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2002年11月02日(土) ルイス・ガースナーとオクノ総研

日本経済新聞の「私の履歴書」でIBM会長のルイスガースナーの話が始まった。
「私の履歴書」は主に政財界大物の自伝が2−3週間くらいに渡って毎日連載されている。

しばらく前には当代最強の経営者といわれるゼネラルエレクトリックのジャック・ウェルチも登場した。
ジャック・ウェルチの時は単なる年寄りの自慢話に終始していてかなり辟易したけれど。

ルイス・ガースナーは1993年に瀕死の状態だったIBMにやってきて、IBMを見事に再生させた。
そして、今年一杯で退任する。

実は僕は1989年から1999年12月31日までIBMに在籍していた。
ガースナーの仕事を身近で見ることができた。

ガースナーは「元」戦略コンサルタントである。
僕は「現」戦略コンサルタント。

ガースナー;戦略コンサルタント→IBM
オクノ総研;IBM→戦略コンサルタント

似たようなもんじゃねーか。
似たようなキャリアなのにこの差は何なんだ?

ガースナーはIBMのCEOとしては初めて外部から来た人材だった。
それまでのIBMのCEOは全て生え抜きだったのだ。
しかも、元戦略コンサルタントでコンピューター業界の人間ではなかった。
調整型の人間ではなく、トップダウンで前例を無視してガンガン会社の構造を変えていった。
恐ろしくて誰も文句を言えない。
悪く言えば暴君。
来日した際にはガースナーが泊るホテルの部屋の壁紙とカーペットを全て張替えたという伝説もある。
強烈だった。
でも結果的にコンピューター業界の素人がIBMを徹底的に破壊し、生き返らせたのだ。

当時のIBMは官僚主義の末期状態だった。
組織、部門の生き残りが全て。
個々の組織の生き残り戦略としては正しかったが、IBM全体としてみればひどい有様だった。
今の日本の政治と同じだ。
全ての組織が自分達の生き残りのために、結果的にIBM全体としての利益を損なっていた。

ガースナーが行ったリストラも苛烈だった。
当時まだ給与の低い若年社員であった僕には直接関係なかったけれど、ガースナーがやってきて数年以内に45歳以上の社員の大半はIBMを去っていった。
IBMの実質定年は45歳となった。
日本IBMも25,000人いた社員は20,000人になった。
IBM以外ではどう考えても通用するとは思えない中高年がどんどん放り出されていった。
退職していった何人かの人たちは、退職するとき僕にIBMの銀でできた社員章をくれた。
「あとは、おまえに任せた」というメッセージだ。
何十年にも渡って使ってきた社員章を若造の僕にくれた。

リストラがひと段落つき、IBMの一人勝ちと呼ばれるような時期になって、僕はIBMを退職した。
そして僕はガースナーの前職と同じ職業である、戦略コンサルタントになった。
そろそろ戦略コンサルタントになってから3年になる。
ガースナーが何を考えていたのかが良くわかるようになった。
彼はIBM社員であると同時に戦略コンサルタントでもあったのだ。
ガースナーがIBMで行った仕事は戦略コンサルタントとしては史上最高だろう。
多くのビジネススクールでケースとして取り上げられるに違いない。

ガースナーが行った改革は結果的に大成功を収めた。
でも、僕のところには毎年、現IBM社員とリストラされた元IBM社員からの決して幸せとは言えない現況を伝える年賀状が届く。
企業の再生にはどうしても痛みが伴う。
今の僕は昔の同僚たちよりもガースナーの考え方に近い。
だけど、僕はリストラされた中高年社員の気持ちもわかっているつもりだ。
資本主義の申し子であっても一応、ウエットな日本人でもあるから。

痛みを最小化するためには、個々の社員が会社に頼らずとも生きていけるようなスキルを身に付けるしかない。
終身雇用を前提とした、特定の企業内のみで通用するニッチなスキルを身に付けることはもはや意味をなさない。
でも、中高年の人たちには今更つらいだろうな。




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