斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2003年02月13日(木) |
肉体化するということ |
やっと、ようやく、とうとう、なんとかサイトのリニューアル作業を開始した。 実を言うと今回は非常に難航している。 僕がツールの使い方を完全に忘れてしまったからだ。
クリエイティブツールは、もはや僕の身体の一部ではない。
以前はデザイン作業はPhotoShopで行っていたのだけれど、今回はPowerPointでレイアウト作業を行っている。 仕事で毎日十数時間使っているPowerPointoは自分の肉体の一部と化している。 デザインの仕事をしていた頃はPhotoShopも僕の肉体の一部だった。 DirectorやQuark、Illustratorも身体の一部と化していた。 特にPhotoShopとDirectorでの作業の早さは超人的だった。
NYでクリエイターをしていたときは、僕の手の動きが異様に速いので、作業をしていると、周囲に外人さんクリエイターの人だかりができた。 そのうえ、ベロベロに酔っ払って調子に乗り、深夜(午前4時頃)のNYのグリニッジビレッジにある100人以上の客のいるインタ−ネットカフェでDJに「Japanese No.1 Creatorrrrr! JUUUUUUUUN! From TOKIOOOOOOO! 」と紹介され、100インチスクリーンにエロ画像を出して、オ○○コマークを描いて、その場でPhotoShopでエロ画像を加工して即興ギャグパフォーマンスをやる、という悪ふざけをやったくらいだ(その時は仲間にも客にも日本人は僕以外にいなかったので、僕のギャグの意味が本当に理解されていたのかはナゾ)。 狂った酔っ払いとゲイの皆さんで身動きのできないそのお店のなかで、握手攻めに合ったので、たぶん東洋の神秘としてウケていたんだろう。
道具は肉体化しないとどうしようもない。 何も考えなくても、身体が勝手に反応する。 脳ではなく、身体が先に動く。 道具が自分の肉体の拡張ツールになる。 ほんの数年前までは頭に浮かんだイメージをMacintoshは瞬間的に具現化することができた。 画像だろうと、映像だろうと、音楽だろうと。
楽器でもクルマでもカメラでも仕事でもPCでも何だっていいのだけれど、道具は肉体化して初めて仕事に使えるようになる。 頭で考えて使っている段階では仕事にならない。 少なくともお金をもらえるレベルには到達しない。
道具だけではなく、コンサルタントにとってはフレームワークや分析手法も同じ。 マニュアル本を読みながら、使っていても大した成果は得られない。 ロクな示唆は得られない。 肉体化していないからだ。 脳でしか理解していない。
若いコンサルタントと会話していると、頭だけで理解して肉体化していないな、と感じる事が多い。 彼らは本を読んだだけで、自分のモノになったと思い込んでいるようだ。 最初にフレームワークありきで、無理やり事実をあてはめようとする。 肉体化していないので、説明はできるが突っ込みには耐えられない。 応用もきかない。
「うーん、やっぱり軸の切り方がおかしいんですかね?MECEじゃないのかなあ?」
「違う。お前がこのフレームワークを肉体化していないからだ。脳だけで理解するな。身体で覚えろ。肉体化しろ」
キミの事だよ>
僕は3才の頃から「強制的に」ピアノを習わされていた。 僕はピアノの練習が大嫌いだったので、機械的にただ先生の言う通りに弾いていた。 クラッシックピアノとは作曲家の意図の通りに弾くもんだ、と教えられた。 僕は演奏機械だった。 からくり人形の様に、僕はただ譜面に書かれたとおりにひたすら正しくピアノを弾いた。 僕は「将来は音楽家になるんだよ」と言い聞かされて育ったので、大嫌いなピアノだったけれど、毎日2時間ずつ練習していた。 大きなグランドピアノは毎日触れていても、僕の肉体からは遠く離れていた。
小学校高学年になったある日、僕は気づいた。 僕のピアノは音楽じゃない。 ただ鍵盤をタイミングに合わせて正確に押しているだけだ。 譜面に合わせて強弱をつけ、音楽に見せかけているだけだ。
「僕は自動演奏人形じゃない」
その日から僕の自分の弾きたいようにピアノを弾くことにした。 僕は小学生のガキながら、音楽を自分なりに解釈し、肉体化しようとした。 その時からピアノは僕と一体化した。 僕の身体の一部となった。 僕は自分の解釈で自分の肉体の欲する音を出そうとした。
結果として、僕はクラッシックの世界から落ちこぼれた。 当時はしょせん、ガキの音しか出せなかったのだ。 女の子ばかりのピアノのなかで、男の子の僕の出す荒々しい音は、それなりに評価されたけれど、「正しい」クラッシック音楽からはどんどんかけ離れていった。
そのまま、惰性で高校2年生まで音大受験コースのピアノ教室に通ったけれど、結局クラッシック音楽と僕は相容れなかった。 ただでさえ不器用なのに、偉大な作曲家の曲を好き勝手に演奏する。 下手くそなうえに、ワケのわからないリズムを刻む。 「ピアノは打楽器だ」が当時の僕の信念だった。
僕はクラッシックの世界には受け入れられなかった。 当たり前だけれど、クラッシックの世界ではピアノは「打楽器」ではない。 僕は高校2年の終わりという大学受験の準備開始には遅すぎる段階で、ようやく音大受験を断念し、普通の大学受験コースに変更した。
だけど、僕はそれはそれで良かったのかな、と思う。 大人は認めてくれなかったけれど、それは僕の音楽だったから。 僕の肉体の刻むリズムだったから。 しょせんはガキだったから無茶苦茶な音だったんだろうけれど。
結果的にそのあと、普通の大学に進学してから1年足らずでインディーズながらレコードも出せたし、コンテストでも賞を取れたし、ライブハウスは満杯だったし。 それはそれで良かったのかも知れない。
僕は道具が自分の肉体と一体化して、考えなくても自分の身体が反応し、自分の感性が自動的に具現化される境地に達しないと納得できない。 ツールが自分の身体、肉体と一体化しないと何もできない。
脳ではなく、肉体で理解する。 考えるより先に身体が反応するまで、反復訓練をする。
とかいいつつ、僕はHTMLのオーサリングやデザインワークが肉体化から遠く離れてしまったので、今回のリニューアルは難航している。 以前は神業的に使えたのに。 まあ、現場から既に5年も離れているから、という言い訳もさせて欲しいのだけれど。
身体、肉体と脳が遠く離れていく。 僕は脳ではなく、肉体で考える。 だって僕の脳はアルコール漬けだから。
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