99745..チェリー
搭乗拒否のニュース。
2007年08月09日(木)
今日、このようなニュースを、観ました。

電動車椅子の、重度障害を持った方が、単身で、海外旅行をしようと、ある航空会社で、チケット購入の手続きをしたら、直前で、断られた。
(なぜ、直前…?今まで、重度障害者の利用がなかったから、対応が遅れた…?)

それで、裁判を起こされたのですが、原告敗訴で、差し戻しとなった。
というニュースです。
航空会社の、『緊急時の対策が、何ら取られていない。』『よって、搭乗を断ることになった。』を、認めるという結果になった。

う〜〜〜ん。
私としては、正直…「今頃、まだこんなニュースあるですか…?」って印象です…。
これが、我が日本の、福祉…。

では、電車やバスで、もしも、緊急時が起きれば…?
重度障害者は、単身では、電車に乗るなと?

…なりませんか?

障害者団体が(全員車椅子、しかも介護者はいる)、7、8人で、飛行機に乗ろうとしたら、同じ理由で、「緊急時に、サポートできない。」と、断られたと聞いたことが、あります。

大体…飛行機の緊急自体って、よっぽどな自体が起きることを、想定してるわけでしょう…。
空を飛んでいる飛行機での、緊急自体って…生きて帰れるか?って、レベルでしょう…?
そんな時に、歩ける歩けないは、関係ないと思う…。
人間、羽は付いてないし、空飛べないし…。

ですが、確かに、緊急脱出をしないといけなくなったならば、航空会社としては、「障害者を手助けできるのか?」という危惧はするだろうと思います…。
『お客様を安全に、目的地まで、届けるため』には、重要なポイントなのかもしれません。
ですが…そこまで、想定して考えてるって…、何だか、いつ緊急自体が起きるかわかんない飛行機みたいで、ちょっと…と思いますが…。
この世には、どんなことにも、絶対!はないんですよね。

しかし、障害を持った方自身が、「自分の命には、自分で責任を持つ。」と覚悟した上でならば、どうでしょう?
それでも、搭乗を断るんでしょうか?

自分の命に責任を持つ。
これは、障害のあるなしに関係なく、人として当たり前な意識だと思います。

リスクを背負った上で、自ら、行動を起こす。

これは、普段の生活でもそうで、気付いてるか?気付いてないか?意識してないか?だけの違いです。

ただ、障害があれば、リスクは多いとも言えます。
もしも、空の上で、緊急自体が起きて、障害がある自分は、助けてもらうのは最後でもいい。助けられなくてもいい。と、自分の命に、リスクを背負うのを、承知の上で、それでも「飛行機に乗りたい」「単身旅行をしたい」ならば、誰にも止める権利はないと、私なんかは思います。
その旨を、承諾書を交わすとか。
搭乗を拒否する前に、双方が理解し合える、何か違った方法が、あったのではないでしょうか?

もしも、『目が見えない人、聞こえない人、歩けない人は、緊急時に助けられないから…。』と、前置きが定着してしまうと…。
私は、1人では、どこへも行けなくなります。
ちょっとそこのコンビニまで…も、大人の私に、常に保護者が必要になってしまいます。
お店だって、「火災時に、地震時に…助けられないから…」と入れなくなってしまうかも…。

人間、例えば、いつ、自動車事故に遭うか?
わからないリスクを背負って、行きたい所に行きます。
そうして、毎日、生きてます。
障害あるなしに関わらず、自分の人生の選択に、責任を持ち、行動するのは、同じだと思う。
私は、自分の障害で、何ができて、何ができなくて、何をサポートしてもらいたくて、何を受け入れるか、自分の体は理解しています。

飛行機に乗せてもらえない。
だから、障害者差別だ!とかいう問題ではなくて…。

なぜ、航空会社の、「、緊急時に助けられる、整備が整っていない。」「よって、単身での、障害者の搭乗は、拒否できる。」という(結論だけ)が、認められたのか?
そこに至る、障害者本人との、話し合いをするという、航空会社の姿勢はなかったのか?
もしも、緊急時に助けられなくても、障害者本人は承諾すると言ったなら、それでも、拒否する姿勢は変わらないのか?
いったい、航空会社は、他人の命のどこまで、責任を持てるんだろうか?
それとも、「これからも、障害者は、緊急時には助けられないから、無理です。」と、断ることが定着してしまうのか?

いろいろ考えさせられる、ニュースでした。

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