斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2003年03月03日(月) |
日本人であることのハンディキャップ |
日本映画は駄目なのか? 日本人の小説家は世界で通用しないのか? 日本のジャーナリズムはCNNに勝てないのか? 日本のミュージシャンの世界デビューは無理なのか?
駄目です。 通用しません。 勝てません。 無理です。
理由は簡単。 僕らは日本人だから。 僕達は日本人で日本語で考え、日本語を話す民族だから。 僕達が日本人で日本語ネイティブである限り、世界市場で受け入れられる事はない。
日本映画でも黒澤は・・・。 日本のミュージシャンでも坂本九は・・・。 これらはあくまでも、例外。 特殊例として海外で受け入れられたものであって、日本映画、日本の文学、日本の音楽が世界市場でコモディティーとして受け入れられているわけではない。 僕達が日本語で思考する限り、日本人クリエイターの作品が世界市場で一般的に受け入れられることはない。
英語圏のアーティストは狂ったほどに金持ちだ。 それに対して日本人アーティストはたいした金持ちではない。 日本の長者番付にランクされる程度の金持ちではあっても、英語圏のアーティストとはスケールが違う。 それは、そもそものマーケットサイズが違うからだ。 英語圏のミュージシャンや作家、俳優、映画監督は数十億人の世界市場をターゲットにできるが、日本人は日本のたった1億人弱のマーケットをターゲットにせざるを得ない。 日本人アーティストが日本語で作品を作りつづける限り、マーケットは日本語圏に限られる。
これは、日本の英語教育の問題ではない。 いくら英語の勉強をしようとも、僕達が日本人である限り、英語の小説は書けない。 英語の詩を書くことはできない。 僕達が日本語のネイティブである限り、努力するだけ無駄。 僕らは英語圏のネイティブではないのだから。
僕も戦略コンサルティングの仕事で海外のクライアントの仕事をする機会は多い。 当然、成果物は英語で作る。 戦略コンサルティングは、言語能力を強く求められる。 正確で論理的な言葉で成果物を仕上げなければならない。 僕は英語モノの仕事をする際には必ず、英語ネイティブのスタッフをメンバーに入れてもらう事にしている。 英語が得意な日本人ではなく、あくまでもネイティブの英語圏のスタッフをリクエストする。 MBAの英語小僧をスタッフにつけてもらっても、僕は満足しない。 正しくロジカルな英語であることに加えて、こなれた表現を使いたいからだ。 こればっかりはネイティブのガイジンさんに書いてもらわないと難しい。 僕の清書要員として使われるガイジンさんはたまったものじゃないけれど。
僕らは日本語ネイティブである限り、英語で英語圏の人間には太刀打ちできない。 ノンネイティブとして英語でのコミュニケーションは努力によって獲得できるが、しょせん日本人はノンネイティブ。 日本人である僕達には英語の小説も詩も書けない。
日本人は言葉の関係ない分野で勝負するしかない。 映画であれば、アニメ。 音楽であれば、インストゥルメンタル。 服飾デザイン。 カーデザイン。 建築。 ゲーム。 そしてスポーツ。
日本人の海外での評価は低いわけではない。 アニメ、インストゥルメンタルミュージック、服飾デザイン、カーデザイン、建築、スポーツ、ゲームの世界では日本人の評価は高い。 日本人の能力は世界的に見ても全く劣っていない。 英語がからまない限りは。
どうしようもないのは小説と映画。 日本の小説が海外で通用するためには翻訳しかない。 だが、英語に翻訳される日本語の小説の数などたかが知れている。 そして、映画。 日本語の映画など、しょせんはエスニックに過ぎない。 海外では字幕など許されない。 英語でなきゃ駄目なのである。 日本人が日本語で演技する映画など、いくら海外で高い評価を得られたとしても、それらはニッチでしかない。
でも、日本人として、英語ネイティブに生まれてこなかった事を恨んでもしかたがない。 僕らは英語で英語圏の人間にはかなわないのだ。
って事で、とてつもない金持ちを目指す若者は、日本語のハンディキャップのない分野を選択するしかない。 日本人としてのニッチを目指すなら、日本語で勝手に勝負すれば良いけれど。 アニメ、インストゥルメンタルミュージック、デザイン、スポーツ、ゲーム。 世界を目指すなら日本人としてのハンディキャップのない分野で世界を目指せ。
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