斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2003年06月07日(土) |
日本人は本当に幸せなのか?〜世界がもし100人の村だったら |
「世界がもし100人の村だったら」というTV番組をやっていた。 例によって「世界にはかわいそうな子供がいるんですよ。ねえ、かわいそうでしょ。さあ泣いてください。おらっ、泣けよ。ここが泣くシーンなんだよっ」といういつものお決まりの番組だった。
戦場に向かう少年兵、ロシアのストリートチルドレン、インドの絨毯織りの少女。 スティービーワンダーの音楽に乗せて、世界の「不幸な」子供の紹介が続く。
ほらほら、泣いてください。
僕は、「不幸な」子供達の映像を見つつ、幸せそうだなあ、これこそが人間らしい生活だなあ、と思いつつ見ていた。
彼らは本当に不幸なのか? 僕はそうは思わない。
先進国だと思い込んでいる日本人が勝手に、彼らを不幸だと決めつけているだけじゃないのか? 僕らのほうが、本当に幸せなのか? 日本人の勝手な尺度で幸せか不幸かを判断しているだけじゃないのか?
「彼女は一日に10時間も働きます」 「日が暮れると眠りにつきます」
・・・いいなあ、10時間しか働かなくても良いのか。 夜が明ける頃に眠る僕とは大違いだ。
彼女はラットレースに参加していない。 僕らは勝ったところで、何のメリットもない、無意味なレースを続けている。 ネズミがぐるぐると同じところを廻りつづけるように、僕らはゴールもなく、勝ち負けもないレースを死ぬまで続ける。 競争に打ち勝ったところで、そこに何があるのか? 何も無い。 そもそも勝ちなんてあるのか?
空虚な満足感だけである。 いや、満足感すらない。
まあ、こんな事を言っていたら、清里の脱サラペンションオーナーみたいになってしまうのだけれど。 昼は山菜摘み、無農薬野菜の家庭菜園、夜は暖炉を囲んでギターで歌う。 さすがに僕にはそんな人生は無理だ。
日本のメディアはお涙頂戴の「不幸な」子供の映像を見せて、何がしたいのか? ボランティアをしろっていうのか?募金をしろ、というのか?
これは彼らの人生なのだ。 勝手に自分達は幸福で彼らは不幸だと決めつけないで欲しい。 彼らは決して不幸などではない。
彼らにも僕らにも、それぞれの人生がある。 世界の100人がそれぞれの人生を生きている、って事。 どの人生にも不幸も幸せもない。 それぞれの人生がそこにあるだけだ。
なんだか、ちょっとジョン・レノン。
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