010年の。 2005年じゃないぞ、2010年だ。
2010年のビジネスを企画するのに、現在の消費者のニーズを見ても何の参考にもならない。 現在の消費動向のデータを見たり、ユーザーにインタビューをしてもほとんど意味がない。 消費者は与えられたものに関しては反応するが、存在しないものに対しては何の反応もできない。 消費者は既に普及している製品やサービスに関しては、それ相応の意見も持っているが、将来、普及するであろうものに対する意見などはない。 消費者だけではなく、マスメディアや評論家も同様である。
だが、2010年のネタではなく、現在のネタ作りであっても僕はマーケットデータは使わない。 少なくとも、ネタ出しの段階ではマーケットデータを敢えて遠ざける。
ワケのわからないB級コンサルタントの作ったマーケティングデータなど、斬新な発想が必要とされる場面では何の役にもたたない。 発想の妨げになるだけである。
そもそも、消費者には意識に上った潜在ニーズなどというものは持っていない。 潜在ニーズは潜在しているから潜在ニーズなのだ。 消費者は目の前に完全な製品やサービスを見せられ、値札を見た段階で、はじめて自分の財布の紐を緩めるべきかどうかの判断をする。
なので、僕は消費動向から新ネタを導き出そうとはしない。 マーケットインな発想が嫌いなのである。 少なくともマーケティングデータを積み上げて、新ネタを発想しようとはしない。
ただ、マーケット・インを否定するつもりはない。 マーケット・インは発想や仮説を検証する際には有効である。 「プロダクト・アウト」で発想し、そのあとの検証は「マーケット・イン」で行うのが正しい順序であるように思う。
斬新な発想にはある種の「狂気」が必要だ。 発想やひらめきには「狂気」の要素がなければならない。 マーケット・インの発想のなかには狂気は存在しない。 マーケティングデータのなかにあるのは、過去。 過去のマーケティングデータから得られる発想はリニアなものでしかない。 過去からの延長線上には斬新さのかけらもない。 マーケットのデータを使うのは、その「狂気の発想やひらめき」を検証する際なのだ。
狂気の発想やひらめきは、少々のデータをいじくっても出てこない。 日常的に膨大なデータに接し、そのデータがいい塩梅に発酵してた頃に出てくるのである。 データを脳のなかに「寝かせておく」必要がある。
もしくは、経験を持った現場からの発想だ。 ただし、長い経験が逆に発想を狭めている場合もあるけれど。 現場から発想するのであれば、異業種や全く視点の異なるコンサルタントとディスカッションさせてみるのもいい。 ハイブリッドな視点によって、とんでもない発想が出てくることも多い。
新製品や新サービスの企画プロジェクトで、マーケットデータをいじくり回して、新ネタを考えようとしているコンサルタントをよく見かけるけれど、やめたほうがいい。 そこからは何も出てこない。 出てきたところで、ごくごく一般的な答えしか出てこないだろう。 マーケティングデータをいじるのは、検証の際であって、最初の発想を得るところではない。
こんな事を書くと「そりゃアンタは○チガイだから・・・」などと、また言われるな。 企業は消費者やマーケットの常識を無視して、あっと驚くような斬新な企画や製品を作ってほしいものだ。
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